| コイのウンチク#3 |

故事や民話、諺などにもいろいろと取り上げられているコイは、やっぱり多くの人々に愛され、そして敬われていることを如実にあらわしているのでしょう。 エラそうなヒゲや、堂々とした態度はやはり昔からで、登竜門の主人公がいくら大きくても、サケやボラでは締まりがない。 ただ諺で良く言われる「俎上の鯉」には若干異論があります。これは、まな板の上に載せられてまさに料理をされようとしているコイをさしているわけで、自らの運命を他人の手に委ねるより仕方の無い、追いつめられた状況をあらわしております。この意味は水から上げられたコイは、一度だけは暴れるが、あとは堂々とじっとしている態度がある、ということを示しているらしい。 ところが、小生のつたない経験によると、どうも最近のコイは性格がセコくなったのか往生際が悪く、なかなか観念しない。ずっと暴れ続けて写真を撮らせてもくれないのが時々おります。
これは鯉が淡水魚であるために敬遠されている点と、鯉は活け魚でなければならないという点で流通面で制限がかかることが考えられます。 他の魚は野締めや冷凍という手段はありますが、なまじ生命力が強いために「活け魚」が全ての基本となっているようです。 そんなことから「死んだ鯉はタダでも買い手がつかない」などと、よく言われるわけです。 さて鯉料理には代表的な二点があります。一つは「洗い」、もう一つは「こいこく(鯉濃)」です。日本料理でよくいう「割烹」という言葉があります。「割」とは刺身を示し、「烹」とは汁物をあらわしております。 同様に鯉料理にも「洗い」と「鯉濃」があるわけです。今回は「鯉濃」の話をしてみたいと思っております。 この「濃」とは「濃醤:こくしょう」をあらわしております。濃醤とは濃味の味噌汁のことです。したがって「鯉濃」とは鯉の味噌仕立てということです。 どちらかというと「洗い」は夏場の料理なのに対して、「鯉濃」は寒い時期の料理ということになります。この「鯉濃」でも鯉料理の基本、活け魚を使うことが前提です。
このため鯉の洗い料理では、プロはともかく一般的には「尾の方から背側をおろして、そのまま頭を落とす」ことが勧められております。「鯉濃」でも頭を落として輪切りにしますが、頭を落とすときに苦玉の位置を考えて、胸びれより前で庖丁を入れるようにします。 頭を落としたあとは慎重に苦玉を抜きます。また本来はワタはつけたままが「鯉濃」の流儀です。ただ一般の河川(ここでいう一般河川とは、あまり汚染されてない河川湖沼のことです。大都市圏平野部の河川湖沼ではありません。)で釣ったものは一週間ほどイケスなのでドロ出しをしないと駄目でしょう。 鱗についてもつけたままにします。 臭みをとるため筒切りにしたものに熱湯をさっとかけ、霜降りにして冷水につけ、鱗をおとさないように水の中で慎重に洗います。 鍋に薄味の味噌汁(好みで酒を少々)を大目に作り、ここに筒切りを入れ沸騰させます。アクが一杯でてきますので、これをしぶとく取ります。しっかりアクをとるために、初めに味噌汁は大目にするのです。このアクとりが「鯉濃」で二番目に重要なポイントです。 アク掬いが終わったら、火を弱火にして落とし蓋をしてしばらくコトコトと煮ます。鯉の身に箸が軽く刺さるようになったら火を止め、それから五〜六時間は鍋を放っておきます。これで鯉の身に味噌がしっかり染み込みます。 さて仕上げはまた火をつけて、好みで味噌を継ぎ足して、あらかじめ味噌味で下煮しておいたゴボウの千切りを加えて出来上がり。椀にのせたら山椒の粉でも身に一振りして熱いうちに食べます。 その昔、釣ってくるたびにお袋がよく作ってくれましたが、最近では河や沼も汚れてしまい、小生自身も鯉濃は二十年以上口にしておりません。 そのうちに水の奇麗な場所でコイを釣るような機会がくれば、また食べてみたいものです。 |

