◇

 

 家。全ての家具備品が見知った家。誰の家か、尋ねるまでもない。ここは自分の家だ。

 事件後、耕介に会わずに退院し、家に帰ってきた自分を待っていたのは、何故かリビングで我が家のごとくせんべいを咥えながらテレビを見て和んでいたエリザベートだった。

「あ、お帰り♪」

「何をしている?」

「せんべい食べてるの。おいしいわよ。食べる?」

 あっさりと、事実の通りをエリザは言った。その通りだと、双真も思わず思ってしまった。

「そんなことは聞いていない。人の家で何を勝手にくつろいでいるのかと聞いてるんだ。大体、鍵はどうした?」

「リオが持っていた鍵で開けたの」

 言われて、双真はハッとなった。リオ・カリスマンがつい先日までこの家にいたことを思い出す。エリザにリオを託した際、どうやら少女はこの家の鍵を持っていったらしい。別段、それに対してはどうと言うこともなかったが、それをエリザに見つかったか、もしくは自分から渡したのかしたのだろう。だから今、こうしてエリザがいる。せんべいをパリポリとむさぼりながら、お茶を淹れ、テレビを見てくつろいでいる。

 自分のこめかみに、血液が集中する感覚があった。

「ほほう。それで?」

「うん。神楽君待ってたんだけど、まぁ暇だし。小腹がすいたし。ちょうどいいところにせんべいがあったから勝手に食べたわ。あ、勝手にお茶ももらったわよ」

 と、悪びれもなく言った後、不意に真面目な顔をして、エリザは続けた。

「そんなに怒らないでよ。香港行ってきた帰りなんだから。ま、そっちは私の仕事なんだけどね。一族でない(・・・・・)リオのことを一族内で処理するように計らうだけでも随分大変だったのよ? あ、立ち話もなんだから、座って座って」

「ここは俺の家だ」

 憮然としながらも、双真は腰を下ろした。

「とりあえず、香港警防隊への報告も終わり。名取十四郎の件に関しては、日本警察と名取家の問題だから、私は関与できないわ。名取家も警防隊には資金援助しているし、日本警察とは裏で繋がっているみたいから、表立ったことにはならないとは思うけどね」

「耕介と俺は?」

「一応、被害者ということで決着。ただ、多分一週間後くらいかな? 日本警察もしくは警防隊からの事情聴衆を受けないといけないでしょうね」

「…………」

「そんな顔しないでよ」

 苦笑しながら、エリザはお茶で一度のどを潤した。

「これでもかなりがんばったんだから。結果的に甲龍は自殺。死体どころか、その現場さえ残っていない(・・・・・・・・・・・・)からね。記録上なら何とでもできる。けれど、もしこれが正当防衛なら、それが本当かどうか検証されるわ。日本って国は、下手すれば過剰防衛ってことになりかねないのよ。警察庁は最近オカルト方面にも着手してるからね。きちんとした組織構造確立のために、確実な成果が欲しくてしつこいのよ。槙原君にも後で言っておくけど、余計なこと答えないでね」

「……了解した」

 渋々、承知する。

「これが用事の一つ目」

「まだあるのか?」

 聞くと、エリザはそれこそ心外だとでも言うように眉をひそめた。

「まだ報酬もらってないでしょ?」

「……何のだ?」

「甲龍の件についての調査」

 一拍。さらに一拍おいてから、双真は「ああ、そんなこともあったな」程度に記憶を呼び戻した。

「LCプロジェクトの件で、警防隊の包囲から甲龍を逃がしたのはお前の甥だろう?」

「それを操っていたのは誰よ」

「十四郎に関して言えば、あいつは氷村遊に接触していない。あいつがしたのは、耕介の情報と『汝が世界の全て(ザ・ワールド)』という預言書を甲龍に渡しただけだ」

「それはもう聞いたわよ」

「……とにかく、それが今回の事件を引き起こした。預言書を渡したのはLCプロジェクト発動よりも前だろうな、おそらく。十四郎がどこで甲龍のことを知り合ったのかは知らんが、氷村遊が甲龍の逃亡に手を貸さなかったら、十四郎がそれをしていただろう。要するに、十四郎と氷村遊には接点がない。あったなら、奴が氷村遊を『殺す』わけがない」

「…………」

『殺す』という単語に、一瞬エリザが目線を伏せたが、双真は完全に無視した。自分には関係ないことだ。

「あいつはそのあたりは徹底している。自分の駒となる存在を、無意味に壊したりはしない」

「……OK。了解したわ。遊の件は彼には関係なし。ま、その分差し引いても、私に調査の依頼した分くらいは支払ってね」

 いくらか機嫌を損ねて、エリザがその手のひらをこちらに向けて言った。ため息をつきながら、双真は尋ねた。

「…………いくらだ?」

 とたんに嬉しそうに笑って、エリザが手のひらをパーに開いた。

「五百万でよろしく」

 一瞬、双真は我を忘れた。

「高い。まけろ」

「いや」

「せめて二百五十」

「今すぐ、現金で支払えるならそれでもいいわよ?」

「今?」

「そう。銀行振り込み不可。小切手不可。現金。キャッシュ。生。今すぐここで札束を頂戴♪」

「…………」

「リオの養育費って誰に請求すればいいのかしら?」

「五百で頼む」

「まいどあり♪」

 イエイ! とガッツポーズをとるエリザの首を絞めたくなる衝動を抑えつつ、双真は声を絞り出した。

「ローンでいいか?」

「利子つくわよ?」

 目の前の女の頭にニョキッと生えた角を見た気がした。

「……十回払いで」

「ま、知り合いってことで全体利子は二パーセントにまけてあげる」

「…………」

 商談がまとまったことに機嫌を良くしたのか、エリザが満面の笑みを浮かべた。そりゃ笑いたくもなるだろうと思いながら、双真は今持っている自分の私産をざっと計算してみた。

 足りなかった。

「はい。仕事の話は以上で終了。お疲れ様」

「そうか。終わったか。なら帰れ」

 はっきりきっぱりと言って、双真は玄関を指差した。

「コラコラ。いくらなんでも、仕事が終わっていきなり「ハイ、さようなら」ってのはないでしょう? 冷たいわね」

 ならもっと安くしろ、と言ってやりたかった。

「……わかった。なら最後にひとつだけ質問だ」

 とりあえず、話題を変える。別段、双真自身は機嫌が悪いわけでも、エリザに対して怒りを感じているわけでもなかった。呆れてはいたが。

 微妙に腰を引いて怯えているエリザの態度に苦笑しながら、双真は先を続けた。

「俺たちが生きているのは何故だと思う?」

 そう──自分が知り得ている中で、これだけが疑問だった。何故自分たちは生きているのか。何故、『反力』によって消滅しなかったのか。

「はい?」

 そしてやはり、エリザの反応も予想通りだった。

「反力の暴走。消滅対象を選ばなかった結果があれだ。工場を中心としておよそ二、三ヘクタールほどの土地が、地面ごと消えた。空間の消滅。はじめから制御できるなどとは思っていなかったが──暴発したあの力の中で、何故俺と十四郎は生き残った?」

「……ああ、言われてみればそうね」

「工場が消えた。十四郎の『銀の剣(シルバー・ブレード)』も、甲龍が持っていた『星降る夜の剣(アスタリス)』と『闇の指輪(グルームリング)』も消えた。そこにあった地面さえも消滅した。だが俺たちは生き残った。何故だと思う?」

「……『汝が世界の全て(ザ・ワールド)』のおかげじゃないかしら?」

「あの預言書か」

 考えなかったわけではない。確かに、魔術的効果のある存在の中では、あの本だけが『反力』影響下にある空間内で生き残ったのだ。

「名鳥君曰く、あの本の最後の予言って『汝が信じる道を進め』だったんでしょう? 貴方たちの決意を本がくみ取って、『反力』の物質消滅の力を吸い取った、って考えられない?」

「……随分、非論理的だな」

「ロマンチックって言ってよね」

 唇を尖らせて、エリザが言った。

「だがまぁ……悪くない意見だ」

 そう言うと、どこか照れくさそうにエリザは笑った。

 

      ◇

 

「というのがエリザの意見らしいが、十四郎」

「何だ?」

「臭うぞ」

「お前らがジュースかけたからだろうが!」

 機嫌をはっきりと損ねたらしい十四郎からいくらか距離を置きつつ、耕介は双真のほうを向いた。

「でも、俺もその意見に賛成」

 軽く手を上げて、耕介は言った。

 高台は駐車場とちょっとした広場があるだけだった。自販機と公衆トイレ。子供の遊び場。後は海鳴市が見渡せる望遠鏡が二台ほど設置されているくらいである。

 初冬のこの時期にここで遊ぼうという子供はいないらしく、高台は閑散としていた。何台か車は止まっているが、人気もない。

 高台の手すりに身体を預けて、耕介はジュースで頭から雫をたらしている十四郎を見た。哀れだと思ったが、同情はしなかった。

「十四郎。やっぱりちょっと臭う」

「…………そっちの意見か?」

「アハハハハ!」

 腹を抱えて笑いながら、耕介は目に浮かんだ涙をすくった。

「いや、そんなにふてくされるなよ。悪かったって」

「……ふん!」

「ククク。あー、腹痛い」

「耕介、笑いすぎ」

「だからごめんって。それより、エリザさんのその意見。俺も賛成したいな」

「……何故だ?」

 と、双真。彼女と何があったのか知らないが、何故か機嫌を損ねた声で、彼は言った。

「俺たちが気づいていないだけで、もしかしたら双真や十四郎が死ななかった理由は科学的に解明も出来るのかもしれないけどさ。いいんじゃない? そんなことしなくても」

「だから何故?」

「理由なんてないよ。強いて言うなら、そのほうが格好いいから」

『…………』

 同時に黙られて、さすがに耕介は自分があまりにも突拍子もないことを言ったのだと知った。

「あ、いや。別に、ただちょっとそう思っただけだから。ちょっとだけだよ?」

「…………そうか」

「……ふぅむ」

 それぞれに、それぞれがうなずく。友人二人の意味不明な反応にどこか奇妙な浮遊感を味わいながら、耕介は眉をひそめた。彼らが何を考えているか、おおよその見当がついたからだ。

「だからさ、何もそんなに難しく悩まなくてもいいんじゃないかって言いたかったんだけど……。取り合えず、二人とも生きてるんだし」

『そうか……そうかもな』

 これも、やはり同時に二人がうなずく。どこかおかしなコントのような動作に、耕介は内心で爆笑した。どうしても抑えきれなくなって声が口から出る前に、違う質問を投げかけてみる。

「だ、大体、何で制御できないと分かっていて『反力』なんて使ったのさ」

「……別に。あの時は特に何の考えもなかったな。強いて言うなら、ただの賭けだ」

 これには十四郎も驚いたらしい。ぎょっとして双真の方を向いた。耕介も同じだった。思慮のない行動をこの男がしたことが信じられなかった。いままでのおかしさ全てを吹き飛ばすほどの威力を持って、それは耕介と十四郎に震撼を与えた。

「これから先、また独りで生きていくための賭けだ。制御できれば、まだ俺は生きていてもいいんじゃないかって思った」

「制御できなかったら?」

「それまでだな」

 あっさりと言った双真の顔は、やはり嘘を言っているふうではなかった。

「……俺はとんでもない奴と敵対してたんだなぁ」

 しみじみと高台から海鳴を見下ろす十四郎の背中に酷く縮こまって見えた。耕介はといえば、やはり苦笑するしかない。

 そして同時に──ああ、やはり彼は彼なのだと、そう思った。

 神楽双真はどこまでも神楽双真であり続ける。この男が、自分を見失うことなどやはりないのだと、耕介は改めて思い知った。どれだけ意外な行動を取ろうと、彼は彼の判断に従って生きている。

 そしてそれは、隣でジュースまみれでたそがれている十四郎も同じなのだろう。不恰好極まりなかったが。

 そして不意に思う。とんでもないのは、こんな友人を持っている自分ではないのか。そう思った途端、我慢していた先程の笑いが爆発した。

「プッ! クククッ……アハハハハハ──ッ!」

 二人が揃って怪訝な顔をしてこちらを向いた。耕介は笑いながら弁明した。

「い、いや。クククッ──ご、ごめん。ただ、らしいなぁって思ったんだ」

 得られた結論はその程度のものだった。だがそれ以上のものも、耕介は考え付かなかった。

「なんのことだ?」

「双真はそのままがいいってことだよ。十四郎もさ。そのほうがお前ららしい。でも、あまり危ないことしないでくれ。こっちの命がいくつあっても足りないから」

 無駄なことだと分かっていても、そう言わずに入られなかった。二人が、そろって困ったように眉をひそめる。ああ、二人のこういう表情を見るのは本当に久しぶりだと、耕介は思った。

 ふと、気になっていたことを耕介は聞いた。

「で、これからどうするんだ? 二人とも」

「仕事に戻る」

「右に同じく」

 双真の言に同意して、十四郎は時計を見た。防水だったことに、心底ほっとしているようだった。

「病院側には、今日の夜には戻るって言ってあるから」

「北九州か……結構遠いな。で、十四郎が医者なのは知ってるけど、双真は仕事何してるんだ?」

「教師」

『は!?』

 わが耳を疑ったのは、自分だけではなかったようだ。十四郎とそろって硬直したこちらの反応に、多少気を悪くしたのか、双真が声を落として続けた。

「その反応が微妙に気になるが。まぁいい。教師だ。先生。学校の。ちなみに、担当は数学。というよりも十四郎。お前、俺の現在の状況、調べてなかったのか?」

「お前のこと調べて、俺に何か得があるか? 第一、お前の消息をどうやって知れというんだ。この街にいたこと自体知らなかったんだぞ?」

「もっともな意見だ」

 うなずく双真に、どの辺りが? とは聞けず、ただ耕介は汗を流すばかりだった。

 そしてひたすら疑問に思う。

 双真は頭がいい。物覚えはいいし、理解度も尋常じゃない。一度覚えたことは決して忘れないタイプだ。小学校でさえろくに行っていないはずの彼は、だがしかし、高校を出たはずの自分よりも頭がいい。これはもう、知能指数というものの差なのだろうと、耕介は漠然と思っていた。

 だがしかし──彼がどこをどのように転がれば教師という職業にたどり着くのか全く持って理解できなかった。もう一度考える。彼は頭がいい。教え方も、幾度か勉強を見てもらった限りでは悪くない。天才タイプであるだけに、馬鹿の頭が理解できない部分も多々あるようだが、それにしたって、わからないことを無意味にけなしはしない。

「でも何故、教師?」

 結局聞いてみるのが一番だと判断して、耕介は聞いた。

「人生山あり谷ありだ」

「長崎を出てから何があったのか、物凄く気になる台詞だな。それは」

 と、しみじみと十四郎。心底共感しつつ、耕介は言った。

「けど、説明になってない」

「いずれ話す。これからいくらでも時間はあるんだ」

「それもそうだけど。何で今じゃ駄目なんだ?」

「…………」

 無言で、彼はそのまま視線を公道のほうへ向けた。それに従って、耕介も顔を向ける。聞き覚えのあるエンジン音を奏でて、一台のミニが駐車場に入ってきた。その後ろからもう一台、見知ったセダンがやってくる。

「愛さん?」

 突然の訪問者は、だが相変らずニコニコしながら車から降りてきた。その後ろから、いや、運転席を降りた彼女を追い越して、子供たちがこちらへ駆けてくる。セダンから降りた真雪が、新しい煙草に火をつけてから、こちらに向かって歩き出すのが見えた。

「こーすけぇ!」

 叫ぶと同時にジャンプ。避けたらそのまま高台の下に落ちそうな勢いで、耕介の頭めがけて飛び込んできたのは猫娘こと、陣内美緒だった。

「どうしたんだ? 美緒」

「食事するのだ!」

「は?」

「外でお食事するの!」

 と、これはいつのまにか傍にやってきていた知佳である。

「何でまた」

 もっともな疑問に答えたのはリスティだった。

「なんかさ。真雪のコミックスが今年の下半期トップ10入りしたお祝いだって」

「へぇ、そりゃすごい!」

「それで、みんなで久々に外食しようってことになったんですよー」

 と、何がそんなに嬉しいのか、みなみが興奮状態で付け足した。一瞬、あの宴会騒ぎを外でやるのか? とも思ったが、耕介には他に気になったことがあった。

「……ところで、なんで俺がここにいるって分かったんだ?」

「電話があったとです。名鳥さんとおっしゃる方から」

 十四郎から? と疑問を抱く間もなく、薫が続けた。

「なんでも、高台にいるから迎えに行ってやってくれ、だそうで」

 どういうつもりなのか問いただすつもりで、耕介は後ろを向いた。そして硬直する。たっぷり一分近く頭の中を空白にして、耕介は呻いた。

「…………どこに行った?」

 そこには誰もいなかった。十四郎だけでなく、双真もいない。気配もしない。だが、地面にはコーラがたれた跡が残っている。

「なぁ、知佳」

「なぁに? お兄ちゃん」

「俺の傍に、誰かいなかったか?」

「誰か?」

 くびをかしげる知佳の反応に、他の面子も顔を見合わせては肩をすくめて見せる。どうやら見ていないらしい。少女たちに見られることなく、彼らが絶妙のタイミングで姿を消したらしいことは間違いなかった。だが──

(どうやって?)

 こっそりと後ろを見る。ここは高台。この手すりの下は、小さな林が広がっている。ここから林まで結構な高低差がある。だが彼らなら、ひょっとしたらここから飛び降りても怪我することなどないのかもしれない。

(まさかな)

 心中で思い描いた考えを、耕介は慌てて否定した。ごまかすように、抱っこ状態の美緒に尋ねる。

「で、どこで食べるか、決めたのか?」

「まだなのだ」

「おいおい」

 今はまだ夕方ちょっと前だ。そろそろ日も傾き始めている。空気も冷えてきた。店そのものが込み合う時間はもう少し後だろうが、それでも決めておくに越したことはない。

「愛さんも真雪さんも車だから、お酒だめですよね」

「私はともかく、真雪さんは飲みたいでしょう?」

 と、真雪と一緒にやってきた愛が、控えめに同意を求めた。

「真雪さんのお祝いですからね」

「まぁ、耕介が運転してくれるなら飲めないこともない」

「それはかまいませんが。そうすると、相手する人がいませんね」

「……いるじゃん」

 ニタリと笑って、真雪は視線だけを薫の方へ向けた。その気配を読み取ったのか、寒気を覚えたように身体を震わせて、薫が抗議する。

「うちは飲みませんよ!」

「硬いこというなよ」

「お姉ちゃん! 薫さんは受験生だよ? 今大事な時期なんだから、そういうのは駄目!」

「……ちぇっ! わかったよ……」

 渋々同意する真雪に苦笑しながら、耕介はみんなを促した。

「さ、みんな、風邪引くといけないから、とりあえず、車に戻ろうか」

 初冬とは言え、ここはやはり風が強く、耕介の身体もかなり冷えていた。自分ひとりなら我慢できるが、子供たちに風邪を引かせるわけにはいかない。ましてや、そのうちの一人は大事な受験生だ。

「あ、そうそう。一応行って見たい店ピックアップしておいたんだ。耕介も選ぶの手伝ってくれ」

「お安い御用です」

 真雪自身、今回は強制してまで酒を呑みたいというのはないようだった。純粋に、自分の作品が認められていることが嬉しいらしく、妹の折檻にも気を悪くした様子はない。

 そんな真雪の表情にほほえましい何かを感じながら、不意に、耕介は双真の言葉を思い出した。

──これから、時間はいくらでもある

 何故か、彼らとは近いうちにまた会える気がした。会おうという気になれば、いつでも会えることもわかった。なら問題は何もない。彼らは生きているのだ。それでもう、何も気になることはなかった。

 だからだろうか、幾分かゆとりを持って、耕介は言った。

「ま、ゆっくり生きましょ♪」

 

      ◇

 

 現状把握。

 確認。

 頭、顔、首、身体、腕、足。異常なし。

 目と耳も異常なし。その他五感もオールオッケー。

「問題ないな」

「ありまくりだ」

 即座にやってきた抗議の声に、双真は意外そうにそちらを向いた。木々の枝に引っかかる様にして、逆様に吊り下がっているのは、自分にとって数少ない友人の一人、名鳥十四郎である。

「何か、問題が?」

「人をあの高さから蹴り落としておいて、問題ないと断言できるその精神が問題大アリだと俺は思うぞ」

「細かいことを気にするな。あのままあそこで鉢合わせにでもなるつもりだったのか?」

「いや……さすがにそれはないが」

「大方、考えなしで電話でもしたんだろう」

「まさか全員で来るとは思わんだろうが」

「……ま、いいさ。それより、いつまでそうしているつもりだ?」

 白々しく、抗議の視線を投げかけてやる。十四郎は、その長い髪を垂れ流したまま動こうとしなかった。

「いや、ちょっと、小枝の絡まり方が思った以上に複雑で、身動きが取れない」

「…………」

「助けて」

 たっぷり数秒は続く盛大なため息をはいて、双真は彼を引きずり出した。小枝をたたき折るなどいう面倒くさいことをせず、一気に自分より身長のある男の身体を引っ張る。顔を地面に擦らせながら、十四郎が晴れて自由を取り戻した。

「ひひゃい(痛い)……」

「……終わったぞ。立て。立ったら歩け。さくさくと」

「お前、もうちょっと人に優しくしても罰当たらんと思うぞ」

 と、擦り傷だらけの顔をさすりながら、十四郎が呻いた。

「何で俺がお前に優しくしなくちゃならんのだ」

「……耕介には甘いくせに」

「お前ほどじゃない」

「こりゃ失敬」

 結局、それから会話はばったりと止んだ。二人して、道らしい道もない林の中を歩く。しばらくして木々が途切れ、舗装された斜面に出た。その下にある公道に車が二台、街に向かって走っていく。それを見下ろす形で見送って、双真は小さく肩で息をついた。

「……今度は俺たちだな」

 小声で、十四郎が呟くのが聞こえる。独り言だと判断して、双真は何も答えなかった。

「とりあえず、胸張って「あいつの友人です」って言えるくらいにはならんと」

「過去を引きずっていたのは俺たちも同じだ」

 十四郎は否定しなかった。代わりに、

「だからこれからだ。俺たちはきっと、過去を捨てることも、過去から逃げることも出来はしない。してはいけない。だが乗り越えることくらいはできる」

 だろ? と、彼は肩をすくめて言った。

 どうなのだろう、と双真は思った。乗り越える。それは一体、どういうことを指すのだろう。過去を受け止め、前に進む。耕介のように。もしそれがそういうことなら、自分に出来るのだろうか。出来たなら、それはそれで、面白そうな人生が待っていそうな気がした。

 だから双真は、その言葉に小さく笑って、

「ああ……そうだな」

 ささやくような小声で、夕暮れの街に向かって告げた。

 

 「能力者」第一部・完

 

<<BACK      【第一部あとがき】へ

Top