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6
「いいか、恭也。これから御神流を教えるに当たって、一番はじめに、覚えなくちゃならないことを言うからな。よぉーく聞けよ」 「うん」 父を見上げることは、恭也にとっては日常茶飯事だった。顔を見るとき、会話するとき、彼の後を追うとき──常に父を見上げていた気がする。それほどまでに、父という存在は(物理的にも)大きく、偉大で、少年と呼べる年でさえなかった子供の彼にとって、世界の中心人物だった。 彼が世界だった。 父が口を開く。その様を、やはり下から見上げる形で恭也は聞く。 「御神流は、決して正義の剣じゃない。今はまだ分からないだろうが、俺たちの剣は、決して祝福されていいものじゃない」 「……しゅくふく?」 「ああ、わからないか。そうだな、幸せ、ってならわかるか? 俺たちの剣は幸せを生まない」 「……なんで?」 なんでもない、そのままの疑問だった。決して何かを含みがあったわけでも、父の言葉を理解したわけでもない。父が「いけない」と言った。だからその理由を問いた。ただそれだけで、だからその後に続いた父の言葉は、恭也にはもっとわからなかった。 「御神が振るう剣は、基本的に誰かを傷つけるものだ。人を傷つけることこそ、剣術の根源だ。何かを奪うため、または誰かを守るために誰かを殺す。例えどんな理由があろうと誰かを傷つける。剣は道具に過ぎない。だが剣術は凶器だ」 「……おとうさん?」 何を言っているのか分からない。その意味も込めて呼びかけると、父は大口を開けて笑った。 「アハハハ! うん、分からなくていいんだ。これからいくらでも教えてやる。これからいくらでも繰り返し言ってやる。恭也が理解し、自分で考えるようになるまで。一人立ちするまで。その答えを出すまで、ずっとだ」 と、父はそのままゆっくりとひざを曲げ、こちらの顔を覗き込んだ。目線が同じくらいになる。それでも見上げているような感覚に捉われたのは、恭也の錯覚に過ぎなかった。 「武器は人を強大にする。だが強力すぎる凶器は人の心に穴を作り、狂気に染め、自己を見失わせる。だが、武器は所詮道具だ。それを持つ人間が、どう扱うかによって姿を変える。御神流は、その一手段に過ぎない。だから、いいか。ここからが大事だ。これから恭也がしなくちゃいけないことは、二つある。一つは考えることだ」 「……うん」 最後の言葉だけは理解した。考える。でもやはり、何を考えるかは分からない。父の言葉はとても多くて、とても難しかった。 「何故剣を持つのか。自分にとっての御神流とは何なのか。剣を手に取り、何をするのか。何のために剣を手に取ったのか。そのことを考えるんだ」 「わかんないよ」 「うん。今はいい。言ったろ? 何度でも言ってやるって。恭也がこの言葉を覚えるまで。記憶して、理解するまで何度でも」 「……うん」 力強く、恭也はうなずいた。不思議と、だったら大丈夫だという安心感に身を任せて、そのまま父の両手に抱かれる。 「そして二つ目は、生き抜く決心をすることだ。何があっても生き抜くこと」 「いき……ぬく?」 「そう。生きることだ。俺たちは生きなくちゃならない。いや、そうじゃないな。簡単に死ぬ覚悟をしちゃいけないんだ。御神流は過去、そして現在もなお、決して表には出せないことをしている。人を傷つけ、その命を奪う。例えどんな理由があろうと、その事実は変わらない。なら俺たちは、自分たちとは違う道を進んで、そのために敵として戦って、俺たちが踏みつけてしまった者たちの分まで生きる義務がある」 父は、もうこちらの反応を待ってはいなかった。直感で、恭也はそう判断した。 「御神は大切なものを守るときにその実力をもっとも発揮できる。だが逆に言えば、それは守っている者の命を背負うということなんだ。俺たちが倒れたら、その守っている誰かの命も失われる。だから、俺たちは負けちゃならない。自分の命と、守っている者の命。そして敵の命。自分を信じて戦わない限り、それを守り、背負い、傷つけながら生きていくことなんて出来ないから」 「おとうさんは?」 ふいに気になって、恭也は聞いた。 「ん?」 「おとうさんはそうしてきたの?」 「ああ、そうだ」 ゆっくりと、父はうなずいた。 「ぼくはおとうさんとおなじなの? おなじことするの?」 「そうだ」 「だったら、ぼくもそうする」 父は笑った。その笑みは、彼がどこかくすぐったさを感じている証拠だと恭也は知っていた。父はわき腹をくすぐると、いつもこんな顔をするのだ。 「これから、恭也は大変だと思う。御神流という暗殺剣術を習うことの意味。剣を手に取る事の意味。生きることの意味。それらを考えていかなくちゃならない。難しいと思う。修行よりもずっと難しいと思う。一生かけて答えを見つけなきゃならないんだ。けど、恭也ならできると、俺は思うよ」 「うん」 うなずく。父が何を期待しているのかは分からなかったが、それでも不安はなかった。自分には父がいる。 「俺は傍にいる。修行の旅に出るときもお前を連れて行ってやる。そこでいろんなものを見よう。いろんなものを経験しよう。いろんなものを見て、味わって、感じて、考えて──そしてゆっくりひとつずつ吸収していけば良い。慌てることはないんだ」 「ゆっくりでいいの?」 「ああ。父さんが教えてやる。見せてやる。そして今言ったことを何度でも繰り返し聞かせてやるよ」 「うん!」 父の力強い言葉に、恭也は目を細めた。頭を撫でてくれるその手が心地よい。
けれど──
御神のみんなが死んだとき、父は独りでこう呟いていた。 「背負いすぎたんだ、俺たちは」 その言葉の意味は、なんとなくだが分かった。御神が、剣を振る上で守り、奪ってきた命のことだ。 墓の前でうなだれる父を見て、恭也は悲しかった。父は涙こそ流していなかったが、その形相は痛々しかった。かつて見たことがないほどに、苦渋に歪んでいた。 父のそんな顔を見るときは、決まって自分も悲しくなる。 けれど、それを止めることは出来なかった。 優しくしてくれた静馬おじさんも、一臣おじさんも、みんな死んだ。恭也も悲しかった。 だから、きっと父さんも悲しいんだ。 恭也はそう思った。 「俺は、結局誰も守れなかったのか」 父の言葉は、途切れ途切れにしか聞こえなかった。小さく、かすれた声。だが恭也は聞き逃さなかった。 「俺は、誰かの命を背負える器じゃなかったのかもな」 (……え?) その言葉が、士郎の今の気持ちを語っているのだと恭也は心のどこかで理解した。父は今、自分を責めている。家族を守れなかったこと。もしかしたら、生き残ってしまったことも含めて。 驚きのあまり、慌てて恭也は父を呼び止めた。 「父さん!」 ゆっくりと、父がこちらを向いた。 「……ん? どうした、恭也。お祈りはすんだか?」 「う、うん……」 言葉を捜す。何かを言わなくちゃいけない気がして、恭也は懸命に思索した。考えろ。今、自分の気持ちを一番確実に伝えるにはどうすればいいのか。どうしたら、父に伝わるのか。慰めとか、同情とか、そういった類のものではない。 彼が気持ちを吐露していたように、自分の感情を一番素直に表せる言葉を恭也は捜した。 何かを伝えようと必至で考え、そして今、父を見上げる自分が相変らずだと知った瞬間、ふっと、気持ちが軽くなった。口が自然に動いた。 「みんな死んだんだね……」 死が理解できなかったわけではなかった。全ての終わり。永遠の別れ。何も感じず、何も得られず、何も考えられず。何もかもが終わる。 「…………ああ、そうだな」 「悲しいね」 「ああ」 「でも──」 「ん?」 「俺は、父さんが生きていてくれてよかった」 言ってから、恭也は少しだけ馬鹿なことを言ったと思った。彼は生きている。当然だ。今も目の前にいる。そして何より、自分を青森まで連れて行ったのは他ならぬ彼だ。 「……きょう……や?」 それでも、恭也は必至で言葉を紡いだ。 言わなくてはならないこと。御神と不破の家族が死んだと聞いてから今日までの士郎の態度に隠れていた違和感の正体を、恭也は分かった気がした。 彼はまだ…… 「なんて言ったら良いか分からないけど……父さんは、泣いていいんだよ?」 「っ!」 父の顔が硬直する。ゆっくりと墓を見て、それから、震える手で顔を隠し、その指の間からもう一度こちらを覗く。 そうした瞬間──景色が揺らいだ。眩暈がするほど突然の出来事だった。それが力強い父に引き寄せられたのだと知ったとき、恭也の身体はすでに父の腕の中にあった。 「父さん?」 「なんでもない。なんでも……ないんだ。なんでも──っ!」 その言葉が、自分に向けられていないのだと察して、恭也は黙った。ふと、肩に熱いものを感じる。湿気はやがて服に染み入り、恭也の身体を濡らした。 それが、父の涙だと気づいて── 恭也もまた、嗚咽を漏らして泣いた。
何で思い出したのだろう。
考えることはたくさんあった。 父のこと。美由希のこと。自分のこと。あの金髪男のこと。 生と死のこと。 正義と悪。 自分という存在。 不破恭也とは何者なのか。 御神流を習う意味。剣を手にする意味。戦う意味。生きる意味。 何故戦うのか。何故剣を手に取るのか。剣を手にして何を成すのか。 分からない。分かるほど、自分はまだ大人じゃない。経験不足だから。子供だから。何もかもが、まだ未成熟だから。だが恭也は、それが決して恥じるべきことではない気がした。 ──慌てることはない。ゆっくり行こう。 わからなくていいんだ。今はまだ。これからわかるようになればいい。父さんが言ったんだ。ゆっくりで良いって。俺がついていてやるからって。 けれど、今ここには父はいない。頼ることのできる人はいない。なら、未来へ進むためには、生きるためには何をすればいいか。 考えるべきも、答えを出すのも、自分なのだ。 ここには自分独り。 未だ何も成していない、なすことの出来ない少年が独り。 (俺は──まだ死なない! 死にたくない! 生きるんだ!) 生きる意志は何よりも強い。 それが、今の自分が持てる全てだと、恭也は思った。
◇
風が強くなり始めた頃── 「なぁ」 肌に感じる肌寒さとは全く関係のないところで、士郎はうめきにも似た声を上げた。その掛け声が妥当だとは思えなかったが、それ以外の言葉を士郎は思いつかなかった。 「何で俺の隣を歩いているんだ?」 「目的地が同方向だからでしょ」 隣を歩く少年──皇設楽の返答はにべもない。 「だからってなんで俺と同じ速度で歩く必要がある?」 と言ったところで、設楽がこちらを向いた。 「なにか誤解しているみたいですが、僕が貴方の隣を歩いているんじゃなくて、貴方が僕の隣を歩いているんです。邪魔ならもっと速度を上げるなり落とすなりしてください」 「……そうか」 その言葉どおり、士郎は足を速めた。後ろから、「あっ!」という驚いた声が上がり──直後、その気配が一瞬で後ろから隣、そして前へと進んでいく。今度は士郎が「あ」と呻く番だった。 意識して、足を速める。再び追い抜いて追い越す。負けじと設楽も足を速め、それまでがかなりの早足であっただけに、あっさりと二人は駆け足状態になった。 「くっ」 「ぬぅぅ」 そのまま並行状態で歩くこと(もはや走っているも同然だったが)数分間。 「……やめましょう。無意味だ」 「そうだな」 わりとあっさりと同意して、士郎は歩く速度を緩めた。無意味で無駄な体力を消費したと、心中で思い切り後悔する。 その拍子に、士郎は聞き忘れていたことを思い出した。 「……設楽」 「なんです?」 「八景の能力って何なんだ?」 士郎としては、これから戦う敵が使ってくるだろうその武器の特性を知っておきたかった。火凪蘇芳から受け取った小太刀『八景』が特殊な能力を持っているのであれば、それを奪った敵が能力を開花させて使ってこない可能性は低い。 その意が伝わったのか、それとも別段何のこだわりもないのか、設楽はあっさりと答えてきた。 「八景の能力は、『四次元超越』と呼ばれているものです」 歩く速度が、少しだけ遅くなる。士郎は設楽の方を向いた。道なき道を、草の根を掻き分けながら進む。それほど険しい道でもないので、二人は話しながら、それでも歩む足を止めようとはしなかった。 「よじげ……なんだって?」 「四次元超越。八景の銘は、『八影──八つの影』から来ています。その名の通り、本物の剣閃以外に任意の空間より八つの斬撃を生む力を持っています。だけどそれはあくまで表向きの力。かの武器の本当の能力は、この世界の次元を無視して四次元での力を行使することにあります」 「……すまん。よくわからん」 「教養ないんですねー」 その一言で、ピタリと士郎は動きを止めた。 「…………」 とりあえず、心中でのせめぎ合いは理性が辛くも勝利を上げた。そんなこちらの我慢などそ知らぬ顔で、 「あの剣で一番多用される使い方は、九つの斬撃を任意の方向から同時に相手に繰り出すことでしょうね。本来次元の違うもの──特に低次元が高次元に干渉することは出来ません。言うなれば八景は次元間の干渉を引き起こすスイッチでありパイプでもある。距離や時間軸を無視することはやはりできませんけどね」 「凄い……のか、凄くないのか、それすらもよくわからん」 正直にそう言うと、設楽は笑って同意した。 「そうですね。僕もそう思います。結局死宝剣なんて大層に呼ばれていても、あれらはただの『剣』なんですよ。どれだけ異質な能力を持っていても道具でしかないんです。使いこなすことが出来なければ意味さえありませんし……」 「だがそれも、蘇芳さんが作ったんだな」 士郎の記憶にある火凪蘇芳は、決してそんな魔剣を作り出すような狂人には見えなかった。見た目にも百歳を超えた老人で、優しいという風ではなかったが、礼儀を重んじ、仁義を尊重する厳しい人という印象を受けた。少なくとも士郎の前では、設楽や──そして夏織が恨むような人物には見えなかったのだ。 彼を紹介してくれた夏織もまた、彼が狂人である素振りは見せなかった。が、言われてみれば、彼を育ての父だと語った夏織の顔はあまり微笑んでいなかったように思える。 「僕は赤子の頃に数度、彼と会っているらしいですが……」 と、設楽が切り出した。 「正直覚えていません。ですから、彼がどんな人物だったのかは夏織から聞き知っているだけなんです……」 一端言葉を濁すようにして、彼は苦笑いを浮かべた。 「ただ強い剣を作る。彼にはそれしかなかったんでしょうね。そのためだけに執念で百年以上も生き続けた。失敗作と呼んでいた夏織に戦闘技術を叩き込んだのは、自分が老い先短いことを知っていたからでしょう。夏織に自分の意思を継がせるもりだったんですね。そういう意味では彼女は成功作だったのかもしれません。でも……」 そこで一息ついて、設楽は続けた。 そんな蘇芳を、夏織は好いてはいませんでした。むしろ憎んでいた。そうして貴方と夏織に八景と八相を渡した後、蘇芳は姿を消しました。夏織がどこを探しても、彼は見つからなかったそうです」 「死んだのか?」 「わかりませんが、あの身体で生きているはずがないと、彼女は言っていました。その後のことはもう話したでしょう? 恭也君を貴方に預けた後は、僕に死宝剣を壊すための暗殺技術を叩き込んで、最後は死にました」 「…………」 九台桜隅の別荘地を抜け、整備された道を外れて歩くこと数十分。元々山の中腹に位置する九台は、開発されていない部分が多々存在していた。この辺りまでくれば、もう誰かの私有地ということもないだろう。道と呼ぶことも出来ない山道をさらに登って数十分。 道を遮断するようにそこから下方へ下る斜面が続いていた。崖と呼べるほど急ではないが、油断できる角度でもない。ここが地殻変動で生じた山の亀裂だと言うことを聞かなければ、その出来具合に人工的な何かを感じ取ってしまうほど整った形をしていた。 ふと、その斜面を下りる前に足を止める。設楽もまた、そこで動きを止めた。 「蘇芳が見つからない以上、僕の現在の活動目的は死宝剣を集め、封印、もしくは破壊すること。これまでで、水澄、八相、舞姫、そしてこの冬鉄の四本は手に入れました。残るは四本。この戦いで、八景を奪還します」 「好きにするといいさ」 「あれ? 気にしないんですか?」 意識して言った言葉ではなかったが、存外に設楽は驚いたようだった。目を見張る彼に肩をすくめて見せる。 「死宝剣云々に関しては俺が干渉することじゃない。あの剣に思い入れがない事もないが……それでも、あの剣をどうこうする権利は俺にはない。逆に、お前にはそれをする権利がある。そう思う」 「…………」 「敵を殺すな……とは言えない。出来れば止めたいが、そうなったらお前は俺も殺す対象にするだろう? だが今の俺の最優先事項は、恭也と美由希を助けることだけだ。他のことは気にしていられない」 と、今は手の内にある小太刀を見やる。八景ほどではないが、いずれも死線を潜り抜けてきた士郎の愛刀だった。八景を手に入れてからも、手入れは怠っていない。 「…………剣の能力を使うには契約が必要です。契約しても、すぐに遣いこなすことは出来ない。今ならまだ間に合うでしょうね。そろそろ降りましょう」 「……そうだな。ああ、ところで……」 と、士郎は話題を切り替えた。斜面を降りようとしていた設楽がこちらを向く。いい加減敵地に乗り込んでもいい頃合だが、言っておかなくてはならないことが士郎にはあった。 「お前、ここ二週間俺のこと監視していたろ。初めて九台で会ったとき、なんか手帳みたいなもの持ってなかったか?」 「ええ。あなたの行動を記録してましたが……それが何か?」 「渡せ。プライバシーの侵害だ」 「……まぁ、別に今となってはかまいませんけどね」 と言いつつも随分渋りながら、設楽は胸ポケットからメモ帳大のそれを取り出した。 受け取ったメモ帳をパラパラとめくり、だが士郎は不意にその手を止めた。もう一度最初へ戻り、一から読み直す。 出だしは少しばかりフランクだった。 『調査対象:不破士郎 お尻に星型のホクロが三つ並んでいる男についての調査を以下に記す』 「………………」 たっぷり一分以上は黙り込んで、士郎はその手を止めた。足の動きを止めなかったことを自分にほめてやりながら、もう一度読み返す。 (何で知ってるんだ?) その、おそらく家族以外は誰も知らない事実を彼が知っているのは本気で驚きだった。いつ見たのか。風呂か、トイレか。それとも着替えか。確率的に高いのは三番目かもしれないが、どちらにしても気分の良いものではない。 そんな調子で調査報告の名を借りたメモ書きが続く。 「ちょっとぶしつけなことを聞くが……」 士郎はそう言いながらも、思った通りを口にした。 「お前、読書感想文とか、国語のテストとか、学校の先生にだめだし食らったことないか?」 「へ?」 「へ、じゃなくて」 記帳されたメモ帳には、彼のここ二週間の成果があった。標的──つまり自分だ──の行動に対し、事あるごとに『感想』を書き記した結果がここにある。 『洗剤が切れている。買い替えるべし。傾向から予測するにトップよりもアリエールがお好み』 『朝のトイレに入るときに、父親の権限を執行して先住権を主張するのはどうかと思う。大人気ない』 『免許取得。意外と真面目に勉強していた様でびっくり。正確には「車両系建設機械運転技能免許(整地・運搬・積込み用及び堀削用、解体用)」という。いや、確かに国家試験ではあるわけだし、元よりどんな免許を取ろうと個人の自由だけれど、一体それで何するつもりなのだろう?』 『ガン●ムのガチャポンフィギア、Zシリーズ第五弾をコンプリート。おめでとー♪』 とりあえず。 士郎はそこで目を閉じた。沸き起こってくる感情は怒りではなかったので、ひとまず冷静のまま設楽に向き直る。 「お前……調べものとか、作文とか、結果をまとめるとか、ひょっとしてそういうの下手だろう?」 「失礼ですねー!」 一方で設楽は憤慨したらしかった。こちらの手の内にある手帳をひったくってページをめくる。何かを探し、やがて見つかったのか、そのページのある一部を指差して言ってきた。 「ほら、この辺。『洗面所の歯ブラシが汚い。変え時だ』とか。『冷蔵庫の下がカビっている』とか……凄いと思いません? 細かいでしょ? 凄く」 「関係ないだろ。ことごとく」 冷たくあしらったつもりだが、設楽はしつこく食い下がってきた。 「人を知るのに、外見だけを調査してどうするんですか!」 「そりゃ確かに間違っていないが、注目する方向が違う。方向が!」 「そんなことありません! その人を判断したければ、まず家に行ってゴミ箱を探りなさいというのは夏織から学んだんですから!」 「ゴミ箱?」 それを教えたのが夏織と言う事実はひとまずさておいて、 「生ゴミと燃えないゴミをきちんと分別できているかどうかを判断するためですって。そして次は風呂場のドアのサッシの部分や冷蔵庫の裏、トイレのタンクの中とかを調べます。そこまで掃除できているかどうかは、プロファイリングでは重要な要素なんだそうです」 「……まぁ、一理ある……のかな」 「それが終わったら趣味の調査ですね。その人が何を好み、何に対して怒り、何を感じるのか。その全てを知る。ほら、なんとなくそれっぽいでしょう?」 「確かにな。それも……夏織から教わったのか?」 すこしだけ言い淀みながらも、士郎は聞いた。 「いえ、近所に住んでた痴呆症のおばあちゃんが毎夜の寝言でほざいてたのを、夏織が真に受けたらしいです」 「…………」 「どうかしました?」 「いや、なんでもない」 そうですか、と、さして気にした風でもなく設楽は続けた。 「ま、なんだかんだ言って、僕は学校に行かずに基礎教育は夏織から受けましたからね。彼女の独断と偏見とエゴイズム的な授業は聞いていて飽きませんでしたよ」 「例えば?」 「そうですね。今思い出しても笑い話にもならないんですが……」 「ふんふん」 「虫眼鏡を使って光の屈折を観察するついでに、制限時間内に野原の虫を太陽光の収束効果で何匹焼き殺せるかの実験をやらされたり」 「…………」 「国語の漢字の読み書きテストで、一問間違えるたびにその焼き殺した虫を無理やり食べさせられたり」 「…………」 「計算力上昇を目的に、数字と演算子の書いた銃弾を装填したマシンガンで数時間撃たれ続けたり」 まだ続く。 「基礎体力を上げるために、人食い鮫がうようよ泳いでいる海のど真ん中へ、服を着たまま高度二万メートルの上空から叩き落されたり、ペンギンと寒中水泳で競争させられたり……あ、そうそう! エベレストの頂上で新年の書初めをやらされたこともありましたね。さすがにあの時は凍死するかと思いましたよ」 「……あの女はぁっ……いや、それよりもよく生きてたな、お前」 素直に感想を述べると、設楽もまた頷いた。 「僕もそう思います。で、最後のそれは何の目的だかわからなくて問いただしたら、『ただなんとなく』って言うんですよ? さすがの僕もぶち切れて新年早々血みどろのケンカしましたね。一分も経たないうちに僕が半殺しにされましたが」 「…………なんか、悲しい人生送ってないか?」 「うぅっ……思い出せば思い出すほど殺意しか沸いてこない……」 感慨深げに俯く設楽にある意味同情しながらも、士郎は話題を元に戻すことにした。 「なるほど。だから学校には行ったことないのか」 「そうですね。ですから読書感想文なんて書いたことないんですよ」 「それで教養がないんだな、納得した」 先ほどの罵声をそっくりそのままを返して、士郎はすっきりした形で位置的に下にいる設楽を見やった。自然と、お互いが睨み合う形になる。 面白いほどに、先ほどまで沈んでいた設楽の顔が硬直していた。その双眸がゆっくりと細まっていく。 「もしかしなくてもケンカ売ってます?」 「いや、買っただけだ」 「…………」 「…………」 静かな時間が過ぎた。風は相変らず強かったが、何故か自分たちの周りを避けているかのように吹いて行く。 「……やっぱり貴方とは仲良く出来そうにないですね」 「味方だったことはないだろ」 それをにべもなく返すと、少年暗殺者は憎々しげに呻いた。 「あの洞窟がおそらくチェンのアジトです……が」 設楽が指差した先に、それはあった。斜面の一番下にぽっかりと開いた天然の洞窟。粘土質の土で出来たらしいそれは、文字通り洞穴と言った感じだった。手で削れるほど脆くはなかったが、中で暴れて保てるかどうかは微妙な境界線である。入口は他にも数多くあるらしい。ここから見える限りでも五つ。すぐにでも入れる位置にあるのは二つ。 その最も近い入口のうちの一つを指差して、設楽が言った。 「ここで別れたほうがよさそうです。なんだかとっても連携取れる自信がありません」 「奇遇だな。俺もだ」 「それじゃ、奇跡的にも意見が一致したところで、貴方はあっちの狭いほうへ行ってください。僕はこっちへ行きます」 「何で俺が狭いほうなんだ?」 「僕の長尺刀。あっちの広さじゃ、入れませんから」 そういう設楽の格好は、一昨日に戦った時と同じ黒革の戦闘服で、所々が血に汚れてさらに黒ずんでいた。彼の体躯がもとより小柄なせいか、背中に剣を背負っている『冬鉄』という銘の死宝剣が逆に目立ってしまっている。長尺刀であるだけに随分と歩きにくそうで、不恰好極まりない。 それを踏まえれば、確かにもう一つ空いている身近な入口は、そこから見えている奥の広さから見ても長尺刀が邪魔をして動けないだろうことは予測できた。 「…………役に立たんな。死宝剣も」 最後にそれだけを言い捨てて、士郎は設楽と別れた。後ろで地団駄を踏んで悔しがっている少年暗殺者に優越感を感じながら穴に入る。 その瞬間── 凍えるほどの殺気が、彼の体内を駆け巡った。
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