5

 

 意識するのは危険だ。

 そう思うが、止められない。

 自分が何者かを思い出す。

 決して消えない真実を、目の前にして。

 彼は、自覚していた。

 自分の中で変調が起こっていることを。

 

       ◇

 

「学校の方はもういいんですか?愛さん」

「ええ。今日は簡単なゼミがあっただけですから」

 そう言って、愛は車の速度を少しばかり上げた。

「ところで耕介さん。今日の夕食はなんですか?」

「ええとですね。鶏もも肉のおろし煮をメインに、スパゲッティサラダや酢の物、すまし汁を作ろうと思っています」

「和食ですか?」

「少しだけ和洋折衷気味に……」

「ふふっ。おいしそうですね」

「ええ。朝食もそうでしたけど、今日はあっさり系を主軸に行こうと思っているんです。それでもスタミナは結構つきますし、部活やってる薫やみなみちゃんだけでなく、文化祭の仕事で忙しい知佳もたくさん食べれると思いますから」

「そうですね。知佳ちゃん、実行委員になって最近がんばってますから。文化祭成功させるんだって」

「ははは、あの時は真雪さんがまた機嫌損ねて大変でしたよ」

 その時の光景を思い出して、耕介は苦笑いした。

 知佳が学校の文化祭実行委員になったと、寮の皆に事後報告したのはもう三週間以上前のこと。その時は案の定、妹の身を案じる真雪が少なからず反対したが、もう決まったことなので何も言えず、結局その日から数日に渡って彼女の機嫌はすこぶる悪かった。

「知佳ちゃん、強くなりましたよ」

「ええ。先週熱を出しましたけどすぐに収まりましたし、矢沢先生の話でも、少しずつ身体の方は強くなっているって」

 愛の言葉を受けて、耕介は言った。

 知佳やリスティが通う海鳴大学病院。そこに勤める矢沢医師は、世界にも認められ始めているほどの優秀な医者だった。だからこそ信頼して、彼女たちも診察をうけている。

 数少ないさざなみ寮の内情を知る一人で、知佳やリスティが元気でいられるのは、彼の尽力のおかげでもあった。

「でも知佳ちゃんが強くなり始めたのは、耕介さんが来てからですよ」

「え?」

 思っても無いことを言われ、耕介は驚いて愛のほうを見た。

「耕介さんがさざなみの管理人になってもう一年と半年……ですか?」

「……そうなりますね」

「知佳ちゃんが変わったのは耕介さんが来てからですよ。それまでは本当に病弱って感じで、今みたいに明るい子ではあったのですけど、しょっちゅう熱を出したり頭痛を訴えたりして病院に駆け込むことがあったんです」

「……初耳ですね。昔さざなみに来た頃は少し荒れていたって話は聞いてましたけど」

 本当に初耳だっただけに、耕介は驚きを隠せないでいた。そんな耕介に構わず、愛は続ける。

「でも耕介さんが来てから、知佳ちゃん随分と元気になったみたいでよかったです。原因はまあ、なんとなくわかりますけど」

 そう言って、愛は視線だけをちらりと耕介の方に向けて、小さく笑った。

「……なんです?」

「ふふ。秘密です」

 何か楽しそうに、愛は笑った。

 一方の耕介は、何がおかしいのかもわからずに首をひねった。そんな彼の様子に、また愛が笑う。

 少しばかり居心地が悪くなって、彼は外の方を向いた。

 外は相変わらず雨。だが少しずつ、雨の勢いは弱まっているらしかった。

 雲の流れが速い。どうやら夜には晴れるようだ。

 そうこうしているうちに車はさざなみ寮に到着した。

 

      …

 

 夕食後。

「あ、薫!」

 耕介は食器をすべて片付けた後、受験勉強のために部屋に戻ろうとした薫を呼び止めた。

 階段に片足をかけたところで、彼女は振り向く。

「これから勉強?」

「はい。受験も間近ですから」

「そっか……」

 ふと、耕介は言おうかどうか迷っているふうに首筋を指でかいた。

「どうかしたとですか?」

「ああ、いやね。気分転換にでも、ちょっと仕合えないかなと思ってさ」

 そう言って、彼は後ろに隠していた『御架月』を出した。

「それは構いませんけれど、真剣……ですか?」

 その『御架月』をみて、薫は怪訝そうに眉をひそめた。当の刀の本体は、美緒と居間でテレビに夢中になっている。

「うん。そっちは『十六夜』でさ。お互い手加減なしでルールはなんでもあり。もちろん十六夜さんのサポートもね。お互いに一本取った取られたと思ったらそこで終了。どう?」

「……わかりました。準備してきます」

 薫は少し考える様子を見せたが、やがて快く返事をして部屋に帰っていった。その後姿を見送って、耕介は御架月を呼びに居間の方に向かった。

 

      …

 

 空は晴れていた。

 数時間前にやんだ雨は、今はもうその気配すら感じない。秋も深まり、次第に冬への準備にはいる国守山の夜は、今日も静かだった。

 月と星。そして寮のリビングから漏れる光が、庭を照らしている。

 未だ湿った地面を踏みしめながら、耕介は『御架月』を鞘から抜いた。

 呼吸を整え、次第に思考を戦闘用にシフトする。高揚する気分を抑えようと、彼は軽く刀を振って準備運動を始めた。

「耕介様?」

 刀の本体たる御架月は、その耕介のそばに浮かびながら、しかしふと気になって自分の主に向き直った。

「ごめんな。テレビ楽しんでたのに……」

「いえ、それは構いませんが。……どうかされたのですか?」

「何が?」

「耕介様の氣がどこか普段と違うので」

「そう?」

「はい。乱れているといった風ではないみたいですけど。何か気になることでも?」

「気になる……か」

 と、耕介は刀を振るその手を止めて、御架月の方を向いた。

「どこか……変かな?俺」

「耕介様……?」

「ああ……うん。そうだね、この仕合が終わったら話すよ。それから、君の意見を聞かせてくれ」

 そう言う耕介の瞳は、これからただ特訓をしようとする雰囲気でないことは明らかだった。薫の気分転換のための仕合ではないことは、もう御架月にも理解できる。

 御架月がここにきてからまだ一年もたっていない。その後しばらくして神咲の霊剣として認められ、今は耕介を主としてこのさざなみにいる。

 去年からはじめたという耕介の剣術の特訓。

 長い歴史を持つ神咲の中でも、類に見ない速度でその技術を習得している彼の腕前は、現在では段持ちの薫や元剣術道場の跡取りだった真雪に比べても遜色がなくなってきている。

 その特訓と同時に、耕介は御架月から神咲無尽流に関する技も教わっていた。

 もともと、神咲無尽流は対多数戦闘を想定したもので、その元は神咲の裏の裏といっていい最秘奥にあたる流派だった。

 神咲の初代、神咲灯真が創設した『御架月』専用の技。その威力と費やす霊力は一灯流を遥かに凌ぐ。

 『御架月』そのものが神咲に伝わっていなかったこともあって、歴代の一刀流の継承者ですら、その技を会得している者は数少ない。その技を、いくら基本的な霊力許容量が薫を上回っているからと言っても、わずか一年足らずで自分のものとし始めている。

 その意味では、耕介は間違いなく天才だった。

 それは御架月だけでなく、寮生、そして神咲の誰もが認めていること。

 それ故に、ここ最近では耕介と薫の仕合は緊迫したものになることが多い。昔と違い、互いに気が抜けないものになる。

 その中には、何度か今日みたく真剣で仕合ったこともあった。だが今日の耕介から感じられる雰囲気は、それともどこか違う。

 どこがどう違うのか、それは残念ながら御架月にもわからない。

 だからこれから始まる仕合を止めるべきかどうかについて、彼は決断を下せないでいた。と、

「お待たせしました」

 玄関の方から、『十六夜』を携えた薫がやってきた。動きやすいジャージにシャツというラフなスタイルは、特訓の際の彼女の定番だった。その横から十六夜も付いてきている。

「準備運動しますから、ちょっと待っとってください」

 そう言って薫もまた刀身を鞘から抜いた。息を整え、氣を高める。

 その彼女に目だけで了承の合図を送って、耕介は再び御架月の方に向いた。薫と十六夜に聞こえないように小声で話しかける

「御架月。今日これからの仕合。一切サポートしなくていいから」

「え?」

「今日は俺独りでいい」

「しかし薫様は……」

「うん。十六夜さんとのコンビで来るだろうね。そう言っておいたから」

「それでは耕介様が絶対的に不利じゃないですか」

「試したいんだ」

「……え?」

「今の俺が、昔とどう違うのか。それを知っておきたい」

「………?」

「だから……頼む」

 真正面から見据えられて、御架月は思わず身体を硬直させた。

(本気だ、この人は)

 そう確信する。それと同時に、今の耕介に何を言っても無駄だと、御架月は察していた。それでも確かめずにはいられなくて、恐る恐る聞いてみる。

「耕介様が何をお考えなのかはわかりませんが……その、大丈夫なのですか?」

「ああ。一本決まったら終わりってことにしてあるから、その点は大丈夫。受験を控えた学生に怪我させるわけには行かないしね。あ、腕が下の俺が言っていい台詞じゃないね、今のは」

 そう言って、耕介は笑った。

 それを見て御架月は少しだけ安堵した。仕方ないといった笑顔を耕介に返し、そして、

「わかりました」

 と小さく頷いてみせる。とその時、向こうで鳴っていた剣を振る音が止んだ。

「お待たせしました」

 薫の準備運動が終わったらしい。

 十六夜が彼女の傍に付く。同様に、御架月も薫と距離をとるため移動した耕介の下に飛んだ。耕介をサポートをしないことを薫にばれないようにするためと、姉へのカモフラージュとして。

「じゃ、始めようか」

 耕介の一言で、辺りの空気が一変する。

 午後九時。

 本格的な夜は、これからだった。 

 

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