…
「三年ぶりか?」
「ああ……」
そう言って向き直った相手はその三年前と変わっていない。少なくとも、耕介はそう思った。
「久しぶりだな、双真」
「そんな嫌そうな顔をするな」
「実際、あまり会いたくなかった」
「ま、気持ちは分からなくもないけどね」
苦笑いを耕介に返して、彼──神楽双真はカップに口をつけた。
耕介よりも五つ上、今年二十七歳になるはずの彼は、その外見はどう見ても二十歳前に見える。ただその鋭すぎる眼光や、他人を寄せ付けないオーラとでもいうのだろうか──昔から一匹狼を好んでいた彼の雰囲気は、今も全く変わっていなかった。耕介と身長差が十センチ以上あるため、会話をするには彼を見下ろすことになる。が、その彼が視線をくれた瞬間に言いようのない圧迫感を感じて、耕介は思わず姿勢を正した。
「変わったな、お前」
「ん?……そうだな、変わったと思う」
「昔のお前なら、俺の視線に気押されることなどなかっただろう?」
言われて、耕介は正直に頷いた。
「さざなみ寮の連中のせいか?」
「多分……。いや、間違いなくそうだと思う」
「なるほどね、真由の言ったとおりだな」
突然、思いもかけない友人の名が出てきて耕介は驚いた。
千堂真由。昔耕介が地元長崎にいた頃の悪友である。
「真由に会ったのか?」
「ああ。偶然駅でバッタリとな。でなきゃ俺がお前の居場所など知るわけがないだろう」
そうだった……と、耕介は思い直した。この目の前の男は、自分に利益のない人間には見向きもしない、典型的な自己中心的な性格の持ち主だった。自分が自分であり続けることを信条に、そのためには裏切すら厭わない神楽双真という人間は、自身ですら客観視して生きている。
少しずつ、耕介は自分の表情がきつくなっていくのを自覚していた。神楽双真との会話は、否応にも彼が昔封印したはずの記憶を蘇らせていく。
九州、長崎県長崎市。
そこに三年前まで存在した、史上まれにみる巨大な、九州最強にして最大の暴走族集団。
『HELL&HEAVEN』。
その幹部として戦いに明け暮れていた頃の耕介にとって、敵は自分を取り巻く世界そのものだった。
破壊と暴力に己を支配され、優しさの世界を知らずに、憎悪と怒り、欲望だけが渦巻いていた自分。
それはさざなみ寮のメンバーにすら話したことのない過去……。
「さざなみの連中は知っているのか?」
そんな耕介の状態を知ってか知らずか、双真は耕介にそう尋ねた。
力なく、耕介は首を振る。
「言うつもりはないのか?」
なおも問いかける双真に、耕介は口を開いた。
「俺は……昔の自分にコンプレックスを持っている。あの頃の俺は、いや俺たちは……暴力を振るうことでしか生き方を知らない、最低の人間だったから。だから……」
「だから、過去の自分をみんなに知られて拒絶されるのが怖い……か?」
「……ああ」
「一生隠し通すつもりか?」
「…………わからない……」
それが、耕介の正直な気持ちだった。力なくうなだれる耕介を双真はしばらく見つめていたが、やがてポツリと口を開いた。
「耕介。昔、俺が言った言葉、覚えているか?」
「双真?」
彼の真意が掴みかねて、耕介は眉をひそめた。そもそも、神楽双真は自分に話があると言った。こちらの近況を聞きたいだけではないことくらい、彼をよく知っている自分には分かる。
そんな耕介に構わず、双真は続ける。
「時は人を変える。良くも悪くもな。だが俺は、俺だ。神楽双真という人間は、例え全世界を敵に回しても神楽双真であり続ける。別の人間になどなれやしない」
もっとも、他人になる気などさらさらないがな、と小声で付け加えた。
「だから彼は独りだ。一生な。世界にたった一人で、独りだ。それは『HELL&HEAVEN』の時代も同様だ。無論、今もな……」
何を言っているかよく理解していない耕介に、双真は初めて嬉しそうに唇を歪ませた。
「時はお前を優しい人間に変えた。それが良いか悪いかなど俺には判断できん。俺のようになれとも言えん。最低の人間か……確かにあの頃はな。だがさざなみ寮の連中にとって見れば、その変わった後のお前こそが槙原耕介だ。過去の、あの『破壊者──デストロイア』の異名をとっていたお前ではなく、世界にただ一人、さざなみ寮管理人である槙原耕介が唯一の真実だ。違うか?」
「…………ひょっとして、双真。俺を慰めてる?」
「電話で話があると言っただろう。俺がそんなことでお前を呼び出す人間に見えるか?」
「見えない」
即答する。その耕介の返答に満足したのか、クククッと笑って、双真は言った。
「お前に連絡を入れる前、俺なりにさざなみ寮の面子について調べてみた。オーナーである、唐沢医大に通う槙原愛。最年長の仁村真雪。確か旧姓は草薙だったか。あの日門草薙流剣術の遣い手で、現在は漫画家。その妹の仁村知佳は聖祥女子。概観は天下のお嬢様学校だ。さらに同学年に、風芽丘バスケ部の岡本みなみ。三年に剣道部所属の神咲薫。今年入学した一年のリスティ・槙原。最年少、私立山之瀬に通う陣内美緒に、現在留学しているため不在の音大生椎名ゆうひ。総勢八人だな」
その言葉に耕介は絶句した。そこまで詳しく調べられていることなど、いつも寮にいた自分ですら気付いていなかったからだ。
「……どうやって調べた?」
「秘密だ」
にべもなく、双真は言った。彼が鞄から出した資料はそれなりに厚さがある。それを面倒臭そうにページをめくりながら彼は続けた。
「さて、ここからは少し小声で話す。槙原愛、仁村真雪、椎名ゆうひ、岡本みなみを除いた連中について、俺が知る限りの情報だ……」
そう言われて、耕介はビクっとなった。まさかと思った時にはもう双真は話を始めていた。
「まず仁村知佳。彼女はHGSだな。高機能性遺伝子障害病という先天性の疾患だ。その副作用で超能力が使える。種別は確か『Pケース』だったか。医学的なことはわからんが、要はエネルギー変換によりESPやPKといった超能力を使用できる。リスティ・槙原も同様だな。得意分野は違うようだが」
そこまでまくし立てて、双真は再び硬直している耕介に向き直った。
「耕介、聞いてるか?」
「いったいどうやって調べた!」
「ちょっとした経路でな。それも後で話す」
バタンという音は、硬直から回復した耕介が両手でテーブルを叩いたものだった。周りの客だけでなく、店のウエイトレスまで何事かとこちらを向く。それに気にするでもなく、双真はいともあっさりとそう答えた。
「まあ、落ち着け」
「落ち着いている。そんなことよりも……」
「そいつがどこかでその情報を流すことを心配しているのだろうが、おそらく大丈夫だろう。お前が危惧する必要はない」
「しかし……」
「まあ、聞け。面倒だから端折るが、残る神咲薫は霊剣使い、鹿児島出身の退魔士だ。その霊剣の銘は十六夜。お前が扱う方が、その弟の御架月。最後に猫又の陣内美緒。これで全員。当然、お前は知っているな?」
言って、彼はその資料を耕介の目の前に置いた。
「双真。そろそろ話せ。俺を呼んだ本当の理由はなんだ?」
それに構わず耕介は双真を睨み付けた。自分でも気付いていないのだろう。耕介の表情は、さざなみに来てからの彼しか知らない者が見れば、誰だかわからないほど険悪になっている。
「ふん。ようやく昔のお前に戻ってきたな」
「!」
ハッとして耕介はまた身体を強張らせた。一瞬苦しそうに顔をゆがめるが、それでも双真を睨むことはやめない。それに臆すこともなく、双真は続けた。
「さらに言えば、この街には夜の一族もいる。確か綺堂家と月村家だったかな。そう言えば氷村の人間が今度こっちに来るとか来ないとか……まあどうでもいいか」
「夜の一族……?」
「吸血種だよ。西ヨーロッパ発祥の。中世における魔女狩りの難を逃れて日本に来た連中だ」
「吸血鬼?」
「違う、吸血種。お前の言っているのは、その吸血種に血を吸われて精神を支配された奴のことだ。吸血種のほうは血を吸わなくても生きていけるが、吸血鬼はそうはいかない。麻薬のように、血を吸うことを常習するようになる」
「…………。それで、その夜の一族がどうかしたのか?」
「別に。問題なのは、彼らが人間種族ではないということだ」
「吸血鬼なんだから当然だろ?」
なにを当たり前のことをといった風に言う耕介に、双真は「ふうっ」とため息をついた。こういう何事も──例え不可思議なことであろうとも、現実を現実として受けいれるこの男の性格は、昔から全く変わっていない。
「そうじゃない。お前、さざなみに来て不思議に思わなかったのか?何故海鳴市にこれほど特殊な連中が集まるのか。さらに言えば、その中でもさざなみ寮は特別だ。二人のHGSに退魔士。猫又娘に霊剣が二人。去年お前が管理人になる前にもそういった人間が何人かいたと聞いている。どう考えても普通じゃないだろう」
「……あの娘たちはそんな特別な子じゃないよ」
「特殊な能力を持っているだけで十分異常だ。考えてみろ。HGSである仁村知佳とリスティ・槙原がその気になれば、念動で簡単に人が殺せるんだぞ?心臓に直接圧力を加えることでな」
「あの二人はそんなことはしない!」
「だが、それをやってのける能力を持っていることには違いない。それを利用しようとする奴が今後現れないとも言えない。もし、そういった連中に彼女たちが操られたらどうなる?」
「…………守るさ。そうならないように」
「………。その狙われる対象にお前も含まれていること、自覚しているか?」
「え?」
「あの頃、能力者でもなければ、武術を習っていたわけでもなかったお前が、特異体質を持つ俺や他の幹部連中とタメを張れていた理由は、先天的にお前が霊能力の素質を備えていたからだ。昔は制御不可能だったその霊力も、神咲と関りを持ったことで安定し、さらに力を増してきている。霊剣『御架月』か。使用者の霊力を吸収して、それを数倍にも高める特性を持つ刀だったな。圧倒的な破壊力を生む日本刀。『破壊者』であるお前が持つのに相応しいじゃないか」
「双真!」
耕介の視線が一層険しくなった。その眼は視る者を射抜き、近づく者に恐怖を与え、死を連想させる殺気を含んだ視線。それは紛れも無く、かの暴走族時代に、その暴力性だけで『破壊者』という異名で呼ばれた男のものだった。
「それとお前の話と、どういう関係がある」
「…………」
それには答えず、双真は一度会話を切った。すでに冷めてしまったコーヒーに口をつける。ブラックで飲んでいたそれは、冷めても味はそれほど落ちていなかった。一息ついて、続ける
「つまりこの街はそれだけ『力』を持つ連中を引き寄せやすいということだ。そしてそんな連中の中には良からぬことを考えている奴らもいる」
「何か……事件でもあったのか?」
「リスティ・槙原の出生の秘密は知っているな?あの子を戦闘兵器として利用しようとした組織は随分前に法の下に捕獲されたが、その残党らしき連中が俺に接触してきた」
「な……!」
さすがに、それには耕介も驚いた。
今年の二月、リスティがさざなみにやって来て約一ヶ月がたった頃、HGS患者を戦闘に利用しようとしていたとある組織が、知佳の能力を目的にさざなみ寮を襲撃した。結果はさざなみ寮生全員のがんばりと、もと管理人陣内啓吾の暗躍で組織は壊滅。少なくとも、耕介たちはそう思っていた。
その後、さざなみを襲撃したリスティのクローンである『フィリス』と『セルフィ』も保護され、近
々彼女たちも養子として引き取られることになっている。
もう終わったはずの過去の事件。てっきり壊滅したと思っていた組織の存在。
耕介は歯軋りした。
それまで人間らしい扱いを受けていなかったリスティも、そして彼女の『妹』達も、過去を振り切り、ようやく自分の道を進み始めたというのに……。
「俺がさっき言った情報の八割はそいつらからの提供だよ」
「またリスティや知佳が狙われているのか?でもだったら、なおさら俺は彼女たちを……」
「耕介」
驚き、慌ててまくし立てる耕介を、双真は静かに遮った。
「違うんだ」
「…………?」
今までに無く真剣に自分を見つめる双真の視線に、耕介は思わず息を飲んだ。
双真の表情は穏やかだった。これまで自分が見たこともないほどに。
『破壊者』と謳われていた耕介同様、神楽双真にも二つ名がある。
『反力者──アンチ・ディナミス』。
それは敵の力を全て無効化するという彼の特殊能力からつけられた二つ名。
彼が意識した領域内において、他者の力を奪い取ることを基本とした特殊能力。ただし、その能力の発動は、神楽双真に敵意を持っていることが最低条件となる。力を奪われた者は、その場に立つことさえできなくなり、その結果よくて意識を失うか、最悪の場合命を落とす。だがそれは、自己の防衛手段においては最強を意味し、双真を倒すためには彼自身の反応速度を上回る必要があった。
過去の事故の影響で、自身が望んだわけでもない特殊能力の覚醒。
そういった事情を、耕介は本人から聞いたことがあった。
だがそれ故に、彼がより一層他人と距離を置く様になったことも知っている。ただでさえ自己中心的であった性格に、異常者であると自覚しているが故の凶暴性が加わった数年前のあの頃。戦闘以外で双真が笑顔を見せたことなど、少なくとも耕介の記憶には無い。
その笑顔でさえ、狂気に歪んだものでしかなかったのだ。ましてや、今のような落ち着いた穏やかな表情などかつて見たことがあっただろうか。
いや、ない──耕介はそう思う。
時は人を変える。それは、昔から彼が格言のように口にしていた言葉だった。
会わずにいた三年間は、あの神楽双真をも確実に変えていたことに、耕介は今更ながら気付く。
「双真……?」
意図が図りかねて、耕介は彼の名を呼んだ。落ち着いた彼の表情は、すでに何かしらの覚悟を決めているように見えなくもない。それが何の覚悟かは分からないが、耕介はそう感じていた。
やがて、ゆっくりと双真が口を開く。
「耕介、お前があの子たちを守りたいというのなら俺は止めない。最後に決めるのはお前だ」
「あ、ああ……」
「だが、俺はさざなみを出ることを奨める。彼女たちを巻き込みたくないのならな……」
そこまで言われて、耕介はハッとなった。
「……まさか……?」
耕介もまた、双真が言わんとしている答えに行き着いたらしい。その瞳が大きく見開かれる。その耕介に、双真は静かに、だがはっきりと断言した。
「そうだ。奴らが狙っているのは……俺とお前だよ、耕介」