◇
覚悟を決める。
それは、双真を殺す覚悟でもなければ、自分が死ぬ覚悟でもなかった。
生きるために。
意志を固める。
だから……。
「悪いな……双真」
呟く。彼の攻撃は、全てにおいて必殺となりうるものばかりだった。それを時に『御架月』で、時に自分の腕や足で受け、避ける。
剣を持たない左腕は、もう感覚がなかった。骨の折れている感触は、錯覚ではないだろう。
しかし──
戦いのダメージなど関係ない。ましてや、返答など期待していなかった。
これは独白だ。そして誓いの言葉でもある。
「俺は死なない」
それは確信。
「俺は死ねない」
それは決意。
「だから俺は──誰も殺さない!」
そして誓い。
残った霊力を最大限まで引き上げ、耕介は叫んだ。
「楓華疾光弾!」
…
終わりだった。
耕介に、もう霊力は残っていない。
耕介が放った霊波は双真の左腕を打ち抜いて、彼のはるか後方で爆音を上げて霧散した。
そして膝を突く。
『反力』の影響下にあるせいだろう。霊力だけでなく、少しずつ自分という意識が希薄になっていくのを、耕介は感じていた。
どこからか、魂を抜かれような脱力感。
強烈に襲い掛かる眠気を払いながら、しかし耕介は双真から目を離さなかった。
双真は──
まだ草原に立っていた。焼きただれた左腕から煙が出ているものの、それ以外にはさしたるダメージも見受けられない。
やはり強い。
そう思う。
「終わりだ」
彼が呟いた。それに頷いて見せて、耕介は『御架月』を置いた。
「できれば、この子は見逃して欲しいんだけど」
「ん?……ああ。確か御架月だったか」
思い出したように言って、双真は『御架月』を手にした。
「なんで出てこないんだ?」
「霊力使い果たしたからね。多分、剣の中で寝ているよ」
「ったく、だからオカルトってのはわけが分からんな」
「いや、超常現象の塊であるお前が言える台詞じゃないだろう、それは」
「そうか?」
言って、双真は『御架月』を耕介の傍らに突き刺した。と──
フッと身体が軽くなる。
「そ、双真?」
『反力』の気配が消えたのを感じて怪訝そうな顔をする耕介に、双真は嫌味ったらしい笑みを浮かべて言った。
「どうしても止めを刺して欲しいんなら、二割増しのサービスで殺ってやるぞ?」
「謹んで遠慮しておくよ」
草原に大の字に寝転がって、耕介は答えた。
身体が軋む。霊力の使いすぎで、筋肉痛が再発したらしい。
「あー。いてぇ」
体勢を変えるのにすら痛みを感じて、耕介は思わず呻いた。
「痛みで言えば、間違いなく俺の左腕のほうが重症だろう」
どこかふざけた感じの双真の左腕は、確かに酷かった。神咲一灯流の奥義である楓華疾光弾をまともに受けたのだ。耕介の腕ではまだ完成に至っていないとは言え、その威力はやはり凄まじいものになる。双真の腕が吹っ飛ばなかったのは、ひとえに彼の反応が速かったからに過ぎない。焼きただれた皮膚から、肉の焦げた臭いがする。
その傷に対して、耕介は思ったとおりの感想を口にした。
「臭い」
「文句言うな。お前がやったんだろうが」
痛みというものを、まるで感じていないかのように、双真が言った。そのまま、彼は耕介の隣に腰を下ろす。
「制御できたと思うか?」
「……わからないな」
正直な感想を、耕介は言った。確かに、ただ殺人衝動に身を任せることにはならなかった。けれど、それで『破壊者』を制御できたかどうかについては、疑問と不安は拭い去れないままだ。
「少しずつ行くよ」
「どこに?」
「未来に」
風が吹いた。冬の風。肌寒い風が、しかし火照った身体の熱を冷ましていく。
もう少し、この気持ちいい風と脱力感に身を任せていたかった。
「双真。俺は帰るよ。さざなみ寮に」
「好きにしろ」
憮然とした口調は、双真が本心を隠すときの癖だろう。耕介はそう判断した。再開したときと変わらないだろう彼の本心は、聞かなくても分かっていた。
結局のところ、自分の好きにすればいいのだ。それがわかっていたから、耕介は微笑んだ。
「そして皆と生きるよ」
「耕介……」
「ん?」
「俺たちに……おそらくハッピーエンドなんて都合のいいものはないぞ」
双真の言葉に、耕介も頷いた。
「それでも俺は帰る。皆と暮らすために……だから死ねない。勿論、死にたくないってのもあるよ。死ぬのは怖い……けど、さざなみのみんなが幸せになれないのはもっと怖い」
「…………」
「だから、俺は戦う。自分と。『破壊者』と。世界と。皆を守るために。皆で幸せになるために。幸せになろうとすることは、決して悪いことじゃないと思うから。今まで犯してきた罪は消えないけど。それぐらいは、許されてもいいと思うから。都合のいい考えかもしれないけどね……」
「まったくだな」
というのは、あくまで都合のいい考えという部分に同意したのだろう。それを暗に汲み取って、耕介は苦笑した。笑うだけで、筋肉が軋む。痛みが走る。けれど、生きていることを実感できるその痛みに、心の底から安堵する。
「甲龍の指定した期日まであと二日だ。それまでに体調を整えておけ。あいつを殺せとは言わない。けどまあ、戦力は必要だ」
「素直に手伝ってって言ってみ?双真」
「手伝って」
「いや……いい。俺が悪かった」
表情に変化なく言ってのけた双真の態度に、耕介は思いっきり脱力した。そして、ふと思い立って、耕介は顔を双真のほうに向けて言った。
「ありがとな」
「何がだ?」
「昔さ。俺が結局人を殺さずに済んだのは、『HELL&HEAVEN』の誰かがいつの間にかそばにいて、俺を止めてくれていたからだろ?」
「…………」
「気付いたのはいつだったかな。でも、そのおかげで今の俺がいる。あの頃の自分に後悔なんてしてないけど。それでも、皆には感謝したいから」
「そんな殊勝な心がけを持ち合わせているなら、最初から手間かけさせるな」
「それもそうだな。けど、ありがとう。今日のことも含めて。っていうか、照れるなよ」
「馬鹿言え……」
その様子もまた、初めて見る双真の一面だった。
確実に、時を経ていることを実感する。かつては自分異常に残虐だった男の意外な一面は、だが決して似合っていないわけではなかった。何の変化もない彼の表情の裏にある気配を感じて、耕介は笑って言った。
「照れてるだろ?」
「殺してやろうか?今から」
「それはまた今度にして」
心底そう思って、耕介は笑みを返した。
「戦い続けるさ」
「そうだな」
双真の言葉に、頷き返す。
「俺たちにそれ以外の道はない」
「あんまり、人を殺すなよ」
「『破壊者』がそれを言うか」
「俺、まだ未遂だもん」
「そういう問題か?」
「さぁてね。けど過去の罪を償う意味も込めて、俺は生きなきゃダメだしさ」
「なら、もう少し腕を上げるんだな」
「ははは。ま、それはいずれってことで。ああ、そうそう。今度飯食いに来いよ、腕上げたからさ」
「タダならな……」
「馬鹿言えよ。勿論有料だ」
久しぶりの口論は、しばらくその勢いを止めようする気配はなかった。
愚痴が耐え間なく続く。
風が吹いた。
心地よく冷たい風が──
草原を駆け抜け、二人の身体を洗い流す。
終わりと始まりを告げるように。
彼らの決意と、これから始まるすべての未来を祝福するように。
夜の空に浮かぶ月だけが、その会話をひっそりと聞いていた。