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『いただきまぁーす!』
十月二十七日土曜日、午前七時。いつものように一斉に食事が始まった。
今日は真雪が珍しく起きているため、朝食も賑やかになっている。
「愛。おかわり!」
そう言って、キャラクターのプリントされた茶碗を差し出したのは、さざなみ最年少の陣内美緒である。すでに私立山之瀬学院指定の制服を着ているため今はわからないが、普段は猫耳に二本の尻尾のはえた立派な?猫娘である彼女は、今日も今日とて朝から元気一杯だった。
「はいはい。量は普通でいい?」
そう言って、愛は新たにご飯をよそおった茶碗を美緒に渡す。
「ありがとなのだ」
うれしそうに二杯目にありつく少女に笑顔を返して、彼女──槙原愛は再び自分の箸を手に取った。
今年唐沢医大の四回生になった獣医志望の彼女は、今日は授業がないのか未だにパジャマ姿だった。普段着でもピンク系統が多い彼女の寝間着はやはりピンクを主体としたもので、飾り気のないのがなんとも彼女らしい。寝るときはさすがに三つ編みを梳いているらしく、今朝は珍しく髪を下ろしている。
「でも、みなみがいないってだけで朝食って随分と静かになるよね」
そんな愛と美緒の様子を眺めつつ、鯵のたたきに箸を付けながら呟いたのは銀髪の少女だった。
「これ、リスティ!」
「だってさ。せめて朝は静かに食べたいのに、みなみと美緒のおかずの取り合いでそんな雰囲気じゃないからね」
リスティと呼ばれた少女は、愛の注意にもめげずにそう言ってのけた。
本名、リスティ・槙原。知佳と同じく先天性のHGS患者で、その特殊な出生のために孤児だった彼女は、今年の春に、同じく天涯孤独なさざなみ寮オーナーである愛の養女になった。基本的にはクールな性格で通している彼女が、実は意外にお子様で甘えん坊であることを、寮生全員が知っている。
「でも確かに、岡本君とゆうひがいないだけで、随分と静かになるよな」
そう言ってリスティの味方をしたのは真雪だった。鯵のたたきが気に入ったらしい。自分で冷蔵庫からビールを取り出して、すでに朝から一杯やっている。
「真雪さんまで……」
「椎名さんがきいたら怒りますよ」
「事実だろ?」
そう言って笑う真雪の表情に悪意はない。いつもの冗談だと分かっているため、愛も薫も穏やかに注意するだけで終わらせた。
彼女たちの会話の端に出てきた『岡本みなみ』、『椎名ゆうひ』もまたさざなみ女子寮のメンバーである。が、現在は寮を留守にしていた。
風芽丘二年のみなみは、所属するバスケ部の合宿のため。一年の頃からレギュラーを獲得している彼女は、スモールフォワードとして、全国大会常連の風芽丘女子バスケ部の重要な戦力になっている。今年もまたレギュラーとして頑張ると言って出かけたのが三日前。今日の夕方には帰ってくるはずである。
一方、天神音楽大学の声楽科を専攻しているはずの椎名ゆうひの方は、去年の冬、英国にある歌手の養成校『クリステラ・ソングスクール』にスカウトされ、そちらのほうに留学している。そのため現在は寮にいない。ちなみに大学のほうは休学扱いとなっている。
「ま、それはともかくとして。朝からたたきが出てくるなんて珍しいと思ってたけどさ、結構さっぱりしてていけるね、これ」
よほど鯵のたたきが酒の肴に合うのか、真雪は上機嫌でそう言った。ビールはすでに二本目に突入している。
「確かに珍しいですけど、おいしいですよ。耕介さん」
「ありがと、薫。昨日買い物行ったときに魚屋にいい鯵が入っててね。思わずたくさん買っちゃった」
「あっさりしてて、おいしいですよね。」
「うん、ホントに。このタレって醤油じゃないよね。何なの?お兄ちゃん」
「ああ、それ梅干だよ」
「梅干?」
耕介の返答に驚いたのか、知佳は思わず箸を止めて鯵の切り身を見つめた。同時に美緒が食事の手を止めている。
「この鯵のたたき、味付けに醤油のかわりに梅干、または梅酢を使うところがミソなんだ」
「へえ……」
「でもあんま酸っぱくないのだ」
「ホントだね」
梅干が苦手な美緒の言葉に、知佳も頷く。
「元々甘くならないように漬けたんだけどね、酸っぱすぎないように薄味にしておいたんだ」
「ナイス!」
そう言って笑顔を返したのはリスティだった。そういえば彼女も梅干が苦手だったことを思い出し、耕介は苦笑しながら続けた。
「本当は納豆も加えたかったんだ。納豆と鯵のたたきを合わせたのを鯵納豆といってね。絶品だよ」
「なんでそうしなかったんだ?」
「ああ……いや、買ってくるの忘れちゃいまして」
「ったく、変なところで抜けてるな、お前」
真雪の容赦ない突っ込みに、耕介は返す言葉もなくうなだれた。
「ゆうひちゃんがいたときは納豆を食べる機会減ってたもんね」
知佳があわててフォローする。
「そんなのもう三ヶ月も前……うっ!」
真雪からの追い討ちは、知佳の無言の圧力で却下された。
「お兄ちゃん。鯵、まだあるんでしょ?じゃあ明日の朝、その鯵納豆にしてよ」
「ま、それで許してやるか」
「お姉ちゃん!」
仁村姉妹のやり取りを他人事のように見ながら、リスティは耕介に言った。
「納豆入れるのはいいけどさ。からしはやめてよ。あれはどうも苦手だ」
「リスティは納豆食べられたよな」
「うん」
「からしがだめなのよね?リスティは」
そう言って微笑む愛に、リスティは罰が悪そうに苦笑いした。
「わさびは大丈夫なんだけどね」
言って、彼女は切り身を口に運ぶ。と、
ぴぴぴぴぴ……と、電子音が鳴った。見るとダイニングにある電波時計だった。
時刻はもう七時半。バス通学の場合は、そろそろ寮を出ないと間に合わない。
「さて、そろそろ出ないと、みんな遅刻しちゃうぞ?」
耕介がそう言い放ち、時計を指さす。
「う、うち、今日は朝練があるんです。遅刻してはまずかとですよ」
「まずい!遅刻するのだ!今年こそ頑張って皆勤賞とるとお父さんと約束したのだ」
「そう言えば、みなみちゃんがいないから駅までバスだったんだ」
三者三様の反応を示して、とりあえず残りの朝食を口に詰め込み、薫、美緒、知佳の三人は各部屋へ鞄を取りに戻っていってしまった。
残った面子のうち、愛は出発が午後からでいいらしく、のんびりとまだ朝食を摂っている。と、その箸を止めて、彼女は言った。
「あれ?そう言えば知佳ちゃん、今日学校なんですか?」
「文化祭の準備だそうですよ」
「へえ……」
知佳の通う聖祥女子の主催する文化祭は、毎年文化の日から三日間、十一月三、四、五日に開催される。あと一週間しかない準備期間を有効活用するため、本来なら休日である今日、それを返上して文化祭準備に赴くらしい。
「ま、怪我しないように気をつけてくれりゃ、あたしは文句はないけどね」
そう言って、居残り組み最年長の真雪はビールを飲み終えると、
「さて、あたしゃ寝るとするか」
「晩御飯前に起こしましょうか?」
「そんなに寝ないと思うけど。まあ頼む……」
あくび交じりにそう呟いて、彼女も自分の部屋に帰って行った。
その真雪の後ろ姿を見送りながら、ふと気になって、耕介はのんびりとお茶をすするリスティに視線を移した。
「で、リスティはのんびりしてるけど、またいつもの?」
「僕?うん。いつもどおりテレポート。時間も短縮できて便利だよ?」
そう言って食事を終えて、リスティは今日の朝刊を広げた。
「リスティ!あんまり能力使っちゃ駄目なんだからね!」
そのリスティに後ろから怒鳴りかけたのは、二階から降りてきた知佳だった。聖祥女子はここからかなり距離があり、バスと電車を乗り継いでいく。対してリスティが今年入学した風芽丘はバス一本でいける距離であるため、知佳よりもゆっくりしていられるのは道理ではあったが、知佳が怒っているのはそういったことではなかった。
HGSである彼女たちは、その病気の副作用として『超能力』が使える。その中でも、PK──すなわちサイコキネシス(念動作用)と、ESP──感覚外知覚(認知型能力)が主流で、テレポート(瞬間移動)はPKに分類される。
つまりは遠隔移動。能力者自身、もしくは他の人や物体などを、距離を隔てて、あるいは他の物体を通して、瞬間的に移動させることを『テレポート(もしくは「テレポーテイション」)』と呼ぶ。リスティはこの能力に優れており、すでに実用レベルで使用することができた。彼女の登校手段は、入学以来ずっとこの方法である。時間に余裕があるのも当然だった。
対して知佳の方は『アポート(まれに「アポーテイション」)』を得意としており、これは物品引き寄せ、つまり遠方のものを瞬間的に目前、特に密室内に出現させることである。テレポートも実用的に使えるものの、さすがに距離がある聖祥女子まで転移することはできない。
HGS能力者としての二人は多少のライバル心があるため、能力に関する点での衝突は多かった。
「使えるものは活用しないとね。知佳も使えばいいのに」
「私がテレポート得意じゃないの知ってるくせに……」
悔しそうに言う知佳に視線もくれず、新聞を読みながらリスティは言った。こと能力の出力とコントロールに関して、彼女は知佳を上回っている。そのため、こういった場面では知佳が負けることの方が多い。特にリスティは高校に入学して以来、外界との交流のせいか、急速に知識を蓄えていっている。それは知佳も認めているところなので、リスティに言い負かされることも少なくなかった。それでも悔しいことには違いないが。
「知佳。そろそろ出ないと、バス乗り遅れるよ」
そんな二人の様子を見かねて、耕介が知佳に助け舟を出した。確かに時間的にはギリギリである。
「あっ、もうこんな時間!それじゃあ行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
そう叫んで知佳は、玄関の方に走っていった。その後を、薫と美緒がドタバタと続く。
「行ってきます!」
「行ってくるのだ!」
「気をつけてね、二人とも」
「はい。それでは」
「ラジャった!」
これまた個性溢れた返事をして、二人は寮を出て行った。
「やれやれ。あのふたりがいなくても、結局騒がしいんじゃないか……」
そう呟くリスティの表情が、その言葉とは裏腹に笑顔になっていたことに気づいたのは、未だひとり、ポツンと食事を続ける愛だけだった。