【 続・夏色剣術小町 〜紫陽花の華は優しく微笑んで〜  『序章』  】


(……待っている)
 夕暮れの中、彼女は確かにそう言った。遠かったし、電車の窓越しではあったが、彼女の唇は確かにそう動いていた。
「主将、そろそろ時間です」
 士郎が俺を呼びに来た。俺はゆっくりと閉じていた瞼を開ける。
「もう、そんな時間か」
「……はい」
 女子を含む他全ての団体戦は既に終わり、俺達は今まさにIH男子団体戦決勝戦前の控え室にいる。俺が瞑想している間、他のメンバーには各々に決勝戦の準備をさせておいた。士郎は今まで時間を細目にチェックしながら素振りをしていたし、他の三人は柔軟体操をして体をほぐしている。今年のインターハイ団体戦も、次の試合で終わる。勝っても負けても、これで俺の『桂木館主将』としての剣道は終わる。確かにまだ明日以降の個人戦もあるが、それは『桂木館主将』としてではなく『伊達将明』としての剣道だからだ。
「今年こそ、金龍に勝って優勝するぞ!」
「はい!!」
 全員、気合いは十分だ。勝負は時の運と言う人もいるが、運のほうは『あれ』があるから心配はない。後は実力と実力のぶつかり合いだ。五校戦で勝ったとはいえ、相手は全国二連覇を成し遂げた陽正のいる金龍だ。あの時以上に強くなっているだろう。油断は元より無い。俺は懐にしまっている『あれ』にそっと触れ、心の中で呟いた。
 (行ってくるよ……紫京)
 遠い地で待っているはずの、彼女に向けて。
彼女はいつでもここに… 「……よし、行くぞ!」
「はい!!」
 俺を先頭に、決勝戦のメンバー五人は会場に向かう。待っていたのか、ドアを開けた所にラフな格好をした長髪、眼鏡の女性。佳乃子先輩がいた。
「将明君……みんな、頑張ってらっしゃい!」
 先輩は俺たちにガッツポーズと、笑顔を向けてくれた。普段はその暴虐武人振りから『天災』とまで言われている人だが、流石は先輩。後輩の緊張を解きに来てくれたようだ。
「勝てば、お姉さんから素敵なご褒美がまってるわよ〜」
「ははは、期待してます」
 そう返すと、先輩は何故か真面目な顔になった。
「将明君……あなた、変わったわね」
「そうですか?」
「ええ。去年までのあなたは、私のこんな冗談を軽くあしらうだけの余裕も無かったもの」
 確かにそうかもしれない。今思えば、去年までの俺には余裕という言葉は存在しなかった。すると先輩がにやり、と表情を変える。
「やっぱり今年の合宿がきいたのかしらね〜」
「何が言いたいんですか、先輩」
「別にぃ〜」
 言葉とは裏腹に、妙に含みのある感じが嫌という程伝わってくる。……これも先輩なりの気遣いなんだろう、きっと。
「さて……そろそろ私は観客席に行くとしますか」
 きびすを返し、先輩は二回応援席へと続く階段を登る。途中でふと思い出したように、こちらに一度振り返った。
「少〜し古臭いかもしれないけど……御武運を! なんちゃって♪」
 ウインクしながら階段を軽快に登っていく彼女に、俺達は無言で深く礼をした。

         *

 IHの決勝戦ともなると、会場である武道館は試合開始三十分前には既に満員になっている。
以前剣道をやっていた人や、剣道に興味のある人。有望な人材を大学に引き入れようとするためにきている人もいれば……夢半ばに敗れた者達。

 あの夏合宿で俺達桂木館高校と共に汗を流した四高。
秀二郎率いる火村学園はその爆発的な攻撃力で男子三位、『あの』エトワールのいる女子はおおかたの予想を裏切りなんと大会五位となっている。
結局主将が山籠もりから帰ってこなかった明土学園。
副将である大武が部を引っ張るも、火村学園に今一歩及ばずにベスト16。風の噂によると、主将はあのまま山師のような生活を送っているらしい。大武に最後に連絡があった時、俺は天狗になると言っていたとか……。
水天館高校は、やはりと言うべきか女子部門大会三連覇を飾っている。さぎり曰く「金龍にあと一人、強い女がいたら負けていた」
水天館副将の仁礼が大将をつとめた男子は何と一回戦で金龍とあたり、惨敗している。
そして……その金龍学園。
女子は決勝戦で水天館高校に惜しくも破れ、準優勝。葵は三年連続でさぎりに敗れてしまうという悔しい結果になってしまった。今日は既に笑顔を取り戻してはいたが、恐らく昨日一晩泣き明かしたのだろう。目の上が少し腫れていた。
そして陽正率いる男子。流石と言うべきか、一回戦の水天館高校との戦いに至っては大将の陽正がでるまでもなく、試合は終わってしまう。それを皮切りに、金龍は順調に決勝戦まで駒を進めてきた。
俺達桂木館学園の、最後にして最大の相手。

     *

 頭をあげた俺はもう一度『あれ』に触れ、告げる。
「勝っても負けても、これが最後だ……行くぞ!」
「はい!!」
 俺を先頭に、団体メンバー五人は会場へに扉を開けた。



『続く』……?