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エリザがその報を聞いたのは、その約三十分後だった。
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エリザベート・フュンフト・フォン・エッシェンシュタイン。
夜の一族の現当主の娘にして、次期当主。
その彼女の容姿を言葉で表すとすれば、美人の一言に限る。十人に聞けば、十人全てがそう答えるだろう。整った顔立ち。くっきりとした目元。腰まで伸びた綺麗な黒髪。きちんとした服装。そして身のこなし。うっすらと施された化粧や、さりげなく身に着けている装飾品その他も含め、彼女が良家で育ったお嬢様だということが伺える。
けれどそれに対して、彼女の戦闘力は一族の仲でも並外れて高かった。純潔の吸血種であることを差し引いても、彼女は強い。
同時に、彼女の仕事の手腕は誰もが一目置くほど優秀だった。
だからこそ、彼女は今の地位──次期当主という座を手に入れたのだ。
そのことは男も知っていた。自分が諜報部というスパイ的な要素の高い部署に配属される前から。だから今、彼女にこうして報告している自分の立場を嬉しくもあったし、怖くもあった。
彼女は美人だ。そして、それと同じくらい怒ると怖いことで有名であった。
怒った表情もまた、吸い込まれそうなほど美人には違いないが。
「それで?」
そんな男の気も知らず、怒気を含めた声でエリザは言った。
辺りを見渡す。
血の海。そうとしか言えない惨状が、目の前に広がっている。警備員が全滅しているのは間違いなさそうだった。
「警備部の二十八名は、全員死亡したと思われます。倉庫のほうには、『扉』が開かれた痕跡がありました。現在、盗まれたものをリストに沿って調査中です」
「そう。それで、警備部の人たちはどこにいるの?」
「全滅したと思われますが……」
「なら、ここにあるはずのものがないわね」
「え?」
言われて、彼は再び辺りを見渡した。むせ返るような血の匂い。気を許しただけで嘔吐してしまいそうになるほどの異臭に顔をゆがめながら、それでもその中にある違和感に気付いて、彼はハッとしてエリザのほうに向き直った。
「死体が……ない」
「そうね。これだけの出血の跡が残っているにも関わらず、死体がないのは何故かしら……」
「隠蔽したとか……」
「そんなことをする意味がないでしょう?」
「ですが焼却したのであればその跡が残るはずですし。死体が完全になくなるなんてことはないでしょう。自然界のように動物が食ってしまったのならともかく」
「それよ!」
男の何気ない一言に、エリザは何かしら思いついたようだった。何かを思いついたように手をポンッとたたく。
「喰ったのね。おそらく」
「犯人が……ですか?」
「その可能性もなくはないけど……。どちらかといえば、獣の類でしょう。人の──それも大人の男の身体が三十人弱。それをこんな短時間で消滅できるのであれば……」
「獣使いか、もしくは……使い魔」
「そんな感じね。それで、魔術の反応は?」
「今のところ感知しておりません」
「そう……なら、その線で間違いないでしょう。問題は誰がやったかなのだけど……」
そう言って、彼女は館の方に足を向けた。
血でぬかるんだ地面を避け、できるだけ綺麗な場所を選びながら歩く。館の門から入り口まではレンガの道があったが、そこはもっとひどかったので、視線を向ける気すら起きなかった。扉の前のレンガに染み付いている血の色──館に入るのに支障をきたすために、おそらく拭き取ったのだろう──はだいぶ乾いてしまっているらしく、かなりの異臭が鼻につく。
「ひどいわね……やっぱり」
このような状況に嫌気を感じながら、エリザは呟いた。いくら吸血種でも、ここまで酷いスプラッタな状態を見ると、どうしても先に嫌悪感が出る。
唯一の救いは、館の中までその惨状が続いていないことぐらいか。
死んでいった警備部の男たちには悪いが、これなら素直に犯人に道を明けてたほうがよかったように思えてくる。
そう思いながら、エリザは諜報部の男と共に地下に向かい、今は調査のために開いている『倉庫』の『扉』の前に立った。
「こうも簡単に『扉』が開かれるなんてね……」
犯人は一族の誰か。そのことも、彼女の頭を悩ませる。
「そのことなんですが……」
男が口を挟む。
「『扉』の前に、犯人のものと思われる血痕が残っていました」
「え?」
「分析したところ、血液型はBのRhマイナス。型式はCCdEEryrrでした。かなり稀な血液型です。DNA鑑定の方も急がせていますが……」
「……多分、必要ないわ」
きっぱりと言い切って、エリザはそのまま扉に手を触れた。
解除コードを認識する覗き穴。
そこにも犯人の血のと思しき血痕が残っている。すでに乾いて黒ずんでしまっているが。
『扉』の封印に、そしてその解除に──
必要なのは夜の一族の血と眼球。
その二つがそろって初めて封印解除コードになり、それを知っていれば夜の一族であれば誰でも入れることになる。
そのことを再認識して、エリザは悔やんだ。何故もっと複雑な封印にしておかなかったのか。
いや、理由はわかっていた。この『倉庫』の中には、魔術的な力などほとんど持っていない物も数多く存在する。それらは普通の装飾品としての値打ちのほうが高く、売ればかなりの額になるものばかりだった。当主である彼女の父の趣味も高じて、今ではその数は数百にも及ぶが、そう言った品物の出入りが多い倉庫の封印を、空けるのに数時間もかかるような厳重なものにするわけにはいかなかったのである。
だから悔やまれてならない。初めから種類を分別しておけば、このようなことにはならなかったのだから。
けれど全てにおいて悲観する必要はなかった。
犯人の物と思われる血痕。その血液型。
DNA鑑定もしているそうだが、おそらく必要ないだろう。B型のRh(−)の型を持つ血液を有するのは、数多くいる一族の中でもたった一人しかいない。
自分の甥である氷村遊。
彼が何を考えてこのようなことをしたのか、それを知る必要がある。
(いえ、考える必要はなんてないわね)
直感的に、目的に思い当たった。
甲龍の協力者。先のさざなみ寮襲撃の事件で、香港警備隊の奇襲から甲龍を助けたのは彼なのだろう。情報は不確かだし、確信などどこにもなかったが、なぜかエリザはそう思った。
そして、傍らで控えている男に向き直って指示する。
「遊に……連絡を入れて」
「え?」
「氷村遊に連絡を取りなさい。今すぐ!」
「は、はい!」
事態を飲み込めていないのか、もしくはエリザの言いたいことに思い立ったのか、諜報部の男は慌てて外に電話をしに出て行った。その後姿を見ながら、この館内が電波の通じない場所であったことを思い出して、エリザは苦笑する。
「返答次第では遊……私は貴方を殺すわ」
誰にも聞こえないように、小声で呟いて──
彼女再び悪臭漂う外に足を向けた。
…
「何故?」
端的に、そして冷ややかに彼は──氷村遊は言ってのけた。
「僕に、甲龍を助けたのを何故と聞くのか?エリザ」
電話越しだからか、彼の声が異様な響を持ってエリザの耳元に届く。機械的な震動音ではない。明らかに、彼は激昂していた。
「逆ギレしてもらっても困るわ。国際犯罪者を構い、その手助けをする真意を聞いているのよ」
エリザも、負けじと言い返した。自然と、瞳が赤く染まっていくのを実感する。だがそれでも、彼女は湧き上がってくる怒りを抑えようともせず電話の相手に凄んだ。が、
「なら君は何故、神楽双真を助ける?」
思わぬところでその名前が出され、エリザは思わず身構えてしまった。遊がこの場にいないことに安堵しながら、悟られないように冷静に対処する。
「彼とは個人的な付き合いだけよ。それに、今回の件は香港特殊警防隊からも依頼を受けています。彼に協力したのはその過程にすぎないわ」
「本当に、それだけか?」
含みのある遊の発言に、エリザは顔が高揚するのを感じた。それが挑発だとわかってはいても、抑えられない。
「どういう意味?」
怒気を含めて、言い返す。
「『神楽双真』については一族の間では有名な話があるのを知らないのかい?かつて敵だった男に、いいように手玉に取られてしまった一族の女の話さ」
「…………」
「その女は、地位もある。プライドも高い。仕事もできる。が、男に現を抜かす腰の抜けた女だった」
「私を本気で怒らせたいの?遊」
「まさか!僕は何も君のことだとは言っていないよ」
あからさまな侮蔑の言葉に怒りを露にするエリザに、だが遊はしれっとして言ってのけた。
「まさか、一族次期当主たる女性がそのようなことをするとは、いくら僕でも思っていないさ。話によれば、その女は『神楽双真』に股を開いたことまであるそうだしね。それとも君もすでに彼と肉体関係になっているのか?」
「………いいえ」
「そう。安心したよ。個人的な付き合いといっても、所詮は建前だ。君と神楽も。僕と甲龍も」
そう言う遊の言葉に、エリザは深くため息をついた。気持ちを落ち着かせなければいけない。でなければ、確実に舌先だけで逃げられる。
「甲龍に協力した件に関してはこの際目をつぶるわ」
「それは助かる」
「勘違いしないで。そのことと、今回貴方がこの館を襲撃したのは話が別よ。一族の死者が二十八名。これは間違いなく裏切り行為でしょう」
「お言葉だけどね、エリザ。その館を襲撃したのは僕じゃなく甲龍の使い魔だ。僕はその使役と、館の『扉』の解除を頼まれただけだ」
「そんな言い逃れが、通用すると思っているの?」
「思っているさ。僕は付き添いだ。勿論、仲間が殺されるのを黙ってみていたのには、さすがに心が痛んだけどね。」
「抜けぬけと言ってくれるわね」
「心外だな」
本当にそうだとでも言わんばかりに、受話器の向こうで遊がため息をついたのがわかった。あのキザ男のことだ。そのまま髪をかき分け、キザったらしく白い歯を見せているのだろう。
見えていないが間違いない。そうエリザは勝手に思い込むことにした。
「エリザ。君は、おそらく『扉』の前にあった血液型で僕が犯人だと思ったのだろう。その判断はまあ、おしいかな。半分正解だ。確かに僕が『扉』を開けた。けれど、僕は連れて行かれて初めてそこが一族の『宝物庫』だと知ったくらいだから、僕を責めてもらっても困る」
「だからそんな言い訳は……」
「僕は父から『倉庫』のことは何一つ知らされていなかった。それは君たち、一族の上層部の決定だろう?それを知らないとは言わせないよ」
「それは……」
「それに、さっき甲龍に協力した件は目をつぶると言わなかったかい?」
「くっ!」
遊の抗弁は続く。
「エリザ、君は別段証拠があって僕に電話したのではないだろう。君の勘は見事だけどね。一族の戒律でもって僕を裁きたいなら、その証拠を持って来るべきだ。違うかい?」
「…………」
「ふう。わかってくれたらしいね。なら、僕の方も忙しいのでもう切るよ。それと、僕が甲龍の手助けをするのはこれが最後だから、安心するんだな。できれば、一族の当主になる人物とはお互いいい関係でいたいしね」
エリザが何も言わない気配を感じて、遊はそのまま電話を切ろうとしたみたいだった。受話器から、彼の息遣いが消える。
だがふと、遠くから遊が何かを言っているのが聞こえた。
それはぼやきといってもいい、小さな呟き。
「一介のテロリストに過ぎない甲龍と、敵の命を奪うしか能のない『反力』の力をもつ神楽双真。さて、君はどちらに協力するのがこの世界にとって正しいと思う?」
そして。
プツッという電子音が鳴る。
「遊……」
歯軋りする。
完敗だった。それは認めざるを得ない。
しかしそれで引き下がるほど、彼女は殊勝ではなかった。
そして呟く。怒りと、明らかな決意を持って。
「覚えていなさい、遊。私は……私を見くびる男を決して許さないわ」
血だらけの庭。
腐敗臭の漂う枯れ果てた庭先で。
グシャッという携帯を握りつぶす鈍い音が響いた。