◇
「ふざけるな!」
罵声を上げる。
こんな形の終わりを望んだわけじゃない。望んでないどいない。生きるために──命を懸けて戦い生きようとして、得られたのがこんな結果だと?
認めない。
「絶対に認めない!」
叫んで、その声で十四郎は自身をどうにか現実に引き止めた。
彼を失って、得られるものなの何もない。彼のいない世界に、意味などない。得られるものがない代わりに、失ったものが大きすぎはしないか。
「こ、耕介? 耕介! 耕介っ!」
身体を揺らす。自分が医者だということも忘れて、十四郎は彼を地面に仰向けに寝かせた。傷口を見る。よくよく見ると、それは心臓部からは外れていた。あれは何だったのだろう。錯覚だったのか? 心臓を貫いたような感覚は確かにあったのに。
いや、いい。いまはどうでもいい。彼の心臓は動いていた。酷く脆弱に。ゆっくりと。その近辺だけに出血は酷かったが、彼はまだ生きている。ただ、これまでの疲労とダメージと、今の衝撃で彼の意識は完全に飛んでいるらしい。どれだけ呼ぼうと、反応はすれども、意識が戻ることはなかった。
「……どうすればいい? えーと……あ、ああ、そうだ。止血して……止血……?」
止血の方法がわからない。わからない。どうすればいい。思い出せ。とめようもなく流れ続ける血の勢いの前に、手のひらを当てても意味がないのだ。
と──
「ああ、やっぱりこうなったか」
どこか冷静で、いくらか呆れたような声に、十四郎ははっとなってその主を見た。それと同時に、動きを取り戻した双真の眼球が、はっきりとそちらに移動するのを視界の片隅で感じた。
「エリザ」
先ほどとは明らかに違う種類の殺気が膨れ上がる。二人の視線の先にいた女性──エリザベートは、飄々とした口調で言った。
「いいの? 槙原君、このままだと死ぬわよ」
その態度に、双真が激昂した。
「何故お前がここにいる! 何故ここに来た!」
「質問は一度に一つにして頂戴」
魔女はあくまで冷静だった。
「何故耕介がここにいる。こうならないために、お前に耕介を連れて行ってもらったというのに! 何故だ。答えろエリザッ!」
「……工場が丸ごと消えるような現象引き起こしておいて、気づかないほど鈍感じゃないわよ。私も、彼も」
と、肩をすくめて見せる。彼女はさらに続けた。
「加えて言えば、見知った気配が戦っているのに素知らぬフリができるほど、槙原君は薄情者じゃないわよ。ま、そんなことはあんたたちのほうがよく知っているでしょうけど?」
馬鹿にしたように、今度は肩をすくめて見せる。次第に、彼女の雰囲気も刺々しいものに変わっていった。
「こうなったのはあんたたちのせい。自覚してる?」
「──っ!」
びくりと、双真が痙攣した。十四郎は何も言えなかった。
「どんな決意で戦っていたかは知らないけどね……」
と、ここで初めて、彼女ははっきりとした怒張を含めて叫んだ。
「あんたたちのどっちかがいなくなっても、彼は笑わないし、笑えないのよ! 自分たちが彼にとってどういう存在なのか、もう少し考えなさい!」
「…………わかった……」
息を呑むように、双真が吐き捨てる。目を瞑り、開いて、耕介の怪我を見つめて、息を吐いて、もう一度目を閉じる。
「わかったから、エリザ。耕介を助けてくれ。俺たちには出来ない。今の俺たちに、その資格はない」
「心配ないわよ」
「え?」
これは、自分の声だった。どうにか止血の方法を思い出して、自分のスーツを切り裂いて包帯代わりをしてはいたものの、出血がそれで止まるわけでもない。道具がなさすぎた。
「私の血をかなりの量飲ませてあるから、ちょっとくらい出血しても問題ないわ。すぐに血も止まる。傷口もふさがるでしょうね」
彼女の言った通りだった。次第に血が止まり、傷口が煙を上げてふさがっていく。身体が熱を持っていたが、傷がふさがる頃には全て治まっていた。
「ね?」
と言われても、それにうなずくほどの気力は残っていなかった。理解も追いついてこない。彼女が『夜の一族』であることは分かっていたが、その彼女の血を飲めば大丈夫という理屈は何も分からなかった。
「これは蛇足だけど……」
そう言って、エリザベートが耕介の傷口を撫でた。微妙にうっすらと残っている後を、その血をすくうように赤い舌で舐め取る。
「あんたたちは、こだわりすぎ。もう少し楽観的に考えたら? 今まで自分の傍にいた人がいなくなるのは悲しいことよ。それが親しい人間ならなおさらね」
耕介の肌にある血を舐め取り、唇に付いたそれを救うようにまた舐める。
「あんたたちが考えている以上に、槙原君はあんたたちを必要としている。理由なんて必要ないわ。馬鹿やっていられるだけでいいのよ。生きてくれているだけで嬉しいのよ。どっちがどっちのためとか、存在理由とか、そんなの考えたって埒が明かないじゃない?」
「それは……お前の意見か?」
「半分は。でも、もう半分は……ここに来るまでに、彼が言った言葉よ」
「……何故気づいた」
「離れた場所の実況中継なんて、魔術じゃ珍しくないからね」
こともなげに、エリザは続けた。
「同じ場所にいなくても、同じことをしてなくても、例え今後二度と会えなくても、あんたたちが生きているだけで、彼は笑えるのよ。『どれだけ離れていても親友って事実は変わらない。変えてやらない』んだそうよ。正直、ちょっと妬けるわよね。信じられないくらい、あんたたちって心の奥でつながってるんだもの」
十四郎は、何も言えなかった。おそらく双真も同じなのだろう。彼も無言で、エリザの続きを待った。
「守るって行為は、結構難しいわよね。私も実感してるわ。どうすることがその人にとって一番いいのか。いつも考えて、迷って、失敗して、でもやっぱり嫌われたくないし、だから大事にしたいのよ」
どこかあやふやな──これはもう、完全に彼女の言葉だろうそれを、エリザは言った。
「好きな人の笑顔が見たいのよ。笑ってくれれば、それだけで幸せになれる。それと同じ。あんたたちが笑えるなら、それは彼にとっても幸せなのよ」
と、途端に彼女はその表層を崩して、双真を上目使いで眺めた。
「ま、私としては、神楽君のそういう慌てて青ざめた顔を見れただけでも儲けものよね」
「……仕返しにしては、性質が悪すぎだ」
「あ、仕返しだって自覚あったんだ。でも自業自得でしょ?」
少しばかり驚いたように、彼女は続けた。
「でもね、本当に考えないと駄目よ」
そう言い切って、彼女は立ち上がった。いつの間にか、耕介の胸の周りの血が拭い去られていた。傷跡も消えていた。
「あ、それと。さっき『夜の一族』の諜報員から連絡あったんだけど、市街地のほうで警察がかぎつけたみたいよ?」
ぎょっとして、十四郎は双真を見た。彼もまた苦虫を噛み潰したような顔をしている。それでもエリザのほうから目をはずしてなかった。
その視線を受けながら、エリザがいたずらっぽく笑った。
「さて、どうする?」
◇
香港警防隊本部ビル・司令室。
警防隊司令官がゆっくりと息を吐くのをエリザは思わず見つめた。空気が冷えているせいだろう、白い水蒸気が昇っては消えていく。
「その結果、『甲龍』は消滅したか……」
「はい。この目で確認しました。間違いありません」
広いフロアだった。ここが司令室だということが信じられないくらい広い。最初は会議室だと思ったくらいだ。その中央に、司令官である彼女は鎮座していた。椅子に腰掛けた五十代前後の女性である。名前は……
(忘れた)
まぁ、どうでもいいことではあった。
「自殺処理におけることは承知しよう。それで、魔術書『汝が世界の全て』に関してだが。これも消滅とあるが、相違ないのか?」
「ありません」
エリザは明瞭な声で答えた。どこか審問を受けている雰囲気に、少しずつ神経がとがっていく。
「どうして、あれが消えた?」
「理由は定かではありません。ですが推測を申しますと、神楽双真の反力暴走時に、あれだけの敷地が物質消滅をしたにもかかわらず、神楽双真、名鳥十四郎の両名は生き残りました。その際の膨大な存在エネルギーの『消失』を、あの本が『吸収した』可能性があります」
「両名だけを判別したというのか。本が、それとも力が?」
「……どちらも、ではないでしょうか」
「それは君の個人的見解か?」
「魔術師としての客観的な意見です」
「『汝が世界の全て』は、国連製本管理協会で危険図書扱いされていた予言書だ。出来ることなら奪還したかったのだがな」
「私もそう思いますが、消えてしまったものは仕方ないです」
しばらくの沈黙。司令官が、隣にいる副司令か秘書か知らないが、若手の捜査官に小声で話しかける。はっきり言って、気に入らなかった。
「では質問を変える。リオ・カリスマンについてだが……」
ほれ来た。さぁ、ここからが勝負だ。と、エリザは心中で息巻いた。
「報告書の通りです。甲龍によって利用され、神楽双真の説得で落ち着きを取り戻しました。なお、血液検査したところ、彼女も私の同族であることが分かったので、今はこちらで保護しております」
「では、氷村遊の件は……」
「一族内での私的争いです。姉弟喧嘩みたいなものと受け取っていただいてかまいません」
「喧嘩だと?」
司令の隣にいる捜査官が声を荒げた。
「あれほどの同族を殺しておきながら、喧嘩だというのか?」
「あれほどとは、どれほどですか?」
「とぼけるな!」
エリザはそらとぼけた。
「とぼけてなどいません。一族の警備部十数名が死んだ理由でしたら、それは報告書に書いた通り、甲龍の仕業です。氷村遊に関しては、私との個人的私闘があったとだけ、今ここで口頭による追加をしておきますが、誓ってそれだけです」
「身内をかばうのか?」
相変らず、怒鳴りつけてくるのはその捜査官のほうで、警防隊司令官は何も言わなかった。それを不気味に感じながらも、エリザは表情を全く変えずに同等の文句を繰り返す。
「かばうという意味が分かりません。例えそうだとしても、彼を裁けるのは我々『夜の一族』だけです。治外法権もお忘れなく」
「だが、それにしても……」
「では逆のお尋ねしますが、氷村遊がうちの警備部の者たちを殺したなどというでっち上げの情報を、どこで手に入れたのですか? あの地域は、完全に我ら一族の結界領域です。領土侵犯は重犯罪です。どのような法的機関であろうと、許可なく立ち入ることはおろか、近寄ることも許されていません。そしてご存知の通り、警防隊からの視察要請は届いていません」
「…………それは……」
捜査官が口をすぼめる。チャンスだと、エリザは思った。
「どうも先ほどからの口ぶりだと、まるで、直接誰かが見ていたような情報ばかりですが」
「君の気のせいだ」
「この事件発生からこれまで、では警防隊は何をしていたんです?」
「他の事件から手を離せなかったのだ。そちらに捜査員を回せなかったのは心苦しく思っている」
「いえ。お気になさらず。エッシェンシュタイン家は、この程度のことで警防隊への援助を止めたりはしませんわ」
にっこりと笑ってやる。眉間にしわを寄せ、苦虫を噛み潰したような顔をしている捜査員の顔が、なんとも心地よかった。してやったりとばかりに心の中でガッツポーズを作る。止めとばかりに口を開こうとした瞬間、今まで黙っていた司令が割って入った。
「もういい。その辺にしておけ。二人とも」
「司令!」
だが司令官である彼女は、自分の側近の言葉を無視して言った。
「エリザベート。君の報告は理解した。甲龍は死亡。リオ・カリスマン、並びに氷村遊は同族であるが故に、たとえ裁くとしてもそちら側の法の内だ。我らに引き渡す気はないのだろう?」
「ありません」
はっきりと、エリザは言った。もしかしたら遊のこともばれているかもしれないという予感も働いたが、この際、しらばっくれることにした。
「では、次の質問だ。『アスタリス』と『グルームリング』はどうなった?」
「あの後、工場跡地で調査しましたが見つかりませんでした。日本警察が押収した可能性もありません。神楽双真の『反力』によって消滅したものと思われます」
「今後、名鳥十四郎が──『銀の悪魔』が何かしらアクションを起こす可能性は?」
「今度のことで、彼が暗躍する理由性がなくなりましたから、それはないと思います。なお、彼の違法行為の処罰は日本警察側によって行われるそうです」
「伺っている。警察庁のお偉方から、名鳥十四郎は渡さんからな、というようなことを念を押されたよ」
それは初耳だった。どうやら、警防隊を嫌っている人間は少なからずいるらしい。
「さて、君の報告により、事件の全容も良く分かった。こちらとしては、逮捕できる対象がいないことが残念で仕方ないがね。君の活躍は目を見張るものがある。捜査協力を依頼して正解だった」
「光栄です」
棒読みで答えてやる。せめてもの皮肉だった。彼らが密かに捜査員を日本に送り込んでいたことくらい、こちらの情報網でも掴んでいるのだ。そして、警防隊司令官も、こちらにそれを知られていることを分かっていて言っている。
だが、彼女は全く顔を動かさない。神楽双真もポーカーフェイスがうまいが、彼女はそれ以上に見えた。
そんなことを考えていると、不意に彼女が組んでいた腕を解いて、報告書から目を離した。この会議室に来て初めて目が合う。
「……最後の質問だ。これは事件報告とは別なのだが。彼らについて、君はどう思う?」
その問いはかなり突拍子もなかった。何故そんなことを聞くのかも分からなかったし、何を考えているのかも、その鉄面皮からは読み取れはしない。何かしら、双真や十四郎、耕介の情報を聞きだすつもりなのだろうか。
ふと、エリザはその質問の意味を考えながら、彼らについて考察した。
神楽双真。存在が『存在する力』を奪う能力である『反力』を有する者。
名鳥十四郎。『銀の悪魔』と呼ばれた元殺人鬼。
そして槙原耕介。『破壊者』と称される意識変異による戦闘力向上体質保持者。
彼ら三人の戦士に加え、さらに同レベルの人間が他に四人もいる。過去に存在していた『HELL&HEAVEN』とは彼らを幹部にして構成されていたチームだ。
今思えば、ぞっとしない話である。規模も、その影響力も、幹部が持つ戦闘力も、不良グループではとてもではないが考えられないものだ。法的機関としては、彼らという危険分子を抑えておきたいと考えるのは無理もないだろう。
槙原耕介を中心として存在していたチーム『HELL&HEAVEN』。今度の事件でも、結局は彼を中心に全ては動いていた。
不思議に思う。あの槙原耕介と言う存在そのものに、何かしら未知な力でも働いているのではないだろうか。あの二人のような完全な社会不適合な者たちを惹き付ける何か、そんな魅力があるのではないだろうか。
甲龍もまた、それに導かれてやってきた。例え名鳥十四郎に利用されたのだとしても。ただ、彼は悪意に満ちた目でしか、耕介を見ることが出来なかったのだ。
だが一方で──あの戦いで、双真と十四郎は何かしら結論を出したに違いない。だが、だからと言って彼らが変わるとは思えなかった。結局、何から何まで自分の考えを貫く頑固者なのだ、彼らは。槙原耕介も例外ではない。一見して優柔不断──というのは、女性関係に関してはまぁ本当のことだろうが──だが、彼もまた信念を持っている。
でなければ、双真と十四郎の殺し合いの間に割って入り、友人を助けたい気持ちだけで自身の身体を盾にできるわけがない。それを止めなかった自分自身に驚いた記憶は、まだ鮮明に残っている。
本当にあの時、エリザはあの三人に対して羨望の気持ちを抱いたのだ。
「私が思うに、彼らは──」
だからエリザは、できるだけ迷うフリをした後、だがはっきりと、笑顔でこう答えることにした。
「彼らは最高です」
◇
満月から数日経った。当然のことだが、月はまだ丸身を帯びている。雲ひとつない夜空にぽっかりと浮かぶ月は、病室のベッドに寝そべった状態で眺めるのに絶好の位置にいた。
「私は、ここに──貴方のそばにいてはいけませんか?」
「駄目だ」
その室内の、端。相変らずのそっけない声に、少女の肩がビクリと震えた。
一方、ベッドに寝たままの体勢で、声の主である神楽双真は、ただじっと少女を見ていた。体中に包帯を巻かれてはいるものの、とある事情で回復は明後日には終わるらしい。全くもって便利な体質だと、双真はここにはいない魔女に向かって毒付いた。
「お前は、まだ何も出来ない子供だ」
「はい」
少女の声。か細く、今にも消えてしまいそうなろうそくの火のように、ゆらゆらと揺らめく声。震えている。だが、少女は泣いてはいなかった。
「エリザから学んで来い。生きる術を。世界のことを。自分で決め、それに殉ずることが出来る強さを学んで来い。死ぬためでなく、生きるための強さをな。そうすれば、少なくとも俺はお前がどこで何をしていようと文句は言わん」
「…………はい」
声がさらにかすれていく。
「生きる力がついたら、そうしたら会いに来ればいい。俺はしばらくこの街から出る気はない」
「はい!」
今度は元気良く、少女がうなずく。
「ちなみに、途中で会いに来るなよ?」
「はい」
「つらくても投げ出すなよ」
「はい」
「街中で偶然見つけても声をかけるなよ?」
「……えーと……はい」
いくらか逡巡して、それでも少女はうなずいた。
「冗談だ」
途端に、少女の両頬がプクゥっと膨らんだ。白い肌なだけに、赤くなった顔は良く目立った。
「リオ」
「はい?」
それでも、リオ・カリスマンは双真から視線をはずかなかった。
「がんばれ」
「はい! がんばります!」
ここで敬礼をするのはどうかと思うが、少女のそれはどこか可愛らしかった。一礼して、リオは病室のドアを開けた。その場で、もう一度礼をする。
「それでは……その時までごきげんよう、双真さん」
「ああ、またな」
静かに閉じられるドアの向こうで、赤い影がもう一度小さく礼をした。
「…………」
小さな足音が遠ざかっていく。気配が揺らめき、それもしばらくして消えた。
随分とあっけなかった。総合して五分も、リオはここにいなかっただろう。もっとここにいたいという感情はかなり伝わってきたが、それを許すわけには行かなかった。
双真自身は、何をどうしようと、どうされようと、彼女を視ることはないのだ。耕介以外の人間に自分を委ねることは決してない。
心を許すことは出来るだろう。友人にもなれるかもしれない。十四郎のように。だが決して、神楽双真という人間はリオ・カリスマンという少女のものにはならない。
故に、彼女が神楽双真という存在と関わることを望むのであれば、最低でも同じラインまで来なくてはならない。自分で、自分自身を生かす力を、未来を歩いていく術を手に入れなくてはならない。そうでなくては、決して生きていけない。双真が彼女を守ることは、これ以降は決してないのだから。
だからこそ、双真には願うしか出来ないのだ。それ以上のことを、きっと自分は彼女にはしてやれないだろう。彼女がせめて、自分の境遇ときちんと向き合った上で、生きていく力を身につけることを。
よくよく考えて見れば、おかしな話だとも思った。自分がこうまで彼女について、何かを考えること自体がおかしな話なのだ。彼女の境遇が自分と似ていたからだろうか。
「…………」
静かだった。虫の音も聞こえないから、余計に静けさが耳に障った。
果てしなく静かだった。
そこはかとなく月を見上げてやりたくなるくらい静かだった。
やることがない。
ふと、双真は気づいた。
(なるほど。これが『寂しい』か……)
だが、「ま、いいか」とも思う。こんな気分も悪くないと。
と──
『やっほー、耕介。深夜のご訪問でーす!』
その雰囲気をぶち壊した声には聞き覚えがあった。
『げ、真雪さん?』
『おい、今、「げっ」て言ったか。「げっ」て言ったな?』
『いえ、あの、その……』
『あーあ、真雪。せっかくボクらがお見舞いに来てあげたのに、管理人は薄情だよねー』
『ああ、本当だ。あたしは傷ついた。というわけで、この数々の見舞いの品は没収だ。ぼーず!』
『了解!』
『いや、没収はいいですから、今、夜なんですよ? 他の患者の迷惑でしょう!』
『迷惑? せっかく見舞いに来たあたしらを、お前さんは迷惑とおっしゃるのかい? ヨヨヨ……』
『時代劇の真似したって駄目です。大体、面会時間終わっている病院にどうやって入ったんです?』
『テレポート♪』
『い゛!』
『大体、お前が矢後市の病院に運ばれるから悪いんだ。何で海鳴じゃないんだよ』
『いや、その、いろいろと事情があったんじゃないですか? 病院側に』
下手な言い訳だと思った。案の定、珍客二人は納得しなかった。病室で騒ぎが始まっても誰かが怒鳴りにくる様子はない。それが逆に二人を不信がらせたのか、少しばかり声が縮まった。
だが密かに話し声は聞こえる。今度は笑い声。時折、耕介のものもあった。こうなると、隣の部屋以外の静けさが逆に恋しくなってくる。
聞いた話では、この病院のこの棟には自分たち以外はいないらしい。故に、騒いでも誰かが文句を言うことはないだろう。「一族専用病棟だからね」と胸を張って言ってのけた魔女は、今はここにはいない。香港に呼ばれて飛行機の上である。
小さな笑い声が響く。十四郎も、他の病室で彼の声を聞いているのだろうか。そうであることを祈りながら、双真は目を閉じた。
ただ深く、深く、彼は眠りについていく。
その日の夜は、夢を見なかった。