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愛を除く学生組が登校した後、耕介は食事の後片付けのためにキッチンに戻った。と、
「おはようございます、耕介様」
天井から白い霧があふれる様に出現し、それはゆらりと人型になる。
「おはようございます、十六夜さん」
現れたのは白装束を纏った金髪の女性だった。華やかに映える濃紺の髪帯や、天女のような式服が彼女をより一層美人に見せている。和服を着た西洋美人の形容が似合う落ち着いた感じの女性は、ゆっくりと耕介の方に向き直った。
「皆様は学校に行かれたのですね」
十六夜と呼ばれた女性は、宙に浮かびながらゆっくりと耕介の方に近づいた。
「ええ。真雪さんは部屋で寝ていますし、愛さんは午後からだそうです」
そう答えて、耕介は十六夜の手を引いて軒に出た。彼女自身記憶はないらしいが、彼女は生まれついての盲目で、その瞳に光を映すことはない。
神咲一灯流伝承、霊剣『十六夜』。
神咲薫の実家、神咲一刀流には裏の顔が存在する。その裏である『一灯流』は、剣術を用いて魔を祓い、邪を砕くことで、霊障に苦しむ人々を救うために戦う退魔道を生業としている。
その一灯流の開祖、神咲灯真が作成した、人の霊魂を刀に封じることで『退魔』の力を発する武器。それが霊剣であり、十六夜はその最も歴史の古い一振りであった。
『十六夜』そのものは薫の所有物であるのだが、立場的に彼女は薫の母親のような存在で、何かと薫の世話を焼くことが多い。彼女のことはいわゆる刀に宿る人格──思念体と思えば理解はしやすい。
思念体であるから、目が見えなくとも物体をすり抜けることは可能であったが、普段は彼女も実体化しており、物も触れる。そのため障害物の多い場所(キッチンやリビング)における移動の際は、誰かに連れて行ってもらうか、剣の中に戻って移動するかしかなく、基本的に寮にいることが多い耕介と十六夜はいい茶飲み友達であった。
「御架月はどうしてます?」
軒に出た耕介はさりげなく彼女の手を離し、いまだ雨の気配が色濃く残る空を見上げてそう尋ねた。
「御架月でしたら、今朝の薫の鍛錬のあと、次郎様、小虎様と一緒に散歩に行ってます」
「そうですか。なら、もうすぐおなかすかして返ってくるかな?」
耕介がそう言ったのは次郎と小虎のことで、美緒の親友である二匹の猫の名である。正確には彼らはさざなみの飼い猫ではない。次郎は森ミルクという牛乳屋に飼われており、小虎に至っては野良である。
と、噂をすれば影。庭の垣根がごそごそと動いたかと思うと、二匹の猫が現れた。
シャム雑種の次郎と虎猫の小虎である。
「耕介様!」
そのあとに続いて、十六夜とは対称的な、黒をベースとした式服を纏った少年が姿を現した。宙に浮き、子供らしさを残した顔立ちをした少年の名は御架月。神咲一灯流、霊剣『御架月』である。
彼もまた神咲灯真によって作られた霊剣で、生前、十六夜とは実の姉弟だった。
「ただいま帰りました、姉様。耕介様」
「お帰りなさい」
「お帰り、御架月」
「にゃあー」
「うにゃぁー」
御架月に続いて、次郎と小虎が鳴き声を上げた。彼らもただいまと言っているのだろうか、と思った耕介をよそに、何故か美緒と同様に猫語を解することのできる御架月は言った。
「耕介様。次郎様と小虎様が何か食べるものないかと……」
「ああ。冷蔵庫にカニカマがあるから、取ってくるよ」
なんだ、とばかりに答えた耕介の言葉に、次郎が分かったとばかりに「にゃあ」と短く鳴いた。さざなみ寮付近に生息する野良猫たちのボス的存在である次郎は、今見たく人語を解するかのような知的な行動をとる。
そんな次郎の行動をかわいく思いながら、耕介はキッチンに向かった。
「う、そういえば片付けがまだだった」
カニカマを二匹にあげてから片付けようと、耕介は冷蔵庫のドアを開ける。と、
トゥルルルルル……。
(電話?)
耕介がカニカマを手に取る前に、リビングの電話が鳴った。
「耕介様、僕が出ます」
「ああ、ありがと。御架月」
さざなみ寮における弟的立場の御架月の好意に甘えて、耕介はカニカマを手に軒のほうに戻った。嬉しそうにそれにかぶりつく猫たちの反対側から、御架月の声が聞こえる。
「はい、もしもし?さざなみ寮です」
「…………」
「どちら様ですか?」
「…………」
「はい、居られますよ。少々お待ちください」
そう言って御架月は耕介の方に視線を向けた。耕介もそれに気づき、彼の方に向かう。受話器を受け取りながら、耕介は相手の名を聞いた。
「何、俺?誰から?」
「神楽さんとおっしゃる方です。ご存知ですか?」
「!」
一瞬耕介の表情が固まる。が、それに御架月は気付かなかった。庭の向こうで、小虎が十六夜の身体をよじ登り、あげくに髪に絡まって暴れているのが見えたからだ。
「姉様!」
「にゃあぁっ!」
「ああ、小虎様。大丈夫ですか?」
目の見えないためにどうすることもできずにいる姉の下に御架月は飛んでいく。その後姿を見送りながら、耕介は電話の保留機能を解除した。
「もしもし……」
「久しぶりだな、耕介」
低い、男性の声が受話器から聞こえてくる。それは確かに、耕介の知っている声だった。
「神楽……双真……か」
「他に『神楽』の知り合いがいるのか?間違いなく俺だ」
その物の言い様もまた、耕介の記憶の中にいる一人の男に重なる。
「で、何の用だ?」
自然と、耕介はその口調に怒気を含めて言った。
「会って話がしたい……」
「話?」
「そうだ」
「俺には話なんてないぞ」
「相変わらず頭の回転が鈍いな。お前が俺にではなく、俺がお前に話があるんだ」
「何の話だよ……」
「電話ではまずい。直接話す。お前、いつ時間が取れる?」
「……今日の午後からなら」
仕方なくと言った感じで耕介は答えた。
「そうか、なら丁度いい。俺も午前中は仕事だ。海鳴商店街の翠屋って喫茶店知ってるか?」
「知ってるけど……」
およそこの電話の相手には似つかわしくない店の名前があがったため、耕介は素直に驚いた。
翠屋は、洋菓子を主体とした喫茶店で、中でもシュークリームは絶品であると、舌の肥えた女性陣にも評判が高い。
「なら、今日の午後二時。そこで待ち合わせだ。いいな」
「お、おい!」
耕介が反論する間もなく、プツッと電話は切られた。
「……何なんだ?あいつ……」
耕介は釈然とせず、だがいつまでもこうしていられないと思い直して、受話器を置いてキッチンに向かった。庭の方からは、未だに小虎を十六夜の髪から引き剥がそうと格闘している御架月の声が聞こえる。思いの他複雑に絡まっているらしい。
さざなみ寮が落ち着くのはもうしばらく先のようだった。