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「あれ、耕介は?」
徹夜明けの睡眠から目覚めた真雪は、普段嫌でも目に付くはずの巨体の管理人がいないのに気付いてそう言った。
「出かけたよー」
簡潔な返事が、キッチンの方から返ってくる。知佳の声だ。漂ってくる甘い匂いは、知佳得意のチーズケーキのものだった。リビングではゲームに熱中している美緒だけで、他の住人は各々の部屋にでもいるのか、姿を見かけない。
時刻はすでに午後三時を過ぎている。あれから八時間近く爆睡していたらしい。さすがに小腹がすいたのか、真雪は大きく伸びをしながらキッチンに向かった。案の定、妹はチーズケーキ作りに奮闘している。
「おはよう、お姉ちゃん。よく寝れた?」
「ああ、寝た寝た。で、耕介どこに出かけたって?」
「ん?何か昔の知り合いに会いに行くんだって。ご飯食べた後出かけたよ」
「ふーん……」
気のない返事をして、真雪は何か軽くつまめるものをと思い冷蔵庫を開けた。
「……。何もないぞ」
「え?お兄ちゃん、買物行ってないの?」
「だから、昔の知り合いに会いにいったんだろ?」
「あ……うん。じゃあ帰りに寄ってくるつもりなのかな」
「……かもな。で、それはともかく小腹が空いたんだが。知佳、何か食べるものない?」
「うーん、ケーキができるのはもう少し時間がかかるし……」
「くうぅ、耕介の奴、肝心なところで役に立たねぇな」
そう言って、真雪は冷蔵庫からビール瓶を取り出した。
「お姉ちゃん、またお酒飲むの?」
「つまみなら部屋にあるからな」
自分の部屋に取り置きがあるらしいそれを食べるのに、お酒を飲まなければならない理屈が知佳には理解できなかったが、敢えて何も言わなかった。
「で、何時ごろ帰って来るんだ?」
「知らないよ。そう言えば御架ちゃんが電話を受けたらしいんだけど、なんだかその後のお兄ちゃん、様子が変だったらしいよ。私たちが学校から帰った時は普通に見えたけど」
「女か?」
真雪の表情がニヤリと歪んだ。が、知佳はあっさりと姉の言葉を一蹴する。
「違うよ。電話は男の人から」
「ちぇっ、つまらん」
残念そうに、真雪は舌打ちする。
「んじゃ、ケーキできたら呼んでくれ。味見してやるから」
そう言って、真雪はビール瓶片手に部屋に下がっていった。
そんな姉の後ろ姿を見送りながら、知佳は少々複雑な気持ちでケーキの仕上げにかかった。真雪は、その言葉とは裏腹にほっとした表情を見せていることを、自分自身で気付いていないらしい。
(もし、お兄ちゃんがさざなみ寮以外の女の人と恋人関係になったら、皆はどうするんだろう?)
ふと、そう思う。多分、いやかなりの高確率で、自分を含めたさざなみ寮のメンバーは皆(みなみは片思いの相手が他にいるから別として)、耕介に好意を抱いている。それは今、この街にいない椎名ゆうひも例外ではなく。
だがもしそうならなかったとして、耕介がさざなみ寮の他の誰かと付き合うことになったら、自分はその誰かを祝福できるのだろうか。耕介の隣に自分ではない他の女性がいることを、自分は許すことができるのだろうか。
「わかんないよ……ね、そんなの」
そっと独りごちて、知佳はパタンと、姉が開けっ放しにしていた冷蔵庫のドアを閉じた。