第16回 U2 "ALL THAT YOU CAN'T LEAVE BEHIND" (2000年発表)



U2については、いろんなところでいろんな人が書いている。
しかも、そのどれもがよく出来たものばかりなので、ここで
ボクがああだこうだと書くのは、非常に恥しいというか、
やりづらい。しかし、このアルバムは今年、2年遅れでボクを
力づけてくれた作品だ(あ、ボクが2年遅れてたってこと!)。
何とか今年のうちに書いておきたい、とかねがね思っていた。

U2との出会いは高校3年の頃。アルバム"THE JOSHUA TREE"
に先がけてリリースされたシングル"WITH OR WITHOUT YOU"
を聴いた時だ。以来約15年間、彼らの活動をリアルタイムで
見てきた。ちょっと遠巻きに。

ちょっと遠巻きに、と書いたのは、もちろんボクにとっての
彼らはいつだって現役のロックバンドとして最高の存在には
違いないのだけれど、ボクが彼らの音楽にのめり込む時期
(大きく見て、今までに3回。今年が3回目)の2回目、3回目が
彼らが表舞台から姿を消している時期(レコーディング中
だったり、オフだったり、ということ)に当たっているからだ。

1回目は、前述の高校3年の頃から大学の2年生辺りまで。
"THE JOSHUA TREE"〜そのツアーの模様を収めた
ドキュメント映画"RATTLE AND HUM"の公開〜東京ドーム
での来日コンサートの時期。これはバッチリ彼らの表立った
活動時期に重なっている。映画は新宿の映画館まで
観に行って、ラスト近くの"SUNDAY BLOODY SUNDAY"の
ボノのMCで泣いた。しかもその次が"PRIDE"だもの。
泣き通しでした。しかし、その後のドームでのライヴ
(BBキングが前座を務めた)には、どういうわけか感動
しなかったのだ。映画の感動が大き過ぎたのかも。
それを機に、しばらくU2を聴かなくなった。

2回目は、就職して2年目、宇都宮から前橋への転勤が
決まるちょっと前辺り。大学在学中にリリースされた
"ACHTUNG BABY"は、彼らの変わり様にはビックリ
したけれど、リリース当時すぐに手に入れたものの、
のめり込むほどではなかった。就職した年に"ZOOROPA"
がいきなりリリースされ(会社内での仕事上のニュースで
速報が飛び込んできた時にはホントに驚いた。だって
彼らはまだツアー中だったのだから)、それから
ちょっとして、この2枚を繰り返し聴くようになった。
その時「彼らは時代の音にもの凄く敏感で、またそれを
バカがつくほど勉強して取り入れる。でも他のバンドと
決定的に違うのは、曲。サウンドがいかに変化しても、
彼らの曲の良さは世界一だ」ということを初めて確信した。
しかし、その時にはすでにZOO TVツアーでの来日公演
は終了してしまっていた。後日、オーストラリア・シドニー
公演のビデオが発売され、それを観たボクは地団駄を
踏んだ。新宿の映画館の時と同様、最後には
感動して大泣きだったのだ。

しかし'97年の"POP"の時は、ボクの興味がもっと若い
バンドに向いていたせいだろう。これまたあまり
のめり込まなかった。でも、「サウンドが複雑になれば
なるほど、曲のメロディが浮き彫りになること」には
ホントに驚いたものだが。結局POP MARTツアーでの
来日も見逃してしまった。

"ALL THAT YOU CAN'T LEAVE BEHIND"リリース時も
ボクは似たようなものだった。この頃、ボクはソロ活動を
始めて日が浅かったので、聴く音楽も、ほとんど
アコースティック系のソロ・アーティストばかりだったのだ。
このアルバムのELEVATIONツアーでは、
彼らは来日しなかった。

そして、ようやく今年、それも後半になって彼らの
2枚目のベスト盤リリースの予定を聞き、久しぶりに
ボクはU2、それもそれまでで一番馴染みの薄かった
"ALL THAT〜"を何気なく聴いてみたのだった。

ところが、これが何気なくは聴けない、トンデモナイ
アルバムであることに気がついた。サウンドは'90年代の
一連の作品の総括でありながら、もっとシンプルになって
いる。こちらに、よりストレートに伝わってくる。そして、曲。
いや、曲というより、歌、だ。彼らの曲が良いのは昔から
知っているが、これほどまでに「歌の力」を感じさせて
くれるアルバムは、初めてだろう。ボノの声は、'80年代の
頃に比べれば、明らかに枯れてきている。しかし、今の
彼の声に宿っている色気は何なのだ。若い頃には
絶対に出せない深みが、そこにはある。あえて1曲挙げる
なら、やはり"WALK ON"。これほどまでに今のボクを
揺さぶり、高揚(ELEVATION!)させる歌を知らない。

思えば、ボクの'90年代には、ニルヴァーナがいて、
ジェフ・バックリィがいて、スマッシング・パンプキンズが
いた。彼らが皆いなくなってしまった後、ボクは
あらためてU2の存在の大きさ、大切さに気付いたの
だろう。これからは、今までとはまた違った視点で
U2の活動を追っていくことができるのでは、と思う。
そして、次のツアーでのライヴは、絶対に見逃さない
ようにしたいものだ。

先月末、東京と千葉でのライヴが2日連続であり、実家に
数日泊まった。その時偶然にも、実家のBSテレビで
ELEVATIONツアーの最終日、彼らの地元、アイルランドは
ダブリンでのステージの模様を観る機会に恵まれた。
この直前、ボノは父親を亡くし、ダブリンでのライヴの
前日に埋葬を済ませたばかりだったのだそうだ。

「僕たちがアイランドレコードとの契約のために
ロンドンに出る時、みんなお金がなくてさ、僕は父さんから
500ポンド借りたんだ。出世払いってことでね。
エッジの家族も、アダムの家族も、ラリーの家族も、
500ポンドずつ貸してくれたんだ。
ここ(ライヴ会場)にいるみんなも、もう僕たちに
500ポンドくらいは払ってくれてるんだよね!
次は僕たちのデビュー・シングルになった曲だよ!」
ボノはこう叫んで、バンドは"OUT OF CONTROL"の
イントロを刻み始めた。

                     (2002年12月29日記)



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