◇

 

「馬鹿な! お前は人間だ!」

 その怒声は聞いていて心地の良いものだった。

 悲鳴が上がる。それはもう、威厳もプライドも、人として最低限保っておきたい尊厳や対面すらも感じられないほどの絶叫だった。他者には決して見せられない、人間個々の奥底に眠る真の感情。

 恐怖という感覚に支配された生き物が、そこにいた。

 

      ◇

 

「死宝剣がどうやって創られたか。その正確な技法は誰も知りません。もしかすると『彼女』が知っていたかもしれませんが、もうその彼女もこの世にはいない。必然的に、死宝剣は九本で打ち止めということです」

 暗殺者の声は、もうその場から動こうとはしていなかった。

 チェンは命じた。部下に対してではなかった。ましてや目の前の敵でもない。単純に自分の身体に、自分の意思に、自分の足に。単純に──

(動けっ!)

 声にならない叫びを上げて、彼は全身全霊を持ってその足を自分のものではないかのように引きずった。

 こちらの動きなど微塵も気にした様子も見せず、設楽が続ける。乾いた声。そう思ったのは、ただチェンの感覚が乾きつつあるからだった。

「諸説によると、悪魔に魂を売ったとか、西洋の魔術師との契約により能力を剣に付与したとか、まぁ色々ありますけどね。そんなのはむしろどうでもいいんです。問題は、僕が人間型であるということ」

 そうだ。それが疑問だった。

 彼は剣ではない。どこからどう見ても、人間にしか見えない。

 従って、彼が剣であるはずがない。

 彼が死宝剣であるはずがない。

「人間と同じ姿をして、同じ機能、同じ生殖能力を持ち、同等の肉体および精神構造をそなえた者。となれば、僕が剣であると断言するのは不正確かもしれません。いえ、むしろ僕は剣ではない。人間の女から生まれ、二本足で立ち、両手で道具を操り、言語を紡ぎ、見たもの感じたものを理解する。感情があり、理性もある。従って僕が人間だという結論に至るのは決して間違いではないでしょう。僕自身、自分を『人間でない』とは思っていません」

 ならば──

 彼は何者なのか。

 真正暗殺者。世界に十三人しかいない、暗殺のプロフェッショナル。その中でも最高(・・)と謳われる実力を誇る者。

 皇設楽。

 黒の刃。

 エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールド。

 混乱はしなかった。事実は事実で、現実は現実でしかない。それを見極められないものから死んでいく。それは理解していた。だがどれだけ理解しようと、どこまで納得しようと、この現実は変わってくれない。招かれうる結果は一つしかない。それが結果的に、チェンから冷静さを奪った。

「人間の男と女によってこの世に生を受けた僕は、定義でいけば人間です。ですから、僕は剣ではありません。貴方が思い描き、誰もが想像し、理解し、目に見えて納得の行く剣ではない。だけど──」

 一泊置いて、暗殺者が告げてくる。

「僕は間違いなく『死宝剣(・・・)』です」

「馬鹿な! 理に適っていない!」

 彼の言葉を飲み込むには多大な労力が必要だった。

「理屈も何もありません。僕は僕。皇設楽。黒の刃。エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールド──その能力を持つ能力者です。貴方はきっとこう思っている。僕は人間で、だから剣ではない。従って死宝剣ではありえない。違いますか? 『剣』と言う言葉から連想される情報によって、一番容易な解釈を行った結果でしょうが、その概念そのものがすでに間違っています。『死宝剣』が『剣』である( ・・・ ・ ・ ・・・)などと、一体誰が言ったんですか?」

 それは──

 彼の理性を、根底から覆す言葉だった。

「何を言って……」

 胸の内をついて駆け上ってくる空気は、当然ながら肺から搾り出されたものだった。酸素を欠乏した身体が悲鳴をあげ、意識をぐらつかせる。だがチェンははっきりと、確かな眼で設楽を見ていた。

 その暗殺者が、やはり抑揚のない声で言ってくる。

「『死宝剣』が『剣』であるなどと、誰が言ったんですか?」

 先ほどと同じ言葉だった。

 体温が上がる。身体が、硬直を通り越して死んだのではないかと思えるほどに機能を停止していた。意識が伝播しない。身体が止まったというよりは、むしろ自身の精神が身体から離反していく──それは意識を失う一歩手前の感覚に近かった。

 設楽が行動を起こす前に死ぬかもしれないほどに、彼は『停止』していた。思考だけをその場に残して。

「…………」

 そして考えて見れば。

 死宝剣が剣であるなどと、誰かが言ったわけではない。火凪蘇芳に関する情報にも、死宝剣に関する情報にも、そのことには触れていない。黒い何かが覆いかぶさっているかのように、巧妙に仕組まれた隠し通路が少しずつ口を開け始めていた。

 だが一体誰が思うというのだろう。想像するというのだろう。

 『死宝剣』が『剣』でない( ・・・ ・ ・ ・・・)などと。

「ま、勘違いするのも仕方ないでしょうね。確かに貴方が手にしている鬼王や、ここにある冬鉄は『剣』ですから。結果、そこから導かれて全ての死宝剣が『剣』であると解釈するのも無理ないでしょう」

「そ、そうだ!」

 藁にもすがる思いで、チェンは叫んだ。

「ここにある鬼王も! お前の持つ冬鉄も! 剣だ! 死宝剣だ! お前が剣であるという証拠がどこにある」

「だから僕は剣ではないですってば」

 クスリと──小さく笑う声が、チェンの感情を逆撫でた。

「黙れ! なら貴様は何だというのだ! 貴様は──っ!」

「僕は死宝剣。先ほど言ったとおりです」

「だが剣ではない!」

 まるで問答のようだと、チェンは剥離されていく理性の片隅でそう思った。あの男が死宝剣であれ、人間であれ、何であっても、自分の敵であることには違いない。勝てないことを自覚した上で、取るべき最良の手段はここから逃げることだった。

 死は全ての終わり。過去も、現在も、未来も。何もかもが断絶する事象。それを乗り越える力はチェンにはない。普通の人間であるチェンに、人間でないかもしれない皇設楽を倒す力はなかった。

 だと言うのに、叫ぶ声は止まらない。身体は逃げたがっている。理性も。本能でさえも。だからか、軽く後ろに半歩、先ほどの硬直がウソのように足がスムーズに動いた。

 それを見逃したと言うわけではないのだろうが、設楽は追随してこなかった。

 楽しそうに続きを告げてくる。

「今ではほとんどの場合において、死宝剣と解釈されるのはその『剣』のほうですけどね。実際は違います」

 と、軽く笑ってから、

「本来、『死宝剣』とは火凪蘇芳によって造られた能力者たち(・・・・・)の総称を意味します。ところが御するべき力が強すぎて、結果的に八人は皆死に絶えました。従って、蘇芳はその能力を、今度は壊れることのない──少なくとも人間よりはと言うことですけど──『物』にしようと考えた。そうして、彼はその八人の能力者から八本の『剣』を造り出した」

 何かが──

 おかしな言葉だった。もう半歩ほど後ろに下がりながら、チェンは思索した。今の言葉のどこかに、納得の行かない部分がある。

 そう考えて、すぐに彼は自嘲した。今こうしていることこそが、すでに納得の行かないことではないのか。

「死宝剣が何で出来ているか。知っていますか?」

 設楽の言葉が、再びチェンの行動を止める。

「死宝剣と呼ばれる八本の剣。その刀身は鉄でも鉛でもありません。金属ですらない。生物の死骸です。それも人間の」

「……まさか」

 そんなわけがない。だがここで彼がウソをつくわけもない。そんな理由もない。

 全てを裏付けるかのように、彼の言葉が響く。

「かつて存在した『死宝剣』と呼ばれた能力者たち。その死骸によって、その血と肉と骨によって精製された武器。それが貴方の持つ、そして求めて止まない『剣』の正体です。蘇芳が生きていたら、そして僕が『エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールド』の能力を制御できずに死んでいたら、僕もまた『剣』の仲間入りをしていたことでしょうね」

「……一体……何のために……」

 辿り着いた結論。行き着いた感情。

「知りませんよ」

 あっけなく、それら全てを設楽が否定した。今までの会話を水に帰すほどあっさりとした物言いだった。

「そんなことは知りません。今となっては知ることも出来ませんし。過去に遡って、蘇芳自身にでも聞かない限りはね。興味もありません。だからまぁ、講釈はこんなところでしょう。そろそろ話も尽きました。で、死ぬ準備は出来ましたか?」

「う、うわぁぁぁぁぁっ!」

 全力で。

 何もかもをかなぐり捨てて。

 チェンは鬼王を振り回した。手に伝わる肉と骨の感触。血が噴き出る音が響く。やはり設楽自身には何も変化はなく、弾かれているらしい効力が周囲にその猛威を振るっていく。

 血の臭いが鼻腔に到達したのはそれから随分経ってからだった。肩に激痛が走る。何か金属の破片のような物が、不意打ちでチェンの肩を貫いていた。経験したことのある痛み。それは銃弾に違いなかった。

(何が──っ!)

 起こったのか。だがそんなことは重要ではなかった。自分は何をどうしたのか。剣を振ったのだ。暗殺者に向けて。

 絶対にしてはならないことだった。殺されることがわかっている敵に向かっていくなど愚かなこと極まりない。痛みはチェンに思いもかけず理性を取り戻す結果となった。

 その場から動くことなく、設楽がさらに話を続けてくる。

「紹介が遅れましたね。『エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールド』。それが僕の能力名です。領域内全ての生命体と精神を共有し、侵食して支配する。コンピューターウイルスならぬ、ヒューマンウイルスといったほうがいいかな? 元来、死宝剣──あ、これは『剣』のほうですけど──その能力を完全に発現できる使い手はいません。何故なら剣それぞれの能力が、元は人間が有したものであり、個々の特性と体質、精神構造によって制御されていたからです。僕の能力は本来、死宝剣の能力制御構造と精神を共有して、剣の能力を完全発現するためのものだったんですけど、何事にも副産物っていうのはあるみたいで……使い勝手がいいんですよ。これ♪」

 アハハハと、今度は本当に楽しそうに設楽は笑った。彼の言葉を理解する必要はなかった。否、出来なかった。チェンはただ、純粋に、単純に、人を強制的に完全支配できることを自慢する彼の笑顔に恐怖した。

「化け物……」

「ひどいなぁ。まぁでも否定はしませんよ。とにもかくにも、貴方の部下は僕の支配下にあります。彼らは僕。僕は彼ら。僕の意思一つで彼らは動く。上司の貴方でさえも平気で撃ちぬく。さて、先ほどの僕にしてくれた御礼がまだでしたね。四方八方からの銃弾の嵐。受けてみます?」

 それが合図だった。

 周囲を覆う壮絶なまでの殺気。それは今まで止まっていたはずの部下だった者たちの気配だった。支配された味方だった敵が、一斉にこちらを向く。その手にある銃口を伴って。

「あ……あぁ……」

 錯乱しているのか。混乱しているのか。理性が飛んでいるのか。だが自身の行動を客観視しているチェン・ユィスィという人格は、即座に一つの結論にたどり着いた。

 それは、もしかしたら結論と言えるほどのものではなかったかもしれない。ただ彼の意識の片隅に、厳然たる決定事項としてそこに存在していた。

 目を瞑っていたに過ぎない。理解したつもりになっていただけに過ぎない。

 どこで間違ったのか。

「俺は……俺の過ちは……」

鬼王を手に入れたこと(・・・・・・・・・・)僕の敵になったこと(・・・・・・・・・)。死宝剣に関わったことが貴方の敗因です。それじゃ、さようなら。チェン」

 

 死ぬ?

 ここで無様に死ぬ?

 俺が?

 このチェン・ユィスィが?

 

 死ぬ?

 

      ◇

 

 銃声が鳴り響く前に、チェンはこの場から消え去っていた。鬼王さえも捨て置いて。

 あっけない結末には違いなかったが、その結果に対して設楽は一言、

「ま、いいか」

 それだけを呟いた。

 力を求め、その終局として死宝の剣を求めた男は無様にここから去っていた。それを目くじら立てて追いかけるのも、いささか無粋のような気もする。

「そんなにうらやましいものですかね」

 無いものねだり。ただそれだけの、なんともつまらない欲求だ。確かに弱肉強食はこの世の一つの真理ではあるが、絶対唯一のそれではない。力を求める態度こそが、弱者である証明になることに気づかないことのなんと愚かなことか。

 結局、あの男との戦いは、ただ虚しさと呆れと、少しばかりの疲労を覚えただけだった。笑いはしたが、愉しくはなかった。嬉しくも面白くもない。だから逃がしたことに対する落胆も執着もなく、黒の刃は小さく首を動かして周りを確認した。

 暗視スコープをかけ、重火器を装備した迷彩服の男たちが、銃を発射する直前の状態で固まっていた。呼吸さえしていない。だが死んでいるわけでもない。エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールドの支配下にある彼らは、ビデオ画像を一時停止したかのように止まっていた。元々の主人に幾人か殺されたとはいえ、まだ数十人は軽く生き残っている。

 一人一人処理する(・・・・)のは骨が折れるだろう。

「もう用はないですしね」

 それが命令だった。支配を受けた亡者たちはその意志を不思議がることも無く受け入れ、立ち上がる。ウイルスに侵食されたなら、そこに元来の意志は存在しないからだ。エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールドの副産物とも言うべき効果は、チェンの部下たちを完全に支配していた。世界から切り離すがごとく──

 彼らを振り返ることなく鬼王を拾う。チェンの立ち去ったほうへ歩みながらそっと独りごちて……

 後ろで同士討ちを始めた者たちの断末魔を聞きながら、黒の刃はゆっくりとその場を離れた。

 

      ◇

 

「くっ……はぁ、はぁ、はぁ……っ」

 肉体が地を駆ける。そんな風に自分の様子を傍から実感してしまうほど、チェンの意識は宙に浮いていた。地に足が着いていないのではない。息は切れているし、足は疲労感で今にも止まりそうだった。肺が押し潰され、自然と呼吸が出来なくなった時点で、身体が自然に停止する。

 壁に寄りかかる形で、チェンは立ち止まった。欲求に従って呼吸を続ける。酸素の不足した身体が落ち着くには時間が要った。

(まだか……)

 だが思考だけは幾分か回復して、チェンは独りごちた。設楽から逃げおおせたことが少なからず安堵感をもたらしたらしい。追撃はない。気配は追ってこない。

 その理由はとんと判らなかったが、チェンは考えるのをやめた。あの場所からここまでは幾分か分岐がある。奴ほどの手練なら例え気配を消していても追ってくるかもしれないが、それまでにはもう少し時間があるはずだった。

 その少しの時間さえあれば、自分は立ち直れる。

 その自信がある。

 息はまだ整っていなかったが、チェンは歩き出した。懐からマスクを取り出し、そろそろ起爆するはずの毒ガス弾に備えて装着する。

「まだか?」

 焦っているのかもしれない。

 このまま歩けば外に出られる。だが毒ガスが充満する前に洞窟を出ることは出来ない。そしてそれは設楽も同じはずだった。ならばガスマスクを装着している自分としていない彼との差は考えるまでもない。

 優位に立っているのは自分。それは間違いない。

 設楽から逃げ出せた時点で、それは決していた。覆せないほどの現状として。

 だが……

(本当に遅い。そろそろのはずなんだが)

 かの暗殺者と対峙していた時間を省みても、時限式の爆弾にセットしたタイマーの時間はとっくに過ぎているように思える。が、依然として爆破の気配はなかった。

(こちらで誘導するか? 遠隔誘導は危険だが、あまり遅れると設楽がここへ来てしまう)

 懐から、手の内にすっぽり収まるサイズの金属の塊を取り出して、チェンはマスクの下で笑んだ。黒い塊の上部に赤いボタンが突起している。チェンが仕掛けた爆弾のスイッチだった。

 それを押そうかとスイッチに指をかけたそのとき──

「探し物はなんですか♪ 見つけにくいものですか♪ っと」

 歌が聞こえた。

 明らかに場違いで、それ以上に調子はずれな声だった。歌はすぐにやみ、代わりに足音が聞こえる。それは、チェンの進行方向からやってきた。

(設楽か? いや、だが何故前からやってくる! くそっ! こんなにも早く追いつかれるとは……)

 訝しげに思いながらも、チェンは苦しげに呻いて爆弾のスイッチを押した。そして──

 押しただけで終わった。

「?」

 いつまで待っても、何度押しても振動はやってこなかった。爆音もしない。何もかも今までどおりだった。焦りばかりが募り、やがてそれは爆発した。

「何故……何故だ!」

「そんなに不思議か?」

 声にビクリと痙攣を起こしたのは、決して爆弾が爆発しなかったからではなかった。敵に追いつかれたことによる恐怖でもない。

「しばらく見ないうちに妙なもん装着してるな、お前」

「……ルーワン?」

「おう。俺だ。姫月陸王だ」

 姿を現したのは、真正暗殺者ではなかった。チェンが雇った日本のアサッシン。闇夜にも目立つ金髪が特徴の男が、飄々とした顔つきで、チェンの行く手に立っていた。

「貴様が何故……いや、それよりも、お前はここで何をしている? 不破士郎はどうなった!」

「負けた」

 あっけらかんとした物言いに、チェンは自分がガスマスクを装着していることも忘れて怒鳴り散らした。

「なっ! こ、この役立たずが! 勝てると踏んだからこそ、お前自身が勝つと言ったからこそ、自由を許したと言うのに! 全てが台無しじゃないか! 計画が! 俺の計画が! 野望が!」

「ああ、そりゃお気の毒に」

「何だその言い草は! 少しは恥じろ! 何が依頼遂行百パーセントの暗殺者だ! 聞いて呆れる。ろくに満足に敵をしとめられないとはな! くそっ! ならフェイフォはどうした? 仮にも訓練を受けた暗殺者があんな子供を殺せないわけもないだろう! 何故こうも思い通りに行かないのだ」

 息をするだけでも喉が痛む中、それでもチェンは擦れた声を精一杯張り上げた。

「お前はここで何をしている! 負けたのは解かった。だが生きているなら何故追わない。死んでも依頼を遂行するのがアサッシンだろうが! ……いや、まぁいいだろう。お前のこれまでの失敗は見逃してやる。その代わり、今すぐに皇設楽を殺せ。依頼を失敗したのだから、その返上は必要だろう!」

 激昂するも、その表情はマスクにさえぎられて伝わることはなかった。こちらの意思を解しているのかいないのか、それをさらりと受け流して、陸王は言った。

「いや。言葉を返すようでなんだが、別に依頼は失敗していない。っていうか、むしろ依頼どおりって感じだな。ここまで来るとちょっと不気味なくらいだ」

「何を言って……」

 いる、と言い切る前に、陸王が口を挟む。

「残念だよ。アンタは有能だった。戦士としても、商人としても。ただ、奴のほうがアンタより上手だっただけの話だ」

「…………ま、さか……」

 考えたくなかった。その思考だけが充満し、結果的にチェンは思考をそこで止めた。

俺の受けた依頼(・・・・・・・)は三つ。不破士郎を適度にいたぶれ。不破恭也と美由希を絶対に殺させるな。後一つは……」

 と、歯が見えるほどの笑みを浮かべて、

チェン・ユィスィの依頼を裏切れ(・・・ ・・・・・・・・・・・)、だ。残念だったな」

「貴様は……」

 皇設楽は追ってこない。追ってくる必要がなかったから。

 死神は目の前にいた。すぐ傍にいた。

「爆弾は解除させてもらった。さっきフェイフォの気配も消えた。おそらく外で負けたんだろう。安全策のためにフェイフォに八景を契約させ、なおかつ前線からはずしたんだろうが、裏目に出たな。あの女の出世欲は尋常じゃない。暗殺者としては欠陥と言えるほどにな」

「あの馬鹿女が!」

「鬼王も手放したんだろう。お前の手札はもうない」

 冷徹に、アサッシンが告げてくる。

「だが勘違いするなよ。それだけなら、俺がお前の前に現れる必要性はないんだ。お前の依頼を裏切れとは言われたが、お前を殺せとは言われてない。だから、俺がここに来たのは俺なりの、プロとしての清算さ」

「な、なんだと……?」

 彼が──姫月陸王が何を言っているのか理解できずに、チェンは呻いた。

「だから勘違いするなと言っている。いいか? 確かに俺は、設楽の依頼でお前に接触し、その通りお前から依頼を受けて動いていた。だが俺が裏切るよりも先に、お前が俺を裏切ったんだ。ガス爆弾なんてもので、設楽と不破士郎だけじゃなく、俺さえも一掃する気だったか?」

 問われて、だがチェンは答えられなかった。その無言こそが肯定の意であることにさえ気づかないままに、陸王の言葉を聞く。一歩だけ、彼が歩み寄った。それを受ける形で、チェンは一歩交代する。後ろから、真正暗殺者がやってくるだろう事も忘れて。

「知ってのとおり、暗殺者ギルド『リバース・D』に所属する俺たち職業的暗殺者(アサッシン)には忠誠心がない。思想も、目的もない。だからこそ『契約』という形を絶対的に重視する。それこそがたった一つの行動原理だ。俺は設楽との契約どおりお前を裏切る。だが裏切るまでは、契約どおりお前の依頼を実行する。お前から受けた依頼は『死宝剣入手のために戦え』だった。その通り俺は不破士郎と戦って、そして裏切って負けた。だがそれよりも前に、お前は俺を裏切っていた。契約を破棄した依頼者には違約金を払ってもらうだけだが、契約を無視した愚者にはその命を持って清算する決まりになっている」

「ルーワン。待て! 落ち着け! 俺はお前を裏切ってなどいない! 勘違いだ! 俺の話を聞いてくれ!」

 後退しながら、チェンは口早に叫んだ。無言でいる陸王に説得が通じると踏んで、さらに付け足す。

「これはみんなフェイフォが勝手にやったことだ。彼女はお前を快く思ってなかった。独断でお前を裏切ったんだ! 毒ガス弾も、俺のあずかり知らぬことだ。俺はあいつから、ここを出るときにマスクを装着するように言われただけだ。俺は彼女を信じていた。まさかお前を裏切るようなまねをするとは思ってなかったんだ!」

 そこまで囃し立てて、チェンは陸王の様子を見た。アサッシン。不死人の異名を誇る職業的暗殺者である陸王は、無表情のまま、その場で淡々と告げてきた。

「生きるためにはどうすれば良いか。答えは簡単だ。足掻け。生き続ける限り、生き抜け。生を求める者は生きようという意志に満ちている。だからこそ輝いている。だからこそ美しくなれる。だが──」

 と、そこで一泊置く。瞬間、その目が牙を剥いた。

「自らの死期を悟れない者は無様で醜い。故に俺が告げることは一言だ。お前は死ね」

「貴様ぁぁぁぁぁぁっ!」

 可聴域を超えた、声にならない叫びがチェンから吐き出される。それよりも速く陸王の姿が霞み──次の瞬間、感じたのは衝撃でも、それによる痛覚でもなかった。

 緩やかに視界が回る。宙を飛んでいるかのごとく回転するその片隅──下方に、チェンは見知った人影を見た。『龍』ご用達の戦闘服を着た、黒っぽい印象を抱く人影を。

 体躯のいいその人影には首から上がなかった。その隣で宙に舞う『自分』を嘲笑っている暗殺者をみつけて、ようやくチェンは──

 

 それが自分の身体だと──

 

 気づいた。

 

      ◇

 

 彼が外にたどり着いた頃には日はすでに暮れていた。暗闇というほど暗くはない夜の山間部を、草木を掻き分けながら歩く。

(ま、少しはやりやすいかな)

 もとより明かりなどなくても歩けるように訓練はしているが、あって困るものでもなかった。とはいえ、暗闇でも問題なかったかもしれない。出口は入ったときとは違って平地だった。

 草原ではあるが、雑林ではない。一体どの辺りに出たのか知る由もなかったが、空気の流れ方で、少なくとも入口──九台の方面ではないことくらいは判る。

 ここがどこかはわからなかったが、どこに向けて歩けば良いかは理解していた。気配が三つ。ここから数分とはなれていないところに佇んでいる。

「見つけた♪」

 自分が望む最終目標を見つけて、彼は跳躍した。

 


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