◇

 

 快適な車内だった。

「たまにはいいなぁ、ドライブってのも」

 二五〇〇CCの排気量を誇る車の運転席で、父が機嫌よく鼻歌を口ずさむ。

 うまいか下手かはこの際さておくとして、どこか耳障りではあった。せっかく機嫌が良いらしいので水を差すまいと心に念じながら、恭也は視線を窓の外に向けた。

 窓から流れ込む風が心地よかった。街路樹が穏やかな緑に覆われるのを見ると、父の歌声も意識から消え去っていく。

 春も半ばを過ぎたこの季節。もう桜は散ってしまっているが、それでも春の匂いは彼の鼻腔をくすぐった。隣で窓にすがり付いている妹もまた、流れていく景色に目を奪われているらしく、先ほどから随分と楽しげにはしゃいでいる。

 父の言うとおりだ。たまには、こういう楽しみもいい。

 エンジンは静かだった。車内は広く、シートは触感が滑らかだし、何より乗り心地が驚くほどよかった──故に、知識がない恭也にもこの車が決して安いものではないことくらいは理解できた。街からは離れた公道には車は少なく、並行する歩道にも人気は見当たらない。

 天気もいい。これまで雨が多かったことが嘘のように晴れ渡っている。幾分か気分をよくして、恭也は父に話しかけた。

「父さん、いつ免許取ったの?」

「十八になってすぐだ。黙ってオヤジから金借りてな」

「……それは、泥棒では?」

「ハッハッハ。オヤジもおんなじことを言ってた。何でだろうな」

「…………」

 豪快に笑う父の態度は、実にあっけらかんとしたものだった。本当にそう思っていないのか、自覚していないだけなのか。

 考えて、だがどちらも結果は同じ事に気づいて、恭也は心の中で嘆息した。やはり父は父なのだと。結論はそこにたどり着く。

 自然と、その視線がきつくなっていたのだろう、士郎が慌てて叫んだ。

「おいおい。勘違いするなよ? 借りた分はちゃんと返したぞ?」

「ホントに?」

「もちろんだ。まぁ、その前に血みどろの親子喧嘩を繰り広げたりしたけどな」

「…………」

「懐かしいな」

 最後のその言葉だけは、どこか静かに恭也の胸に響いた。父の口調は変わらないし、態度も、表情も変わっていない。

 ただ何故か、恭也は父の感情が本物であることを直感した。

 どこかいたたまれなくなって、顔を背ける。と、丁度そのとき、美由希が窓を開けようとしていたので、恭也はそっと妹をたしなめた。

「美由希。それ以上は窓開けたら駄目だ」

「なんでーっ」

「お外、見たいだろ?」

「うんっ」

「だったら、危ないから駄目」

「……はぁい……」

 落胆する妹の頭を撫でてやりながら、妹があけた窓を危なくないあたりまで閉める。せっかくの心地よい風を入れない理由もないので、美由希が身体を乗り出せないくらいまでレバーをまわすと、恭也は再び父のほうに向き直った。

「聞き忘れてたけど。どこまで行くの?」

「言わなかったか? 九台桜隅さ」

「……えーと、それって確か、別荘がたくさんある?」

「ああ。以前仕事でお世話した人に、お礼に使ってくださいって言ってもらってたんだが、仕事の都合で時間が取れなくてな。ああ、この車もその人に借りたんだ。いい車だろ? 時期がずれて桜は散ったが、まぁゴールデンウィークだし、恭也も学校は休みだし。たまには良いだろ? こうやって家族で出かけるのも」

「……元手、あまりかかってないしね」

「そんなこというなら、ここで降ろすぞぉ? 恭也だけ」

「うそだよ……ありがと。父さん」

 心が熱くなるのを感じながら父に例を言うと、士郎は恥ずかしそうに目を細めた。その顔が照れているのだと気づいて、ようやく恭也も自分の気持ちを理解する。

(嬉しいんだ。俺は)

 考えて見れば、初めてかもしれなかった。父と『修行』以外で出かけることが、これまでにはたしてあっただろうか。

 記憶にはない。あったのかもしれないが、覚えてない。少なくとも、妹が出来てからは。父は海鳴と言う街にとどまり、これまで以上に仕事に励むようになった。

 だからだろうか、今という時間が新鮮だった。感動だった。胸がむずがゆい。ただ車に乗って揺られているだけなのに、何か自分は楽しいことをしてるんじゃないかと言う気がしてくる。

「何泊くらい?」

「恭也の学校のことを考えて、六日の朝には向こうを出ようと思ってる。今年は二日が土曜だから、振り替えで六日まで休みだったろ?」

「うん」

「なら、四泊くらいできるぞ」

「そっか……」

「なんだ? そっけないな。四泊五日もあればいろいろできるぞ? 池があるらしいから、ボートや釣りも出来るし。修行も見てやれるぞ? 装備一式持ってきたからな」

「わかった」

 頬が自然とほころぶのを感じながら、恭也は返事した。

 実を言うならなんでもよかった。修行は嫌いじゃない。仕事で長期間外に出かけることが多い父が、自分の修行を付きっ切りで見てくれるのだから、これほど身の入ることもないだろう。釣りも好きだし、ボートに揺られる浮遊感も好きだった。

 と──

「おにいちゃん」

 前触れもなく服の裾を引っ張られて、恭也は隣を向いた。

「ん?」

「おしっこ」

「…………えーと、我慢できないか?」

「うん。がまんできない」

 恭也はどうしたものか迷った。表情だけは冷静に、運転手の方を向く。

「父」

「なんだ、息子」

「緊急事態。美由希がおしっこだって」

 サーっという血の気が引く音を、恭也は聞いた気がした。青ざめた父の顔を見るのは久しぶりだった。

「我慢できないのか?」

「無理っぽい」

「ちょ、ちょっと待て。この車は借り物だからな。さすがにそれはまずい! トレイか、どこか原っぱにでも……って、お前も探せ! 恭也!」

 慌てて辺りを見渡す父に見習って、恭也も首を回転させた。車の速度が目に見えて落ちる。ほどなくして、対向車線の向こうに公園らしき広場が見えた。公園になら、公衆便所があるかもしれない。

「あ、あそこ……」

 と言う間にも、車は通り過ぎていく。父の反応は鈍かった。

「どこだ?」

「公園」

「……だからどこだ!」

「右斜め後ろ三十度ほど」

後ろ(・・)!?」

 士郎の声が甲高くなるのも無理はなかった。それはつまり、車が目的地を通り過ぎているということだ。彼が慌てて首をそちらへやり、その公園を確認したところで──今度は恭也が青ざめる番だった。

「父さん!?」

「ん?」

 直後にやってきたドンッ──という鈍い衝撃は、確かに恭也にも伝わってきた。のんびりと、今の振動で美由希がおもらしをしなかったどうかを確認する。あ、よかった。してない。

(いや、そうじゃなくてっ!)

 慌てて首を振って、恭也は自分を取り戻した。

「今、何か轢いたよね?」

「…………」

 父は応えてこなかった。こういう場合の対処法は、父のほうが詳しい。だというのに、恭也は父が車内にいることが正しくないように思えた。

 念押ししてみる。

「人……だったよね?」

「……………………」

 言うべき言葉が見つからず、恭也は逡巡したあと、ポツリと呟いた。

「なんて言うか……お達者で?」

「他に言うことないのか、息子」

「ねぇ、おにいちゃん!」

「あ、はいはい」

 我慢できなくなったのか、裾を引っ張って急かす美由希をつれて、恭也は車を降りた。公園に向かおうかどうか迷ったが、距離を考えると間に合いそうもない。結局、彼は近くの垣根に妹を連れて行った。

 ほどなく用をたして、車を降りていた父の元に戻る。

 近づいた時の父の顔は、滅多に見ない真剣な表情をしていた。人を轢いたからか。それにしては、彼は何故こんなにも落ち着いているのだろう。もしかしたら、大した事故でなかったのかもしれないという考えもよぎるが、だとしたら、轢かれたはずの被害者が見当たらないのはおかしな話だった。

 そうだ、被害者はどこだろう。見渡してみても、どこにも誰もいない。恭也は首をひねった。どこにもいないのだ。ここには、自分たち家族しかいない。

「父さん?」

「ん?」

「被害者の人はどこ? 意識があるなら、せめて謝らないと」

「お前、実は俺のこと嫌いだろう? いや、まぁとにかくだ。気のせいだよ。ほれ、誰もいないだろ? 血の跡もないし、車もへこんでない」

「あ、ホントだ」

 確かに車には、血の跡も、ぶつかったはずの車もその痕跡がなかった。ボンネットにも、ワイパーにも、バンパーにも。太陽の光に反射して輝く車体を、じぃっと睨みつけてみるが、やはりそんな痕跡はどこにもない。

「いや、そこまでして確認せんでも……」

 父の言葉で、ようやく恭也は顔を上げた。確かに、車には何もぶつかっていない。

「でっかい虫かなんかがぶつかってきたのかもな」

「ちょっと無理がない? それ」

「だけど、誰もいないぞ?」

 確かにその通りだった。どこにも、誰もいない。対向車も今は見えないし、ここにいるのは自分たち親子だけだ。車道の外にも、ただ原っぱがあるだけで何もない。

「……あの大きさは人だった気がするけど……」

「誰もいないし、どこにも人の気配はない。まぁ慌ててたから、見間違えたんじゃないのか?」

 士郎が肩をすくませたのを見て、不承々々、恭也はうなずいた。

「ああ、びっくりした。俺も本気で人轢いたかと思ったもんなぁ。あまりに黒くでっかい印象があったから人かと思ったけど。虫なら黒くても可笑しくはないしな」

「気をつけてよ」

「ああ、気をつける。悪かったな。しかしまだ心臓がドキドキしてるぞ。あー、久々だったな。こんなに緊張したのは」

「俺も」

「ま、結果オーライだよな? ついでといっちゃぁなんだが、恭也が薄情だということもよぉぉぉぉくわかったし」

「…………」

 恭也は小さく呻いた。頭に手を載せる父の口調はどこまでも意地が悪い。それが仕返しだと分かってはいたが、逆に分かるだけに、彼は素直になれなかった。

「鍛錬、楽しみだなぁ」

「……お手柔らかにお願い」

 にんまりと笑う顔に促されて、恭也は事態を把握していない美由希をつれて車内に戻った。士郎が車をひとしきりもう一度点検して運転席に戻り、再び快適な旅路は始まったのである。

 

      ◇

 

 痛い。

 まさかあそこで轢かれるとは思ってもみなかっただけに、ダメージは想像以上に大きなものだった。

 ふと、知人の言葉を思い出す。

──車くらい防御できる。轢かれてもさほど痛くないしな。

(できませんよ、そんなもの!)

 しかもメチャクチャ痛いし。

 愚痴が誰かに聞こえるわけもなく、ただ虚しく胸中で響きわたる。

 自分に出来たのは、せいぜい反作用で車にかかるはずだった力を全て自分のほうへ向かわせるくらいだ。

 車と自分。衝突した際の衝撃のエネルギーは速度と質量に乗じて大きくなる。物理法則としてエネルギーが保存されることは必須であり、衝突した際の分配は固体の質量に反比例する。従って、固体量として小さい自分にかかる力は車に比べて(・・・・・)遥かに大きいわけであり、要するにそれが、人が交通事故で死ぬ物理要因なのだが。

 本来ならば自分から車へ向かうだろう力を、彼は故意に自分のほうに向けた(・・・・・・・・・・・・)のである。身体にかかる負担は、通常よりもなお大きい。

(ま、車に轢かれるのに、大も小もないでしょうけどね)

 とは言え、これが大型トラックでなくてよかったと、彼は心底思った。

 手の中にある、小型のメモ用紙を開く。

 折れているかもしれない右腕の痛みをこらえながら、彼は執筆した。

『痛い。確かに轢かれたのは自分の不注意ではあるが、彼はもう少し前方注意をすべきだ。とりあえず、轢かれたことは記録しておこうと思う。あの義兄妹の仲が至極円満であることがわかっただけでもよしとしよう。でもやっぱり痛いぞ、ちくしょう!』

『!』マークまでしっかり書き記して、彼は手帳を閉じた。

 

      ◇

 

 考察する。

(虫? あれが?──違う。あれは虫なんかじゃない)

 それだけははっきりと、士郎は確信を持っていた。

 車に訪れた衝撃。そして振動。あれは、虫程度の大きさによって引き起こされるレベルではない。もし虫だったなら、そのほうが怖い結果が待っている。

 つまりはあの時、車にぶつかったのは確実に『人間大の何か(・・・・・・)』なのだ。

 黒い何か。

 虫でなく人間であることを確信したのは、その色も理由の一つだった。黒い何か──は、確かに黒い布だった。黒い服だった。

 服を自由意志で着ることのできる生命体は、士郎が知る限り人間しかいない。

 だが、

(ぶつかった痕跡がないっていうのはどういうことだ?)

 正確に言えば、痕跡がないわけではなかった。

 痕跡はあった。うっすらと。

 車体に積もった埃を拭い取る程度に薄くではあったが、それは確実に残っていた。恭也が目を凝らしてみても分かるわけもない。彼は凹みを探していたのであるから、埃の途切れには気づくわけもなかった。

 妙な話だと、士郎は胸中で自嘲気味に笑った。

 ありえない話ではない。

 例えば、ぶつかる直前に自分にかかる力を無にすれば、重量のなくなった物体は空気ほどの抵抗もなくなる。だがそうした場合は車体への衝撃もなくなるはず──なのだが、衝撃は確かにあったのだ。

 だというのに、車は凹みがなかった。

(矛盾している)

 確かに、自分は誰かを轢いた。いや、正確に言うなら、あれは自分から車に飛び込んできたように見えた。何にせよ黒い何かは車に衝突し、跳ね上がって車の背後へ飛び上がって──そしてそのまま、姿を消した。

 衝撃は、もしかしたら轢いた瞬間のものではなく、何かが姿を消すために飛び上がった際のものなのかもしれない。結局それは、運転席に座る自分から見えないように、しかもこちらに気配さえ感じさせずに姿を消したのだから、とんでもない身のこなしの持ち主に違いなかった。

(もしくは、同業者(・・・)か……だ)

 当てずっぽうではあったが、士郎はその考えに根拠のない自信を持った。

 だが相変らず不可解な点は多い。車が凹まなかったことだけではない。ここで唐突に現れ、車にぶつかって、また姿を消す意味も分からなかった。存在を主張するだけなら、もっと安全で確かな方法があるからだ。

 わざわざ車に轢かれに来る存在に、心当たりがあるわけも……ない──と考えて、士郎は訝しげに眉をひそめた。実のところ、全くないわけでもなかった。

 ここ二週間ほど、自分が何者かに監視されているかもしれないことを思い出す。確信はない。証拠、根拠もない。だから、監視されているかもしれない(・・・・・・)。ただ、そんな気がしただけだった。視線を感じるわけでもない。ただの自意識過剰といわれればそれまでなのだが、今のことでどうも信憑性が出てきてしまった。

(だが……結局のところ何なんだ?)

 考えても答えが出ないことに苛立ちながら、ハンドルを切る。緩やかなカーブの先に、目的地が見えた。

 それを告げようとして、士郎はバックミラーで後部座席に目をやった。恭也と美由希は先程の一件以来、静かに外を眺めている。速度を落としているのでさほど車酔いはしないはずだと思いながらも、士郎はアクセルを踏む足を緩めた。

 九台が見えてくる。

 咲き乱れる葉桜を見て、士郎はゆっくりと心を落ち着かせた。

 

      ◇

 

 追記。最終稿。

『不破士郎の鍛錬は、朝、夜に行われる。基本は恭也と共にではあるが、まだ基本中の基本の段階にあるためか、彼に課題を与えた後はもっぱら独りで訓練を繰り返している』

『不破士郎の子供は不破恭也ただ一人である。不破美由希は正確には彼の妹の娘、すなわち姪にあたり、恭也と美由希は従兄妹の関係にある。そのことを、子供たちは知っている模様』

『不破士郎の親類は、その妹を含めた四名である。その妹が、あの時の女(・・・・・)である可能性は高い。なんにしろ、あの一族は──そしてあの流派を扱える存在は、現時点で二名になったということであるが、近い将来、もう一人増えることになるだろうと予測する』

『父親としての彼は、まったくもってなんだかなぁという感じではあるが、鍛錬を観察するに当たり、不破士郎は剣士としてはやはり一流であるという認識をせざるを得ない。どちらを先に意識するかで、彼の印象が大分変わるのは気のせいと言うことにしておく』

『永全不動八門一派、御神真刀・小太刀二刀術の使い手として、彼はここに──日本海鳴市にいる。その理由は不明。彼ほどの存在が、何ゆえ一箇所にとどまるのかも不明。故郷ではないこの街に、何かしら思い入れでもあるのかと調べては見たが、成果は得られず。案外子供の学校のためのような気がするが、ここはあえて気づかないフリをしておくとしよう』

 

      ◇

 

「ったく、なぁにやってんだかね、あいつは」

 呆れたように、男はため息を吐いた。

 黒いレザーコートに身を包んだ、長身の男である。目も眉も黒く、顔は日本人のそれだったが、しかし染めているのだろう──異様に逆立った金髪が、黒尽くめの彼を結果的に目立たせていた。

「本当に、あれがエッジ・オブ・ザ・ネザーフィールドなの? 世界最高の暗殺者の一人? 情報収集でさえ下手糞な、ただの坊やにしか見えないわよ」

 その隣で、迷彩服姿の女がぼやいた。落胆した様子を男に見せ付けるようにして、肩をすくめて見せる。ついでに、彼女はいつもの嘲笑を忘れていなかった。

「あいつを見た目と性格と言動で判断すると痛い目にあうぞ」

「他の何で判断しろって言うのよ」

「そうだなー……」

 男はあごに手を載せ、うーんと唸り声を上げた。わざとわざとらしく聞こえるように(・・・・・・・・・・・・・・・・)。だが、答えだけはきっぱりと告げる。

「名前」

「は?」

「名前だよ。あいつを判断するには、名前しかない」

 男は断言した。女は笑った。

「ハッ! 応える気はないって事?」

 そうではない。が、女はそう思ったようだった。そう思いたいなら思わせておけばいい。わざわざ訂正してやる義理はないのだから。

「まぁいいわ。どうせあの坊やはおとりだもの。あんたも、チェン様のお気に入りだか何だか知らないけど、私の邪魔はしないでね」

「……仲間同士で競争することには意義がある。が、組織内で上を目指すことに意味はないと俺は思う。特に、職業的暗殺者──アサッシンである俺たちには」

「私は、彼のためにここにいるわ!」

「俺だってそのために呼ばれた」

「たかが日本人の癖に!」

「ま、そう言われりゃぁその通りなんだけどさ。はっきり言って、フェイフォ、その台詞は三流だと思うぜ? 国籍、出生、過去。暗殺者にそんなもの必要ないし、判断材料にもならないんだから」

「おだまり!」

 女が叫ぶ。男は、「おー、怖い怖い」と、おおげさに肩を抱くように震えて見せた。

「私は上へ行く。龍の上へ。それだけが生きる道なのよ。そして、そのさらに上にはチェン様がいなくては駄目なの。日本の暗殺者ギルドだかなんだか知らないけど、ぼんやりと私に背を見せて油断しているあんたなんかとは違うんだ!」

「仲間に背を向けて怒鳴られるとは思わなかったなぁ……」

「たかが雇われ暗殺者が、龍で訓練を受けたわたしと同列であるはずがないだろ。口を慎みな。あんたは命令されたことをしてりゃぁいいんだ」

「それもその通り。俺は雇われただけ。不破士郎を殺してその剣を奪えと。あんたと同じ暗殺者としてな。でもここの現場監督を任されているのは俺。忘れんなよ」

「忘れてないわよ」

 不服ではちきれそうな怒りを静めることもなく、女は言った。

「そりゃ結構。でも案外、信用されてないかもねぇ?」

 どっちが、とは言わずとも、女はその言葉の裏に隠された意味を明確に汲み取ったようだった。

「うるさい!」

 再び、女の怒声が響く。が、彼女はそれ以上口論をする気にはなれなかったのか、

「フン! いいわ。私の邪魔はくれぐれもしないようにね、姫月!」

「努力しましょ♪」

 あくまで軽い男の口調に、女の顔が苦渋に歪んだ。が、一応は存在するお互いの立場を忘れない程度には冷静さを保っていたらしい。女は何も言わずに踵を返した。その背中を、男も黙って見送る。

 だがすぐに視線を元に戻して、男はバーベキューをしている親子に目を向けた。

「まぁ、今のうちに楽しんでくれ。これからが地獄だ……って、こういう台詞だと、まるで俺ってば悪役みたいだな」

 全くその自覚がないかのように、男は手の内にある拳銃を指で弄んだ。

 そして笑う。

 双眼鏡の向こうにいる親子。その父親に、陰湿な輝きを向けて。

「さぁ、夜の幕開けだ」

 怪しく殺気に満ちた声が、闇夜に静かに掻き消えた。

 

 


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