…チェサピーク湾(2) |

さてニューヨーク州では、古くは1920〜30年代から、シマスズキののサーフキャスティング釣りが盛んであったようです。ボート釣りやトローリングよりはるかに効率の悪い、サーフからのルアー釣りは、ポイントやエリアも限定され、そのうえ仮にスズキを掛けても、あのエラ洗いのため取り逃がす率も高いわけです。当時この釣法に対してこれまでに考え出された、もっとも効率の悪いやり方であると酷評が下されました。
ただ熟練者にとりましては、より遠く、またはより正確にルアーを投射することが出来るわけで、名の通った根や、えぐれ、渦などの狙い場所を無駄なく攻めながら、可能性の高いスポットを渡り歩くために上にあげましたこの釣法の制限は問題にはならず、その結果サーフキャスターの約5%の人の手により、スズキの約95%が仕留められているということが、当時から言われたそうです。 このようにタフな釣りであるにもかかわらず、シマスズキのサーフキャスティングは多くの釣り人に強烈な魅力(獲物の大きさとファイト、力感に溢れ且つ技術を要する投射技術等)ゆえにシマスズキを狙うサーフキャスターは、他のいかなる海洋フィッシングのファンより熱狂の度合いが高かったようです。 このような状況ですので、連日大量にトロフィーサイズをトラック荷台一杯に満載されたシマスズキを運んでいた、漁民に対しての、異常なほどの敵対心が芽生えたことは、充分に想像がつきます。そして、このときからスポーツフィッシャーマンと職漁者との激しく長い戦いの火蓋が切られたのです。
漁民の曳く大漁旗をスズキ繁栄のグッドニュースとして捉えるのではなく、漁民の搾取乱獲の証左として、糾弾の手が挙がることになりました。この傾向は第二次大戦が終わり、米国の繁栄とともさらに激しくなりました。スポーツフィッシャーマンは急速に増大し、やがて釣り上げた魚を市場でセリに出すような、エセ・スポーツフィッシャーまで現れるようになってまいりました。
このようにして、釣り人の堕落と漁民との反目は行き着くところまでいってしまったのです。 スポーツフィッシャーの増大と共に、彼らは商業漁民よりずっと大きな票を持つ、政治的圧力集団となって、やがてシマスズキ保護法案の立法化の動きを始めることになりました。その中には釣り客の歓心をはかるチャーターボート業者や、前述のエセ・スポーツフィッシャーも含まれていたわけです。 1945年、かれらは専業猟師が比較的小規模であったマサチューセッツ州で、勝利をおさめてしまいました。その結果そこではありとあらゆるシマスズキ網漁は禁止となってしまいました。 ところが本当のところは、それ以前でも地元の零細網漁者が上げるよりも、竿とリールで釣り上げられたシマスズキのほうが遥かに多かったという事実があります。 ニューヨーク州ではシマスズキ漁が主要な漁業であったため、すぐにはこの風潮への賛同は得られませんでしたが、州議会では商業漁民と釣り人団体との代理戦争が繰り広げられました。海洋生物学、自然保護学者等々の専門家によって構成された、シマスズキ委員会からは膨大な量の調査研究が提出されましたが、この団体の財源の一部は釣り具の物品税で賄われていたため、その論調は推して知るべしでしょう。 騒ぎの外に居る、一部の有識者からは、商業漁民と釣り師ががそれぞれの利害を主張し、互いに傷つけ合うような論争はおかしいとか、シマスズキの生存数の多寡が、幼魚の増大につながるものではないとか(前項に記載)、商業漁民のみを排除しようという釣り師側の企ては、資源保護からの面では決して正当化されない、等々の賢明な意見も出されはしましたが、双方の論調を和らげる事は出来ませんでした。 1978年、ロードアイランド大学の調査によりますと。釣り人によって捕獲された、ロードアイランド州のシマスズキは、全体のじつに93%を占めていたことが明らかになりました。同じ時期ニューヨーク州環境保護局の調べでも、過去十年間にニューヨークフルトン魚市場で売られたスズキの半分が、釣り人によって上げられたという報告がなされました。
楽しみのための釣りをするスポーツフィッシャー達は、自分達の捕獲するシマスズキの、サイズを制限しようと言い出したことは一度も無く、その一方、昔から生きるために漁をしてきた零細漁師に対しての攻撃の手は緩めることはありませんでした。彼らの得るシマスズキの、全体に占める影響は、釣り師のそれとは遥かに少なかったうえ、シマスズキの本来の敵(大西洋沿岸の河川・水路の汚染による産卵床の深刻な破壊)に比べれば物の数ではなかったはずです。
必要な率の稚魚が生きていけない状況、すなわち環境汚染が漁業資源の減少の真の原因であるという証拠が、充分に当時出ていたにもかかわらず、シマスズキの減少は漁民の過剰な捕獲にあるという、馬鹿な考え方が相も変わらずまかりとおっておりました。 チェサピーク湾への流入河川(サスケハンナ川やポトマック川他)で、シマスズキの卵や幼魚が化学物質によって、深刻な被害を及ぼしているという調査結果は、連邦政府お抱えの生物学者が、官僚に大きな影響をもつ、化学薬品業界や農業業界の前に屈服して、表にはその影響はほとんど報告されませんでした。 まあ、このような事態はどこの国でも似たようなものでしょう。 1976年、とうとうハドソン川から取れたスズキに高濃度のPCBが検出されてしまいました。ニュージャージー州ではハドソン川産のシマスズキの販売が禁止されましたが、その後河川浄化とともに回復した様子は、東京湾での出来事とほとんど一致しております。 1978年、チェサピーク湾に流入する河川環境の破壊をまるで看過できなかった一部有識者?が、SOS(我らのシマスズキを救え)という名のグループを作り、議会に対してシマスズキの体長制限をそれまでの45cmから65cmに引き上げる法律の制定を働きかけました。これに対してニューヨーク州環境保護局は、1950年代からのスズキの研究を通じて得られた結論「40cm以上の体長制限は生物学的に根拠はない」との見解を示して、この法律は退けられました。 1973年を境に減りつづけたシマスズキは、1980年には三分の一まで漁獲高が落ちてしまいました。予想通りスポーツフィッシャーは大騒ぎを始め、翌1981年には「60cm体長制限法」の受入れ勧告が、彼らの息がかかった環境保全団体によって、全州に向けて発信されました。 ここでもまた産み付けられた卵が、毒の混ざった水の中で、どうして生きていけるのかという側面は、全く隅に追いやられてしまいました。しかしながら、とうとう1983年8月に、同法案はニューヨーク州知事の署名を得て成立してしまいました。そしてこのことは50cm以下のシマスズキが殆どを占めていた、同州の網漁者の生活を破壊することになったわけです。 同年7月付けのニューヨークタイムズ紙は、社説の中で「連邦政府が始めているシマスズキの生息状況調査の結果が出る翌年まで、法制化は見送ることが賢明。」と訴えましたが、結局のところは政治的産物として「60cmスズキ法案」は通過してしまったのです。
皮肉にもこの後まもなく、シマスズキ減少の理由は解明されることとなりました。チェサピーク湾に注ぐチョプタンク川(かってここは魚群が25kmもの長さでひしめいていたという記録があった河川)の調査の結果、彼等の減少と春の雨との間に何らかの相関がある、との報告が纏められました。
それはやがて、最大の原因は「酸性雨」という極めて強い証拠が提出されるにおよんで、その謎は解明されたのです。平坦な沿岸平野部では、大雨の後の流速のある表流水のなかで、水は致命的な酸質脈動を受けて毒性を帯び、かつすでに地中にしみ込んでいた、ほかの毒素やアルミニウムを引き出しつつ、化学作用によって、一層その毒性を強めていったわけです。 通常の年には、4月と5月に大雨が降るのですが、突然繁殖数が増大した1982年の春は、異常に雨が少なかったことが功を奏しました。この説をとれば、低地河川の産卵床が破壊された要因はすべからく「酸性雨」の結果だということができます。また六種の遡河性パーチとニシン類の深刻な減少も、やはり酸性雨が原因だと考えられます。また、一帯で唯一シマスズキの数が増加中というハドソン川の場合は、河川の水に含まれる石灰分が酸を中和しているせいと考えられました。
一連の出来事を振り返り、思うことは、人間は時として大きな間違いを起こす代物だということです。少なくても、感情的な敵対心からは本当に肝心なことは見えてこないのでしょう。言えるのは古今東西皆同じ轍を踏んでいることが多いようです。 先月末(4/25付新聞)に、水産庁が今年の10月から岸壁・海岸釣りの釣果全国調査を始めるという記事がありました。これは近年沿岸漁業の生産量が低下している事を問題とした水産庁が、今や二千万人ともいわれている釣り人達による沿岸魚類捕獲の影響を、調査しはじめたということです。 国内の漁業生産量は、1998年の速報値で664万トンで、33年ぶりに700万トンを割りました。特に沿岸漁業は深刻で前年より12%減少してしまったそうで、一方では、例えば千葉、神奈川、静岡3県でのマダイ漁は、遊漁船の捕獲量が漁業者を上回っております。 水産庁の発表では、調査はあくまでも資源の実態調査が目的で、海釣りを楽しむことを規制するものではない、としておりますが、とかく利害のからむ話ですので、米国で起きたあまり賢くないスズキ法案を他山の石として、冷静な対応を望みたいものです。 |

