◇

 

「謝ってもきっと、貴方は許してくれないだろうから……」

 横たわる甥に向かって、彼女は言った。

「だから謝らないわ」

 それはきっと、自分にとって精一杯の強がりなのだということは自覚していた。何故なら、少し気を許しただけで、膝を崩してしまいそうだから。気を抜いただけで、目に浮かんだ水が視界を奪ってしまいそうだから。

 守りたかった人。けれど、それを拒否された事実と守れなかった真実が、容赦なく打ち寄せてくる。

「きっと貴方は、また力をつけるでしょうね」

 それは確信だった。

 氷村遊は決別したのだ。自分と。彼女と。そして一族と。

「そしてまた今回みたいに喧嘩することになる」

 そう、これは喧嘩だ。戦争でも、決闘でも、殺し合いでもない。こんなのは、喧嘩だ。

「いつでも相手になるから」

 彼は答えない。

「そんなことくらいしか、私は貴方にしてあげられない。でも忘れないで。私は、貴方が好きなんだって言うこと」

 それは紛れもない本音。彼女の真意。

「そろそろ行くわ。本当の、敵を倒しに」

 静けさが支配する空間は、孤独で、無慈悲だった。全身に寒気が走る。駆け巡る震えに身を硬直させて、エリザはもう一度、倒れたまま意識を失っている遊を見た。

 彼は動かない。答えない。

「またね、遊」

 軽く微笑んで──

 そして彼女は転移した。

 戦いの場所へ。

 

      ◇

 

 小さく、何かの鳴き声がした。

 小虎だろうか。次郎はきっと、飼い主である森ミルクのところへ帰っただろうし、鳥の鳴き声にしては、どこか違和感があった。

 山の中特有の静謐を肌に感じながら、耕介は目を開けた。

 自室。明かりは、空の上から降り注ぐ月のものだった。時計の針だけが、我関せずといった顔でチッチッと時を刻み続けている。

「御架月」

 部屋にいるだろう、霊剣、その本体に向かって、耕介は話しかけた。程なくして、返事が返ってくる。

「耕介様? お目覚めですか?」

「ああ」

「お身体は?」

「大丈夫。問題ないよ」

 寮のオーナーの養女からもらった痛み止めは、見事にその効力を発揮していた。骨折の痛みさえ、今はない。その分、霊力を怪我の治癒にではなく、体力の回復にまわすことができたのだ。

 体調は万全とは言いがたいが、悪くはない。

 ベッドから起き上がって、身体を動かしてみる。準備運動をする感じで。違和感があったが、全て稼動していた。問題ない。

 時計を見る。

 午前1時。

「みんなは?」

「真雪様以外は寝ていらっしゃると思います」

「そうか」

 応えながら、耕介は『御架月』を手に取った。特殊な金属で作られたらしいこの日本刀は、通常の物よりも重く剣士の腕にのしかかる。それに霊力を注入し、重さを中和しながら、彼は剣を鞘から抜いた。

「神我封滅」

 ポウっと──音が鳴ったわけではないが──刀身が光を放った。霊剣であることの証。自身の霊力が回復していることを確かめ、耕介は再び剣を鞘に収めた。

「さぁ、行こうか」

「どちらまで?」

「……適当でいいんじゃない?」

 耕介のあっけらかんとした物言いに、御架月は面食らったようだった。

「それでよろしいのですか?」

「いいと思う。っていうか、俺、敵の居場所知らないし。きっと、あちらさんから来てくれるよ。ここを戦場にするわけにはいかないから、俺が移動するしかないさ」

「……了解しました」

 納得したのか、御架月はあっさりと刀身の中に戻っていった。

 再び静寂が戻る。

 ドアを開けようとして、だが耕介はその手を止めた。ドアの真ん中にある張り紙、それを見つめて硬直する。

 マジックでデカデカと書かれていたことは、実にシンプルだった。

 

 行ってらっしゃい   by さざなみ寮生一同+椎名ゆうひ

 

「プッ!」

 思わず噴出す。心の奥底から、なんともいえぬ温かいものを感じて、耕介はしばらくその張り紙を見つめた。と、同時に不思議に思う。

(なんでゆうひの分まで?)

 考えてからはっとした。こういったことに根回しのいい真雪のことだ。きっと国際電話で委細説明したのではないか。

「耕介様?」

「いや、なんでもない。それじゃ、行こうか」

「はい」

 ドアを開けて、廊下を歩き、玄関へ。誰も起きてこない。誰の気配もない。みんな寝静まっているのか。それとも黙っているだけなのか。図りかねたが、玄関を出て一度、耕介は立ち止まった。

 振り返って、頭を下げる。

「それじゃ、行ってきます」

 それに応えるように。

 屋根で寝ていた小虎が、小さくニャアと鳴いた。

 

      ◇

 

 目を開けて。目に入ってきた天井を見つめる。寝ぼけた頭で、ここがどこなのかを思索するが、結論は出なかった。

「目覚めたか?」

 声。それが誰のものであるか、彼女はしばらくわからなかった。

 ここはどこだろう。

「ここは?」

 思ったままの事を聞いてみる。

「俺の家だ」

 声はひどく淡々としたものだった。一瞬誰なのだろうと考えて、だがすぐに思い当たる。

 神楽双真だ。自分が想い焦がれてきた相手がここにいる。

「しばらく出かけてくる。お前はもう少し寝ていろ」

「どこへ……?」

「決着をつけてくる」

 その一言で、リオ・カリスマンは全てを察した。そして全てを思い出した。それと同時に懸念する。彼は、甲龍を完全に敵と見据えている。自分と違って。

「甲龍様は……敵ですか?」

「ああ」

 即答だった。

「お前や、氷村遊の場合とは明らかに違う。あいつは耕介を狙っている。なら、紛れもなく俺の敵だ」

「…………」

「どういう結末になるかはわからん。が、あまり期待するな。殺すなと言われて、はいそうしますと言えるレベルの敵でないことくらい、お前もよく知っているだろう」

「はい……」

 寝そべったまま、彼の問いに返答する。

「わかったら、もう寝ろ。明日の朝までには終わっている」

「……あの!」

 身体を半分だけ起こして、リオは双真の上着の裾を引っ張った。

「何だ?」

「もう少しだけ、ここにいてください」

「駄目だ。もうあまり時間がない」

「…………」

 小さくため息をついて、双真がこちらに向き直った。暗闇のせいで表情までは読み取れなかったが、裾を握ったままの自分の手をどける彼の動作は、優しく温かいものだった。

「心配なくても、俺はお前を忘れない。決して忘れない」

「でも……」

「いいか、リオ。ここは俺の家だ。お前がこの家を出ない限り、俺はまたここに帰ってくる。そうすればまた会える。だから今は眠れ。眠って朝になって、起きる頃には帰ってくる」

「ホントに?」

「ああ。約束しよう」

 軽く頭をなでられて、リオはようやく落ち着いてベッドに身体を倒した。先の見えない闇の中で、彼の存在だけが安らぎだった。

「あの……」

「眠れないんだったら、俺の呼び方でも考えおけ。そうこうするうちに眠れる」

「……はい」

 言われたとおりまぶたを閉じて、彼のことを考える。

 神楽双真。反力者。アンチ・ディナミス。

 なんと呼べばいいのだろう。年上だから、呼び捨てはまずい。神楽さん。双真さん。双ちゃんとか呼んだら、きっと彼はむっつり顔のまま怒るかもしれない。何故か容易にその姿を思い浮かべられて、リオはクスリと笑みをこぼした。

 彼は笑うだろうか。

 笑ってくれるだろうか。

 だとして、どんな顔して笑うのだろう。

 小さく音を立てる玄関の音に気づかないまま、リオは再びまどろみに身を任せた。

 

      ◇

 

 戦いが始まる。

 終わらせるために。

 破壊するために。

 守るために。

 

「始めまして、槙原耕介君。私の名は甲龍。君に復讐する者だよ」

 黒い洋剣を携える老紳士の前で、耕介ゆっくりと御架月を抜いた。

 

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