| れ |
霊 (れい)
幽霊と混同しそうになるが、当サイトでは別物な上、独自設定なのでご容赦のほどを。
ここで言う「霊」とは、生きるという意味を差す。命を有している存在と言い換えてもいい。従って、霊力とは生きる力、すなわち生命エネルギーそのものであり、生きている限り消費しつづける。故に生命体は、その生態に準じた形でエネルギーを摂取しなければならない(人間で言うなら食事がそれに当たる)。
従って死ねば当然霊力もなくなる。というより、生きる力が霊力なわけだから、霊力がなくなるからこそ死が訪れる。幽霊とは、生きていた頃の霊力が霧散せずに本人の姿形をとって残留した残像思念であり、本人そのものがこの世に残っているわけではない。
予期しない死によって唐突に生命エネルギーを失わざるを得なくなった存在は、その多くが生への執着が強く、強い想い(怨恨が殆どだが…)によって霊力が霧散するのを防いでしまう。結果、その想いによって指向性を当たえられた霊力が形を成してこの世に現れ、生前に遣り残したことを達成しようと行動を起こす。
とはいえ、その姿でさえも普通の人には見えないほど細く弱いものであり、実際に現実世界に干渉できるほど強い霊はそう多くはいない。ゲーム本編に登場した春原七瀬やアリサは、その点で言えばかなり特殊な部類に入る。前者は校舎に取り憑くことで霊力の枯渇を防ぎ、かつ数十年にわたって存在し続けると言うまさに自縛霊そのもの。後者は怨恨によって生まれた典型例だろう。
また幽霊たちの持つ記憶はただの情報でしかなく、実際に自分が体験したものとして「覚えている」わけではない。生前の自分がこんなことをした、これはこういった代物のはずだ、などという情報を、記録として取り入れてしまっているだけである。つまり幽霊になってからの記憶は、それだけで情報量を費やし、莫大な霊力を消費するわけだ。
エネルギー体として存在する幽霊が成仏するということは、エネルギーに嗜好性がなくなるということ。すなわち世界に還元されることにほかならず、したがって転生するという事象はそれ自体が奇跡とされている。たとえ奇跡が起こったとしても、幽霊だった頃の記憶を持ち合わせているなど天然自然には起こりえない。
->という観点から見ると、あの七瀬シナリオのエンディングに、管理人がとことん反発を抱いているということがお分かりいただけるかと思う。どこぞの魔法少女ではないが、生まれ変わりが例えあったとしても、それは別人ではないかと言う考えは決して間違ってはいないはずで。ならその別人と幸せになることは、果たしてハッピーエンドになるのか? と言う疑問がわくわけだ。いや、別に生まれ変わりを全否定するわけじゃないんだけどね…、あそこは綺麗にお別れで締めて欲しかったなぁと思ったりするわけですよ。私だけですか?
話を戻して…
なお、生者に対して悪事を働く幽霊を悪霊と称するが、これも本来は別物であることを注記しておく。幽霊にはあくまで生前の自我意識が(情報としてのみではあるが)存在する。対して悪霊にはそれがない。
従って、恨みなどの負の感情が死ぬ間際の霊力によって増幅され、ただ消えることなく存在し続けるようになったものが悪霊である。目的はなく、指向性もない。存在し続けるためだけに外部から本能的(生物でもないので、本能というのは不適切だが)にエネルギーを確保しようとするため、その存在は例外なく現実世界に害を及ぼす。強い力を保持し続けるうちに、時として生存本能まで身につけるものまで居る。そういった悪意の塊との対抗手段が、過去をさかのぼり現在に至る退魔の法であり、その遣い手たちである。
くどいようだが、当サイト独自設定と言うことをお忘れなく。結構オリジナル説入ってるんで…(多分w)
→退魔
[←先頭へ]