◇
「いても……いいんですか?」
力なく呟いた耕介に、皆が力の限り反論する。
「当たり前です!」
「いてくれなくちゃいやだよ!」
「うちもいやです!」
「耕介が出て行くなら、ボクも出て行く!」
「耕介はずっとここにいるのだ!」
「私は、まだ助けてもらったご恩を耕介様にお返ししておりません!」
「僕もです!」
「耕介さん……。耕介さんのご飯が食べられなくなるのは悲しいです」
「いや、岡本君。その発言はどうかと思うよ?」
一人冷静に、真雪が言った。椅子に座りなおして、耕介に向き直る。
「何故、出て行くんだ?」
「俺が危険だからです。昨日のように、いつか皆を傷つけるかもしれない」
「でもそうはならなかっただろ?」
「可能性の話ですよ」
「そっか。なら質問を変えるよ。どうして今になって覚醒したんだ?その……『破壊者』だったか」
「俺が狙われているのは話したでしょう?その原因と思われる昔を思い出してたら、自然に……」
「けど、昔はそいつを抑え込んでたんだろ?なら今度もそうすりゃあいいじゃないか」
真雪の言葉に、皆がその通りだと頷くが、耕介は取り合わなかった。
「俺は別に訓練して『破壊者』を抑え込んでいたわけじゃないです。『HELL&HEAVEN』が解散するきっかけとなったのは、仲間の一人が死んだからですけど。その原因は、俺たちに属していたグループの半数による裏切りでした。残った俺たちも急いで救援に向かいましたけど、結局間に合いませんでした」
「それじゃあ、殺人事件じゃないか」
「でも、警察はただの暴行事件で片付けました。その主犯格は少年院送りになり、九州地方に存在した暴走族や不良グループの八割が、一夜のうちに消滅したんです」
「耕介たちは、何もお咎めなしだったのか?」
「俺たちの元リーダーだった、名鳥十四郎という男が全責任を負って、現在でも警察の監視下にあります。彼の実家は資産家で、私立病院を営んでいるらしくて。残った俺たちの処遇については、彼の実家によって裏工作が行われたと聞きました」
「…………」
「その時思い知りました。俺が『破壊者』を発動させても。他の皆がいくら強くても。そうしていくら不良連中を押さえつけていようと、そんなのは結局力による無理な支配に過ぎなかった。弱い人を傷つけるだけの力に寄り切った連中が許せなかったくせに、自分もそいつらと何も変わらないことを実感して。どれだけ自分が情けなく無力な存在なのかを思い知らされて。悔しくて、悲しくて。そうして、俺は皮肉にも、『破壊者』が生まれた時と同じ理由で『破壊者』を内に閉じ込めました。もう、必要ない。そう思ったから」
耕介は続ける。
独白にも似た、乾いた声で。
「そして昨日。『破壊者』は目覚めました。昔の知り合いに会って、狙われていると知っただけだというのに。しかも、昔と違って制御が利きませんでした。もし今度『破壊者』になって、制御できなければ、きっと皆を傷つける」
殺すことになると言わないのは、彼の気遣いだということを真雪はわかっていた。
皆に走る動揺の影。
そんな彼の昔の話を聞いても──
自分だけは冷静でいるつもりだった。
槙原耕介という男性が、さざなみ寮にとってどういう存在なのか、理解しているつもりでいた。
だとしても。
自分は一体どれだけ槙原耕介について知っていたというのだろう。基本的に過去のことをしゃべろうとしないから何かしらあるとは思ってはいたが、まさかこれほど重い理由があったとは予想していなかった。
猫娘にあっさりとなつかれて、知佳と兄妹の関係になって、さざなみ寮に来たことのある男性については今までにないくらいの速度で馴染んでいった耕介に、真雪自身も好感を抱いていた。まあ、初めは管理人を任せてもいいかな?と思える程度のものではあったけれど。
その後も、少しひねくれている自分に、彼はまあ根気よく付き合ってくれたりもした。だから、彼女が耕介に本当に気を許すのにそう長い時間はかからなかった。
けれど今日、耕介という今まで会ったことのないタイプのモチーフについて、自分が理解していたのがほんの表面だけだったと、今回の件で痛いほど思い知らされた。
あの時。神奈が帰れないと言った時もそうだ。これからも管理人を続けてほしいという神奈の頼みに、「いいの?」と彼が呟いた言葉の意味を、少しでも考えたことがあっただろうか。
神奈は知っていたはずだ。彼の過去を。そしてだからこそ、耕介はこのままここに管理人としているべきかどうか、一瞬迷ったに違いない。
どうして彼からそういう言葉が出たのかなんて、考えもしなかった。それについては、のんきだったと言わざるを得ない。
それと同時に、耕介に対して言いようのない怒りがこみ上げてくる。
何故もっと早く話してくれなかったのだろうか。もしかすると忘れていたのかもしれない。彼に、自分の時間が持てなくなるほど世話を焼かせていたのは、他ならぬさざなみの住人たちだ。だとしても、話してほしかった気持ちに変わりはない。
歯痒かった。今、彼の力になれていないことが。
考える。
耕介がここからいなくなって困るのは、便利な雑用マシーンだからではなく、一人の男として彼を見ているから。そう思うからこそ、彼女は考えた。どうすれば彼がさざなみを出ないで済むのかを。
彼が神奈の後釜を受け入れたのは、彼自身もこの場所が好きになりはじめていたからだ。本質は危険な人間だと耕介は自白したが、そんなのはただのこじつけに過ぎない。
耕介は今、寮生を守るために、自分という危険から皆を遠ざけようとしている。それをやめさせるにはどうすればいいか。
普段漫画と、その他寮の住人をからかう悪巧みにしか使っていない頭を総動員させて、彼女は考えた。
そして。
彼が言っていた先程の言葉を思い出して。
ふと、思いつく。
「制御すればいいじゃん?」
あまりにもあっけなく、そして唐突な真雪の言葉に、
「は?」
と間の抜けた声を上げたのは、他ならぬ耕介だった。
◇
真雪の言葉は、影を落としていた部屋の中に光を差し込んだ。
「昔と違って制御できなかったって言ったろ?なら、制御できるようになればいい。知佳やぼーずだって、そうやって能力のコントロールを覚えたんだ。やって、できないことはないだろう」
そう言ってのけた真雪の言葉に、一様に塞ぎこんでいた皆の顔に活気が戻った。
「そうですね、なんで思い付かなかったんだろう」
目からうろこが落ちた様に、薫が表情を一変させて言った。
「うちも昔、霊力が自分の制御できる範囲を超えてしまって悩んだ時期があったとです。でも特訓次第で、それは克服できました。その特訓方法は神咲の秘伝で、うちの実家に聞けばわかると思います」
「なら、話は早いですね。薫さんは実家に電話してもらって、詳細を伝えてその特訓法を聞きだしてもらって……」
愛が、涙を拭いて言った指示を、知佳が受け継ぐ。
「お兄ちゃんはその特訓をして、制御法を覚えて……」
「今までどおり、耕介はさざなみの管理人でOKってことで、いい?皆」
リスティの確認の声に、全員が、「もちろん!」と口をそろえて言った。
「いやあ、これで問題は解決だな。よかった、よかった!」
憑き物が落ちたように、真雪は新しいタバコを出して火をつけた。白煙が、ふわりと部屋を舞う。
「はややー。なんか真剣に考えてたら、おなか空いちゃいました」
「みなみってそればっかりなのだ」
「美緒ちゃんだって、耕介さんにいてほしいでしょ?」
「うむ。あたりきなのだ」
「でしょ?だから、耕介さんがここにいられることになってよかったよー」
「そうだねー。みなみちゃん、お兄ちゃんのご飯の大ファンだもんね」
「はいー」
「耕介様の価値はご飯だけですか?姉様」
「照れ隠しですよ。岡本様も、他の皆様も、そして私も。耕介様がさざなみ寮を出ることにならなくて、心の底から嬉しいのです」
「そうですね。僕も嬉しいです」
「これから、耕介様の特訓で御架月は忙しくなると思いますけど……」
「大丈夫です。僕は耕介様を主と心に決めておりますから。それに今こうして姉様と話ができるのは、耕介様のおかげ。そのご恩は、一生をかけてお返しするつもりです」
「よろしくね、御架ちゃん」
「はい。愛様も知佳様も、がんばりましょう!」
『えいえい、おーっ!』
掛け声を上げる皆の気に当てられて、一方の耕介は困惑していた。
「え、えーと……」
状況についていけず、ただ迷う。
「……あの、ねえ、みんな?おーい……」
声をかけるが、止まらない。すでに薫は電話をかけに行っているし、リスティはその薫に頼まれて、彼女の部屋に『十六夜』を取りに行った。
愛や知佳、十六夜、御架月もやる気満々で、みなみは美緒とじゃれあっている。
「諦めろ、耕介」
その戸惑う耕介の様子がおかしかったのか、真雪が笑いながら彼に近づいて言った。
「皆お前がいなくなると困るんだよ。その……管理人だからとか、そういう意味じゃなくて……だな。だから、そんな理由でここからいなくなるなんて、あたしたちは認めないから」
「真雪さん……」
「正直、『破壊者』が何なのか、あたしも含めて多分皆わかってないと思う。でも、関係ないんだ。耕介は耕介なんだよ。羽が生えてようと、知佳は知佳だって思ってくれたろ?それと同じだよ。変わらないんだ。あたしたちにとっては」
「…………」
「だから本当に諦めるのは、それからでも遅くないよ。もし、耕介が誰かを傷つけずにはいられなくなったら、あたしや神咲が死ぬ気で止めるさ」
「でも、それじゃあ……」
「ああ。手遅れになるかもしれない。けど、お前になら傷つけられても構わないって思うから。それだけ皆、耕介のことが好きなんだよ」
「そうだよ、お兄ちゃん」
照れたように呟く姉の言葉に知佳が加わる。
「何もしないで諦めるなんて、お兄ちゃんらしくないよ。だから、がんばろ?」
と、小さくガッツポーズを作って、知佳は言った。
「知佳、愛さん、みんなも……」
姉妹の励ましの声を聞きながら、耕介はここを出ると決めかけていた意思が解けていくのを感じていた。
それは考えもしなかったこと。
制御できないなら、制御できるようになればいい。
真雪に言われて初めて気付く。
(俺は、初めから諦めていた……)
『破壊者』を内包し、普通とは一線を画しているが故に、彼はその思考にたどり着けなかった。
(いや、そんなのは言い訳だ)
意識する。
諦めるのが──もし、さざなみを出ることを決断するのが早いというのなら、足掻きたい。地面を這ってでも。どんな努力をしてでも。
その先にもし希望が残されているのなら。
もし、昔仲間と交わした約束を果たせるなら。
きっと、皆で一緒にここで皆と暮らすことができる、そう思うから。
同時に、自分の思い上がりに恥ずかしくなる。
ここから出て行けば、確かに彼女たちは危険から守られる。けれど、ここに残された彼女たちはどうなる。彼女たちは皆優しい。耕介一人を不幸にして、自分たちが幸せになろうなどとは決して考えないだろう。こんな別れ方をすれば、結局は傷つけることになる。
(わかっていなかった。俺は……)
何もかも。
自分ひとりで思い込んで。
自分ひとりが犠牲になればいいなどと思い上がって。
大切な人たちを、本当に『守る』ということがどういうことなのか。
わかっているつもりでいながら、それがただの自己満足にすぎないのだと、改めて気付く。
だから、もう逃げない。
自分が危険だということには変わらない。彼女たちがその危険に晒されるという事実も変わらない。けれど、それを変えられる可能性が少しでも残っているなら、足掻いてみるべきだ。
彼女たちと──家族と一緒に。
どこまで、できるかわからない。
もしかしたら未来に、最悪の結果が待っているかもしれない。
だとしても、彼女たちと共に生きていくことは、何よりも大切なことだから。
今も、そしてこれからも。
こうして彼女たちが笑いかけてくれることが、何よりも大切だから。
だからがんばってみよう。
彼女たちの生活を守るためにも。
それと同じくらい、自分を守るためにも。
皆で未来に進むために。
心が何かに洗い流されるような心地よい空気に触れて、耕介の目には光るものが流れていた。笑顔を向けている少女たちに向かって呟く。
「ありがとう……」
そうして。
十年近く前に、心に傷を負った少年のことを思い出して。
少年が過ごした、激動の数年間を思い出して。
こんな未来が待っていたことがまだ信じられなくて。でも、こうして彼女たちに出会えたことが、心の底から嬉しくて。
破壊に明け暮れ、闇を内包していた少年の頃を想って、耕介は泣いた。
声を上げて、彼は泣いた。