…

 

「おにいちゃん、起きてる?」

 どたばたと足音を立てて、部屋に入ってきたのは知佳だった。

 心なしか、服のところどころが少し焦げている。

「起きてるよ」

 顔だけをそちらに向けて答える。

「で、何があったんだ?凄い音がしたけど」

「えーとね。リスティとちょっと喧嘩を……」

「また?」

 嘆息気味に呟く。

 だがそれは、予想できたことではあった。普段から性格が百八十度違う二人は、仲がいい割には衝突することが多い。

 彼女たちの場合、それがエスカレートすると、雷と光のエネルギーのぶつかり合いで今日のように爆音が響き渡ることになる。

 後の片付けを考えると、頭が痛かった。

「でも大丈夫だよー、建物は壊してないし。でもちょっとお兄ちゃんのお気に入りの花瓶をいくつか壊しちゃったから、謝りに来たの。ごめんなさい」

「ああ、いいよ。今度は気をつけなさい」

「うん」

 そう言って知佳は舌を出して笑った。

 仕方ないなとため息をつきながら、それでも一応、注意しておく。

「でも、散らかした花のほうは、ちゃんと後で愛さんと十六夜さんに謝っておくこと。それから、壊した花瓶は自分たちのお小遣いで買ってきなさい」

「はーい」

 反省したように頷く知佳に、耕介は先程の疑問をぶつけてみた。

「ところで、知佳。俺、昨日どうしたんだ?」

「あ、やっぱり覚えてないんだ」

 そう言って、知佳は耕介の寝そべるベッドに腰を下ろした。

「昨日、薫さんとの特訓の最中に、真雪お姉ちゃんがお兄ちゃんに向かっていきなりフライパン投げたの。それがお兄ちゃんの頭に命中して。お兄ちゃん気を失ってたんだよ」

 なるほど、と頷く。そう言えば、視界の端にフライパンが見えたような気がした。

 あまりに場違いな代物だったから夢かもと思っていた。

 それで気を遣って、今日は起こしてくれなかったらしい。日曜ということもあるだろうが、それにしても寝すぎたと悔やむ。

「一応頭にできてたこぶは、十六夜さんが治してくれたんだけど。ここまで運ぶの大変だったんだよ」

「知佳が運んでくれたのか?」

「うん。張本人のおねえちゃんなんか、お兄ちゃんが気を失ったことを知ったらさっさと部屋に戻っちゃうんだもん」

「そっか。ありがとな、知佳」

 と、耕介は妹の頭を撫でた。

「えへへへ。どういたしまして」

 照れる妹をかわいく思いながら、しかし耕介はまだ心の疑惑が全て晴れたわけではなかった。

 聞かなければならないことがある。

 ふと真剣な表情を彼女に向け、耕介は口を開いた。

「なあ、知佳」

「ん?なぁに?」

「薫は、生きているか?」

 その質問に、彼女の表情が一瞬強張ったのがわかった。

「え?なに、いきなり?」

「薫は、無事生きてるかって聞いてる」

「……えっと。どうしてそんなこと聞くのかわからないけど。薫さんは無事だよ」

 しどろもどろに、知佳は答える。

 だが……。

 その反応だけで十分だった。

 薫は無事。その言葉もまた、耕介の言葉を暗に示唆している。

 つまり、昨日のことは夢や幻でもない。

 確実に。己の意思で。耕介は彼女を殺そうとしたのだ。

「おにいちゃん?」

 不安そうにこちらを覗き見る知佳の頭を撫でてやって、耕介は言った。

「知佳。薫と真雪さん、それから十六夜さんと御架月を呼んできて」

「え?」

「頼むよ……」

 力なく言葉を紡ぐ耕介に、知佳はそれが重大なことだと気付いて立ち上がった。

「うん。ちょっと待ってて」

 やってきたときよりは少し大人しめに、パタパタと音を立てて、彼女は部屋を後にする。

 閉まるドアを見つめながら、耕介は起きたばかりの思考を巡らせた。

(覚えている)

 昨日の特訓。薫との戦闘において、耕介は自分を見失った。

(いや、違う)

 あれは、一般的に喧嘩などで言うキレたとか、無我夢中になって我を見失ったという類のものではなかった。

 あの時、耕介は正常だった。自覚がある。あれは、昔何度も体験した感覚。

 例えるなら別の思考とでも言うのだろうか。命の危機に反応して沸き起こったもの。

 破壊衝動。

 その欲求という第二人格が槙原耕介という理性を覆したのだ。『破壊者』という名の、彼のもう一つの顔。

(双真に会ってからだ……)

 心の中でぼやく。

(あいつに会って、テロリストの話を聞いてから、少しずつ昔の感情が戻ってきている)

 昨日の昼。神楽双真との会話。久々に会った友人の持つ、暗闇に触れて。

 我知らず、耕介は己を昔の自分に変移(シフト)していた。

 それは決して双真のせいではない。この件に関しては、彼もまた被害者なのだ。耕介自身、それが責任転嫁だということもわかっていた。けれど、そう思わずにはいられない。

 ここに来て。

 さざなみ寮という平和な土地に来て。

 管理人代理から正式に管理人に就職して。

 寮生の世話を焼いて。

 トラブルや面倒なことも多々あったけれど。

 その分皆との絆が深まったような気がして。

 この寮で、皆の帰りを、温かいご飯と綺麗な部屋、太陽の匂いがする布団を用意して待つ。

 例え、ここでの暮らしが一時だけのものだとしても、たまに遊びに来れば、お帰りと言って出迎える。

 ここはそんな場所。

 寮に住む皆が家族になれる場所。

 だから………。

 忘れていた。

 自分がどれだけ危険な人間なのかを。

『破壊者』がもたらすだろう最悪の場面は、今までの経験上容易に想像できる。

 昨日のことは、その一端に過ぎない。

「俺が……薫を殺そうとした」

 呟く。そして、それがいかに恐ろしいことであるかを実感して、耕介は全身に鳥肌が立った。

 そして迷う。

 今度また同じように仕合をして、自分が『破壊者』として意識を転換するようなことがあれば、確実に薫を殺すかもしれない。昨日それを止めようとした真雪すらも巻き込んで。

 なまじ神咲一灯流、無尽流を習ったことで、耕介は『HELL&HEAVEN』の幹部であった頃に比べ、比較にならないほど強くなってしまった。それが、結果的に彼を『破壊者』に変移しやすくしてしまっている。

 そもそも『さざなみ寮の管理人』としての自分と、『破壊者』しての自分はどちらも真実で、どちらも槙原耕介であることには違いない。

 そして今回の件で、彼が記憶の底に押しとどめていた『破壊者』が呼び起こされてしまった。双真に会っただけで変わってしまったということは、それだけ耕介自身が、『力』を渇望しているということに他ならない。

(昔と違って制御できなかった。結局、それが俺の本質……)

 誰よりも深い闇を内包した人間。その闇を封印した気になっていただけだったことを、深く後悔する。

 もう止まらない。

 一度覚醒した以上、次はどんな拍子に変移するかわからない。

 強すぎる力は、やがてバランスの取れていた世界の均衡を破壊する。

 ならば先日双真が言ったとおり、

(俺は、ここを去るべきだ)

 そう思う。

 いずれ誰かを傷つけるならせめて。

 ならせめて、彼女たちだけでも自分から遠ざけたい。自分を、彼女たちから遠ざけたい。

 けれど。

 その『破壊者』たる自分を忘れ去るほど穏やかなこの地に──

 このさざなみ寮に。

「ここに……いたい」

 それもまた彼の心の底からの切望だった。

 

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