◇

 

 同刻。

 

 夜は嫌いじゃない、というのが彼の持論だった。

 澄んだ空気は人の心にも浄化作用を働きかけると、そう思うから。

 が、それも時と場合に寄るものだなと実感しながら、彼は目の前に静かに立っている少女に向き直った。投げやり気味に、呟く。

「で、なんだってこんな日に現れるかな」

 それを聞いて、少女はさも意外というふうに眉をひそめた。

「貴方の条件どおり、お独りのときになるのを待った結果です」

「ああ、そうだろうな」

「そういう貴方はここで何をしていたのですか?」

 逆に問われて、双真は黙り込んだ。

 何をしていたかと聞かれれば、それはもうひとつしかない。待っていたのだ、目の前にいる少女を。

 根拠など何もなく、双真は今日の夜、彼女がここに来ることを予感していた。

 そして案の定、彼女は現れた。前回よりも遥かに早い時間だというのに。それとも、前回もこの時間からこの公園で待っていたのだろうか。あの時はこちらの仕事の都合でたまたま遅くなっただけで。

 考えた結果、双真は答えをはぐらかすことにした。どちらにしろ、これからやろうとすることが変わるわけでもない。

「さてね……。それより、この前もそうだったけど、なんだってお前はそう律儀に正面から来るわけ?俺を殺したいなら不意打ちでもなんでもすればいいだろう?」

「……前にも言いました。貴方を殺すことが私の生まれた理由を知るためだと」

「それは聞いた」

「しかし、それは貴方と戦って勝つという大前提の下に生じたものです。だから、不意打ちで貴方を殺しても意味がありません」

「殺しに意味があるとかないとか、そんなこと関係ないだろうに……」

「貴方にはわかりません」

 鼻で笑った双真に、少女きっぱりと言い切った。

「分かるわけがないだろう、俺はお前じゃないんだから。まあそんな御託は続けても平行線だろ?いいからとっととかかって来な」

 言って、人差し指で挑発する。

「では……いきます」

 それが、戦いの合図となった。

 瞬間、彼女の姿が視界から消える。だが双真は落ち着いて気配を張り巡らせ、目で追わずとも少女の位置を把握していた。軽く身体をひねり、右足を半歩だけ前に出す。そのまま片足で踏み込み、後方に跳んだ。その勢いで、彼の後方に回り込んでいた少女の右拳をあいた左足で蹴り上げる。

「くっ!」

 攻撃の目を潰されたことと、拳を直接攻撃された痛みに、少女は声を上げた。蹴られた反動で、彼女の体勢が崩れる。間髪いれずに、双真は第二撃を少女の顔面に叩き込むべく右足をくりだした。

 が、これは彼女の両腕で防がれる。

 そのまま衝撃に身を任せて、少女はさらに後方に飛ばされた。

 その姿を見送りながら、

「相変わらずとんでもないな、そのスピードは」

 というのは双真の独り言だった。別に返事を期待したわけでもなかったが、起き上がった少女は律儀にもそれに答えてきた。

「貴方のほうが迅いでしょう」

「そんな華奢な身体と一緒にするな」

「そうですか?」

 そう言った瞬間、少女は再び間合いを詰めた。今度は真正面から向かい、拳を繰り出す。が、それを冷静に捌こうとする双真の面前で拳を止め、彼女は一気に横へ跳んだ。

(フェイント?)

 てっきり真正面からくるだけかと思っていたため、逆に双真は完全に不意を付かれた形になった。慌てて、少女が跳んだほうに視線を向ける。と、そこにあるのは錆びついたベンチだった。それを隔てて、少女の姿を確認する。

 次の瞬間、ガンッ!という音を立てて飛んできたのはそのベンチだった。

「げっ!」

 横に避けるのは間に合わないと読んで、双真は上に跳んだ。

 だが少女は彼の動きを予想していたらしく、すでに次の動作を開始していた。彼よりもさらに高く跳躍し、先程拾ったらしい、手にすっぽりと収まる程度の石を思いっきり双真に向かって投げつける。

「うわっ!」

 らしくない声を上げて、彼はなんとか空中で体勢を変えた。身体をかすめて飛んでいった石は、向こうの滑り台に命中して、鉄製の土台をいともあっさりと打ち壊す。

 それを見て、双真の額に冷汗が流れた。あれに当たったらと思うとぞっとする。確実に身体に穴が開いていただろう破壊力。着地して滑り台の方を覗き見ると、この公園で唯一使えそうだった一品が見る影もなく消滅していた。一方避けられたほうの少女はさほど落胆もせず、再び石をその手に取る。

 その少女の方に向き直って、双真は独りごちた。

「馬鹿力」

「…………」

 てっきり反論があるかと思ったが、少女は無言で二投目を振りかぶった。ブンッという空気の震える音が、こちらまで聞こえてくる。

 物凄い勢いで顔面めがけて飛んでくる石を、しかし双真は首をひねるだけで避けて──

 その瞬間、彼は少女の姿を見失った。

「え?」

 思わず声を上げる。先程の攻撃で首を動かしたとはいえ、彼は決して少女から目を離してなどいない。

だが事実として、彼女は忽然と姿を消していた。

 気配もまた、完全に消えている。

 さすがに驚いて、双真は急いで感覚を広げて少女の気配を追った。

「…………」

 静寂が辺りを包む。滑り台を破壊した音は決して小さくは無かったが、その音を聞きつけた一般人がやって来る気配はまだ無かった。

 秋の虫の音が響く。

 肌に感じる沈黙は一瞬か永遠か。

 そして、それは唐突にやってきた。

(下?)

 殺気が、彼の真下で膨らむ。そう判断するよりも早く、双真は後方に跳躍していた。身に降りかかる危険に、意識よりも身体が先に反応する。その彼の跡を、気配だけが静かに追いかける。

(なんだ?何故姿が見えない)

 この時初めて、双真は一向に姿が見えない少女に対して警戒の色を示した。

 彼女を、自分の命を狙うものとして認識する。

「ちいっ!」

 着地すると同時に、双真は思いっきり地面を踏み込んだ。乾いた地面が轟音を立て、土煙をあげて割れる。

 その土煙の微妙な変化を読み取って、双真は少女の位置を瞬時に把握した。

(右斜め後ろ)

 考えるよりも早く、敵を殲滅するために身体が動く。が、右腕で放った裏拳は、少女の小さな掌であっさりと受け止められた。

 その双真の右腕に体重をあずけながら、少女は彼の顔面向けて膝を繰り出す。避けられる間合いはなかった。確実に直撃するその攻撃に、だが双真は冷静に頭突きで応戦する。

「くっ!」

 以外にも、それで悲鳴を上げたのは少女の方だった。

 だがその一瞬で、双真はあいている左手で彼女の身体を完全に捉えていた。

「捕まえた」

 その左手を引き寄せる。それにつられて少女も彼の胸元に寄せられた。そして──迎撃する余裕の無い少女のみぞおちに、双真は容赦なく拳を繰り出した。

 どごぉっと、その拳に肉を通り越して骨の感触が伝わってくる。

「あ、しまった」

 その反動で軽く二十メートルは吹っ飛んでいく少女の身体を見上げながら、双真は思わず声を上げた。

 やりすぎたと実感する。今の攻撃は確実に急所への一撃だった。

「………死んだ……かな?」

 そう思わせるほど、少女の身体は見事に空に浮き、そのまま地面に墜落した。しばらくは起きられないだろうと踏んで、双真は彼女に近づこうと歩き出す。と、

「かはぁっ!」

 のどに詰まった何かを吐き出すように、少女は咳き込んだ。胸を両手で押さえ、必死に激しく高鳴る動悸を押さえようともがく。当然の反応ではあったが、対する双真の方は素直に感心していた。

 急所への攻撃。死んでもおかしくない程の衝撃に、この少女は耐えている。そんな状態でも、彼女はこちらを見据えて視線をはずそうとしない。まだ戦う意志は残っているらしい。

 だがこの時点で、勝負は完全に決していた。

「さて、どうするかな」

 呟く。だが本当のところ、双真は彼女に止めを差す気は無かった。

 そもそも彼女の襲来を認めたのには、双真にも思惑があったからだった。

 今、普通に社会人として暮らす自分が本当は何を求めているのか。この少女との戦いでそれを知るために、彼は今日の襲撃にも応じた。

 結果は圧勝に終わったが、双真は満足などしていない。

 能力者であるはずの彼女がまだ、その能力を使っていないからだ。にも関わらず、彼女の動きそのものは前回よりも遥かに凄まじいものだった。

 だからこそ、この少女が本気を出したところを見てみたい。

 俺を本当に殺すことができるのかどうか、この身でもって試してみたい。

 それが双真の本心だった。そんなことを考えながら、少女に近づく。あと数メートルというところまで近づいた時、

「それまでだ」

 低い、男の声が公園に響いた。

 公園に足音もなく入ってきたのは、黒いスーツに身を包んだ、いかにも筋者ですといわんばかりの男だった。

 双真もすぐに察知する。

 この場面での登場で、考えられるこの男の役割はただ一つ。

 つまりこの男は、少女の監視役なのだ。

「誰だ?」

「甲龍様の手の者だ。悪いが、今日はここで引かせてもらう」

「ああ、いいよ」

 少女に近づき、男はその首筋に手刀を当てて彼女を気絶させた。その身体を軽々と持ち上げて肩にかける男に、双真はあっさりと言ってのけた。

「その子が起きたら伝えてくれ。また来いってな」

 男は双真の態度にいささか不審を抱いていたようだったが、やがて顔だけこちらに向けて、男は口を開いた。

「何故だ?」

「試したいからさ」

「?」

「彼女が本当に俺を殺すことができるのかどうか、興味がある」

 その返答にやはり男はいぶかしげに眉をひそめた。が、すぐに何かを思い直したようにうなずいて、公園の出口付近で立ち止まる。

「伝えておこう」

 やっと聞こえるぐらいの小声でそう言って、男は少女を担いだままこの場から去っていった。

 公園に、再び静けさが戻る。

 男の後ろ姿を見送りながら、ふと双真は右腕に違和感を感じて袖をめくった。

「………火傷?」

 確かに、見た感じの症状は火傷に似ていた。服には何の痕もないのに、腕に小さな炎症ができている。

 どこかで擦ったのだろうか。いや、それなら服が破れていないのはおかしい。

 考えられる原因は一つしかなかった。

 すなわち、あの少女によるもの。

 おそらく何らかの『力』を使ったのだろうが、それが何なのかは、今の時点では双真にはわからなかった。

 

 

<<BACK      NEXT>>