16

 

 夜が始まる。

 

      〜第一幕〜

 

 見た目は初老だった。白髪交じりの老紳士。彼から受けた印象はまさしくその通りで、甲龍という名前から想像していたものとは随分と違っていた。中国人の顔立ちだが、肌は白い。瞳の色も、暗闇でよくわからなかったが、ほんのり青く灯っていた。

 その彼の右手に携えられた剣が、否応なくその存在を主張してきている。渋いグレーのスーツ姿が、より一層それを際立てているからだろうか。

 いや、違う。

 先程から肌に突き刺さるような気は分類するなら明らかに殺気だろうし、それを後押しする形で、霊力とは異なる力の波動が確実にこちらに意識を向けていた。

(これが魔力……)

 気圧されることだけはないように、耕介は御架月を鞘に戻した。そして鍔を切る。いつでも戦闘に入れるように、左足を半歩後ろに引く。腰を下げ、重心を下げつつ、身体を甲龍に対して横にする。

「うむ。初めてみるが、それが居合いの構えか」

 こちらが臨戦態勢に入ったところで、彼は歩み寄るその足を止めた。

「戦いの前に唐突だが、君には選択権がある」

「?」

「私を殺すか、私に殺されるか。選びたまえ。さすれば、無駄な戦いなどせずとも決着はつく」

 そう提案した彼の口調は、淡々としたものだった。感情の起伏も、発音の変化もない。人間味のないその声に、耕介は寒気を感じていた。

 彼らがいるのは工場地帯。海鳴市のはずれ、矢後市へと続く山中の中腹付近だった。何故ここにたどり着いたのかといえば、実を言えば根拠も何もない、ただの勘だった。

 ただ感じるままに歩き、何者かに呼ばれたかのように、自然と足がそちらに向いたのである。

 そして、その感覚が間違っていなかったことは、着いてから実感した。

 待ち受けていたのは初老の男。彼は自身を甲龍と名乗ったが、たとえ名乗らなくとも耕介は理解できたに違いない。

 いうなれば空気。気配。匂い。感覚的なもの。どこか漠然とだが、彼が敵だと本能が告げてくる。

 その敵との距離はおよそ十メートル。彼らがいるのは廃工場の一角、さほど広くもない工場内であるから、声が響くのはどうしようもなかった。鉄筋が積み重なり、放置され、鉄の錆と油の焦げた臭いが充満するこの場所で、対峙する。耕介は居合いの構えで、甲龍はただ黒い刀身の剣を肩に担いだまま。

「哀しいかな。戦うことでしか、自身を理解できない者がいる。私はそういう人種だよ。君もそうではないかね? 戦って、戦って、戦い抜く。その過程で、どれだけの人間を、どれだけの存在を踏みつけようとも戦い抜く」

「…………」

「自分の存在理由を欲して何が悪い。私はここにいる。戦うために。生きるために。私のために。私が私であることの証明のために」

 剣をおろす。黒い刀身が、月光を反射して青白く輝きを持った。

「私は復讐を果たす。この場所で。いささか舞台としてはお粗末ではあるが、まぁよしとしよう。さて、選びたまえ。君には選ぶ権利がある。私を殺すか、私に殺されるか」

 同じフレーズを、もう一度繰り返す。

 耕介は静かに深呼吸した。空気の循環。口から入った酸素が、血液のヘモグロビンに運ばれて心臓へ。そして心臓から押し出されて全身へめぐる。毛細血管の隅々までいきわたっていく。

 力を腹部の下あたりに溜め込みながら、耕介は全神経を前方の男の剣に向けた。肌が痛い。ピリピリと。右目のまぶたの端が細かく痙攣を起こしている。

 なんだろう。ピクピクと、右に引っ張られるこの感じは……一体……?

「──っ!」

 自分が右に跳躍しているのだと気づいたのは、今までいた場所が、何か鋭いものでえぐられていることを確認した後だった。身体が動いた後に自覚する。今、自分は紛れもなく攻撃を受けたのだ。

「ほう、今の攻撃を避けるか」

 感心したような声を上げる甲龍は、先程の場所から動いていなかった。

(何を──)

 言葉に出ない問いを汲み取って、甲龍がうっすらと嘲笑した。

「斬ったのだよ。空間を」

(空間?)

 言葉の意味が理解できなかった。空間を斬った。どうやって? あの剣で? いや、そもそもどのようにして? 剣閃はまったく見えなかった。剣圧で風を起こしたわけでもない。そもそも、甲龍は動いていない。全く。剣を抱える腕さえも、微動だにせず耕介の向こう百メートルの位置にいる。

 言葉どおりの意味だとしたら。つまりは、彼自身の間合いに、距離が意味を成さないのだとしたら。

(ちょっとまずいかもな……)

 心中で舌打ちする。

 甲龍が叫んだ。剣を上に掲げる。

「さぁ、選べ! 殺人者としての生か。常人としての死か」

「どっちもお断りだ」

「ならばどうする?」

「あんたを倒して、さざなみに帰る」

「それは傲慢ではないのか? わがままではないのか?」

 いやな予感がした。先程と同じ、だが今度はこめかみに電気が走る。自覚したときには耕介は長身の身体をしゃがませていた。自分の頭の裏、すぐそばを横切る存在に冷や汗をかきながら、衝撃が頭上を過ぎ去るのを待たずに横に転がり、すぐさま立ち上がる。

「傲慢で、わがままだよ」

 あっさりと認めてやると、整った甲龍の顔がはじめて怪訝そうに崩れた。そのことに多少の満足を抱きながら、続ける。

「今の俺にとって、何が最も正しいかなんて分からない。だがこれだけは言える。あんたは俺の敵だ」

「それはその通りだ」

 また、衝撃。空中で霧散するそれを眼前に確認しながら、後退する。

「ならすることは簡単だ。双真が来る前にあんたを倒す」

「彼が来る前?」

「ああ。あいつが来たら、あんたは死ぬ。間違いなく殺される。知らないだろうから言うけど。あいつが『殺す』のは、俺の『敵』だよ。そしてあいつが一度『殺す』と決めたら、必ずそれは実行される。相手がどれだけ強くても、だ。いいか。だからこれからするのは殺し合いでも、戦いでもないんだ」

「……私を助けるとでもいいたいのか? それこそ傲慢だと知れ!」

 跳躍──するが、間に合わなかった。地面を踏み込んだ右足に、ハンマーで殴られたような衝撃が走る。そのまま体勢を崩して、耕介は地面に滑り込んだ。腕の力を利用して、すぐさま起き上がる。

(攻撃が見えない……)

 そして剣は動いていない。ならばもう迷うことはなかった。今までの攻撃は、明らかに彼自身の能力だ。

「くっ……」

 痛みに顔をゆがめながら、耕介はすぐさま治療にかかった。立つのはもとより、何もしなくても痛い。骨が折れているのは間違いないだろう。霊力の一部を足に手中、痛みだけでも緩和させる。

(下手したら負けるかもな……)

 これで動きに制約が着いてしまった。どうするか、と考える間もなく、身体が動く。右方向への跳躍。今いた場所がコンクリートをえぐるように掘り出される。

 それを機に。

 耕介は意識を集中させた。痛みと呼べる感覚をカット。五感という端末全てを開放。希薄になる自分。底なしの穴の中に落下する浮遊感。

 見つめた先にいる敵は動いていない。否、首だけがこちらを向き、視線だけが耕介を捉えている。

「敵の攻撃の正体がわからないのなら……」

『先手必勝です。耕介様』

 剣を通して、御架月の意識が流れ込んでくる。そして、それが合図だった。

『纏』

 空間からの離脱。時間の流れから、己という存在を剥離させる。一時停止した空間を駆け抜け、移動した先は敵の真上だった。

 敵は視えていない。当たり前だ。これはもはや、瞬間移動と同じなのだから。

(取った!)

 瞬間的に『纏』を解除。彼の剣にむけて振り下ろす。勝つためには敵の息の根を止めろ。負けないためには、敵の武器を破壊しろ。双真から教わった戦いのいろは。過去の産物。まさか、再び思い出すとは思っていなかった知識を引っ張り出して、耕介は現在に帰還した。

 驚愕と、戦慄を伴って。

「なっ──っ!」

『御架月』を振り下ろし、だが耕介はその状態のまま空中で静止した。

 剣は止められていた。たった二本。彼のしわの走った二本の指で。

(白羽取り?)

 現実を認識する。百九十を超える長身の自分。その全体重を乗せたはずの剣撃が、もう六十近い、それも決して筋肉質ではない男の二本の指で止められている。力を入れようと、どれだけ体重を乗せようと変わらない。びくともしない。

(くそっ)

 結果を結果として認め、すぐさま耕介は力を抜いた。しっかりと固定された剣を力任せに引き抜き、彼から離れようと地面に着地する。

 だが、

「逃がさないよ」

「がっっ!」

 衝撃は後方からやって来た。地面に叩き伏せられる。それでも背骨が折れなかったのは、無意識のうちに身体が動いていたせいだろう。だが内臓へのダメージは確実だった。嘔吐感が一気にこみ上げてくる。口いっぱいに広がったのは、甘酸っぱい味ではなく、鉄のそれだった。

「その技、神咲無尽流『纏』……と言ったか」

「……っ」

 問いかけは突然で、漠然だった。甲龍がこちらを視認する前に、耕介は跳躍して彼と距離を取る。もっとも、それが何かしら効果のある行動とも思えなかったが。

「何故、知っているのかという顔だな。しかし、君が一度見せたのだぞ? さざなみ寮で、神咲薫を相手に。監視されていたことに気づかなかったか? フム。まぁ、いい。何にせよ、部下から聞き及んだ通りの術で、私が予想したとおりの技だったな」

「どういう意味だ?」

「今、体感した限りでは、『纏』は高速移動術ではないだろう? 時間軸からの離脱。自分の時の流れだけが速くなるため、結果的に高速移動を可能にしているだけだ。ならば、それを保ったまま攻撃すれば、それこそ反撃を受けないまま勝つことが出来る」

「…………」

「だというのに、君は私の頭上で『纏』を解除した。神咲薫のときもそうだ。故に私は確信を持って進言しよう。『纏』発動時に『攻撃』は行えない。攻撃すれば、術によって強制的にずらされた時間軸の空間が干渉しあい、その攻撃した場所を基点として時間軸が元に戻ろうとする。そしてその反動が一気に術者へと襲い掛かるのではないか? 故に、君は『纏』を使ったまま攻撃は出来ない。何か間違いがあるかな?」

「いや。全部正解」

 あっさりと、耕介は弱点を認めた。絶対的な時間操作に属する『纏』が、何故一灯流ではなく、無尽流にしかなかったのか。霊力を必要とするわりに、決定打に掛けるその理由すべてがそこにあった。

 要は、使い道が限定されているのだ。移動に関しては限りなく早い。が、結局攻撃するときは通常の速度に戻っている。結果、不意打ちにしか使えない。この技を知る相手には、二度と通用しない。

 甲龍が例え『纏』の内容を聞き知っていただけだとしても、落ち着いてこちらの攻勢に対処できたのは、つまりそういうことなのだろう。だがそれも、彼の怪力の説明にはなっていない。うかつに近づくわけにはいかない。さりとて、こちらが間合いの外では攻撃さえできない。

(さて……どうする……)

 余裕の表情で、甲龍が懐を広げた。

「さて、どうする?」

「あんたを倒すさ」

「どうやって?」

「どうにかして」

 少しだけ、甲龍の眉が動いた。こちらとて、決してふざけているわけではない。ただ、根拠のない自信があるだけだ。それを示したつもりだったが、彼は気に入らなかったらしい。

「神楽双真。あの反力者抜きで、私に勝てると?」

「勝つさ」

 違う。勝たなければならないのだ。負けは赦されない。

「あまり私を失望させてくれるな。君は神楽双真がどういう人物かわかっているはずだ。知らないとは言わせない」

「ああ。知っている。資料なんかでしか知らないあんたよりは、遥かに。確実に。絶対的に」

「ならば理解できるだろう。君の実力だけでは遠く私には及ばない。私が何者かも知らないまま、死ぬか? それとも彼が来るまで時間を稼ごうという考えさえ及ばぬほど君は間抜けか?」

「どっちもいやだ」

「槙原耕介」

 再び、甲龍が耕介をフルネームで呼称した。

「君は愚かだ」

「あんたほどじゃない」

「君は何もわかっていない」

「だから、あんたほどじゃないって」

「現状の把握。戦況。実情。君は理解しているか? これは復讐だといったはずだ。そしてその標的は君と、神楽双真だ。二人揃わなければ意味がない。もう一度言う。君一人では意味がない。破壊するために心を消すことのできる破壊者と、意味消滅を仕掛ける事が出来る反力者。君が破壊者を制御しようがしまいが関係ない。神楽双真がいないという事実は、君にとっては決定的な敗北を意味する」

 どうにも会話がかみ合っていない。だがそのことを問い正す余裕は耕介にはなかった。動きを止めてはならない。意識半ばで止まりたい衝動を切り捨てながら、耕介はひたすら縦横無尽に動き回った。骨がきしむ。気を失うほどの痛みがある。が、走らなければならない。動かなければならない。甲龍がどのような理屈で攻撃を行っているかは分からないが、現に、今自分は攻撃を受けているのだ。

 彼の攻撃には距離という制限がない。だが時間差はあるらしい、少なくとも、彼が意識を向ける必要がある。攻撃力も高い。一発直撃を喰らっただけで、急所ならば致命傷にもなりかねないほどの衝撃がある。

 空間爆砕。

 言葉として表現するなら、そういう感じだった。彼は空間を斬ったというが、右足に感じた触感的には、どちらかといえば「叩き壊そうとした」という方が正しい。

「君が何を知っている? 否。何も知るまい。自身のことさえ知らない君が、私や神楽双真について、一体何を知る。では聞こう。君が頼りにしている神楽双真。その彼が持つ『反力』とは何だ。一体、どういう能力だ」

 彼の言葉は、どこか自棄になっているようにも聞こえた。

 ふざけるなと、言い返してやりたかった。論点がずれている。彼がいったい何を言いたいのか、耕介には分からなかった。が、甲龍が口上を続ける間も攻撃は止まないので、それを言ってやることも出来ない。何にせよ、こちらの返事など期待していなかったのだろう。彼は息を切らせながら、しゃべり続ける。

「反力とは、存在に対し意味消滅を仕掛ける能力だ。力を奪うのはその一端でしかない。では意味消滅とは何か。君は知っているか? この世界は全て、情報で成り立っている。情報とは、別に文字や記号、音や絵だけではない。遺伝子や、原子にいたる、存在する全てのものが情報で成り立っている。遺伝子に人間という『情報』がなければ、我々はホモサピエンスでさえなくなってしまう。意味とは、それら情報の上に形成されるのだ」

 興奮のあまり、甲龍はところどころ舌をかんだように口ごもった。

「反力とはそれらを消し去る能力だ。これがどういう意味か分かるか? 消し去られた存在は、意味を成さなくなる。それはつまり、情報の霧散。初めから存在しなかったのと同義なのだ。誰の記憶にも残らずに消え去る。誰も気づかないうちに消える。消えたという認識さえされないままに。生まれて、存在したという痕跡すら残らないのだ。その存在に関わった全てが消滅するのだ。そんな力を有するあの男は、紛れもなく世界の異物なのだよ。いいか? 世界は存在しているんだ。存在という事象を、世界自身が容認している。にもかかわらず、世界はそれを否定するような存在を生み出した。世界そのものを消去する存在を生み出した。その理由は定かではない。だがこれだけは言える。あの男は異物だ。世界に巣食うウイルス、癌細胞なのだよ」

 そうまくし立ててくる甲龍の言葉に耳を傾けながら、少なからず、耕介は驚いていた。驚いたのは甲龍が語る反力の実態にではない。自分がそのことを知らなかったことに対してだった。というのも、反力の実態というものを、耕介はそこまで深く考えたことなどなかった。実際、双真が敵を消滅するまで力を施行したところは見たことがないからだ。

 だが、反力が生命ある者にとって最悪の能力であることは理解していた。双真が自身に何重もの制約を課して制御を行っていることも知っていた。

 そしてふと思う。

 料理で使う包丁は、あくまで調理道具だ。人を魅了する料理の数々を作るための、大事な存在だ。だが一方で、人を殺すこともできる。

 使う者によって、道具や能力は、その顔をコロコロと変える。

 では双真に関してはどうか。反力という最悪の力。それを扱う、神楽双真という人物。

 無愛想、無遠慮、無神経。協調性ゼロ、保守性ゼロ、自己中心的で、常識は持っていても使わないタイプの人間。暴力的で、利己的。長所より短所の方が目立つ男。

(…………)

 だが、そんな彼にもいいところはある。彼は決して子供には手を出さない。自己中心的であるが故に、自分に正直だ。決して嘘を言わない。加えて、甘党だ。ケーキやシュークリーム。チョコレートといったお菓子類には目がない。コーヒー派で、ブラックで飲むのが好きらしい。

(何故?)

 そういえば聞いたことなどなかったが、まぁこの際どうでもいいことだと、耕介はそれを思考から除外した。他に彼の長所を考える。

 長所。

 …………長所。

 ……………………長所?

 ああ、なるほど。言われてみれば、

「確かに、双真は究極の危険人物だよ」

 だがしかし、そんなことは甲龍に改めて言われるまでもなく、

「けどなぁ。そんなのはもう思い切り今更って感じだよ……」

 驚きや戦慄よりも、ため息の方が先に出てしまう。

 その間も、回避行動はやめない。甲龍は攻撃を続けてきている。先程と比べ、彼の白髪が少し進行しているように見えたのは気のせいだろうか。

「……今更、だと?」

 忘れていた声が響いて、耕介は現実に戻った。眉間にしわを寄せ、目を血走らせながら、こちらを睨んでくる甲龍の表情は、さながら明王のように歪んでいた。最初に見せていた余裕がなくなっている。

「今更だと言ったのか!」

 激昂しつつも、だが彼はまだ剣を抜かなかった。

「今更か。確かにその通りかも知れん。さざなみ寮という場所で、優しさとぬくもりを知った君にとっては、もはや過去の事実なのかもしれない。ああ、だが忘れてくれるな。そうやって真実から目をそらす君は、どうあがこうと私には勝てないのだ」

 激情から一転して冷徹になった灰色の瞳に射抜かれて、耕介は思わず寒気を抱いた。

(くそっ。不本意とはいえ、怒らしたのはまずかったか?)

 攻撃は続いている。そしてそれを避け続けている。だがこのままの状況が続けば、体力がもたないのは明白だ。そして息切れした自分に待っているのは、無残な敗北だけだ。それだけは、防がなくてはならない。

 覚悟を決める必要がある。

 彼の攻撃を避けるのではなく防ぐ。それもダメージを出来る限り少なくして。その後瞬時に攻撃に転じなければならない。

 タイミングを見誤れば──

(死ぬかもな)

 そしてまた不意に意識が飛ぶ。一瞬で回復した視界を切り払い、耕介は再び思考に入った。

 死ぬかもしれない現状。そうなったのは何故か。今、自分がしていることは、結果的に何かしら意味があるのか。いや、それ以前に──

(……ん……?)

 軽く疑問にぶち当たって、耕介は軽く首をかしげた。

 何故、こうも軽く考えてしまうのだろう。別に死にたいわけではない。命を軽んじているわけでもない。だがどこか、心躍っている自分がいる。そして心の片隅に、消すことの出来ない違和感がある。そのことを自覚する。自問して、答えようとして、だがおもいとどまる。その戸惑いもまた何故生まれたのか。どこか堂々巡りのような気がしたからだ。

 そもそも──

 これは一体、何のための、誰のための戦いだろうと、その点からまずはっきりしていない。

 自分のため? 双真のため? さざなみ寮の皆のため?

 どこか違う。何のためとか、誰のためとか、そういうややこしくて難しい哲学的なことを、そもそも考えたことなどあっただろうか。

 なるほど。確かにここにくるまでは自分がさざなみに無事帰るための戦いだとか、さざなみのみんなを守るためだとか、そんなことを考えたりもした。確かにそれは本心だ。心の底からそう思うし、気持ちは変わっていない。だが今ここで、それに納得がいかないのは、要はそれだけ(・・・・)が真実ではないということだ。

 自分は今、ここにいる。

 誰かのためでもなく、何かのためでもないのだとしたら、無目的で無意味で、加えて生産性も効率性も全くない状況にいることになる。

 だがそれに、どこか懐かしさを感じる。

 …………

(あ、なるほど)

 それは、閃きと呼べるほどのものでもなかった。ただ自覚しただけだ。しかし、バッティングセンターでホームランをたたき出したときのような爽快感があるのは確かで、それは確実に耕介に力を与えた。

 吹っ切るよりも簡単に、決意が固まる。

 何年ぶりかに感じる心地よい興奮に身を委ねながら、耕介は敵を見据えた。視線が交わる。甲龍もまた、何かしらの決断を下したようだった。

「気が変わったよ。神楽双真が来るまで、私は自身の復讐や、その目的を語るまいと思った。今もそれは変わらない。だがもういい。君には失望した。何も分かっていない君に、語る舌を私は持たない。何故殺されるかもわからないまま、先に死ぬといい、槙原耕介」

 その言葉で判断する。やはり自分は間違っていない(・・・・・・・)。だから耕介は笑った。

「理解していないのは、やっぱりあんただよ、甲龍」

「……私が? 何をだ。私は理解している。全てを。君のことも。神楽双真のことも。故に断言しよう。君は私に勝てない。私のことはもとより、友人である神楽双真のことも、自身のことも自覚せず、理解していない君では私に勝てない。わかっていないといのはそういうことだ」

「だ・か・ら!」

 いい加減、苛立ちを覚えながら、耕介は吐き捨てた。

「何度も言わせるな。あんたほどじゃない。いいか。双真がどうとか、あんたの事情がどうとか。そんなことは関係ない(・・・・)んだ。さっきからくどくどと、一体あんたは誰に向かってしゃべってるんだ?」

「…………何?」

 甲龍の顔が、苦渋に歪んだ。ただ、精神的に理解しがたいというだけで、端正な顔に見るも無残なしわが走る。

 それもそうだ。ここには耕介と甲龍、二人しかいない。甲龍の話が全て耕介に向けられていたことなど、考えなくても分かる。

「一体、誰と戦っている?」

「気でも狂ったか?」

「狂ってるのはそっちだろ? 本気で分かってないようだから、もう一度言ってやる。あんたは一体誰と戦っているつもりだ? いや。それさえわかっていないから、そんなウンチクが出てくるんだ。俺が誰だかわかっていないんだ(・・・・・・・・・・・・・・)

 そうだ。彼はわかっていない。

 昔の自分。過去の遺産。決して消えない事実。けれど、紛れもない生きた証。それを呼び覚ましたのは他でもない。甲龍自身だ。

 にもかかわらず、彼はまだこちらをそういう存在(・・・・・・)であると認識していない。

 だから彼はわかっていないのだ。

「君は……」

「あんたは、あくまでさざなみ寮の管理人である俺しか知らない。ああ、確かにそれは俺の現状で、あそこは大切な俺の居場所だ」

「…………」

 まだ。まだタイミングが合わない。だから耕介は止まらない。甲龍の攻撃も止まらない。

「だけど、自覚しろよ? んでもって、あんたが喧嘩を売って(・・・・・・)それを買った()のが、一体誰なのか。よく考えてみろ」

「何……だと?」

 まだ……まだ……

「俺と双真を敵に回した時点で、あんたの負けは決まっていた。ま、確かに俺一人では勝てないかもしれない。けどはっきり言ってそんなのはどうでもいいんだ」

「勝てなくてもいいというのか?」

「勝てるなら、それに越したことはないけどね」

 まだ。まだだ。

「それは自棄になったと見ていいのか?」

「自棄? そういうふうにしか俺を見れないから、あんたは何も分かっていないのさ」

「私が一体、何を見落としているというのだ!」

 叫び、咆哮する。それこそが待ち望んだ瞬間だった。

(ここだ!)

 衝撃が右に流れ、弾けるのを視界の隅で確認して、耕介は地面に足をすえつけた。重心を落とし、五感を研ぎ澄ませる。衝撃が来る場所を予想すべく。ともすれば、甲龍の存在さえ思考からシャットアウトして、霊剣『御架月』を構えなおした。

 静謐が自分を支配した。心臓の鼓動。脈打つ血液の流れを肌で感じる。永久にも感じられる時間。緊張でどうにかなってしまいそうだった。身を固める。汗が浮かぶ。そしてそれは、ほどなくしてやってきた。だが、現実にはほんの数秒の感覚。

(右!)

 腕を引き、襲い掛かってきた衝撃そのものに剣の峰を当てる。霊力を放出しながら軋む『御架月』を両腕で支えて、耕介は全身を走りぬける振動に気が狂いそうになった。

 だが踏みとどまる。そしてそれは、紛れもなく転機なのだと、本能が告げてくる。

「はぁぁぁっ!」

 気合とともに、霊気を霊剣に注入。『御架月』が、そこから放出する霊力が、衝撃波を打ち砕く。剣を思い切り振り下ろして、耕介はありったけの霊波砲を解き放った。

 

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