この話は全て実話であり、私が家族崩壊への
道を歩んだ恐怖の体験談である。
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第九話 |
第十話 |
第十一話 |
第十二話 |
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第十三話 |
第十四話 |
第十五話 |
第十六話 |
第十七話 |
第十八話 |
第十九話 |
第二十話 |
第二十一話 |
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以下 関わった行政機関及び関連するものたちである
(1) 静岡県賀茂郡郡南伊豆町役場 鈴木史鶴哉町長 伊藤不二枝 職員 平山職員 保健婦
(2) 静岡県女性センター(賀茂健康福祉センター) 土屋(女性)相談員 オリモ相談員
(3) 静岡県警下田警察署 生活安全課 稲葉氏 佐藤氏 ムコウダ氏
(4) 静岡県児童相談所 女性職員
(5) 静岡県静岡市一時保護所(清流荘) 山田氏(男性)
(6) 神奈川県藤沢市役所元職員(事務吏員) 元民生員兼児童相談員 小田孝良
(7) 三島社会保険事務所所長
(8) 静岡地方裁判所 裁判官 竹内 書記官
(9) 沼津市田中合同法律事務所 DV弁護士 角田由紀子
経 過
以前から私の両親の常識のなさに夫との喧嘩があった。その度,
実父に対しどうにかして欲しいと方法策を求めていた。
こちらが相談をすると必ず、離婚を求める声があがる。
しかし具体的な内容には触れようとしないそんな実父であった。
そして、私が夫にその事をいうと夫が事実確認の為、実父に尋ねると「そんな事は言ってない」と
私たちの前で必ず言い逃れの態度をとられて事実が確認できずじまいにされてしまった。
又、平成17年4月に夫が両方の両親に夫婦の事で相談があるから、家まできて欲しいと電話をする。
後日、私の両親が午後2時位に南伊豆の私たちの家まで来る。
その時は「離婚はしない方が良い。」「自分も民生委員をやっているが母子家庭は子供がダメになる。だから離婚はいけない」と言う。
しかし、夫が仕事から夕方4時半に帰って来るのを待たず、慌てて帰って行った。
そして、1週間〜10日後に私の携帯に実父より電話が入る。
内容は、離婚の手だてである。
困った時は女性センターか警察に助けを求めて、避難できると教えて貰う。
最初は、それが何の事だかわからず、その後、以前から興味のあったサイトにたどりついた。DVサイトである。
夫の行動が、よく当てはまってしまい実父の言っていた事はこれかな?と思い始める。
以前にDVを題材にしていたドラマがあり、それとも重ね合わせたり又、夫婦喧嘩をしないで幸せになる方法を、
2年前に女性センターに相談をした事があった為、更にDVだ、これはDVだとだんだん思いこむようになってきた。
私自身、真面目で思いこむ事が多い為、真実をつきとめるより、目の前にあるものを信じてしまう性格である事は確かである。
よって、DV法に当てはめる事は簡単な事であった。
第一話終わり
子供達とその関係者、家を出るまでの女性センターの対応
夫は躾に対しては厳しい面も多少あった。ただそれが虐待と言われてしまえば虐待であるが、
どこまでが虐待でどこからが躾になるのかがわ
からないことである。その基準もDV法と同じであるのではないでしょうか?事実確認はしたのでしょうか?
子供を連れて南伊豆の土地を離れて忽然と姿を消せば夫は元より、小学校関係者はびっくりするだろう。
勝手に出てきた事や、児童相談所の職
員に家を出る事を進められた事も後に子供が不登校になる原因を作ってしまったのである。
家出当日朝までに、長男、二女には何も教えず、長女(中学生)には何度か相談したが、
家を出る事に賛成してくれなかった。このことを、女性センターのT屋に相談したところ、
「児童相談所の職員が相談に乗ってくれると思いますので、一度相談した方が良いでしょう」
と勧められ予約を取り、長女の通学する中学を水曜日に休みを取らせ相談に行きました。
児童相談所では、女性相談員が、「お母さんは家を出たい、お父さんと一緒にいたくないと言っているのだけど
あなた達子供も協力してくれないとお母さんも困ってしまうので一緒に協力してくれないかな?」と
長女に説明した。
その相談員はしつこく何度も長女に繰り返し聞かせ、説得を試みていた。
最後に長女の心理状態を読むために、一枚の紙と色鉛筆を用意した。
「好きな絵を描いてごらん、絵を描くのは好き?」と聞く。
「好きです」と答える、「じゃあ書いてごらん」と絵を描く事を促した。
長女は、顔の絵を描いた。その絵が完成し、左目を閉じたような感じの絵を描いた。
相談員はすかさず、「何か自分の中に秘めているような絵だね」と言う。
「でも上手に描けているね」ともほめる。「だからお母さんの気持ちも考えてね」と言いお昼頃になったので話も
終わり帰宅に向かった。
このように家出を拒む子供を使い、無理矢理家を出るよう話を進めていくのも
この法律のマニュアルに入っているのではなかろうか。
そして、いまだにこの様な選択をしたことは母親のせいだと子供達は思っているようだ。
確かに、事実は私が出てしまった事だが、冷静な第三者である相談機関が、
事実確認もしないで
「命の危険だとか」子供の為にも夫婦の争いは見せることも虐待につながる」
と言われ、
こちらも素直に聞き入れてしまった。が、今、冷静に考えてみれば、
大変な事で「夜逃げ」という言葉が当てはまる。
逃げる。
近隣住民・学校関係者・子供達のクラスメート達・父兄関連・職場関連・
更に、狭い地域での行政関係者等に知れ渡り、個人の名誉が大きく傷つけられ、
ひいては家族という人間の集団が、この行動により抹殺されたのと同様である。
何せ、突然学校に来なくなったのですから・・うわさ話も多いでしょう。
夫の勤める会社には、三島社会保険事務所から、扶養認定を外しますので、
送付した書式に必要事項を記入し、返信願いますと書かれた手紙が届き、
返信なき場合は、職権で扶養認定を外します。とも書かれていたという。
このことにより、夫の会社の社長は大きく憤慨したという。
大企業であれば、クビ同然であり、労働、収入ににも大きな影響を及ぼしている。
これらの事から、全てを捨てる・・・
(家族、家、土地、名誉、地域関連の人たち、子供の人生、私や夫の人生等、仕事、生命)
という事がここで成り立つ訳である。
全てを捨てさせたと言うのが正しいであろう。
その後の私たちの生活は、まるで崖を転げ落ちるように、破壊されていった。
また、
実父であり、元神奈川県藤沢市役所事務吏員、藤沢市民生委員兼児童相談員 小田孝良の関与も重大である。
これから、私たち家族5人が崩壊していく様と行政機関の関わりを詳細に記す。
第二話終わり
各行政機関の活動
女性センターに相談に行っても専門知識を持っている者の対応なのだろうが、
夫婦家族が幸せに暮らせると言う方法を一緒に考えてくれなかった。
実際は、それは危険が身に及ぶ。「一時保護所を案内します。場所は教えられませんが、「
安全な場所です。今まで苦労してきたのだからご自分の幸せを考えて下さい。」
と家を出る事を強く進め、一時保護所に入所を勧める。
再三、町役場に相談に行き、早く家を出るように勧められたので、私は焦る。又、
子供も必ず同伴でが強調された。
そして、荷物をいくらか持って出たいと申し出る。
保健婦が荷物の種類をこれを持って行くと良いと言われた。又、自身で車に乗って
近所の人に見られないように出る事を進められた。
止めて放置する場所の指定にあがったのは役場裏のスーパーヤオハン下賀茂店駐車場。
私は「夫名義の車なのでなくなったら夫が困らないですかねと」 と聞く。又、女性センター
の土屋も「そんなこと気にしなくて良いのよ」とさえも言った。
何の権利があっての発言か?車の不法投棄の投げかけを
役場と女性センターは指示強制したのである。
平成18年5月31日(水)
5月28日に暴力?のあった証拠を病院で診断した方が良いと町役場と女性センターに勧められた。それをすること
により、こちらが有利になるようなニュアンスで言われた。
もちろん別紙による理由からうのみにして、早速かかりつけの○倉医院に相談に行って
診断書作成をしてくれるよう頼んだ。
しかし、主治医は治療を要する怪我ではない(通院1日)なので警察に行くように勧められた。
その日の内に警察でも証拠がとれなければ自分のカメラでも証拠になると以前言われたのと
DV法の進め方の本やインターネットでみた事があるのでその通りにした。
そして次に行ったのは下田警察の生活安全課である。調書のようなものを取られる。
だんだんと相談していくと、最後に「ご主人を犯罪者にしても良いのですか?」と言われ、もし、
相談なら女性相談に行ってくれと言われ。
その日の内に病院、警察、女性センター、役場に行ったのではないかと記憶している。
かなりのたらい回しで後の接近禁止令を出す、証拠取りになったと思う。
6月上旬 家を出る前の事
そんな中、○○の家に居たとき、少しの冬物を先に実家に送ろうと思い送っていた。
その時の実父の声は「何を考えているんだ。引っ越しをする気かこんなに荷物を送って」
と携帯に電話がかかってきた。
6月上旬だった。それでもまだその時には心の迷いがあり、家を出るつもりは強く無かったが、
実父が「勇気を出して早く出てこい、自分たち夫婦は6月24日
から7月3日までハワイに旅行に行く事になっている。それに合
わせて出れば、こっちは電話を取り次がないで済むからな」と言ってい
た。 実母もこういった。「身内にこんなに迷惑をかけて荷物を夫○○さんに見られたら私た
ちは殺される。あなたは親を弟を殺す気?もう迷惑をかけないで」と言われた。
親に迷惑をかけている自分はなんて悪い奴なんだろう。早く家を出なければ…
でも、子供達はシロやゴロは夫は、家の中の荷物はと思いちゅうちょしていた。
6月9日には、はっきりと憶えているが
日曜日天気の良い日に庭で夫と「気持ちがいいね」 と会話したのを憶えてい
る。自分が家を出るなんて言えないし、まして出る準備をしてるとも言えなかった。
又、その時には送ってしまった荷物は何かの時に送り返してもらえばいいやとも思い
出る事をもう、考えるのは止めて頑張ろうと思っていた。
しかし、6月10日に夫の口から出た言葉は
「騙された。泥船にまるで乗った様な気分だお前の親は何もお前の事を心配しない、
金銭も困っても出さないし」と言う言葉にもうダメだ私はずっとこの人に親の事でこういわれる。どんなに
私が頑張っても頑張ろうとしても、自分の親のだらしなさには分かっていたが、
もう言われ続けられるのに限界に達していた。
そんな時、役場に家を出たらどういう生活をすれば成り立つか相談に行った。
役場の職員は、「実家に一番力になってもらえそうだから、お父様に頼んでみてはどうでし
ょうか」と言われ実父に頼っての良いかと尋ねたら、お金は出すと言ったが
その後の具体的な事にはあまりふれなかった。
それどころか、役場の職員に「父がいくらか面倒を見てくれそうです。」と言ったら
携帯に実父より すかさず電話が入り、「役場の職員から電話をもらったが、
こっちは民生委員をやっているんだ。何を職員は言っているんだ。
面倒を見るなんて軽々しく言って失礼だ」
と怒って電話を切ったのを憶えている。
私の親は私に対する心配をしているのか?それとも夫とこの地で生活していけるのか、板挟みになり、
夫の元でもう少し頑張ろうと言う気持ちと家を出た方が良いのかと毎日揺れ動いて
苦しんでいた。
役場に、何回かこういった事を相談に行っているうちに、いつしか
「いつ頃家を出られるんですか?こちらはいつでも準備万端です。後は出られる日さえ
おっしゃっていただければ。それに、暴力を振るうご主人とずっと生活をされていても
危険ではないんでしょうか?」とせかされた感じでいた。
正直、まだ迷った。今後の生き方もどうしたらいいのかさえ分からないのに、
実父は早く出てこい夫は実家の行動に腹を立てている。(分かるが言われるのが辛い)
ノイローゼ寸前だった。
しかし、6月14日水曜日頃についに決断をしてしまう。
第三話終わり
出たら、幸せな人生を送れる。と書いてあるパンフレットや
インターネットや本を読みあさった。
やっぱり出よう。そして飼い猫の写真が私の携帯に1枚も無いので、ごめんねといいながら写真を撮った。
もう二度と会えないからと思いながら。
愛猫は泣いているようにも感じた。後ろ髪を引かれる思いで泣いて写真を撮った。
でも、何でこんな事をしているんだろう自分は?と投げかけては止めてしまおう、
いや出ようと未だに、わからずの状態であった。
愛犬の写真は以前にみんなで撮った事があるので、あえて撮らなかった。
私の勤めている職場の上司には、事実を話し、家を出る事を伝え、
退職の日時も知らせた。
実際、退職をしたのは6月24日付けである。
又職場に夫からの問い合わせがあったら、「帰りました」等言ってくれるように頼んでおいた。
その間私は、役場に出るまでの間に出来る事をやったり、S医院で1月分の薬をもらいに行ったりしていた。
平成18年6月23日 家を出る
家を出る日が決まった。
平成18年6月23日忘れもしない、長男の誕生日1日前である。
又、ワールドカップサッカーで日本惨敗の日でもある。
町役場の黒の日産ラルゴを用意され、人目につかない場所で荷物の運び出しをするように言われた。
雨も降っていたのでベイサイドの駐車場に決まった。
ベイサイド黒潮では、寿司屋の下当たりの駐車スペースに
夫所有のトヨタライトエースリミテッド、ライトブラウンツートンを駐車し、
荷物の運び出しに伊藤、土屋、他男性職員平山が加わり、荷物を私の乗り付けた車から役場所有の車、
黒の日産ラルゴに載せ替える行為を
車両の所有権の確認もなく勝手に焦るように進んでやっていた。
夫名義の車の乗り捨て不法投棄の手伝いと、町役場の車を使用して
夜逃げ同然の手伝いを公的機関が携わっていた訳だ。
DV法のマニュアルに沿っての行動にしても、あまりに強引で勝手でなおかつ、
不安にかられている女性に対して、適切なアドバイスとは言えない事である。
そして、荷物を積み替えが終わり、人目に付かない裏道を使い
一時保護所までの長い道のりを4時間位かけて車を走らせる。
車中では私と子供3人は不安にかられていて、一言も言葉を発しない様な状態であった
今思うと、実際車をおいていくのは私であり、後の責任問題にはおそらく関与を否定するであろう。
又、関与を否定する裏工作まで計画されていた。
この裏工作とは、女性センター土屋があらかじめ自分のバックに用意して入れてある
便箋と封筒をおもむろに取り出し「ご主人の車のカギを預かりますので○○さんがどこに車を置いたか、
手紙を書いてください」と言われ、
言われるがままに自筆で「突然にいなくなってごめんなさい。
車はS田のベイサイドの土産屋のすぐ前に置いてあります」と書けと強要され、
仕方なく書いた後、車のカギ及び家のカギ+スクーターのカギの3本を「これは私が預かりますから」と
センター職員土屋に強く言われたので、
何かに悪用はしないだろうと不安を感じながらも状況的にみて仕方なく手渡した。
その時の立会人は南伊豆町役場職員の健康福祉課伊藤(女性)、ラルゴの運転手平山(男性)、
一時保護所清流荘 担当職員山田(男性)である。
これは後に、私が自分の意志で車を乗り捨てたと言う証拠をとるためではないかと思う
カギは私の物でもあるが、夫の物でもある。カギは財産を管理する物であり財産を預けたも同然。
何故か鍵が手元に戻ってきた。
それは一週間後の7月30日頃に一時保護所清流荘の私たちを担当する山田と称する男に、下田の女性センターの土屋から、○
○さんが預けた逃亡時に利用したライトエースのカギ
(家のカギとスクーターのカギもついていた)を渡した物を私の手元に戻ってきました。
理由として山田から発せられた内容は
「女性センターの職員土屋が車を不法投棄した場所に車がまだあるかどうかを確認しに行ったときに、
既に車はなくなっていたと」と言う理由からである。
事実確認もなく一体誰が移動したかも分からない状態であった。
自動車盗難や、違法駐車、放置車両と見なされ大変な事になっていたかもしれない。
今から思うと、他人に自宅等のカギを渡してしまった事は、大変危険な行為であり、夫の居ぬ間に、
女性センターT屋は空き巣に入る事や、室内に放火し住めなくすること、
合い鍵を作っていた事も十分考えられ、今思えばあの時、緊張、
不安など精神的に追いつめられた状態で、
正当な判断ができない私から考え「T屋は赤の他人」と思うと恐怖を感じ、
何も知らないでいる夫の事を考えるとぞっとした。
第四話終わり
下田ベイステージ黒潮〜一時保護所清流荘へ移動ルート
移動ルートは、下田を12時頃出発し、135号線を河津方面に向かい、ループ橋を通過、
天城を抜け三島市から国道1号線で長時間の移動に入りました。
その後、由比、浜松、静岡まで4時間かけて16時半頃一時保護所と言われる(清流荘)に到着した。
これから道中での出来事を書きます。
道中では、女性センター職員土屋は、子供達に「大人しいのね、大丈夫よ
これから行くところにはあなた達と同じくらいの小学生や、
小さい子供達もいるから仲良くお友達になれるかな?」と言った。
更に旅行気分かの如く、「ほら、ループ橋だよ、」「富士山が見えるわよ」
と言っていた。
子供達は不安になっていたので何も反応がなく無口であった。
道のりが長かった為か南伊豆町役場の職員の伊藤は、
「車に酔いやすいのよね、ちょっとの間内緒ね」
と私たち4人に言って、勤務中にもかかわらず1時間近く車内で居眠りしていた。
なんて職務怠慢なのであろう。
女性センター土屋は、逃亡業務を何度か行っているらしく、
「良く山道で鹿に出会う」等と言う事も言っていた。夜逃げ?
保護所についてからの注意点を聞いた。
「他の人は色々な事情で様々な形を持ってそこにきているので、あまり深く話をしない方が良いです」と言われた。
「保護所に着いたら○○さんの担当の職員がいますと聞かされる。
名前は、男性で山田と言います。」とも言われた。
私は、担当がなぜ男性なのか不思議に感じたなぜなら、DVを受けた女性なら男性と聞いただけで「恐い!」
と女性センターや冊子から認識していたからだ。
「え!」と言うと、土屋が「女性の方が良いですか?」と言ってきた。
「いや別に」とこちらもそれ以上何も言えない状況だった。
現地に着いて(静岡市一時保護所)
現地に着き荷物を各関係職員で、清流荘と言われる木造平屋建ての古めかしい施設内
に用意された部屋(8畳くらい)があり、そこに車載してきた荷物を運び込んだ。
その後、施設の女性職員に「荷物の片付けは後にして、面接をするのでお子さんを部屋で待たせ
お母さんだけ面接室に来る様に」と言われた。
「今回ここに来るまでの内容を教えて下さいと言われる。」
同席者は、南伊豆町役場職員伊藤・山田・女性センター職員土屋・清流荘担当職員山田の4名である。
質問の内容は以下3項目である。
1 どの様に暴力を受けたのか?
2 いつからその様な事があったのか?
3 どこに相談したのか?
清流荘職員の山田は、到着後直ぐに「職員は5時に退社になってしまうので急いで」とせかし、
「また次の日は土曜日、日曜日で職員が休みのため急いで!」
と更に急を要する事を強要された。
私はこのような冷静に判断できる時間すら与えられず、緊張や不安感にかられ、
3人の子供の状態も心配なのをよそに、このような質問を聞かれた。
何故職員達は私を焦らせたのか?時間外でもつけてもう少し落ち着いてからでもいいのでは?
以上今から思うと、あの時言いたくもなかったのに、家庭内のプライバシーの事まで強制的に言わされた。
言わなければいけない状況であった。4人に囲まれて。
その時に書記は清流荘担当の山田が書記をしていたのを憶えている。
私は罪悪感や悲壮感にかられ、泣いてしまう。
この時点でこの組織の厳重さから「もう伊豆には戻れないんだ夫やシロ・ゴロにも会
えないんだ」と思った。
また、南伊豆町役場の職員は、私の気持ちとは逆に、
「今まで暴力を振るわれ、苦労してきたので安心して、泣いてしまったのね」と言う。
また、学校、警察にご主人が、行かれる事が予想されるので、
教育委員会経由で小中学校の校長又は教頭に早急に連絡を取り事態の把握をして貰う事を、
静岡県女性センター清流荘担当職員らから、南伊豆町役場の職員に指示していた。
しかし、夫がその様な場所に行くのは当然ではなかろうか?
仕事から帰ると妻、子供3人が忽然と車と共に消えたのだから・・
夫、父親として心配するのごく当たり前である。
そして、私にも、「6月26日の月曜日になったら、○○さんの口から直接小中学校に
今どこにいるかと言う事を伝えて下さい」と言われる。
また、病院にかかったと言う診断書がとれるかどうかの確認を佐倉医院に対して頂きたいと言われる。
その後、「今日此処へ来たと言う事で、写真を撮るので、
お子さん3人を部屋から連れてきて下さいと」
言われ、何で写真など撮るのかなと思いながらも、
「時間がないので急いで」
とせかされ、慌てながら面接室に走りながらみんなで行き、
女性センター職員の土屋から、「笑って良い顔して!」と言われ
、ポラロイド写真を撮られる。
私は、肖像権の侵害等を考え、嫌でしょうがなかったが、
されるがままに行動せざる負えなかった。
撮影後、南伊豆役場の職員伊藤が、ご主人が役場に尋ねてきたときに、
どんな人か顔を確認しておきたいので、写真があったら見せて下さいと、
疲れ切っている私たちの事をよそに、部屋まで来て、アルバムに写っている写真を見ていった。
その後、女性センター職員土屋、南伊豆町役場職員伊藤、平山の3名は帰っていった。
6月23日夕方の17時前である。
第五話終わり
一時保護所清流荘での出来事
平成18年6月23日(金)17時ころ〜
部屋の片づけをしようと戻ると、清流荘に日勤で勤務している女性職員が部屋迄で来てノックをされ、
あけると、トイレの場所、風呂の場所、食事をする場所を説明される。
また、「土、日は交代勤務で、一人のみ8時半から17時までしか、職員がいないので
貴重品があったら、
面接室の金庫に預けて下さいという」また部屋にはカギは付いておらず
貴重品も沢山あるので心配になる。
基本的には土、日は金庫から物を出せない事になっている。
預けた物は
(Au携帯電話、財布(4万円)キャッシュカード、
印鑑、年金手帳)である。
そのため、ここから出れない状態を作り出されてしまった。
また、携帯電話ぐらいは持っていてもいいとかと聞くと、
「ご主人は、電話番号を知っている?」と聞かれ、
「知っています」と答えると、有無を言わず、
「では携帯電話も金庫にしっまていたほうがいい」と言われ、
こちらに考える隙も与えず、
職員が帰ってしまうのでとせかされ仕方なく預けてしまう。
今思うと、携帯が貴重品とは思えず、個人の情報伝達手段として、契約している物を
強制的に奪ったも同然。
後に聞いた話によると、入所を何度も繰り返していた人物が居て、
携帯電話の没収の真の理由は、夫から心配している等の
電話やメールが入り、
戻ってしまった人や、入所先まで
夫が迎えに来てしまった事などがあり、
これを避けるためと聞いた。そして戻ってしまった人は、
自分の持ってきた荷物等は職員に処分されていたと聞いた。
6月24日、25日