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海鳴市、桜台。国守山頂上付近にあるさざなみ女子寮。
その管理人である槙原耕介の朝は早い。
起床後、手早く身だしなみを整え、エプロンをかけて部屋を出る。先日雨だったせいで、落ちている塵も心なしか湿っていたが、庭先と玄関周りを箒で手早く掃除する。塵を捨てた後は、風呂を沸かしに風呂場に向かい、お湯の温度調節。さざなみ寮は温泉を引いているため、二十四時間温かいお風呂を適温になるように調節する。勿論、お湯を張る前に掃除することも忘れない。
「四十二度。よし、と……」
そこまで終わらせて、耕介は居間に戻った。
時刻は六時半。そろそろ学生たちが起きてきてもいい時間である。管理人である耕介と、ここのオーナーであり耕介の従姉弟にあたる槙原愛以外、寮生は全員二階に部屋がある。そのため彼女たちが起きてくるまでのこの時間は、さすがのさざなみ寮も静寂さを保っていた。
耕介が朝食をつくる、家庭的な音が響く。
「今日の献立は、ほうれん草のおひたしに、サラダ、メインは魚の……たたきでいくか」
そう独り言を言いながらも、彼の手は常に動いている。
手際よく、ブロッコリーを小房にわけ、熱湯でさっと茹でる。ほうれん草をしっかりと水洗いし、根元から鍋に入れて、色が鮮やかになるまで火を通す。出来合いを見計らって、その間にちりめんじゃこをザルに移して熱湯をかけ、塩分を取り除く。勿論、水気を切ることも忘れない。鍋からほうれん草を取り出し、ブロッコリーと一緒に祖熱が取れるのを待つ。
その間に、人数分の魚──今日はアジである──を、血合いの部分、中骨、尻尾の辺りなどをペースト状になるまで叩き潰す。これに、生姜、にんにく、葱をみじん切りにしたものを加え、さらに耕介特製の(甘くない)梅干をこれまたペースト状にしたものと混ぜ合わせる。最後に上身を小口切りしたものと絡ませて、今朝の朝食のメインの完成である。
一方、熱の取れたブロッコリーとほうれん草、それにちりめんじゃこをボウルにいれ、あわせダレを加えて全体にさっと和える。
サラダはお子様連中が喧嘩にならないように、ちゃんと人数分にわける(全員分を一括に、というやり方だと食べない人が出てくるため)。低カロリーの青じそベースのドレッシングを軽くかけて、朝食の準備は八割方終了した。と、
「おはようございます。耕介さん」
キッチンへのドアを開けて入ってきたのは、髪を後ろでポニーテールにした少女だった。木刀を片手に少し汗ばんでいるところを見ると、どうやら朝の鍛錬に出かけていたらしい。
彼女の名は神咲薫。鹿児島出身の、神咲一刀流という古流剣術の遣い手。私立風芽丘高校の三年生になり、文武ともに忙しいはずの彼女は、それでも朝の日課になっている鍛錬は欠かさない。
「おはよう、薫。朝ごはん今できたところなんだ」
「あ、じゃあ運ぶの手伝います」
「いいよ。それより、サッとお風呂入っておいで。汗かいたままだと風引くよ」
「……そうですね。じゃあお言葉に甘えて」
そう言って、薫は軽くお辞儀をしてから出て行った。
(俺がここに来てもう一年以上。薫は相変わらずだね)
ふと、そう思ってしまう。実際、薫は親しき仲にも礼儀あり、を忠実に実践している少女だった。
と、廊下のほうで薫以外の声が聞こえる。どうやら他の住人たちも起きだしたらしい。
「おはよう、お兄ちゃん。朝ごはん、手伝うね」
「うぃーーッス」
実の姉妹だというのに、頑固なところ意外は外見も中身もあまり似ていない仁村姉妹が入ってきた。朝の挨拶ですら、彼女たちの個性は発揮される。
「おはよう、知佳。真雪さんは……おはよう、でいいのかな?」
「いや、ご想像通り徹夜明けだ。久々に耕介の朝飯食おうと思ってな」
そう言って、姉である真雪はダイニングテーブルの自分席にドカっと座った。部屋から持ち出したらしい愛用のタバコに火をつけて、朝の一服と洒落込む。
少女漫画家である彼女の生活は不規則極まりなく、徹夜も珍しくはない。国立海鳴大学を今年三月に無事卒業し(それでも五年かかったが)、漫画家一本でやっている彼女が朝食時に顔を見せるのは久々だった。
「お姉ちゃんも、たまには手伝いなよー」
そう言いつつも、真雪に言っても無駄だと分かっている妹の方は、血の繋がってない『兄』のほうに顔を向ける。
「どれ運べばいいの?」
「さんきゅ。じゃあサラダと、おひたし。あと鯵のたたき、これが今日のメインね。さっぱりしているから食べやすいと思うよ」
「へぇ、珍しいね」
そう言って、知佳は朝食の皿を盆に載せ、そのまま左耳にあるピアスに指をかけた。
料理全体が淡い光に包まれ、と同時にそれらは中に浮いていく。知佳の意識がダイニングテーブルに向けられると、それらはふわふわとテーブルに向かい、コトっという音を鳴らして着地した。
「よしっ」
「こら。能力使うんじゃありません」
「あイタっ」
小さくガッツポーズをする『妹』の頭を、耕介は軽くこついた。
この先天性の持病を持つ少女は、その副作用で生まれた、俗に言う『超能力』をたまにこのようなことに使う。能力をまったく使わないのもそれはそれで健康を害するのだが、基本的に能力の使用はエネルギーを消費するため、あまり無茶をさせたくないのが、姉・真雪だけでなく耕介の本音だった。
高機能性遺伝子障害病。通称HGS。
先天性といわれるこの病気は、その中でも数十人に一人、知佳のような副作用を生じさせる。副作用である超能力のほうは使いこなせればかなり便利だが、健康の維持と能力のメンテナンスのために、通院と大量の投薬を受けなければならない。
知佳本人はきわめて明るく優しい性格をしており、身の回りのこともきちんとしているため、耕介も普段なら気にしない。が、先日もこの小さな少女は発熱を起こして寝込んでいただけに、彼が心配するのも無理ないことだった。
「うう…。これくらいなら大丈夫なのにぃ」
「この前、熱出したばかりだろ、少し控えなさい。だいたい、この距離なら手で運んだほうが早いぞ」
「はーい……」
ふてくされたように返事して、知佳は残った料理を盆に載せた。
(ホント、最近お兄ちゃんって真雪おねえちゃんに似てきたよね……)
二人に聞こえないように、心の中で愚痴る。が、
『誰が誰に似てるって?』
そう兄と姉から返されて、知佳は思わずため息をついた。