◇

 

「お待たせ」

 そう言って向かい側に座り、彼女──エリザは傍にいたウエイトレスにコーヒーを注文した。

「いや。まだ三十分ほど早いが……」

「仕事が早く片付いたから。それに、毎週日曜の午後五時に翠屋でケーキセットを頼んでいる目つきの悪い男性常連客の情報ぐらい、私が知らないと思う?」

 薄手のコートを脱ぎながら、彼女は言ってのけた。

「それで、何?急に呼び出したりして」

「お前──というよりも夜の一族には記憶を消す術があったな」

 唐突にそう振られ、エリザは言葉に詰まった。その真意がわからず、眉をひそめる。

「一度に数人の記憶を操作すること、できるか?」

「できなくはないけど……って、神楽君。何に使うつもり?」

「耕介関連で、ちょっと必要になるかもしれない」

 その言葉に、エリザの目が見開かれた。

「まさか……さざなみの……」

 双真はそれには答えなかった。だが彼女も敏感に空気を読み取っている。

 沈黙は、すなわち肯定の意。

「後で、いくらでも報酬は払ってやる。今後、といっても明日には俺が直接耕介に接触するから、その時術が必要かどうかがわかる」

「何を……するつもりなの?」

 そう問われて、双真は彼女の顔を真正面から見た。静かに告げる。

「あいつを、殺す」

 

      ◇

 

 逃げる者、怯える者を殺すことは簡単だ。

 命の危機に瀕した時、そういう奴らはその時点で既に生きる権利を放棄している。

 だから、容易にその命を奪える。

 だが──

 怯えず、自分の意思と信念を持って、命の危険すら顧みず向かってくる人間を殺すことは、実は意外と難しい。

 故に、『破壊者』となった槙原耕介という野生の獣を殺すことは、そうやすやすと達成できるものではない。

 

      ◇

 

「正直、やってみないとわからない。最悪の場合は共倒れだ」

「何を考えてるの?一体……」

 が、その疑問には答えず、双真は続ける。

「人間一人の死体の隠蔽処理。並びに奴に関係のある人物の記憶の操作。できるか?」

「できないわ」

 あまりにも一方的な双真に、さすがにエリザも怒気を含めて言った。

「なにも説明しないで、協力だけしろ?ふざけないで。忘れたわけではないでしょうけどね、言っておくわ。私は貴方の協力者ではあるけど、味方でも仲間でもないのよ?」

「知っている」

「いいえ。わかっていない。大体、昨日調べろといった件にしたってまだ調査できてないのよ?いくらなんでも、そんなにぽんぽんと頼みごとを聞けるほど、こっちも暇じゃないの」

「それも分かっている」

「ホントかしら?」

 鼻で笑って、彼女は気を落ち着かせるために、ほどよく苦い黒い液体を喉にコクリと流し込んだ。

「ふう」

 言いたいことを言って落ち着いたのか、軽くため息をつく。

「理由は……話せないの?私には」

「…………」

「彼を殺して。さざなみ寮の女の子たちから彼に関する記憶をあいまいにして。それで、貴方はどうするの?後は甲龍とあの少女もついでに倒して終わり?」

「………そうなるか」

「ふう」

 また、ため息。

「質問を変えるわ。神楽君。貴方はなんでこの街に来たの?槙原君よりも早く、この海鳴市にたどり着いた理由はなに?なんとなくって返答は認めないからね」

 問われて、双真はふと視線を彼女からはずした。しばらく考え込み、自分で確認するように、呟く。

「……会えそうな気がした」

「誰に?」

「俺を殺せる奴に」

「え?」

 それは、エリザが予想もしない返事だった。

 自分を殺せる存在を探す。

 その意味がわからない。

「自殺願望、っていうわけでもないのね。どういう意味?」

「そのまま。言葉どおりの意味。能力を全開にした俺と殺しあって、結果、俺に勝てる奴」

「……戦って死にたいって。そういうこと?」

「違う」

 いまだよく理解してないエリザに、双真は端的に否定した。ゆっくりと、彼女にも理解できるように、続ける。

「エリザ。お前、自分がなんでこの世に生を受けたか、考えたことあるか?」

「……あるような、ないような……」

「どっちでもいいが、本来、自分の存在を疑問に思った時点でその人間はそこで死ぬ。けど、夜の一族であるお前も、能力者である俺も、普通じゃない。何故このような存在として生まれたのか。理由があるんだ。必ず。どこかに」

「……そんなの、生きてるうちにわかるのは仙人か宗教家くらいよ」

 と、エリザは呆れたように言った。だが双真は、小さく笑ってそれを否定する。

「そうでもない。自分が何のために生まれたのか知りたければ、死んでみればいいんだ」

「はい?」

 本当に、今日の彼はわけがわからない。そう思いながら、エリザは聞き返した。

「死んだら、わかんないじゃない」

「世界がそいつを必要としているなら、そいつは死なない。死のうとしても、世界がそれを拒否する」

「神楽君?」

「つまりは、自分がどういう存在であるかを知るには、自分を殺せる奴を探せばいい。世界がそいつに何かをさせたいのなら、死ぬことはないからな。決して」

 無茶苦茶だと、エリザは思った。

 そんなのは、論理じゃない。理論でもない。ただ自分の暴走に理由をこじつけているだけに聞こえる。

 夜の一族として。吸血種として。

 自分が生まれた理由を、考えなかったわけではない。だけど、彼のような考えを持ったこともないことも事実だった。

 いくら夜の一族だ、吸血種だと呼称しようと、結局は自分たちは『人間種族』の亜種に過ぎない。

 ずっとそう思ってきた。

 中世ヨーロッパにその生をうけて、その長い人生の中で人間たちの魔女狩りや吸血鬼狩りも経験した。けれど、人の世に身を任せて生きるようになった以上は、その出生や吸血性という秘密があるだけで、その人生──多少人よりも長く生きるけれど──は、やはり人と変わりなく、生まれて、学校に行って、就職して、結婚して家庭を作って、そしていつかは死ぬ。

 それでいいのだと思っていた。人ひとりにできることなど限られている。夜の一族の自分でさえ、それは変わらない。自分に世界の何かを変える力があるとも思えない。

 それは彼もわかっているはずだ。能力者であろうと、できることなどほんの小さなことに過ぎない。

 けれど──

 彼がその本能と理性でそう感じているのだとしたら。

 一体何が正しいのだろう。

「世界は自分に味方する者を助く、ってな。いずれわかるさ。それこそ一生をかけて(・・・・・・)

「………」

「で、話を戻すが……」

 と、双真は彼女に向き直った。

「先程の件。頼まれてくれないか、エリザ」

「…………もう一度聞くけど、理由は話せないの?」

 そう問われ、一瞬双真は迷ったようだった。が、理由も話さずに彼女に協力を仰ぐことを無理だと感じたのか、彼は不承不承といったふうに話し始めた。

「……約束」

「約束?」

「俺たち六人、いや、ひとりは死んだから残り五人か。ともかく、今後耕介が『破壊者』としてその力を暴走させることがあれば、俺たちの誰かがあいつを殺す。耕介が『HELL&HEAVEN』に留まることの条件に、俺たち元幹部の七人の間で交わした約束」

「だから、彼を殺すの?」

「力が暴走すれば。だから、結果は明日にならないとわからない」

「明日?」

「昨日の夜、あの少女の襲撃があって……」

「え?」

「いや、すこし火傷を負っただけで、それは問題ない。その後、国守山の方向から随分と懐かしい気配を感じた。『破壊者』の気配。間違いなく、あいつは覚醒している」

 その言葉に、エリザは唾を飲んだ。

 展開が速すぎる。

 神楽双真と槙原耕介が再会したのは昨日。その日のうちに彼は『破壊者』に変移。そして明日には、彼らの今後が決まる。

 生か死か。どちらにせよ、やらなければならないことが多いのはエリザだけではなかった。彼ら二人もまた、それだけでなく甲龍との戦いが待っているのだ。少女の存在もある。

 そんな彼女の心情を他所に、双真は続ける。

「明日。あいつと会って、どうするかを決める。最悪の場合、あいつを殺す。さらに状況が悪化すれば共倒れの可能性もある。どっちにしろ、死体の処理とその後の隠蔽工作を頼まざるを得ない」

「…………」

「現在、天涯孤独の俺に、このことを頼める奴は他にいない。仲間連中はそのほとんどが日本にいないし、いる奴も、今は警察の管理化にあってそんなことを頼める状況じゃない。だからエリザ、お前に頼むしかないんだ」

 そう言って軽く頭を下げる双真に、彼女は仕方ないわねと、頷いた。

 彼がそんな態度を取った事に対する驚きと、それによって生じたなんとも言えない不可解な気持ちを抱えながら。だけどそれが、不思議と不快ではないことに自分自身に驚きを感じながら、エリザは最後に彼に聞いてみた。

「ねえ、あなたにとって、『HELL&HEAVEN』の仲間って何?」

 その質問に、双真はまた迷いを抱いたようだった。言葉がうまく出てこないのか、眉をひそめて考え込む。しばらくして、伝票片手に立ち上がった彼は、やっと聞こえるぐらいの小声で言った。

「さてね。俺が知りたいよ」

 そう言い残して、彼は翠屋を去った。

 

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