◇
──神楽双真──
耕介が翠屋を出た後、俺はもう一度コーヒーを注文し、今日あいつに渡す筈だった資料に目を通した。
『さざなみ寮に関する情報』。
そう命題の打たれた紙束の中身は、信じられないほど細部にいたるまでさざなみ女子寮の面子に関する情報が記載されている。出身から家族構成、学歴、友人関係、現在の社会的立場。そして個人の身体データ。その中でも特筆されている特殊能力。
そして、後半には槙原耕介と、俺こと神楽双真に関する情報が記されている。俺のほうは理由あって実家にいた頃の自分の痕跡を跡形もなく消しているため、さすがにそこまでは調べられなかっただろう、耕介の情報に比べ、その量が少ない。
(よくここまで集めたものだな……)
と、場違いに感心しながら、俺はどこか釈然としないものを感じてもう一度読み直すべく最初のページに戻った。
情報量は確かに凄まじい。だがこれほどの情報を集めるには、それなりの情報網と組織力が必要となることくらいは素人の俺にもわかる。
この資料を俺に送りつけてきた連中は、その本体である組織を半年以上前に失っている。そのことは、当の本人たちから送ってきたこの資料に書かれてあるし、こちらの方でも確認したため間違いはない。
だがこの資料の中身は間違いなくほんの一ヶ月前のことを最新としており、これで本体が集めた情報のお下がりという線は消える。
それとも、殲滅された方が分隊だったのだろうか。
どちらにせよ、その連中が俺のところに接触してきたのはつい三日前のこと。甲龍とのやり取りがあってから三日たつというのに、あの夜以来、少女が現れることは無かった。
結局、耕介には俺が襲撃を受けたことを言わなかった。あの少女が狙っているは俺だけだろうから、あいつをわざわざ巻き込む必要性は無い。というか、いられると邪魔だ。
それよりも問題は甲龍の目的。
──矛盾。
ありていに言えばそういうことだが、とにかくかみ合わない点が多すぎる気がしてならない。
甲龍との会話で、奴は復讐が目的だと言った。そして俺たちにその協力をしてほしいと。
奴らは以前のさざなみ襲撃事件において、リスティ・槙原とそのクローン二人という戦力を失った。もともとHGSの軍事利用を目的としていた奴らだ。彼女たちに加えて、比較的能力の高い仁村知佳を参入できれば、よりそのシェアを広められると考えたのだろう。
結果は失敗に終わっている。そして、彼らはその本体が逮捕されたために、主戦力すら欠いてしまった。
耕介が危惧したとおり、確かにこれだけを見れば、自分たちを追い込んだリスティや仁村知佳への復讐が目的と思うかもしれない。
だが、そうじゃないことは奴の口調でどことなく感じ取れる。
耕介にも言ったことだが、その協力者が何故俺と耕介でなければならないのかということ。耕介がさざなみの連中を守る立場にいることは奴も知っているはずだ。一方俺のほうは、例えどんな弱みを握られても屈するような人間でないことは、昔の俺について調べたのなら一目瞭然だろう。
第一、俺に奴らとの接点は無い。
別に目的があるのだとしても、どう考えても協力を仰ぐ人選を間違えている。
さらに言えば、あの赤髪の少女は俺の命を狙っている。あの身体能力からすれば、彼女もまた普通の人間ではない。なによりあれが本気だとも思えない。
それを思えば、耕介には嘘を言ったことになる。あの少女はおそらくさざなみにいるHGS患者二名よりも遥かに強いだろう。いくら耕介が三年前に比べて強くなっているとはいえ、正直勝てるかどうかはわからない。彼女がいれば、さざなみを再び攻めるのは不可能ではないはずだ。だというのに目的はさざなみではなく俺の命。
それにも関わらず、あの子は甲龍の協力者だという。
故に、結論。
奴らの標的は俺と耕介。
根拠などない。だが間違いない。
理由を探すとなれば、やはり『HELL&HEAVEN』しか思い浮かばないが、今のところそれもしっくりと来ない。
…………。
「手詰まったな」
思考を一時中断する。淹れられたばかりで湯気立つコーヒーを一口喉に流し、俺は一息ついた。と、ピリリリリ……と携帯の着信音が鳴る。
「もしもし」
「私」
端的に自己紹介する電話の相手は、俺の知った女の声だった。携帯電話で名乗らないのは、ある意味賢明とも言える。
「ああ。どうした?」
「相変わらず連れないわね。それで、私の調べた資料、役に立ったの?」
「ああ、それなりに」
「それなり?」
「奴らが調べた内容が濃すぎてな。ほとんどかぶった。なのでかなりの無駄足だ。ご苦労さん」
「……貴方、自分から私に調査を依頼したことわかってて言ってる?もう少しましな労いの言葉かけられないの?」
「無理だ」
即答する。自分の性格など、今更他人に言われなくても重々承知しているつもりだ。
つまりは、俺はそういうお世辞を言えるタイプの人間ではない。電話の相手もそれを知っているはずだった。案の定、あきらめた口調で先を続ける。
「……まあいいわ。それで、あれから海鳴市にいるだろう赤髪の少女について調べてみたけど、該当者はいなかったわ。この街に重火器等が仕入れられたって話もない」
それは、あの甲龍の電話があってから、俺が急遽彼女に依頼した情報収集の結果報告だった。
ただ、奴らと思しき連中の足取りは掴めたわよ。数週間前、この街に中国系の人間が数人、団体で目撃されてるわ。行き先や交通手段を考慮した結果、奴らに間違いないでしょうね。けどあなたの見解どおり、その残党にはほとんど戦力なんてないと思う。人数で言えば十数名ってところだし」
「彼女がいる」
「例の赤髪の女の子ね。強いの?」
「お前と同レベルかな?身体能力的には」
「それじゃあかなりの使い手ね」
臆面もなく、彼女は認めた。
「おそらく何らかの特殊能力者だろう。俺の能力についても知っているはずなのに、この前の襲撃ではそれに恐怖を抱いているといった感はなかった」
「となると、その能力が何かわからない分、貴方の方が不利ね。ね?どうにかして彼女の居所を探し出して、何の能力か探り入れて見ましょうか?」
「……いや、いい」
「何で?」
「いずれ解るだろうからな。それよりも調べてほしいことが一つ増えた」
「え?」
「去年の春に起こった事件。つまりさざなみ寮襲撃の件だな。その時どうやって甲龍が法の網を逃れたのか、それを知りたい」
「たまたま参戦していなかっただけじゃないの?」
「会話を交わしただけだが、奴は相当の曲者だ。頭もいいだろう。幹部クラスなのは間違いないはずだ。
その件に関わっていないはずがない」
「頭がいいから逃げられたとか……」
「お前も調べのなら知っているだろう?当時奴らの逮捕に動いたのは香港特殊警防隊だぞ。世界でもトップレベルの実力者がそろう法の番人だ。その包囲網をかい潜って逃げた?無理だな」
「なら……どうやって?」
「それを調べてほしい。正確には、奴の逃亡に手を貸した奴がいるかいないか。いたらそいつの情報も含めて」
「協力者がいるってこと?」
「おそらく。それもこの街の人間である可能性は高い。事件当時、組織の本体は海鳴市に来ていた。甲龍もな。にも関わらず、奴は逃げることができた。ということは、誰かの協力なくして逃亡の準備などできようはずがない。あの時、警防隊は完全に不意打ちで奴らを攻めたんだのだろう?」
「ええ。警防隊と繋がりのある人物から聞き出したから、間違いないと思うけど」
「なら決まりだ」
「…………わかった。調べてみる。それはともかくとして、今日槙原耕介君と会ったのでしょう?」
「ああ」
「どうだった?」
「随分と変わっていたな。雰囲気が」
「い、いや、そうじゃなくて。あなたに協力するかしないか、聞いたのでしょ?」
「いいや。狙われているから気をつけろと言っただけだ」
「それだけ?」
「そうだが……なにか不都合があるか?」
「あのねぇ。君ら二人がコンビ組めば、より奴らを倒す戦力が増すのよ?なのに……」
「いらん心配だ。耕介とはいずれどこかでかち合うだろうから、協定はそのときにでも組めばいい」
「彼も動くと思う?」
「間違いなく動く。奴はまだ忘れてないからな、『破壊者』としての自分を。俺と会ったことで覚醒するはずだ。近いうちに必ず……」
「…………それは喜んでいいのかしら?」
「お前が心配することじゃない」
そう言うと、彼女は機嫌を損ねたようだった。電話越しにも、カチャンと何かが鳴る音がする。
「ああ、そう。ならよけいなお世話だったわね。それで、調べてほしい件についてはどうするの?」
「できるだけ早く。この事件。奥が深いわりには早く片が付きそうなんでな」
「わかった。それじゃあ、また電話入れるわね、神楽君」
「よろしく頼むよ……エリザ」
言って、俺は携帯の受話器を置いた。