◇

 

 ──エリザベート──

 

「よろしく頼むよ……エリザ」

 そう言って、彼は電話を切った。

 彼らしくない。盗聴のおそれのある携帯電話で私の名前を呼ぶなんて。だが呼ぶ前にすこし間があったということは、少し悩んだ末の判断だったのだろう。

 組織の連中につけられている可能性もある。それを考慮すれば、組織について調べを入れている私との接点を見つかるのはまずい。それはつまり、甲龍への返事をしなければならない一週間後を待たずして、彼が結論を出したことを意味するから。

 それとも、甲龍が言った「手をださない」という言葉を信じているのだろうか。それにしたって、彼には自分が狙われている自覚が少ないように思える。

 彼から「深夜に襲撃を受けた。調べてほしいことがある」と言われてから三日経つ。組織のこと、さざなみ寮の調査のこと、これらをたった三日で調べられることなんてたかが知れている。

 で、結果は無駄足。

 これじゃあ、頭を下げてうちの諜報部に動いてもらった意味がないじゃないの。

 しかもまた調べてほしいなどという。

 私を便利屋か何かと勘違いしているんじゃないだろうか。

 それを受けた私も私だけど……。

「エリザ。電話終わった?」

 彼への愚痴を心中で呟いていると、コンコンと部屋のドアがノックされ、赤みがかった髪の少女が顔をのぞかせた。

「あら、さくら。どうしたの?」

「え?うん。なんか深刻そうな電話していたから。お仕事?」

 そう言って、姪は私を気遣うふうに部屋に入ってきた。

「うーん。お仕事っていったらそうなのだけれど、違うと言えば違うかも」

 言ってる自分もよくわかっていない。

「お友達?」

 何をそう思ったのか、彼女はそう聞いてきた。

「どうして?」

「だってエリザ。さっき覗いたとき、真剣だったけど、ちょっと楽しそうだったから」

「あ……うん」

 言われて、私は言葉を濁した。自分でも自覚していたことだけに、他人に言われると少しばつが悪い。彼女は私の家族だが、それでも恥ずかしいことには違いない。

「そうね、友達かも」

 そう答えた私に、さくらは普段見せない笑顔を返してくれた。

 けれど、私の方は少し複雑だった。神楽双真という人物と知り合ったのは約七年前。当時ははっきり言って敵、人畜有害、生きた戦車といってよかった彼が、一昨年位だろうか、この海鳴市に来てからというもの、随分と大人しくなっていたのには正直驚いた。

 それからというもの、敵か味方についても微妙な線引きをすることになり、結局今に至っている。

 基本的に彼もまた異能力をもつ能力者であるから、彼に対して私が夜の一族であることを気にする必要はない。それは気が楽だったけれど、下手をすればいつ牙を向くかわからない野生の獣のような彼に接するのは、やはり多少の不安が残る。

 そもそも彼とは七年前に敵だったせいで、一族伝統の誓いの儀式を行っていない。去年一度言ったことがあったけれど、あっさり拒否されてしまった。彼曰く、

「何故赤の他人に、俺の人生について誓いを強要されなければならないんだ?」

 だそうで、なるほどとこっちが逆に納得してしまった。さらには、

「貴様らと共に過ごすのもごめんだが、勝手に記憶をいじられるのもごめんだ。どうしてもというなら力づくで俺を倒すんだな」

 なんて、一族の長老たちに聞かせたら卒倒しそうな台詞ではあったけれど、それはそれで実に彼らしい返答だと思う。

「エリザ……?」

 考え込んでしまったらしい私を心配してくれたのか、さくらが私の顔を覗き込むように言った。

「なに、どうかしたの?さくら」

「お友達に何かあったの?」

「あーうん。そういうわけじゃないんだけどね。ちょっと彼と私の関係について考えちゃった」

「彼……っていうことは男の人?」

 しまったと思ったときには遅かった。けど、そこは年の功というもの。悟られないようにさりげなく話題を変えてみる。

「ん?まあね。そういえばさくらもお友達できたんだって?」

「え?」

 逆に話を振られて、さくらは困ったようにうろたえた。

「なんか姉さんがね、さくらが学校行くのを楽しみにしているって言っていたから」

 私の姉、つまりは彼女の母親の言葉を思い出しながら、私は聞いてみる。

「…………」

 と、今度は彼女が黙り込んでしまった。

 その理由はわかっていた。自分が吸血種であることに、つまりは普通の人間とは違うことに、彼女もまた強いコンプレックスを感じている。

 普通でないことはそれだけで周りから阻害される。いい意味でも悪い意味でも。しかも彼女は美人だから、言い寄る男も少なくないだろう。それがまた彼女を人から遠ざける。

 そこではたと思いつく。

 もしかしてその相手は男子なのだろうか。

「友達じゃないの?」

 とりあえず、当たり障りのない言葉を選んで、彼女に聞いてみた。

「……お友達だと……思う」

「そう。なんて名前?」

「野々村……小鳥先輩」

どうやら女の子らしい。

「年上なんだ。可愛らしい名前ね」

「うん。本人もすごく可愛らしい人」

 そう言ったさくらの顔には、もう笑顔が戻っていた。よっぽど、その先輩のことを気に入っているらしい。

「私よりも背は小さいけど、すごく心が綺麗な人なの。校舎の裏側にいた野良猫に餌を上げていたときに知り合って、それから何度かお話して……」

 そう言って、嬉しそうに話すさくらの頭を優しく撫でて、私も笑顔を返した。

 純粋に嬉しくなる。普通とは違うが故に人を避け、友達のいなかった彼女にできた、人生で初めての友達。

 いずれ彼女もまた通過するだろう悩みについては、私は口にしなかった。仲良くなればなるほど、自分の出生を明かすのには勇気が必要になる。

 願わずにはいられない。その野々村小鳥という少女が、さくらの真の姿を受け入れてくれることを。

 それからしばらく他愛無い話などして、さくらは帰っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、考える。

 神楽双真という人間について。

 一言で言えば、彼は異常だ。私が言うのもなんだけど、普通でない夜の一族よりもさらに普通ではない。その能力についてもそうだけど、彼の感性は私たちと比べても一線を画している。

 夜の一族。

 先天的な吸血種族である私たちは、自分たちのことを世間に隠しながら生活をしている。文明と相容れない私たちは、その種を絶やさないために他者を拒絶し、一族の絶対戒律を定めることによって世間との無理な融合を果たした。

 無理矢理な面も多いから、当然そこからほころびも生じてくる。

 多種族との結婚。交わり。そして子供。

 今でこそ決まりがゆるくなって、もとから一族でない人たちも増えたし、他人との共存を望むようになってはいる。けれど、身体能力的にも大きく一般人より優れていることもあって、未だ一族の中には人間を家畜としか考えていない連中も存在する。

 しかし、それらは自分が異能者であるが故の処世術であることも確かだった。

 だが神楽双真は違う。いや、違ったと言えばいいのか。

 彼は自分が能力者であることにコンプレックスなど抱いていない。ましてや世間との融合など望んでもいない。

 出会った当時は、彼はただの戦闘狂に見えた。だが、何度かやり取りを交わし、幾度か戦った結果、私が彼について思ったことはただひとつ。

 彼は生と死と、そして自らの特殊能力を享受している。

 戦闘を──相手との殺し合いを好み、生きることだけでなく、確実に死ぬだろうと思われる行為にすら楽しみを見出す。そしてその中で、彼は迷うことなく自分の『利』を切ることができる。

 『利』──すなわち自分の有利。

 どんな命知らずな人間でも、自分の『不利』を無視して切ることはできても、一度手にした『利』を手放すことはできない。

 それを、彼は平気でやってのける。それは私たちには決してできないこと。

 死を覚悟したことならある。その覚悟を持って、戦いに挑んだこともある。そして中には、命さえ落としかねない状況もあった。今、結果として私は生きている。けれど……。

 果して、当時の私はその戦いに余裕をもっていただろうか。自分が手にした勝利を手放すことができただろうか。

 答えは否だ。手放していたら、今私はここにいない。そこが彼との違い。戦いが好き嫌いの問題ではなく、私は人生の全てを楽しむことなどできていない。それが戦いであれ、普段の日常であれ。

 人は生きていく以上必ず他人と接触する。だからこそ、人の人生には喜怒哀楽が存在し、楽しむだけの人生など決してありえない。

 その対なる自己中心的な人間として、彼は生きてきた。だからこそ出会ったときは敵になったのだが、今の彼は少し変わったようだ。

 まず彼の仕事に驚かされた。

 女子高の数学教師。

 なんだってまたそんな不似合いな職業を選んだのだろう。というか、彼が裏社会の人間にならなかったこと自体驚きだった。

 世間に溶け込むというよりは、それを利用しているふうにも見えなくはないけれど。

 その彼から依頼が来た。自分を襲った連中についてと、今回の件に関連性のあるさざなみ寮について調べてほしいというもの。

 正直に言えば、協力する気はなかった。彼や、彼が敵と認識した相手(これはもう不幸だと言い切って差し支えない)には気の毒だとは思ったけど、無闇に危険に身を任せるほど私は向こう見ずではない。

 なにより、彼に味方をする義理がない。

 そもそも私にも仕事があった。先程の彼との会話に出てきた香港特殊警備隊。その司令から甲龍の件についての依頼があったからだ。

 直接的に受けたのは夜の一族の長たる私の父だったが、そのお鉢は私のところに回ってきた。

 故に、神楽君からの依頼がなくてもこの件については関わってはいたのだが、それにしたって彼に肩を貸す理由にはならない。

 けれど、そのつもりだった私をその気にさせたのは、彼のたった一言が原因だった。

「エリザ。お前、人助けをする気はないか?」

 その助ける人が誰かは分からなかったが、少なくとも彼自身のことではないらしい。それは口調でわかった。

 人助け。今まで生きてきた中で、これほどこの言葉が似合わない人間はいない。

 興味がわいた。

 あの男が、どのようにしてそれを成すのか。

 夜の一族を将来束ねることになる、純潔の吸血種たる私に何をさせたいのか。

 あの赤髪の少女が甲龍の協力者なら、私は彼の協力者として見届けよう。

 この私──エリザベート・フュンフト・フォン・エッシェンシュタインの名を持って。

 

 

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