15

 

 決着が着いたというべきなのだろうか。

「終わったの?」

 まるで人事のように、呟く自分がいる。そのことに嫌悪感を覚えながら、エリザは彼から目を離せないでいた。

 神楽双真の肩に担がれている赤髪の少女は、気を失っているのか反応を見せなかった。ゆっくりと、彼がこちらに向き直る。

 彼の怪我は、見た目にも酷かった。左腕の包帯は破れ、先日の槙原耕介との戦いで受けた傷が生々しい色で空気に触れていた。肉が焼けた匂い。リオに貫かれた腕もまた、その部分だけがどす黒く焼きただれている。

 思わず唸る。目をそらしたくなる気分を押さえて、エリザは双真を見た。と、冷たい逆三角形の双眸が容赦なく突き刺さってくる。

「終わった? 何がだ?」

「え?」

 聞き返されて、エリザは言葉を詰まらせた。

「まだ何も終わっていない。今回の事件においては、リオの件はあくまで付録だろう。甲龍はまだ何も動いていない。あいつの手駒はまだ温存されたままだ」

「それは……そうだけど。ねぇ?」

「ん?」

「傷は……大丈夫なの?」

「傷?」

 言われてはじめて気づいたように、双真が左肩の傷を眺めた。やがてゆっくりと、腕の殺傷に目を向ける。

「いや。かなり痛い」

「とてもそうは見えないけど」

 淡白に告げる双真に呆れながら、エリザもまた彼の腕を見つめた。距離は数メートル開いていたが、問題なく彼の傷口が視界に入ってくる。

「その腕。貫かれたところ、火傷しているみだいだけど……?」

「まぁ、当然といえば当然か」

「?」

「受動力のことは説明しただろう。なら、あれの力が全て内部に生じることは理解できるな」

「…………」

 わからないという表情をして見せると、その意思は伝わったらしい。今度は双真が呆れたようにため息をついた。

「外部が己に作用させる力、それが受動力だ。つまり能力と違って、受動力は百パーセント本人──呪縛者に力がかかる。力が働けば熱が発生するだろう? 能力と違うのは、自身の力ではないために外部へ熱を発散させることが出来ない。従って呪縛者は必然と体温が上昇するわけだ。異常なほどに」

 さも当然のように、双真は続ける。

「受動力が働いている間──リオの場合は、姿が消えている最中だな。その時に触れられれば、このくらいの火傷くらいはするさ」

「…………」

 何故か。言葉が出なかった。無言で彼の傷を見つめる。と、

「それで?」

「え?」

 逆に聞き返されて、エリザは言葉に詰まった。何を聞かれたのか、何を答えればいいのか。混迷して言いよどむ。声が出ない。見かねたのか、双真が軽く嘆息した。

「お前は何をしていると聞いているのだが?」

「あ……」

 いまさらながら思い当たる。自分が何をしているのか。考える。考えて、だが心中で否定した。考えるまでも無い。

 彼女は──

(私はまだ……)

 何もしていない。

 眩暈がした。視界がグラリとゆらぎ、ピントの合わない映像に吐き気を覚える。その先にいる反力者の名を冠する男は、こちらの様子をどう思っているのだろう。何も言ってこない。何も反応も示してこない。なら少なくとも、外観は普通を装えているのだろうか。

 わからない。わからないから、余計に心をざわつかせた。

 空虚。波立つ精神を何とか押さえつけながら、エリザは自分の状態をそう理解した。自分がここにいる理由。ここに立っている理由。そして今、なにもしていない理由。

(だとしても……)

 頭を振る。

(私にどうしろって言うの──!)

 半ば自棄になっているのかもしれない。それを判断できるくらいには、彼女はまだ冷静だった。

 そしてようやく。

 断絶していた意識が身体に戻っていく。世界が色素を取り戻し、時間すら経っていないのではないかと思えるほど、目の前の光景は変わっていなかった。実際、意識が反転していた時間など知る由もなかったのだが。

「私は……」

 呟く。意思ではなく、衝動で。

「その子を……リオ・カリスマンを、殺すわ」

 断続的に紡がれた言葉に、だが双真は何も返してこなかった。訝しげに彼を見やると、しばらくして軽くあしらう様に彼の唇が歪んだ。

 苛立ちが、エリザを支配した。

「リオを渡しなさい」

「何故?」

 ザラザラと。

 何かが音を立てる。耳にはっきりと聞こえた音に翻弄されながら、エリザは双真を睨みつけた。

「何故ですって? リオがしたことは許されることじゃないわ」

「はっきり言ったらどうだ?」

「え?」

「私の姪を殺したのよ、ってな」

「──っ!」

「だからこいつを殺したいんだろう?」

 ちらりと、視線だけを肩に担いでいる少女にくれて、双真が続ける。

「違うのか?」

「…………」

「悪いがこいつは渡さない。いや。今のお前には渡せないというべきか。何にせよ、どうしてもというなら俺がお前の相手になる」

 それはつまり、再びこの男と戦うということ。

「エリザ」

「え?」

「お前は、一体どうしたいんだ?」

「私……私は……」

 言い淀む。そのことに、エリザは驚いていた。何故答えられなかったのか。何故殺すといえなかったのか。何故驚いているのか。何故……。

(何故?)

 わからない。

 眼球にある黒炭が揺れる。黒い何か。それそのものがもしかすると眼球なのかもしれない。何か。水の流れにもてあそばれるように。ユラユラと。所在無く。無形のように。揺れる。

 崩れていく。

 息を吸うこともためらうほどの振動が彼女の意識を襲った。心臓が脈打っているらしいことだけは把握しながら、何とか意識を保とうと集中する。

 襲い来るのは現実からの剥離。その衝撃。気を失いそうなほどに痛みが走る。思わず左胸を抑えて、彼女はともすれば崩れ落ちてしまいそうな身体を何とか制御した。

 言葉はわからない。ならば意思はどうだ。

 自分が本当にリオを殺したいのか、それを考える。それだけを考える。

(私は──)

 瞬きを忘れ、乾ききった眼光が悲鳴を上げていた。唇が湿り気を失い、喉が痛みを訴え、こみ上げてくる嘔吐感が彼女をどうにか現実に留まらせている。

 割れかけた心で、エリザは考えた。考えることしか出来ない。崩落した記憶。情報という倉庫。刻み付ける記録。再生する映像。はっきりと強く。深く。鮮やかに。

 痛みを伴って、蘇る。

 愛らしい姪の姿を。

「私は、さくらを……助けたい。会いたい。ただ、それだけ」

「……なんだ、わかってるんじゃないか」

 実につまらなさそうに、双真がはき捨てた。

「やりたいことがはっきりとしているくせに、お前はそこで何を呆けている?」

「……わからない」

「何だって?」

「わからないって言ったのよ!」

 怒張だった。紛れもない怒り。どこから沸いたのか、何故暴発したのか。わからないだらけのまま、エリザは続ける。

「わからないわ。何もかも。貴方はなんだってそう迷いも後悔もなく前に進めるのよ。それこそおかしいじゃない。感情があるなら、迷い、後悔して、反省しながら、けれどその分成長していくのが人間でしょ? なのに貴方は違う。どうしてそう平然としていられるの? どうしてそう真っ直ぐ歩けるのよ!」

「真っ直ぐ……か。だが俺に言わせれば、迷えるお前たちが逆にうらやましくなるときがあるよ」

「え?」

「俺は欠陥品なんだよ。世界というOS。そこで働くソフトの中で、『否定』という計算しかできない欠陥プログラムだ。「0+0」しか計算できず、それ以外の能力を持たない。どれだけ繰り返そうと答えは零だから、決して先にも進まない。そんなのは計算機とはいえないだろう? だから俺は迷わないんじゃない。後悔しないんじゃない。そうできないだけなんだ」

「…………」

「感情としての迷いや後悔なら俺にだってある。が、およそ自分の進むべき道に関して、俺は迷えないし、後悔もできない。何故って、「反力」に目覚めたときに俺は俺の人生を知ってしまったからだ」

「人生を知る?」

「生きる意味。生まれた意味。存在する意味。存在定義。生命は皆、意味を持って生まれてくる。だが誰もがその意味を知らずに生を送る。けれど、エリザ。短い人生の中で、その意味を知っているかいないか。その違いは大きいとは思わないか?」

「…………」

「お前は──」

「え?」

「お前は、何のために生まれて、何のために生きるんだ?」

「……私……は……」

「考えるべきだ。考えて、結論を出せ。そうでなければ、今度こそ最悪の結果になるぞ」

「最悪?」

 聞き返す。が、その時にはもう双真は方向転換した後だった。リオを落とさないように抱え上げ、ゆっくりと傷だらけの身体を進める。その後姿に向かって、エリザは慌てて声をかけた。

「ちょ、ちょっと待って。何を──」

「さて。最後の質問だ。エリザ、俺は一体どこから来た?」

 声は薄く、小さく、かすかな振動で響いてくる。確実に距離が開きつつある彼の声を、エリザは心中で反芻した。

 彼はどこから来たのか。リオ・カリスマンとの戦いの最中。彼は──

「確か、あっちの旧校舎の入り口のほうから……」

 そしてもう一言。

 今度こそ(・・・・)

「──っ!」

 電撃にも似た刺激が延髄を走りぬける。その瞬間、エリザは何も考えずに走り出した。考えなくても、理解していた。

(さくら!)

 すぐ傍に佇む旧校舎。窓枠がはずされ、吹き抜けになっている場所から中に飛び移る。

 それと同時に。そして最後に。

「誰に感化されたのかは知らんが──」

 彼の声が脳裏に響いた。

「俺も甘くなったものだな」

 何故だろう。その台詞に微笑を浮かべながら、エリザはその足をさらに速めた。

 

      …

 

 空はすでに闇を迎えていた。

 だからと言うわけでもないだろうが。静謐に包まれた空間に、彼女の足音だけが異様に響いていた。

 腐った木の臭い。カビの臭い。閉じこもった空間特有の、淀んだ空気。だが不思議と嫌悪感はなかった。足の踏み場を考えながら、ともすれば老朽のせいで踏み壊してしまいそうな不安定な廊下を歩く。

 使われなくなってから何年が経つのだろう。この場所、その時代。高校生という一時の箱庭で、どれだけの人生がここで紡がれたのか。その残り香のような、気を抜けば引き込まれてしまいそうな危うさが、校舎には存在していた。

 その中から分別する。何故気づかなかったのだろうと後悔しながら。漂う、ただひとつの匂い。選ぶべき、辿るべき気配を、エリザは静かに追っていた。

(ここだ……)

 そして静かに足を止める。たどり着いた教室。そのドアの前で、エリザは数度深呼吸した。淵の錆びたドアを開ける。ガタガタと、錆のせいでけたたましい振動音が響いて、だがそれでも何とか半分まで開けることができたドアの隙間から教室に入って、彼女は小さく息を呑んだ。

 教卓のすぐ傍。毛布に包まって、小さく寝息を立てているのは捜し求めた少女だった。間違えるはずもない。間違えようもない。彼女を探し求めたのは他の誰でもない、自分なのだから。

「さ……」

 呼びかけようとして、だがエリザはのどを詰まらせた。教壇につまずいて、少女に覆いかぶさる形で両手をつく。

 その振動で、少女が身じろぎした。

「う………」

 反応があることに安堵して、エリザは息を吐いた。吐いてから、自分が呼吸を止めていたのだと気づく。

 逸る気持ちを抑えながら少女の唇に手をかざすと、彼女は呼吸しているようだった。次いで頬に手を当てる。肌の温度も常温だった。

(えーと……)

 何をしていいのかわからずに、硬直する。するべきことはたくさんあるはずだった。眠らされているとするなら、薬物を使った可能性が高い。吐息からもれる匂いや、身体の反応からそれを読み取ることくらい、知識としても技術としてもエリザは持ち合わせている。

 だというのに、彼女にできたのはただ少女の身体を揺らすだけだった。

「さくら……?」

「……うっ……う……ん」

「さくら?」

「……うにゃ?」

 場違いだと思った。彼女がここで眠っていることも。自分がこうして何もできずにいることも。何もかもが。

 その理由に対しては、何故だろうと考えるまでもない。

 自分のせいではないか。

 ひょっとしたらこの子が死んでいたかもしれないような事態を招いたのも、神楽双真の手を借りなければ、リオ・カリスマンに無様に殺されていたかもしれないことも。

 魔力を持ち、知性を備えているはずの自分は一体何をした? 何が出来た? ただ成り行きに身を任せ、部外者のごとく達観視していたらこの様だ。

「ごめんね……さくら……」

 やさしく揺さぶる。もう少し他に対処の仕様もあったのだろうが、今のエリザには思い浮かばなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい──」

 震えが止まらなかった。いつの間にか全身を駆け巡っていた緊張が、崩れ落ちて別の何かに変わる。プツンという音が聞こえたかのように、自身の中で小さな砦が崩壊した。

「ごめん。ごめんなさい、ごめんなさい──ごめんってば。ねぇ、さくら? いくらでも謝るから。怒ってくれても嫌いになってもいいから。起きて。お願いだから、起きてまた笑ってよ。ねぇ!」

 涙がこぼれ、少女のほほを打った。

「お願いだから──っ!」

 そっと──

 ほほに人肌を感じて、エリザははっとして顔を上げた。

 青い、大きな双眸が、こちらを見返してきていた。力なく半分閉じたまぶたで、じっと。いつもの寝起きのような少女の眼差しに──そういえば、彼女は寝起きがすこぶる悪かった──、エリザは驚きを隠せないでいた。

「さくら?」

「エリザ?」

 漏らした言葉は同時だった。お互いがお互いを呼び合う。一種呆然となったまま、口が勝手に動いた。

「起きた……の?」

「泣いてるの?」

 またもや同時に問いかける。お互いきょとんと見詰め合って、しばらくそのままで硬直した。

「エリザ。私は大丈夫だよ?」

「……さくら?」

 言葉の意味がわからなかった。

「なんで……?」

「リオっていう女の子が、ちょっとだけ、事情を話してくれたから」

「……そうなの?」

 どこかやり切れない想いに、エリザは眉をひそめた。

 リオ・カリスマンに対して遺恨があるわけではなかった。あの少女もまた、自分ではどうすることも出来ない力に翻弄されていたに過ぎない。だとするなら、一体誰が加害者で、誰が被害者なのだろう。

「さくらは──」

「え?」

「笑える?」

「……」

「また、笑ってくれる?」

「……よく、わかんないけど。私はきっと、死んでもエリザのこと、嫌いになったりしないよ?」

 びくりと、身体が跳ねた。自分が危惧していたことを見透かされたように怯え、それと同時に気づく。

「私って、卑怯よね」

「え?」

「こんなことになったのは、私の責任なのに。さくらを危険な目にあわせておきながら、結局一番心配なのは、自分が嫌われることだなんて」

「…………」

「笑っちゃうわ。私ってこんな嫌な女だったんだ。ははっ……」

 起き上がって、顔を隠すようにして笑う。それが自嘲によるものだということはわかっていた。見られたくなかった。気づかれたくなかった。そしてなおのこと、気づきたくもなかった。こんな嫌な自分がいることなんて、考えもしなかった。

「エリザ」

「え──?」

 抱きつく形で、さくらが身を寄せた。

「野々村先輩がね、以前言ってたの」

 覚えている。ついこの前、さくらから聞いた少女の名前。

「自分を好きにならないと駄目だよ……って」

「え?」

「誰かを好きになるのも、誰かに好かれるのも、きっとその延長線上なんだって。自分を嫌いな人は、きっと誰のことも好きになれないし、誰にも好かれないって」

「…………」

「私はエリザのこと、好きだよ」

「……あ……」

 ドクンと、動悸が高鳴った。何故だろう。こんなにも胸に響くなんて。たった二文字。たった一言。ただ──

 

 好き。

 

 そういわれただけなのに。

「そしてちゃんと知ってるよ? エリザが私のこと、好きなのも。エリザが私のこと見てくれているように、私もエリザのこと見てるよ。だからエリザ。自分のこと、嫌いにならないで」

「……あ……あぁ……」

 呻く。嗚咽と区別できないほど、弱く、儚く。

 何も答えることが出来なかった代わりに、エリザはさくらを抱き寄せた。彼女の小柄で華奢な身体が、女性にしては長身のエリザの腕の中にすっぽりと納まった。

 肌に感じる体温。愛らしい姪のぬくもりに身を委ねながら、エリザは思索した。自分のこと。これまでのこと。これからのこと。そしてまだ、自分にとって最大の問題が残っている、そのことについても。

(私はまだ何もしていない)

 自分のことが嫌いなのかどうかは、それから判断してもいいのではないか。全てが終わってから、考えればいい。

 もし彼が──神楽双真が今の自分を見たならば、きっとこういうだろう。

 

──自身を卑下している暇があるなら、さっさとすべきことをしろ。鬱陶しいから。

 

 想像だったが、きっとそうにちがいないという確信もあった。なにせ、これ以上彼らしい言葉も思い浮かばない。

 クスリと、笑みがこぼれた。自身にかかる重み。それを吹っ切ることの難しさと爽快さが、同時にこみ上げてくる。

「さくら」

「何?」

「私、遊のところに行くね」

「…………」

「話さなくちゃならないことがある。しなくてはならないことがある。先延ばしにしてきたけど、もうそれも限界みたい」

「……大丈夫?」

「わからない」

 正直な気持ちだった。

「だけどね、このままにはしておけない。戦いはもう始まってる。私の知り合いはもう戦場に向かったわ。なんの迷いもなく」

 そう。彼らは迷わなかった。

「私だけが逃げるわけには行かない」

 だから彼らは強いのだろう。

「これは私の戦いだから」

 純粋であるが故の強さ。無垢な戦士たち。短い人生の中で、自身の生き方を精一杯示そうとしている者たち。それはきっと、長く生きてきた自分にはないもの。

 だが──

(私は、私。それを失ってはいけない。絶対に)

「エリザ」

「……え?」

 不意を付かれた形で、エリザはきょとんとさくらを見つめた。

「がんばって」

 綺麗だと思った。汚れていないからではなく、汚れを知ってもなお純粋でいられることの美しさ。綺堂さくらという少女の鮮麗さ。何物にも代えられない麗姿が、目の前にある。

 失われなかったことが何より嬉しかった。

 この笑みがまた見られるなら、自分はいくらでもがんばれるのではないか。家族のために。愛する人のために。

 その想い全てを込めて、

「行ってきます」

 小さく笑い返して、エリザは転移のための魔力を紡いだ。

 

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