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「よろしいのですか?甲龍様」
電話を切って一息ついたところで、少女は自分の主に声をかけた。
その相手は、電話の口調から感じられるほど老人ではなかった。むしろその実年齢を知っているだけに、余計に若く見える。
その彼は、自分専用の椅子に腰を下ろして、すでに冷めてしまった茶に口をつけた。
ふうっと軽くため息をつく。
働き盛りの男性にしか見えないほど若々しい彼は、しかし物腰の落ち着いた口調で、少女の質問に答えた。
「ああ、君のことかい?構わないよ。好きにしなさい」
「いえ、そのこともそうですが。先程の電話の内容については……」
「聞いていた通りだ。返事は一週間後ということだな」
「引き受けますか?彼は」
「引き受けないだろうね」
やんわりとした口調で、だが甲龍はしっかりと断言した。
「彼は引き受けないよ。その理由がない。資料でしか彼のことは知らないが、彼は他人に飼い慣らされることをよしとしないだろうからな」
その彼の発言に少々面食らいつつ、少女は聞いた。
「それなら、何故あのような電話をなさったのです?」
「私たちの存在を知ってもらうためだよ。君は彼を殺したいのだろう?それと同様に私もまた復讐したいのだ。彼ら『能力者』にね」
「…………」
「神楽君は頭のいい人間だ。君や私との会話。それから送った資料。これらに含まれている矛盾点に必ず気付くだろう。ひょっとしたら私の目的にも感づくかもしれないな」
まるでそれを望んでいるように言う甲龍に対し、少女は少し気後れしたようだった。
「私の件については……」
「先程も言ったとおり、好きにすればいい。彼を襲うか否かは君次第だ」
「戦います。それは変わりません」
「ならそうしたまえ。私との契約は、つまり私に協力し続けるかどうかは、彼次第ということだな」
「…………」
「そんな困ったような顔をすることはない。君は確かに『能力者』だが、私の標的になる条件を満たしていない。だから、最悪の場合私を裏切ることになっても、私は構わないのだ」
「そんなことは……」
「ないと言い切れるかい?」
「…………」
「ふむ。君のそういう正直なところは気に入っている。だから条件を満たしていないともいえるが」
「条件……ですか?」
「ははは。言葉のあやだよ。例えばの話だ」
そう言って、甲龍は椅子から立ち上がり部屋から出ようとした。
薄暗い六畳程度の部屋。コンクリートで覆われ、一つしかない窓も換気用であるため、この部屋は基本的に太陽の光が入らない。だから電気をつけなければ、同室内にいる人間の顔すらはっきり見えないほど暗い。
だが甲龍は絶対に自分から明かりをつけようとしなかった。少なくとも、少女が知る限りではこの部屋に明かりがともされた記憶はない。
その部屋にあるのは、甲龍専用のデスクと椅子。ただそれのみ。
だから、立ち上がってドアの方に近づいた甲龍の表情など見えるわけがない。
ないはずなのに……。
「私の復讐は始まった。さて、女神は誰に微笑むのか。それとも死神かな?どう思う、リオ?」
そう言った甲龍が、確かに笑みを浮かべたように少女には見えた。
ゾッとするほどの微笑。
そうして、返事を期待したわけではないらしい彼は、彼女が何か言う前に部屋を出て行った。