|
My
Profile
MISSIONのサイトのオペレーターのDr.SooSoo(稲嶺進)のプロフィール
My
History
1964年沖縄県北部のやんばる久志村(現在名護市)で生を受ける
1971年久志村(後名護市)立三原小学校入学、クラスは1クラス、同級生は17人だった。ガッコウは自由で教室よりも海や山を駆けた。田舎の少年野球も楽しんだ
1977年名護市立久志中学校入学、バレーボール部と天体観測、アコースティックギターに明け暮れる
1980年沖縄県立名護高校入学、空手道部に入るが諸事情にて中退。フォークソングと天体観測のクラブに属する。このころは二輪(バイク)にはまり風と遊んだ・・
1983年グータラな高校生活がたたり、ぷーたろー生活突入、この頃にバトミントンで右肩脱臼、右足関節捻挫をしてしまいその後のスポーツは再起不能となってしまった・・・今でもはずれる(^_^;)
1985年琉球大学医学部入学、瞬く間に過ぎた6年
1991年大学卒業後、琉球大学第2外科(草場昭教授)入局、同附属病院で臨床研修に入る。心臓血管外科、胸部外科、乳腺外科、消化器外科その他一般
外科と 守備範囲は比較的広い教室であった
1992年中部徳洲会病院で麻酔研修と救急医療を学ぶ
1992年沖縄赤十字病院に移り消化器、乳腺、甲状腺外科の基礎的知識・技術を学ぶ
1993年南部徳洲会病院へ転勤、外傷その他救急外科を学ぶ。2日に1回の無給当直はハードだった
1994年泉崎病院で2年間を過ごす。外科手術以外では胃・大腸内視鏡検査、血管カテーテル検査・治療、ガン化学療法に凝っていた。同院にはINAMINEが師として尊敬するSuper
Surgeon Dr.Uezatoがいる。明晰な頭脳と膨大な知識・手術の美しさは僕らのあこがれであった
1996年豊見城中央病院で2年間を過ごす。外科医として迷いの多い2年間であった
1998年沖縄メディカル病院で、いわゆる寝たきり老人の医療に初めて関わる。手術なしで1年間過ごした。
1999年敬愛会 中頭病院へ移動、外科医として再出発。年間1500件余の手術のシャワーを浴びる多忙な日々が続く。
2001年2月、人生のメインテーマを求め千葉の国立佐倉病院を訪ねる、山田英夫先生の内視鏡手術を目の当たりにして(佐倉の衝撃)本物の
内視鏡外科に目ざめる。
その後内視鏡手術、低侵襲外科手術にどっぷりとつかり県内外で修行する.
2003年からは内視鏡外科医長
2005年からは先端内視鏡手術センター長
|