第24回 DAVID BOWIE "THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST
AND THE SPIDERS FROM MARS" (1972年発表)



(第23回の続き)・・・前橋に移って程なくすると、地元でライヴ
活動をしているバンドのリーダーから「サイドギターで入らないか」
というお誘いが来た。ボクは自分のバンドを組むべくメンバーを
募っていたところだったが、活動開始のメドなど全く立って
いなかったので、二つ返事で引き受けた。音楽の趣味が合った
ことと、オリジナルを演っていることが決め手だった。

今思えば、典型的なブリティッシュ・ニューウェイヴかぶれの
バンドだったが、メンバーは皆とても練習熱心で、ボクも
負けじといろんなアイデアを出したりした。このバンドで、初めて
東京のライヴハウスでのステージも経験したのだった。
しかし、そのライヴが終わった次の練習の時、リーダーから
突如解散の意向がメンバーに伝えられた。ボクが加入してから
僅か一ヶ月とちょっと。どうやらリーダーはこのバンドでの活動に
新鮮味を感じなくなっていたようで、出来れば最後に加入した
ボクと、新しい活動を始めたがっていたようなのだった。

そこで、ボクには3つの選択肢が提示された。
@「また一から自分のバンドを作る」
A「そのリーダーについていく」
B「そのバンドのヴォーカリストと新バンドを結成する」
ボクが選んだのはBだった。

そのバンドのヴォーカリスト、T君。たしかボクより3つ年下
だったと思う。前述の東京でのステージで、彼との間に
共有できるグルーヴを強く感じていたボクは、ほとんど
迷うことなく、彼との活動を選んだのだった。その佇まいから
才気を感じられる、滅多にない逸材だと思えた。彼が
歌うなら、自分はギターオンリーで良いと思えたのだ。
そうと決まると、T君とボクは競い合うように曲を書き、
また、別のところで活動していたリズム隊がいいタイミングで
合流し、僅か3ヶ月で初ライヴに漕ぎ着けたのだった。
バンド名はボクが付けた。"LOTUS"。そう、これが
バンドLOTUSのスタートだったのだ。

そんなT君が傾倒していたのがデヴィッド・ボウイ。その頃の
彼は髪もグラム時代のボウイよろしく真っ赤に染めていたっけ。
レスポール・カスタムを構えたボクは、さしずめこの「ジギー・
スターダスト」の頃のミック・ロンソンの気分だった。
実際ステージでは"SUFFRAGETTE CITY"の高速カヴァー・
ヴァージョンなども演っていた。

こうして実は4人組としてスタートしたバンドLOTUSだったが、
2度のライヴを行なった後、早くもピンチに直面した。
T君がボクの自宅の留守電に伝言を入れたまま、失踪して
しまったのだ。すでに次のライヴのブッキングも入っていた
残る3人は、彼を待ちつつも、差しあたってボクが
ヴォーカルを兼任することにしてリハを再開、なんとかライヴを
乗り切ったところで、帰ってきたT君と会うことになった。

彼に言わせると、ライヴを2度やったところで急に自分の音楽に
自信が持てなくなり、どうしたら良いかわからなくなったのだ
という。ボク達はそれでも彼の復帰を望んでいたが、結局
それは叶わなかった。彼はそのまま海外に飛び出してしまった。
NYに行ったとか、その後インドに行ったとか人づてに聞いた。
最初は突然の彼の行動に腹を立てたボク達だったが、
それはそれで彼の音楽に対する誠実さの表れだと思うように
なった。そして、急場しのぎでやったトリオでのライヴがまずまずの
出来だったことも手伝って、そのままの形でバンドを続ける
ことにしたのだった。こうしてボクはまた歌の世界に戻ってきた。
その後約4年半、ベース、ドラムスの交代を何度も経つつ、
バンドLOTUSは活動した。

今聴き返しても、いろんな意味で最強のロックアルバムで
あろう、この「ジギー・スターダスト」。ボク自身は、この作品の
最大の功績はロック・ミュージックが陥りがちな「マッチョイズム」
の手を一切借りることなく、ロックを表現しきったことにある
と思っている。そしてそれは、あのT君の姿を通してボクが
学ばせてもらったことでもあるのだ。奴は今どこで、何を
しているんだろう。それでも、いつかまた共演できるんじゃ
ないか。そんな気がしている。

                             (2003年7月31日記)



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