ドイツゴイ

line

doitugoi

さて今回はドイツゴイにまつわる話題です。
ギリシア時代には既にヨーロッパに入っていたコイは、やがてローマからヨーロッパ中部に運ばれて、このコイがドイツゴイの祖先になったようです。

蛇足ですがヨーロッパの中でも英国はドーバー海峡で隔てられており、コイの普及はかなり遅かったようです。

また米国にもドイツ経由でコイが運ばれましたが、米国人は小骨のあるコイ科の魚にはほとんど関心を持たず人気は出なかったそうです。それどころか堤とほじくり水を濁らす習性が嫌われ害魚のレッテルさえ貼られてしまったそうです。

このためアフリカの国々では最近まで法律でコイの国内持込みを禁止していたところさえあるそうです。

また意外にも伝播がおそかったのは東南アジアの国々で、これらの国々にはもともとコイはおらず、比較的最近に移殖が行われたようです。フィリピンなどはもっとも遅く、何と1912年まで全く移殖されなかったようです。唯一の例外はインドネシアで200〜300年前に中国系移民によって持ち込まれたようです。



さてドイツゴイの話に戻しましょう。
日本のコイに見慣れた人にとりましては、似ても似つかぬ外見のドイツゴイはウロコがないのが特徴で大きく二種類あります。カワ(革)ゴイとよばれますウロコのない奴と、体の一部に不規則な巨大なウロコが一列だけ並んだカガミ(鏡)ゴイです。

ウロコがなくなっているのは品種改良の結果で、始めにヨーロッパに移植されたときはウロコは日本のコイ同様にありました。おそらく調理上の理由と、宗教上の理由でウロコをなくしたのだと思われます。

北ヨーロッパへのキリスト教の普及と関係しており、六世紀に最初の僧院ができてから、キリスト教が次第に普及してくると、戒律に基づく肉無し日を信者に守らせることが僧院の主要な仕事となってきたのです。

肉無し日に戒律を破ると、ときに死罪にも値したそうです。イースターまでの40日間と、それと各金曜日をいれて年間100日を超す肉無し日をどう過ごすかということが大きな問題となってきました。



獣肉ではなく魚肉は良いので、各僧院では河川や湖で漁業をおこなったのですが、天候にも左右される漁業だけでは年間100日超の肉無し日を乗り越えることは困難で、僧院でパイクとかフナを養殖し始めましたが、次第に飼い易いコイが養殖の中心となって行きました。

そのなかで品種改良が進み、少しでも成長がはやく大型になる品種を作り出そうとヨーロッパ中の僧院が競ったそうです。最終的に十九世紀末にバイエルンで生み出された種が生長も早く最も優秀な血統とされたそうです。
ウロコのないのは料理する際に便利な点と、ウロコの有る無しが宗教的に意味あると個人的には感じております。

生長も早く大型では100LBS(45kg)もの記録がありますが、20〜30kgはそこそこ釣れるそうです。リンクページにドイツのコイ釣りの情報がのってますので関心のある方はご参照ください。



さてそのような歴史で人工的に作られたドイツゴイですが、日本に入ってきたのは明治38年。日露戦争勃発直前でした。
輸送中に死んでしまったものもあって日本に着いたドイツゴイは僅か五尾(カワゴイ雌四尾、カガミゴイ雄一尾)のみであって、やむなく在来ゴイとの交配が行われました。

この日独混血の種苗は全国に配られ、当時日本領であった台湾にまで伝播されました。その理由はドイツゴイが持っている長所が当時の日本の食糧事情とうまく合致したためでしょう。

@生長がすこぶる迅速
A内臓少なく肉量が日本ゴイに比べて多い
B寒気に耐え、繁殖力強大である

ちなみに短所としましては
@鱗が少なく外見上奇異であること
A酷暑に耐える力が日本ゴイに比べて劣る

さてここでやはりコイの世界でも攘夷運動が発生致しました。強度な繁殖力への脅威か、奇異な外観を嫌ってか日本各地に日本ゴイ擁護の国粋論が出始めました。滝登りのコイが裸ではシマラないし、何十年先の日本のコイがすべて裸では我慢できないとかの排斥運動の結果、現在のような在来ゴイに殆どが落ち着いたわけです。

いまなおドイツゴイはいるものの、永年の交配の結果でしょうか?当初の特徴である成長力についてはほとんど在来種と変らないものになってしまったそうです。



    参考文献:
      「魚の社会学」加福竹一郎著 共立出版 他


line

back home