8
沈黙が降りる。
誰も、何も話そうとしなかった。
耕介の話は、それほど現実離れしていたのだから。
過去、彼が『HELL&HEAVEN』という暴走族の幹部で、有名になりすぎるくらい暴れていたところまではいい。
それを言うなら、真雪だって昔はかなり名の馳せた不良だったから人のことは言えないし、HGSの能力のために荒れていた知佳も大して差はない。組織に強制的に戦闘訓練を受けたリスティも同じだ。
つまりは、暗い過去を持つことに関しては、誰もが持つ一面としてわかる。
だというのに……。
理解できない。
リスティや知佳、美緒、十六夜、御架月などの不可思議な存在を、あっさりと容認できる彼女たちでさえ、耕介の話についていくことができないでいた。
『破壊者』──
すべてはそこに集約される。
「わからないのはさ。その『破壊者』ってのが、何者かってところだよ」
しばらく続いた沈黙を破ったのは真雪だった。
「二重人格でもないって耕介は言った。けど、昨日のあれみたいに、『破壊者』になってた時のお前は、どう見ても普通じゃなかった。ああいうの、二重人格って言わないのか?」
「二重人格にもいろいろあると思いますけど」
薫が受け継ぐ。が、耕介はそれをさえぎって、
「俺の場合は違います」
断定する。だが真雪は納得がいかない様子だった。
「なんでさ?」
「真雪さんは仕事をするとき、思考を仕事用に切り替えるでしょう?皆だって、というより人間って、何かをする時はそのことだけを考えるでしょう。それと同じなんですよ。『破壊者』は、俺の戦闘用の思考なんです。内にある破壊衝動をただ増幅するだけの代物です。実際に行動するのは、やっぱり俺自身なんですよ。俺の意思で動いて、敵を殲滅します。だから……」
そこで、耕介は一度言葉を切った。
薫のほうを見る。彼女もまた、理解のできない話に混乱しているのか不安そうな表情を浮かべていた。
その薫に、今から言うことは残酷だとわかっていた。だが言わなければならない。
自分でそう決めたのだから。
「昨日、薫を殺そうとしたのも、俺自身の意思なんだ」
ビクッと薫の方が跳ね上がった。
一番聞きたくなかった言葉を聞いて、彼女たちの表情に影が落ちる。
「…………なんで?」
涙混じりに、そう呟いたのは知佳だった。
「なんでそんなこと言うの?お兄ちゃんが、そんなことする分けないじゃない!」
「知佳……」
「そうですよ!」
知佳に続いて、声を上げたのは愛──
「耕介さんがそんなことするわけがありません!例え、昨日の件についてはそうだとしても、耕介さんは正気じゃなかったんです。そうに決まってます!」
「………………」
「だから、耕介さんは気に止む必要なんてありません!」
「そうだよ……」
と、リスティも母の言葉に賛同する。
「耕介が気にする必要ない。ね、薫?」
「はい!」
「ほら、薫もこう言ってるんだしさ。気にすることないって。なんだったらいい精神カウンセラーの先生、紹介しようか?」
「リスティ、それはちょっと……」
みなみが小声で注意する。
「そうだな、海鳴大学病院には精神科もあるし」
「真雪さんまで……」
困ったように慌てるみなみの様子に、耕介も笑った。
「ははは。いいよ、みなみちゃん。リスティが言う通り、やっぱりちょっとおかしいんだ、俺は……」
「あ、いや、冗談、なんだけど……」
逆に慌てるリスティに、耕介は笑顔を返す。
「大丈夫だよ、ちゃんとわかってるから。そういうことじゃなくてさ、『破壊者』なんてものを内包している俺という存在は、やっぱりどこか逝かれてるんだ」
「耕介……」
「昔、俺はそれだけ荒んでた。自分の周りにいる連中すべてを信じられなかった。まあ、家族や、昔から付き合いがあった真由や瞳は別としてもね。『破壊者』はね、そう言った敵から身を守るために、そう言った敵を倒すために生まれた存在なんだ。わかっていたことだけど。心の頻繁な入れ替えは、心身に負担をかける。そうして俺は、精神が不安定な成長期に決して消えない傷を作ってしまった。昔に比べて、心のたがが外れやすくなってしまった。だから、『HELL&HEAVEN』を解散してからは抑えていたものが、また開放されてしまったんだと思う」
「お兄ちゃん……」
「耕介様……」
「大丈夫ですよ」
まるで自分に言い聞かせるみたいに、愛が言った。
「愛さん?」
「耕介さんは大丈夫です」
再度、呟く。
「きっともうあんなことにはならないですよ。現に今は普通じゃないですか。そしてまた明日から、いつもどおり皆で暮らせます。だから……だから……」
ふと、皆が愛のほうに視線を向けると、彼女は泣いていた。
「愛……」
「愛お姉ちゃん……」
「だから、耕介さん。ここを──さざなみ寮を出て行くなんて、言わないですよね?」
その愛の言葉に、皆がはっとしたように身を固めた。
それが、一番恐れていたこと。
耕介の部屋に来て。彼の話しを聞くうちに誰もが心の内に感じていた不安。
考えるだけで悲しくなる未来。
寮に帰ってみても、誰もいない。いや、耕介がいなくなっても、さざなみ寮に人がいなくなることはない。そのつもりはなくても、いつかまた必要に駆られて新しい管理人を雇うかもしれない。けれど、男性でありながら、女性ばかりの寮生の世話を下心なくできる人がそうそういないことくらい、皆わかっていた。
朝早く起きて、掃除して、朝食を作ってくれる人。
暇を見てはお手製のおやつを作ってくれて、
天気が晴れていれば布団を干して、本来自分でする決まりになっている洗濯をしてくれて、
また夕方には夕食を作って、皆の帰りを待っていてくれる。
こちらの頼みを、たまにいやな顔をしながら、でもちゃんと聞いてくれる人。
自分同様、寮生の笑顔を見ることが好きな人。
頼りになる人。
皆にとって、愛にとって、槙原耕介とは、そんな存在。
天涯孤独になってしまっている愛にとっては、血のつながり以上に大切な人。
だから傍にいてほしい。
家族として。そして願わくば、いつかは恋人として。
だから、耕介が管理人として寮にいるのが当たり前になっている今、そんな未来を考えるだけで、愛の頬に涙が流れた。
だが、それは何も愛だけではなかった。
皆も同じ思いで、耕介を見つめる。
耕介の叔母であり、前管理人である一ノ瀬神奈がここを出る時は、今みたいな悲しい気持ちはなかった。普段お世話になっている感謝の気持ちで送り出したわけだし、まさか向こうで恋人を見つけるなんて思いもしなかったのだから。
その神奈が留守の間、代理を任された人物が耕介だった。
彼がさざなみ寮に来た当初──
美緒は明らかに嫌悪した。
理由は、父・啓吾と母親同然の神奈の居場所がなくなると思ったから。結局、虎猫の小虎を助ける際に和解し、以後耕介になつくようになる。
けれど、助けてもらったこと自体はほんのきっかけに過ぎなかった。
あの日、木の枝から落ちた美緒を、耕介は怪我をしてまで助けた。その後、腰が抜けて立てなくなった彼女を抱えてさざなみに変えるまでの間に、彼の心に一時だが触れた少女は、この時耕介が決して敵じゃなく、自分の身を案じてくれる父や神奈と同じだと悟ったのだ。
敵でない者に牙を向かない。それは自然界の掟。
本能的に、美緒は耕介を見方として受け入れていた。
その後耕介が、美緒にとってもう一人の父であり、兄になるのにそう時間はかからなかった。
その美緒と同様に、耕介の管理人代理を反対したのはやはり薫だった。真面目一本気の彼女は、年頃の女性ばかりの女子寮に男が入るのは不謹慎だと考えていたし、ましてや世話をする側の管理人が男性だという点に、知佳や愛に押し切られはしたものの、決して納得などしていなかった。
間違いが起きればいつでも耕介を追い出す気でいたし、それにより親戚の愛や神奈の信頼を裏切ることになることになれば、決して許すつもりなどなかった。
けれど、そういう心配が杞憂だったことは、今ではもうはっきりと言える。
あの時──耕介がさざなみに着てから数日後。
まず美緒がなついたことに驚かされた。あの猫娘が、他人の大人の男性に気を許すなど、最初の態度からは決して想像できなかったから。次の日には知佳の病気のことを知っただけでなく、彼女と兄妹の契りを交わしていたし、普段表には見せていないが、基本的に人間嫌いの気がある真雪と酒を飲み交わすことであっさりと打ち解けてしまった。
それから数日をすごして、耕介はさらに寮になじんでいった。その寮生の中では一番、耕介に気を許すのが遅かっただろうことは、薫自身も自覚していた。
自覚してもどうにもならいこともある。十六夜のこと、自分の出生や、仕事のこと。
そう言った要素が重なって、彼女自身、耕介がいい人だとわかっても素直に気を許すことができなかったのだ。真面目だという自分の性格は嫌いではないが、こういう頑固さはいやだった。
退魔士の家系において、史上最年少ながら一灯流、そして『十六夜』を継いだ薫は、母・雪乃が病弱だったため裏の一灯流を継げなかったことから、周囲の期待を一身に受けて育った。
期待といっても、そう甘いものではない。四百年前に興った神咲家は、その跡取ともなると相当厳しい試練が待ち受けている。さらには長女ということもあって、彼女は基本的に甘えるのが苦手だった。
泣けば殴られるという環境にあっては仕方ないかもしれないが、薫は自分の弱い部分を他人に見せることを嫌った。
硬派と言えば聞こえはいいが、要するに人付き合いが苦手なのだ。
そんな彼女にとって、耕介は少し微妙な存在だった。
管理人。愛の従姉弟。知佳の義兄。十六夜の茶飲み相手。そして──
おそらく、交通事故で子供の自縛霊を退治した後。
落ち込んでいたところを彼に励まされ、そして自分の進むべき道に自信を持つことができて、それと同時に気付く。自分がどれだけ耕介を頼りにし、支えられてきたか。
恋。と呼ぶにはあまりにも小さな気持ちかもしれないけれど。
それでも彼を好きなことには変わらない。
自分はやがてさざなみを出て、退魔士として全国を行脚することになる。けれど、耕介はさざなみ寮で管理人を続けるだろう。これまでと変わらない空間を守っていくために。だから、いくら彼が神咲の剣を習い、『御架月』の遣い手となったとしても、自分とは進む道が違うことを、薫はわかっていた。
恋人関係になりたいという気持ちがないといえばうそになるが。
だからどうしようという気持ちは、薫にはなかった。
彼と過ごすこの時間を大事にすればいい。もし耕介が誰か恋人を見つけたなら、自分は祝福しよう。そして、全力で彼の幸せを守ればいい。
好きな人が幸せになることが、自分にとっても幸せなのだという考えは決して間違ってはいないと、薫は確信している。
そう言う幸せがあってもいいはずだと。
けれど──
昨日の耕介を目の当たりにして、薫が感じたのは、紛れもなく恐怖だった。
先程聞いたとおり、あれは『破壊者』としての彼だったのだろう。真雪が動かなければ、あの時自分は死んでいた。
死ぬのは怖い。だが、昨日感じた恐怖はそう言ったレベルのものではなかった。
それは、以前から感じていたもの。耕介が剣術と霊術を習得していくたびに、心のどこかで感じていた恐怖。以前は楽しかった特訓が、耕介が腕を上げていくに連れて次第に気を抜けないものになってしまったことで、それはより一層はっきりと薫の心に具現する。
焦り。
つまりは、自分の腕がいずれ耕介に追い越されることへの恐怖と焦燥感。天才という存在と比べてみた時の、自分の才能の価値がどれほどのものだというのか。
だから、薫はわからなかった。
それも全ては、耕介と共有する時間がなくなることへの恐怖だということを。