〜開幕〜
夜は続く。
◇
視界が歪む。
世界が沈む。
ふら付く身体を支えきれずに、崩れ落ちそうになったところを支えてくれたのは、かけがえのない親友だった。
「よくやった。お前の勝ちだ、耕介」
「双真……」
痛みはもう、感じなかった。疲労と霊力の消費と精神的な打撃が、彼を打ちのめしていた。
だがそれでも、崩れ落ちた甲龍の身体が、次第に枯れていく様を見た時は、耕介は我が目を疑った。知っていたことだが、それでも驚かずにいられなかった。
あれほど若々しかった甲龍の顔が、身体が、次第にしぼみ、しわだらけになり、やがて元の姿よりも弱々しい姿をした老人がそこにいた。骨と皮だけになった姿で、彼は息苦しそうに胸をかきむしりながら、汗だくになった頭を振る。血走った目は白目をむき、ふさがったはずの彼の右腕の傷跡から、血が吹き出ていた。
その痛々しい姿を見つめながら、耕介は破壊者と呼ばれる自分たちについて考えていた。
破壊衝動を突発的に増幅させる精神変移。そんなことが出来るようになった理由は、ひとえに悲しい出来事を経験したからだ。
しかし──と、耕介は思う。
与えられた世界に文句を言うことなど、誰でも出来る。だが、自分で新たな世界を勝ち取るのは容易じゃない。そんなことにも気づかず、耕介は破壊者として多くのものを壊してきた。知っているもの。覚えているもの。記憶にさえ残っていないもの。
壊れたものは直せない。同じ形、同じ機能を持って再現されても、それは同一の存在ではない。命ある者なら特にそうだろう。
そう、例えどれだけ傷つけられようと、他人を傷つけていい理由にはならない。それがあの少年の頃にわかっていたなら、きっと耕介は破壊者になどならずに済んだのかもしれない。
だがこうも考えられないか。破壊者はきっと、耕介を彼ら──HELL&HEAVENと、今も自分を見てくれている双真と、そしてさざなみ寮のみんなと出会わせてくれたのだ。破壊者となることで経験したのは、決してマイナスな事だけではなかったから。
そしてそんな都合のいい考えに、耕介は内心くすぐったくなった。
(やっぱ俺は甘いわ……)
けれど、だからこそ、耕介はどこまでも自分らしくいられる。それだけは自信を持って言えた。それだけは誇らしかった。
だから──
「だからあんたは俺とは違う。俺はあんたのようにはならない。俺はみんなが好きだ。みんなを愛したい。例え死ぬ時は一人でも、みんなと一緒に生きていく」
「俺は……」
その声は、もはや耕介が知っている甲龍のものではなかった。しわがれた、もうすぐ死を迎える老人のようにか細く、脆弱な響きが、耕介の胸をついた。
「俺は違うのか。お前とは違うのか」
「…………」
「どうして、俺は、自分自身で、俺は、生かされてなどいない、自分の意思で、破壊を望んで、この哀れな世界に……」
「ああ、あんたは自分で決めて、自分で生きたんだ。生かされてなどいない」
「……俺を哀れむか?」
その問いに、耕介は驚いた。肩を貸してくれている双真もまた、少なからず驚嘆しているらしく、一瞬だけ身体を硬直させる。
「正気に戻ったのか?」
「俺はもとより正気だ。狂ってなどいない」
「そうか」
「狂っていない」
「ああ、わかった。お前は狂っていない」
「ならばもう一度問う。俺を哀れむか?」
「いや……」
力なく、耕介は首を振った。それは間違いなく彼の本心だった。
「なら何故泣く?」
言われて初めて、耕介は自分の頬に伝う温かいものに気づいた。意識することなく、だが気づいても、その流れは止まらない。止められない。
「あ……あれ?」
「耕介?」
「双真。俺、何で泣いてんだろう」
「…………やはり違うのだな」
その様子を見た甲龍が、呟いた。
「ようやく理解した。お前は俺とは違う」
「…………」
「命の奪い合いをした敵のために涙を流せるお前は、やはり俺などとは違うのだろうな」
「俺は……」
何か言いかけようとして、だが言葉が見つからずに、耕介は黙り込んだ。と──
バサリという、何かが崩れるような音に、耕介は訝しげに眉をひそめた。
「始まったか……」
「何が……?」
問いかけながらも、耕介には何が始まったのか、すぐに理解できた。崩壊が始まったのだ。破壊者による細胞の酷使。肉体の限界を超越することによって引き起こされる崩壊が始まったのだ。限界を超え、人間の枠を超え、細胞すべてに破壊活動を要求した結果の事象。
「甲龍……」
「気に病むことは無い。ただでさえ崩壊が始まっていたものを、グルームリングでとどめていただけなのだ。私はもうすでに死んでいるはずなのだよ」
何か言わなければならない気がした。しかし、何を言っていいのかわからなかった。
「後悔はしていない。やはり、私は、私の意思で生きていたのだから。たとえ誰かに利用されているだけだとしても、私は私の意志に殉じたのだ」
甲龍の瞳は、もうこちらを覗いていなかった。天井を、その焦点の会っていない瞳で見つめ、小さく息を吐く。その息もまた、砂塵で濁ったものだった。足が、身体が、腕が、次々と崩壊していく。
「私の死は自然の摂理だ。自業自得だ。故に槙原耕介、君が自分を責める必要は無い。いいな、もう一度言う。お前は気にするな」
バサリと、顔の半分が崩れ落ちた。砂のようにサラサラと、風に揺られて塵になって霧散する。
「ありがとう……」
そして全てが消えた。
◇
「双真……」
言いたいことはたくさんあった。
「俺は、彼に何か出来たんだろうか」
「する必要は無い」
きっぱりと、双真は言い切った。あまりにもスパッと切り捨てた物言いに、耕介は目を丸くした。
「耕介、あれは敵だ」
「知ってる」
「だからお前が気にする必要はない」
それはその通りだと思う。だが言わずにはいられない。何かに突き動かされるように、耕介ははき捨てた。
「あの時はああいう風にいったけどさ、彼は俺なんだよ、やっぱり」
「耕介?」
「家族や仲間がいたかいないか。止めてくれる人がいたかいないか、それだけなんだ。たったそれだけの差なんだよ。俺と彼の違いは。もしかしたら、俺がああなってたかもしれなかった」
そう、本当の意味で、彼は映し鏡だった。耕介にとって、甲龍は自分が歩んだかもしれない姿だったのだ。家族がいなければ、仲間がいなければ、きっと耕介も、独りであることに耐え切れずに、彼のようになっていただろう。
だが──
「だがお前には俺がいる」
それをあっさりと、双真が一蹴する。
「お前には家族がいる。そう呼べる人たちがいるんだろう? たったそれだけというが、それだけのものがあるのは本当に奇跡的なことだ。家族も、仲間も、当たり前にあるものじゃない。大切に守らなければ、たちまち壊れてしまう」
「……そうだな……そうだよな……」
少し憮然とした表情で、双真は続けた。
「それでも気にするのがお前の長所だろうが。いいか、耕介。あいつは自分で、自分の意思で生きてきたことを証明するために戦っていた。そしてお前はそれを証明してやった。それ以上、お前がしてやれることはないし、それ以外のことをしてやる必要も無い。もしあいつが死んだことを気にしているのなら、それは驕り高ぶった傲慢と言うものだ」
「そんなつもりじゃ……」
「なら胸張って、もう少し毅然としてろ」
「いや、無理っぽい。身体がもう言うこと利かない」
「……だったら」
と、双真は言葉を切った。一端、甲龍が崩れ去った跡に視線を移す。そこには、彼の衣類だけが無残に、人型のまま横たわっていた。
「だったらせめて、笑顔で送り出してやれ」
さも当然のようなその物言いに、耕介心の底から自然に笑い声を上げた。
◇
疲労困憊とはまさしく今の耕介のことを言うのだろう。
彼の身体──身長だけでも軽く双真よりも十センチほども高いので、比較的微妙な抱え具合のまま、双真はエリザのところまで歩み寄った。眠っている彼を起こしたくなかったが、このままの体勢だと、いつ崩れ落ちても可笑しくなかった。
「終わったのね」
「ああ」
短く、答えておく。腰に手を当てて身構えているエリザは、どこか達観した表情をしていた。
「で、私に何をしろって?」
「話が早いな」
「いい加減、貴方のパターンも見えてきたのよ。付き合い方が分かれば、対処のしようはいくらでもあるわ」
幾分か、いや、かなりの部分で諦めたようにエリザがため息をついた。
「何に落胆しているのか知らんが、人生諦めはよくないぞ」
「貴方が言う? そういうこと言う?」
「……一体、何が不満なんだ?」
「だからそう言うことを……はぁ、もういいわよ。それで、どうすればいいの?」
再び深いため息をついたエリザに、双真は考えを告げた。
「ああ、頼みたいことは至極簡単だ。耕介を連れて病院へ行ってくれ。いい医者を知っているなら、そっちのほうでもいい」
「それだけ?」
「それだけだ」
「神楽君は?」
「残る」
「何故?」
「…………」
その問いには答えずに、双真はしばらくぽっかりと空いた天井に視線をやった。月は見えない。太陽も見えない。だが確実に、朝は近づいてきていた。
(あまり時間もないか)
「夜が明ける」
「そうね」
「その前にすることがある。夜が明ければ、時間切れだ」
「何のこと?」
「知りたければ、後で話す。今は──すまん、何も聞かずに耕介を連れて行ってくれ」
「助けは?」
「いらん」
きっぱりと言い切ると、一瞬だがエリザの顔に落胆らしきものが走った。今までの呆れたようなものとは違う、少し傷ついたような、そんな表情だった。
「気を悪くしたなら謝ろう。事実、お前には感謝している。これは本当だ。だが、こればかりは譲れん。他の誰にも、耕介にも出来ないことが残っている。俺がしなければならない」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「死ぬつもりじゃないでしょうね」
「あいにく、帰ると約束してしまったのでな」
誰と、とは言わなかったが、それが誰なのか、エリザはうすうす気づいているらしかった。小さく、唇を震わせる程度に笑って、双真から耕介を受け取る。
随分不恰好だなと思った瞬間、エリザの唇が動き、何かしら呟いたと思ったそのときには耕介の身体が宙に浮いていた。
(魔術か……)
確認はしなかったが、おそらく違いないだろう。
「行ってくれ」
エリザは軽く微笑んだだけだった。本人が起きていたら、絶対に恥ずかしがるような格好で、耕介がぷかぷかと宙に浮いている。風船を押すような形で、手で彼を軽く支えながら、エリザが工場を後にした。
その後姿を見送る。十分ほど経っただろうか。やがて気配も感じなくなった頃、双真はゆっくりと工場のさらに奥へと足を向けた。
そこは闇の空間だった。双真が壊した天井から入る月光さえ、そこには届いていなかった。闇。黒。一歩踏み込めば、奈落の底に落ちてしまいそうな深淵の闇。暗黒。
だが、そんな空間だからこそ、それはひときわ目立っていた。
エリザたちがいたときから、それはそこにいた。気配さえ感じさせていなかったが、双真にはわかっていた。
「そろそろ、出てきたらどうだ?」
それに向かって、声をかける。返答はなかった。暗闇の向こうからやってくる視線が、一瞬だけ強まる。何かを踏んだような音がした。砂利の音だった。
一歩一歩、それはこちらに近づいてきた。
闇から光へ。くっきりと明暗の分かれている影の境界線上で、それは足を止めた。
「いつから気づいていた?」
予想通りの質問に内心苦笑しながら、それでも双真は答えた。
「違和感を覚えたのは、リオと戦った後だ。リオ、氷村遊、そして甲龍。これら三者の敵。その存在。戦う理由。それぞれが全くバラバラだった。協力するにしても、おかしな関係だ。協力する意味がまるでない」
「それで?」
「リオは俺だけを見ていた。甲龍の目的は、本質は耕介だけだ。そして氷村遊はエリザだけを敵視していた。ま、氷村に関して言えば、少なからず耕介への攻撃を行っていたようだが。甲龍の部下を動かしてさざなみを襲わせたのは、おそらく奴の差し金なのだろう? だから、お前はあいつを殺した。うっすらとだが残っていた氷村遊の気配が消えたのは、お前のせいじゃないのか?」
「殺してはいないさ」
それはほぼ双真の言葉を肯定したも同じだった。
「魔術師としての彼は死んだ。だが、氷村遊個人はまだ生きている。その辺は、結構、慈悲をかけた方だと思ってるけど?」
「どうでもいい、そんなことは」
「違いない」
それが小さく笑うのを見て、双真は少しだけ体の力を抜いた。いつでも踏み込めるように重心を落とす。
「ずっと引っかかっていたのは『復讐』という言葉だ。一体、甲龍はどこで耕介のことを知った? 耕介が『破壊者』であること、『HELL&HEAVEN』の元幹部であること。過去を調べれば分かることだろうが、何故甲龍はあいつの過去を調べようなどという気になったのか。それがずっと疑問だった」
「それで、疑問は晴れたのか?」
「ああ。お前だ。お前が教えた。違うか? ここへ来る前、一度方向を間違えてしまったんだが、それも何のことはない。お前のいるほうへ向かっていただけなんだな、俺は。無意識ではあったが」
「ああ、あれね」
思い当たったように、それがうなずく。
「あれにはさすがに驚いた。お前が殺気を隠すことなく、こちらへ向かっていると知ったときには、どうしようかと迷ったよ。ここで戦っていたあいつとエリザベートの気配を感じてくれなかったら、もっと早く俺たちは出会っていただろうな」
「だが、結果はこの通りだ。これもお前のシナリオ通りか?」
悲しげに、親に理解してもらえない子供が見せるような表情で、それは弁明した。
「……勘違いしないでくれ。シナリオなんてものを書いた覚えはない。俺は何もしていない。きっかけを与えただけだ。誰も気がつかないような、小さなきっかけをね」
「そうか。で、他には?」
「というと?」
訝しげに、それが端正な眉をひそめた。暗闇の向こうでも、それの顔ははっきりと双真には見えていた。どこか困ったような、そんな表情でこちらを見ている。
「俺に何か言うことはないか、と聞いている」
「……そっちが聞きたいんじゃないのか? 何故こんなことをしたのか、とか」
「そんなことはどうでもいい」
そう言い切った瞬間、風が吹いた。崩壊しかけていた天井が音を立てて崩れ、双真の後方数メートルのところに落下していく。分解の仕方が悪かったのだろうか、随分と大量の鉄骨が落ちてきていた。天井の穴が大きく広がり、それの前にあった影の境界線がなくなっていく。
影の領域から現れたのは、長髪、長身、スーツ姿の男だった。黒い上下のスーツ。黒のネクタイ。葬式を連想させる格好だが、その端正な顔立ちに見合っている気がしないでもない。それが──彼がどんな服でも着こなせる人物であることを、双真はよく知っていた。
「お前の行動理由など聞く気はない。これからすることに変わりはないからな」
それが何なのか、彼もまた理解しているようだった。何も言わず、何も反応を見せず、ただこちらを臨んでいる。
その彼に向かって吐き捨てた言葉は、酷く端的なものだった。
「お前は殺す。死ね、十四郎」
彼──名鳥十四郎が軽く笑う。それに応える必要はなかった。一気に意識を開放する。戦闘活動のための意識変異。何かを壊すために存在する気配が増大する。
かつての友人。仲間。他、言葉に表せる関係全てを覆すほどの付き合いのあった人物に向けて──
お互いが殺気を抑えることをやめた瞬間、二人の戦いは始まった。