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全てが動き出したのは三日前。
◇
十月二十四日水曜日。午前七時四十五分。
仕事のある平日の朝は、さすがにゆっくりと寝ているわけにはいかない。それは、社会不適合人物の代表と昔散々仲間に言われ続けていた彼もまた同じだった。
文句を言ってもどうなるものでもないので、仕方なく出勤の準備をしていた時、ふいに電話が鳴った。
「もしもし」
続けて「神楽です」とは言わない。どこの誰とも知らない奴にまで振りまく愛想など、彼は持ち合わせていなかった。
《神楽双真君だね》
その声は、電話越しにしては妙だった。どこか響くような、機械的な声。その一瞬に、昔コンピューター関連に強い仲間から得た知識が、彼の脳裏に浮かぶ。
(合成音声?)
間違いなかった。声をマイクから入力し、機械的合成によってなされる音。時々、注意しなければ聞こえない程度の、小さな雑音が混じっている。
直感的に、彼は察知した。
(こいつは敵だ……)
「何者だ?」
一転して、彼は声に緊張を走らせた。が、怒張を含くませたはずのその声に、相手はどこか嬉しそうに返事を返してきた。
《くっくっく。さすがに頭の回転は速いね》
「何者だと聞いている」
もう一度、彼は聞いた。今度はさらに怒気を含めて。だが、
《褒めているのだが。その動物的本能とでもいうのだろうか、直感的に敵と味方を嗅ぎ分ける能力は天性のものだね》
あっさりと、それをかわす。
「もう一度、聞く。お前は誰だ?」
《ふむ……そうだね、私のことは甲龍と呼んでくれ。職業は一介のテロリストだよ》
「………それで。俺に何の用だ?」
その時点で、彼はこの電話の相手の正体を聞くことを諦めたようにため息をついた。甲龍と名乗ってはいるが、偽名、もしくはコードネームだろう。
《やはり君は頭が良いね。いきなりテロリストなどという私の言葉を本気に受け取るのだから》
「御託はいい。さっさと用件を言え。仕事がある」
《あまり、せかさないでくれ。少し、君に頼みたいことがあってね。それで電話させてもらった》
「頼みたいこと?」
《ああ。残念だが今詳しく話すことはできないんだ。だが先日の真夜中の件で、私の真意は伝えたつもりだよ》
先日の件と言われ、彼が思いつく事柄はひとつしかなかった。つまり、一昨日の夜中の襲撃のこと。
「あんたの差金か……」
彼の脳裏に、赤髪の少女の顔が浮かんだ。
《失礼とは思ったのだがね、君の実力が知りたかったのだ》
「知ってどうする?」
《協力してほしいことがあるのだよ。それに関する資料も、すでに君の家に遅らせてもらった。詳しくはそちらを参考にしてほしい》
「ただの……」
あのような戦闘を繰り広げておきながら、今更一般人ぶるのも無駄のように思えたが、敢えて訂正はせず、彼は聞いた。
「一般人の俺に何をさせていんだ?」
《一般人?君が?馬鹿を言っちゃあいけない。あの九州最強の暴走族、『HELL&HEAVEN』の元幹部だということはちゃんと調べてあるのだよ?》
「……だから?」
《くくく。昔は昔ということか。だが、君の特殊能力についてはどうだ?自分のことをただの人間だと言い切れるかい?》
「…………」
《違うだろう?君自身もそう思っていないはずだ》
「どうやって調べたのかはあえて聞かないでおく。けど結局のところ甲龍、あんたは能力者としての俺が必要なのだろう。なら答えはNOだ。協力する気はない」
《まあ待て。話を聞いてからでも遅くはないだろう?すぐにでも電話を切ってしまえるのに、君はそうしない。ということは、つまり聞く気はあるということだな?》
彼は否定はしなかった。沈黙を肯定ととったのだろう、甲龍はその相変わらず老紳士のような口調で、先を続けた。
《さて、結論から言うとだ。私はね、復讐をしたいのだ》
「復讐?」
《誰にどんな復讐をしたいのか。何故復讐をしたいのか。残念ながら今それを話すことはできない。だが神楽君。君と後もう一人の協力なしでは計画が後十年は遅れてしまう程、私は君を必要としている》
「……それで?」
《君なしでの計画実行は不可能だということだ。私も裏社会に生きる人間としてすでに後が無い。いささか不本意だが、君には強制的に協力を要請することになる》
「脅迫に屈するほど俺が弱いとでも思うか?」
《思ってはいない。確かに君は強い。だが個人では組織には勝てない》
「……確かに」
《さすがにわかっているね。なら理解もできるだろう。先日の彼女のようなエージェントを送ることになる。昼夜問わずにね》
「あの子は……あんたの部下か?」
《いや、彼女は私の協力者だよ。先日の件では、彼女たっての希望もあって君を襲ってもらった》
「希望?」
《ぜひ自分に君を殺させてくれというものだよ》
「………恨みを買う覚えは無いぞ」
《おや?彼女は言わなかったのか?君を殺すことが自分の生まれた理由を知るためだと》
「……何故俺を殺すことでその理由がわかるんだ?」
《そのあたりは私も聞いていない。彼女もまた能力者だからね。何か思うところでもあったのではないかな?》
「…………」
《さて話が長くなってしまった。そうだね、少し時間を上げよう。一週間でどうかな?返事はその時までに考えておいてほしい》
そう言って電話を切ろうとした甲龍を、彼は直前で引きとめた。
「待て」
《何かな?》
「俺と……後もう一人と言ったな。誰のことだ?」
《おや。知らないのか?海鳴市にはもうひとり、君の元仲間がいる。名前は槙原耕介君といったかな?彼にも協力を要請するつもりだ》
「!」
さすがに驚いて、彼は身体を硬直させた。
それは彼──神楽双真の昔の仲間の名前だった。偶然海鳴駅で会った昔の知り合いから、彼もまた槙原耕介がこっちに出てきていると聞いてはいるものの、未だ連絡も取っていない。
できることなら、奴は俺には会いたくないだろう、そう思うから。
彼もまた、今更槙原耕介に会ったところで何もすることなど無かった。お互いに、思い出話をできるような過去を持ち合わせてもいない。
けれど…………。
「資料を送ったといったな……。耕介にもか?」
《いや、まだだが……》
それを聞いて、彼は態度を一転させた。言葉の裏に、明らかな殺気を含めて言った。
「この件は俺から耕介に伝える。貴様は何もするな」
《……それは、少し君に都合がよすぎないか?》
「これは返事以前の問題だ。それが飲めないなら、問答無用で俺はお前の敵になる。刺客を送ってこようが同じだ。一度敵と認め、殲滅すると決断した相手を逃がすつもりなど無い。お前を追い詰める手段なんぞ、いくらでも思いつく」
そこまでまくし立てて、彼は甲龍の出方を待った。
《確かに、それは少し恐ろしいな。……わかった。そうしてもらって結構だ。こちらも、彼には君たちからの返事が来るまで手は出さないようにしよう》
そうは言っても、彼の返事は決まっていた。
(誰がわざわざテロリストに協力しなくてはならんのだ)
そう思ったが、当然口には出さないでおいた。
《ああ、そうだ。言い忘れていたが、君を襲った彼女。彼女だけは私の意向とは別だ。これから先も君を襲うことになるだろうから、注意してくれたまえ》
「え、ちょっと待て。おいっ」
一方的に言い捨てて、カチャンと音と共に電話は切られた。
「…………」
釈然としないものはあったが、かけ直すこともできないので、とりあえず彼は頭の中で奴との会話を整理することにした。受話器を置いて、リビングのソファに据わりなおす。
テロリスト。
復讐。
赤髪の少女。
宿命。
そして槙原耕介。
「…………」
(なんで甲龍は俺を殺したがっている奴を協力者にしているんだ?)
思いっきり突っ込みを入れたい気分になったが、その問いに答える相手はもういないことに、彼はまた疲れたように嘆息した。
その後しばらくして。
出勤時間が押していることに気付いて、彼は慌てて仕事に向かったのだった。