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 ──槙原耕介──

 

 十月二十七日、午後四時。

 雨がポツポツと降り始めた。

 アスファルトの道路に、小さな灰色の染みが刻まれていく。

 昔の友人の一人、神楽双真と喫茶・翠屋で別れた後、俺──槙原耕介は、冷蔵庫の中に食材がなかったのを思い出し、急遽商店街のスーパーに足を向けていた。

 今日は土曜日。同じく夕食の買出しに出てきている奥様方の波で、スーパーの中はごった返していた。その波をかいくぐりつつ、俺は今日の夕食の献立を頭の中で組み立て、それに必要な食材を手早く選んでいく。

 さすがに九人の食事を数日分、それも大食漢がふたり(みなみと薫)もいると、その量は尋常のものではない。たちまち買物カゴが一杯になってしまった。幸いにして財布の中にはそれなりの金額が入っていたので、その点については気兼ねなく買物をすることができたが、周りの人が何事かと足を止めるほどの食材の山は、自分でも気圧されてしまうほどの圧迫感を漂わせている。

 カートの上下のカゴに一杯になった食品をできるだけ崩れないように気をつけながら、俺はカートを押してレジに並んだ。順番が来るのを待ちながら、ふと今日はバスで街に出てきていたことを思い出す。

「…………」

 どうしようかと迷った。さすがに買物カゴ二つにも入りきらない量の食材を、小雨とはいえ雨の中を一人で歩いて持ち帰るのはつらい。

 行きと同様、バスで帰るべきだろうか。いまさらながら、車を借りてこなかったことが悔やまれる。愛さんか真雪さんに迎えに来てもらうという手も考えたが、愛さんは昼食後に学校に行ったばかりでまだ帰っていないだろうし、真雪さんはまだ寝ている可能性が高い。わざわざ呼び出して、彼女たちの手を煩わせるのも気が引けた。

(ま、あれぐらいの小雨なら、荷物も大丈夫だろう)

 ここにくるまでの天気を思い出しながら、俺はそう考え直した。

 と、レジの順が回ってきた。二人の店員が、共同で山積みされた食材を一つずつ手早くバーコードを通していく。それを眺めながら、俺は先程の双真との会話を思い出した。

 

 

「今……、なんと言った?双真」

「狙われているのは俺たちだと……そう言った」

「…………」

 理解はした。半年以上前にリスティやフィリス、シェリーを使ってさざなみを襲った組織の残党が、今度は俺と双真を狙っている。そのことについて理解はできた。が、

「納得がいかない」

 怒張を含む俺に対して、双真はあまり気にした風ではなかった。それとも、そう見えないだけだろうか。俺の反応も、双真にとって見れば予想範囲内だったに違いない。

「その連中が俺たちを狙っている?その理由は何だ」

「復讐。奴はそう言っていたな」

「奴って?」

「俺が会話した組織の人間だ。『甲龍』と名乗っていた。おそらくその残党における頭、もしくは幹部クラス。電話越しに、それも合成音声だったから、男か女か、若いのか老人なのかもわからん」

「その甲龍とやらが何故俺たちに復讐するんだ?面識もないのに」

「俺たちの過去、それが原因だろうな。奴は知っていたよ。その資料にも記されているが、俺たちがかつて暴走族だということを」

「それは理由になってない!」

「まあ聞け。それを知った上で、奴らは俺のところに電話をしてきた。要件は単純だ。自分たちに協力しろ。つまり俺たちにテロリストの仲間になれと、そういうことらしい」

「ふざけたことを!協力なんてするわけないだろう!」

「奴らだって馬鹿じゃない。特に甲龍はかなりの切れ者だ。電話で話をしただけだから根拠はないがな。お前や俺が、何の理由もなく自分の傘下に入るわけがないことくらいわかっているさ」

「……それって……」

 言いかけて、俺は口を噤んだ。何故かは分からないが、その甲龍とやらは俺たちに目を着けた。そして『復讐』。何に復讐するのかはおおよそ見当がつく。それはつまり、裏切り者への制裁。

「LCシリーズへの復讐か……」

 それを言えずにいた俺に代わって、双真はあっさりと言ってのけた。が、次いで彼が発した言葉はそれを否定するものだった。

「と、お前は思っただろう?奴との会話の後、届いた資料を見た俺も最初はそう思ったよ」

「…………え?」

「だがおそらく、本質は違うな。彼女たちに復讐する気なら、お前を引き込もうとはしないはずだ。彼女たちを守る立場のお前が言うことを聞くわけなどないからな。加えて言えば、八ヶ月前にあった事件に何の関係もないはずの俺を巻き込む必要性もない」

「そう……言われれば」

「だから俺は、この件は『HELL&HEAVEN』関連だと考えている。それ以外で、俺とお前が関与していることが他にない」

「確かにそれはそうだけど……。でもそれを言えば、その残党があの頃の俺たちに関係しているなんて記憶はないぞ」

「奴は何のために、誰に対する復讐かは言わなかった。現状では俺でも想像がつかん。そもそも本当に復讐が目的なのかもわからない」

 言って、双真は黙り込んでしまった。

 自然と、重苦しい雰囲気が流れる。

 ふと腕時計をみると、時刻は三時を回っていた。おやつ時のためか、客の出入りが少なくなりかけていた店内に、少しずつ活気が戻ってくる。

 先に沈黙を破ったのは俺だった。

「でも、リスティたちがまた狙われないとも言えないんだろう?」

「確かにな。だが考えてみろ。そもそもHGSである彼女たちに適う人間なぞ限られている。残党にしかすぎない奴らに、彼女たちを倒せる程の戦力が残っているとも思えない」

「…………」

「だから、奴らの狙いは彼女たちじゃない。あくまで俺とお前だろう。お前がさざなみにいることは、逆に彼女たちにとって危険だ」

「だから、さざなみ寮を出ろ……と?」

「さっきも言っただろう?それはお前が決めればいい。奴らへの返事は一週間後だ」

「…………。双真は、どうするんだ?」

「俺か?無論そんなつまらんことに手を貸す気はないな。その後にすることは決まっている。売られた喧嘩は買うだけだ」

 それはつまり、組織の残党と全面的に対立するということ。

「俺の連絡先は教えておくよ。その気になったら、連絡をくれ」

 そして……。

 それは、俺がさざなみ寮を去るということ。

 

 

「お客様?」

「え?」

「全部で……一万四千円百五十二円になります」

「あ……えっと……それじゃ、二万円で」

 唐突に現実に引き戻されて、俺は慌てて諭吉クン二枚を店員に渡した。おつりを受け取った後、これまた大量の袋をもらってサッカー台に行き、食材を選別しながら袋に移していく。

 随分と細かく区分けし、下に入れた食品が潰れないように気をつけながら、何とかそれを終えたのは会計を終えてから二十分後のことだった。荷物を両手にもち、その重さを確かめる。

「ん……。なんとか…持てる…かな」

 そう独りごちて、荷物両手にいざスーパーを出ようとした時だった。

 ザアァァァァァァーーーー!

 雨が本格的に降り出したらしい。建物に降り注ぐ水滴音の大きさに、雨のひどさが目に浮かぶ。

「……愛さんか真雪さんに迎えに来てもらおう」

 実にあっさりと思い直して、俺は店内の公衆電話コーナーに足を向けた。

 

 

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