◇

 

 再び、彼女は考える。

 思考を整理しなければならない。

 勘違い。いや、それも違う。敢えて言うなら誤解。

 そう、誤解していた。

 神楽双真という人間を。

 自己中心的な人間だと思っていた。けれど違う。そもそも、彼をそんなふうに単純な言葉で表現しようとしたこと自体が間違いだった。彼は自己中心なのではなく、世界中心なのだ。

 自分を生んだ世界。

 今、自分を生かしている世界。

 それを中心に彼は生きている。いや、彼の言葉どおりなら、彼は生かされているというべきか。

 どちらにしろ、そこには個人の意思など存在しない。もし世界に意思というものが存在するなら、それこそ、その意思によって定められた人生を彼は歩いていることになる。

 そしてそういう自分を、彼は容認している。いや、その意思ですら、彼は世界の意思によるものだという。

 わけがわからない。

 よくもまあ、彼は自分を保っていられるものだと、彼女はしみじみと思った。それを真実だと仮定するならば、普通の感性をしていればとうの昔に自殺したくなるような事実。

 世界が必要としている限り、自分は死なない。

 という彼の言葉は、言い換えれば必要とされなければ死ぬということである。

 マーフィーの法則じゃあるまし。

 毒づいて、彼女はコーヒーを口に運んだ。

 双真の話があまりにも突拍子もなく、さらに話に熱中しすぎたために、それはすでに冷めてしまっていた。だが味は、落ちていない。

 なるほど、と思う。

 あの人外魔境の双真が毎週通うだけの価値はあると思いながら、エリザは一人、神楽双真という人間について考察を続けた。

 

      ◇

 

 ドンッ!ドンッ!

 銃声が響く。むせ返るような硝煙の匂い。確実に標的を貫いて、男はほっと安堵した。が、標的が止まらないのを見て、すぐにその表情を一変させる。

 銃を持つ腕ごと絡め取られ、男は罵声を上げながら転倒した。急いで起き上がろうとする男の面前に、獣がその身を乗り上げる。

 その獣は、犬に似ていた。獣の瞳に映った自分と相対しながら、唸り声を上げる獣が別方向からも飛びかかって来るのを、視界の端で認識する。そして──

 絶望的な声で、男は絶叫した。

 ぐちゃり、ぐちゃり……。

 餌に群がるハイエナのごとく、男の肉を食い漁る音が響く。ある程度満足したところで、獣はその顔を上げた。口の端から血を滴らせ、いまだ空腹感に苛まされた獣たちは、その視線の先に獲物を確認して、唸り声を上げる。その声を聞いて、その場にいた他の男たちは慌てて銃を構えた。

 再び、銃声。銃弾の雨が、獣の群れに降り注ぐ。

 脳を打ち抜かれ、眼球が飛び出した奇妙な形相になっていく獣たちは、だがその勢いを止めようとしなかった。

 悲鳴。嗚咽。

 そして、肉をしゃぶる音。

 その後方で。

 男たちが死んでいくのを肌で感じながら、彼はその後ろにそびえ立つ建物に視線を移した。

 建物は──

 それは洋風の館だった。洋館と言えないのは、何故か館の正面入り口が引戸になっているからだったが。サングラス越しに、館を見つめる。

 それはともかくとして、

「ぐぎゃあああああああっ!」

 再び響く絶叫。それを聞いて、彼はそちらの方に向き直った。

 自分の訪問を断った男たちは、そのほとんどが──初めは十数人以上いた男たちは──絶命していた。その死体は全て、ただの肉隗に成果てている。骨が飛び出て、内臓が散乱し、顔も判別できないほどに喰い散らかされた死体から流れた血の海の上を、彼は無感情のまま歩いていく。

 視線の先に、生き残っている男は後二人。その内の一人も、彼が近づく前にあっさりと絶命した。そして最後の獲物に飛びかかろうとした獣に、

「待て……」

 彼は静かに告げた。と、獣の動きがピタリと止まる。

「な……なに……もの……だ……」

 自分が助かったことに疑問を持った表情で、男が顔を上げた。何とか聞き取れる声で、呟く。見ると、男にはすでに左腕がなかった。こちらも喰いちぎられたのだろう、腹部がごっそりとなくなっている。

 出血と痛みで、放って置いても死にそうな男に、彼は静かに語りかけた。

「僕の名を聞いてどうする?それよりも、コードを教えてもらえるかな?」

「……コード……だと……」

 男は訝しげに眉をひそめた。あるいは、それは痛みのためかもしれなかったが。

 彼は続ける。

「そうだ。この館の『扉』を開けるための……」

 その言葉に、男は怒りを露にした。えぐれた腹部を残った右腕で押さえながら、立ち上がる。

「き……貴様!この館に何があるのか……わかっているのか!」

「知っている。夜の一族が保管している中世ヨーロッパを中心とした世界各地の魔法道具(マジックアイテム)。それがこの館にある」

「し……知っていて……」

 もはや、大量の出血で男の瞳に生気は感じられなかった。構わず、彼は続ける。

「情報によれば、『倉庫』に入るためには、扉を開くための専用コードがあるはず。それを教えろ」

「く……く……くくくっ……」

 男は笑っていた。笑い声というよりは、呻き声に近い。だが確実に、男はその表情を歪めていた。

「お、俺たち一族は……人間とは違う。お前が……欲しているコードは、俺たちの瞳さ。登録された…夜の一族の……瞳の照合で……扉は、開く。残念……だったな」

「なるほどな。父が僕にコードを教えようとしないわけだ」

 男の嘲笑を無視して、彼はサングラスを取ってそう言った。その彼の顔を見て、勝ち誇ったように笑っていた男の顔が凍りつく。

「ひ……氷村…………遊……様?」

 名前を呼ばれても、彼は取り合わなかった。淡々と、続ける。

「瞳のほうはともかくとして、問題は登録方法だな。ま、眼球を解除コードにしているくらいだから、予想はつくけれど。一応話してくれるかい?」

「な……何故、貴方様が……こ、ここに……」

 男は、明らかに混乱していた。彼の質問も聞こえていない様子で、その目を見開いている。その間にも男の傷口からは絶えず血が流れ、地面を赤く染めていった。

「話してくれないか?」

 もう一度、彼は──氷村遊は言った。

「な、何故…………」

 もはや機械のようにそれしか呟かなくなった男を見て、彼は聞き出すのを諦めた。軽く嘆息して、後ろに控えていた獣に視線を向ける。そして──

「喰え」

 端的に指示を出した。同時に、おあずけを食らっていた獣たちが我先にと男に飛び掛り、声を上げるまもなく男は絶命した。

「まあいいさ。試してみればいいだけだからな。少し時間かかるけれど」

 言って、腕時計で時間を確認する。

「ここまで派手にやらかせば、確実にエリザもここに来る。なら、その前に目的を果たすとしようか」

 引き戸をおもむろに開き、彼はその身を館の最深部へと向けた。

 

      …

 

 扉は、思ったよりも大きかった。

 初めてみる装飾は明らかに日本のものではない。見ただけでも、これが年代物だと知れる。その扉の横に、覗き穴のような穴がひとつあるのを確認して、彼──氷村遊はその穴を覗き込んだ。

 その穴がコード確認のためのものだと確信する。内ポケットから手のひらサイズのナイフを取り出すと、遊は何のためらいもなく自分の右目にナイフを突き刺した。

 痛烈な痛みが走る。

 そして流血。

 頬に流れる血の感触を楽しみながら、彼は再び傷ついた右目で穴を覗き込んだ。

 ブゥンッ!

 という機械が立ち上がるような音が鳴り、それと同時に、扉全体が軋みだす。

「ま、こんなところだろうな」

 納得しながら、彼はゆっくりと開く扉を見つめた。

 吸血種である夜の一族は、その血を封印等の魔術に使うことが多い。勿論、一族の一人である彼もそのことは熟知していた。だから夜の一族であればこの扉を開くことは可能なのだ。コードと、その登録の仕方さえ知っていれば。

 自分が夜の一族の中でも異端だということを、遊は自覚していた。

 社会と共存しようとする一族の方針。それを決めた父。だがそれは、愚かな判断だと言わざるを得ない。

 人間はあくまで下等種族。そう、劣等種なのだ。なぜそいつらに媚びへつらって生きねばならない。自分より、体力も、美貌も、そして寿命も遥かに劣っている人間など、その存在すら邪魔だと感じる。

百歩譲って家畜。それこそ奴らにふさわしい。

 そういう考えを持っていることは、遊の父──現一族の当主たる父も知っていた。その父が自分を危険視していることも、遊はわかっていた。だから父は教えなかったのだ。ここの魔法道具(マジックアイテム)は、中には人の世を狂わす危険な代物もあるという。おろらくそれらの悪用を防ぐためだろうが。

 皮肉だな、と彼は思った。

 結局、自分はここにいる。

 前の事件で、人間社会というこの世界に疑問を抱いている甲龍を助け、今もまた彼の頼みを聞いてここにいる。

 だがそのことを一族に悟られるわけにはいかなかった。そうなれば、自分の立場も危うくなる。一族次期当主のエリザベートを初め、その姪の綺堂さくらが、一族の歴史の中でも類に見ない戦闘力を秘めていることは一族の間では有名な話だ。おそらく正面から衝突すれば勝てないだろうことは、冷静に分析すれば嫌でもわかる。

 だからこそ、彼女たちがここに気付く前に目的を達成する必要があった。

「少し、急ぐか」

 扉が開き切る頃には、彼の出血は止まっていた。痛みも引いている。完全に回復するまで数十分くらいだろうなと思いながら、彼は倉庫の中を勇み足で歩いた。

 そこは、倉庫というよりは宝物庫に近い感があった。数多く陳列された魔法道具。それらはその魔法価値がなくても、売れば最低でも数百万はするだろう芸術性にあふれたものばかりであることは、骨董の趣味のない遊にも一目でわかった。

 言うなら、作品が放つオーラが違うとでも言おうか。

 その数多くの道具の中から、遊は目的の物を探し歩いた。

 そうして……。

 数分後──数にして軽く万はあるだろう魔法道具の中から、目的の物をそれだけで探し出せたのは運がよかったとしか言いようがない──遊の両の手のひらには、小さな指輪と一振りの剣が握られていた。

「案外早く見つかったな」

 意外にあっけなかったことに落胆を覚えながら呟く。捜し歩いたと同時に魔法道具を片っ端から散らかしたために──勿論、何を盗んだかをごまかすためである──通路は通れそうになかった。随分と遠回りをして、けれど彼は急ぎ足で外に出る。

 倉庫の外に出る瞬間、自分の血が床に落ちているのを見つけたが、彼はあえてそれを隠滅しようとは思わなかった。倉庫の扉を閉め、再び封印する。

 館の外で待っていた獣の数匹を呼び寄せ、そのうち先程の銃撃で傷を負っていない一匹に剣と指輪を咥えさせ、

「これを甲龍に届けろ。届けたら、お前はそこで消滅しろ。いいな……」

 獣の頭を軽く撫でて、遊は言った。

「さあ、行け!」

 その号令と共に、獣は遊を背に向けて走り出した。その背を見つめながら、彼はこの場に残った獣に向けて、「消えろ」と端的に命令する。

 途端に獣たちがその身体の形を崩し、そのまま地面に溶け込んで跡形もなく消え去っていった。

「使い魔を使うのも考え物だな」

 辺りに広がる血の跡を見てぼやく。

 獣が完全に消滅する様子を満足そうに眺めながら、遊はその場を後にした。

 

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