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◇
果たしてあれはいつだったか。もう覚えてない──だけれど忘れてしまうほど昔ではなかったと思う。 いや、待て。そう、確か……あれは十八の夏。ああ、そうだ。まだ十九にはなってなかった。故郷を離れ、独り修行の旅に明け暮れ、そして路銀も無くなりかけた頃。ふと立ち寄った町──その昼間、ひょんなことから会話を交わしたのが最初だった。 そうして食い扶持を稼ぐために受け持ったボディーガードの仕事をしていた時である。彼女と再び出会ったのは。身体にピタリと密着するタイプの革の服──所々金属で補強された、どう見ても戦闘目的で作られた服装で闇の中から現れ、 「よっ! また会ったな」 まるで友人を見かけたが如くあっけらかんと、彼女はそう言ったのである。 彼女の目的は明らかだった。だがその笑顔を見たなら、その手の内にある不可視の刃で暗殺を実行しに来たなどと誰が思うだろうか。そしてあろうことか士郎はその一瞬、これほど夜に映える女性は他にはないだろうと不覚にも思ってしまった。 美人──かどうかは人にもよるかとは思う。彼女はどちらかというと男性のようなきりりと顔立ちをしていた。しっかりと刻まれたボディラインと相まって、雰囲気は中性のそれ近い。 そして二人は、幾分か不思議な縁を感じながら──
月の無い夜空の下で、殺しあったのだ。
◇
それから二年が過ぎたというのに、士郎は彼女のことを鮮明に覚えていた。否、忘れられなかったというべきか。一目見た瞬間にあの時の女であると理解したほどだ。記憶力は良いほうではなかった分だけ、彼は自身の心情に驚いていた。 最初にインパクトがありすぎたせいだろうか。ああ、きっとそうに違いない。他に理由もないのだし……。 その再会は──結果的に一度実家に戻り、機関銃のごとく両親を含めた親戚一同から説教を食らった後、再び懲りずに出奔し、そうしてまた路銀がつきかけた頃、森の中で野宿をしていた矢先の出来事だった。 かれこれ二年ぶりの彼女は以前と変わっていなかった。二年で外見が顕著に変わる齢でもないからだろうが、やはり以前と同じデザインの黒革の戦闘服は、思わず寒気が走るほど彼女に似合っていた。この格好が彼女の戦闘スタイルだということを思い出して身震いする。 それを見咎めたのか、だが肩の力を抜いたような笑みを浮かべて彼女は言った。 「また会ったね」 向こうもおぼえていたらしい。こちらにきちんと向き直ると、 「覚えてるか? わたしのこと?」 頷くことで返事をすると、彼女は満足そうに八重歯を見せて笑った。 「不思議だね。二年も会わなかったのに、そんな感じがしない。縁があるのかもね。わたしとしても、戦ってどっちも死ななかったなんていうのは初めてだったわけだし」 それはつまり、彼女が殺すつもりで戦って殺せなかったのは士郎が初めてだということだった。「……物騒だな」 あえてぶっきらぼうに士郎は答えた。別段語り合うことも何もない。彼女と以前会った時は敵だった。殺し合いまでしたのだ。再会に嬉しさなど沸き起こるはずもなかったが、懐かしいという感情は確かに心中に存在した。 『…………』 奇妙な沈黙。だが不思議と居心地は悪くなかった。まきの火だけが闇夜を照らし、おぼろげに世界を彩る。干し肉(いまどきこんな食料もどうかと思うが)を食べ終えた頃合を見計らったのか、最初に口を開いたのは彼女だった。 「今、時間あるか?」 「見ての通りだ」 「そうじゃなくて、正確にはこれからって意味なんだけど」 「……予定はある」 「予定?」 「この森を西のほうに抜けたところに、ある流派の道場があるんだが……明日、そこに行って他流試合を申し込むつもりだ」 「そう……」 彼女は一度うなずいて、何かをかみ締めるように何度か唸った後、 「ならちょうどいいな」 「ん? 何がだ?」 「いや、こっちの話。それじゃ、わたしはもう行く」 前回に比べれば随分あっさりした別れ方で、彼女は消えた。 「そういえば……」 ふと、思い出す。 「まだ名前、聞いてなかったな」
その名は天海流と言った。江戸時代まで遡って武家の裏で暗躍していた流派で、実働部隊というよりはむしろ諜報に従事していたらしい。忍者養成学校──士郎の認識としてはそんなものだったが、おおむね間違いではなかった。門下生たった二十人弱のエリート流派。実際、そのレベルは御神においても注視されるほどである。 その道場にこれから他流試合を申し込みに行く。向こうもまた御神流の名は聞き知っているだろうから、まさか断られることはないだろうと、士郎は小腹をすかせつつ足早に森を抜けた。 だが道場に着いたとき、士郎を待っていたのは人の気配が限りなく弱くなっていた屋敷だった。稽古による騒ぎではないことはすぐにわかった。硬く閉められた門の向こうで、複数の殺気と、むせ返るほどの血の匂いが立ち込めている。 感じるより前に、殺気が減る。まるで布で包み込むように優しく、気配が消えていく。 その感覚には覚えがあった。 二年前だ。 「まさか……」 疑惑は、だがすでに確信に変わっていた。門が開かないことを確認して、すぐ脇の塀を飛び越える。 広い屋敷ではない。決して狭くもないが。庭に倒れている門下生らしき男は白目を剥いて事切れていた。外傷らしいものはどこにもない。ただ一本だけ、針のように細い棒のようなものが男の首に刺さっている。日の反射で光らなければわからなかったほど透明度の高い武器だった。 出血などどこにも見当たらない。だが確かに匂い立つ血の香り。吐き気がするほどの悪臭に胸をつかれ、士郎は思わずむせ返りそうになった。 「…………」 敷地内に現存する殺気は二つ。 「くそっ!」 毒つく声は士郎のものではなかった。途端、さらに気配が減る。 「ひぃっ! 来るな! 来るなぁっ!」 駆け寄った先には、もはや錯乱した男が狭い廊下で闇雲に剣を振っていた。その後ろ、闇から溶け出すようにして一人の女が現れる。音もなく、気配もなく、彫像のように冷徹な仮面をかぶった彼女を、その瞬間、士郎は思わず見惚れていた。 それはまさしく、芸術的なまでに昇華された殺人のための動作だった。目的に向かってゆっくりと、その白い指が動く。男の首を撫でるように──実際に撫でていたのかもしれない──動かした直後、男の乱雑な動きは止まった。最期の一声をあげるまもなく、床に倒れこむ。血は流れてこなかった。 「…………」 士郎はゆっくりと重心を落とした。右足を半歩引き、面前にいる相手に向かって半身に構える。左手は少し下にさげ、右手に鞘に収められた小太刀を握る。 こちらを見ることなく、彼女は言った。「早かったな」 「……何をやっている」 「見てわからないか?」 「わからないから聞いている。何故殺したんだ? 誰かに依頼されたのか?」 「……違うな。これはわたし個人の意志。理由も個人的な理由だ」 「怨恨……か」 ありえない話ではない。御神もそうだが、天海も決して人には誇れない生き方をしてきた流派だ。が、彼女は頭を振った。 「それも違う。でも……そうだな。根本的に違うとも言い切れない。わたしの戦いは怨恨から始まっているから」 「…………」 「本当を言うと、あんたが来る前に全滅させるつもりだったんだ。でも思いのほか、ここの師範は強かった」 「俺を犯人に仕立てるつもりだったのか?」 「……想像に任せるよ」 彼女は笑った。 「天海流と日本政府との関係を考えれば、この件が表に出ることは決してない。でも一応の調査はするだろうから、目撃者は消しておきたいところだね……」 その言葉に、士郎は無言で柄を握る手に力を入れた。踏み込もうと後ろに引いた足に力を入れた瞬間、だがその一瞬で彼女を見失ってしまう。目を見開く。ピリッとまつ毛が痙攣する感覚に従って、彼はそのまま前方へ突進した。 着地する一歩目で、足首を回転。身体の軸はそのままに後方に向き直る。剣は抜かないままに、士郎は自分が先ほどまでいた場所に立つ彼女を見た。二年前の初見の時と同じく、彼女は追撃してこなかった。 「やっぱりあのときのこともまぐれじゃなかったのか。あたしの不意打ちの攻撃を二度も躱すなんてな。あぁそういえば、まだ名前聞いてなかったな」 こんな時に名乗るのもどうかと思ったが、士郎は口を開いた。ゆっくりと息を整えつつ、精神を戦闘へシフトする。 「……不破士郎だ」 「流派は?」 「…………御神流」 「へぇ、あんたがあの有名な御神なんだ。ふむ。これは……もしかすると本気にならないと駄目かもね」 言い終える頃には、彼女の手には武器が握られていた。短刀──それは西洋で言うところのダガー程度の大きさで、見た目にはコンバットナイフに近い形状をしていた。それを片手でもてあそびながら、不意に逆手に持ちかえる。 ともすれば見逃してしまうほど微かな笑みを残して、 「わたしは夏織……火凪夏織だ。改めてよろしく不破士郎。そしてさようなら」 瞬間、彼女は姿を消した。
踏み込んだのは同時──少なくとも士郎はそう思った。同時であるならまず間違いなく勝てる。勝つ自信があった。御神の誇る最速の移動術──奥義の歩法『神速』を発動する。まだ数秒間しか扱えない、だが確実に自分のものとできた技を持ってすれば、相手の裏をかくことなど造作も無かった。そして確かに、こちらの動きに一寸遅れた形でナイフを振ってきた彼女の攻撃を躱して──だが彼女の横腹に刃をつきたてようとしたその瞬間、士郎は驚愕した。 「なっ!」 神速により世界の全ての物が止まって見えるはずの彼の目の前から、忽然と彼女の姿が消えていた。 「…………」 無言。吐き出されたのは踏み込みの吐息。後ろで回転する彼女の身体が見えた。 (そういうことかっ!) 彼女は遅れたのではなかった。最初から躱されるような動きで突進し、そこから本来の速度に加速する。不意打ちと、速度の違いによって錯覚を起こさせるために。神速と同レベルの、おそらく彼女本来の速度でもってその剣閃は迸った。 士郎は本能的に地を蹴った。真上に飛び上がって彼女の一閃をやり過ごす。その間に振りかぶった小太刀を両手で思い切り振り下ろし、だがそれさえもわずかな動作で躱されてしまう。振り下ろした剣先を逆に振り上げた瞬間、彼女のナイフと小太刀が交差し、数瞬もしないうちに小太刀が叩き折れた。 「くっ!」 迷わず後ろへ跳躍しながら、士郎は折れた剣の柄を投げつけた。飛針をそれと平行に三本、最後の四本目は小太刀と重なるように撃ち放つ。 小太刀はナイフで、飛針は手のひらで叩き落される。が、最期の一本だけは予測できなかったらしく、彼女は慌てて顔を逸らした。狙い通りのその瞬間を狙って、再び神速を発動させる。彼女の首を狙って放った手刀は、 「ぐっ!」 だが手ごたえはわずか──躱された指先は彼女の肩口をえぐったのみで終わった。こちらの攻撃を絶妙のタイミングで後ろに跳ぶことで威力を和らげたらしい。苦悶の声も小さく、倒れ込む気配さえなかった。 (くそっ!) 心中で毒ついて、士郎は廊下を離れた。すぐそばにある居間のような和室に転がり込む。その間に、腰に差したもう一本の小太刀を抜き放った。 数メートルと離れていない場所から彼女が跳躍する。地を這うように低く。ナイフを逆手に構えて。士郎はその姿を認めたまま動かなかった。 見極めなければならない。タイミング。攻撃の機会。それを見損なえば、次の瞬間には死が待っている。 彼女はそういう相手だった。士郎と同等の速度で、だが彼以上の攻撃力を持っている。暗殺技術──つまりは相手を仕留めることに関しては、おそらく彼女に勝つことは出来ないだろうことを、士郎は半ば本能的に察していた。 だから待つ。必殺の一撃目を凌ぐために。そしてそれは、文字通り瞬きする間もなくやってきた。 「!」 それはもしかしたら彼女が発したものかもしれない。和室に小さく嗚咽が響いた。思わず漏れ出たような、空気のような音。彼女のナイフは士郎の腕を切断し、そこで動きを鈍らせている間に、士郎の小太刀が彼女のわき腹を貫いていた。 だがそれでも終わらない。殺気は勢いを増し、空中で転倒する彼女のナイフがひるがえって士郎の首を薙ぐ。その激痛に意識を飛ばされそうになりながらも、残った片方の腕に懇親の力を込めて、士郎はは彼女の身体を引き裂いた。 もつれ合って互いの命を奪い合う。それはある種本能に殉じた行為だったかもしれない。 意識を失う。気が遠くなる。………… 後はもう覚えていない。 だが死んでいないことを不思議に思いながら目を開けたとき、何よりも先に目に飛び込んできたのは、そぐ傍にいた痩躯の、今にも倒れそうな老年の男だった。 その見た目どおりのしわ枯れた声で彼は──
自らを「火凪蘇芳」と名乗った。
老人だった。背を丸め、今にもそのまま転がっていきそうなほど身を縮めている。濃緑の一張羅を羽織り、剣を一本──まるで見たことも無いような不思議な光沢を放つ小太刀を手にしていた。 士郎はしばらくの間、自分の身がどうなったのか分からなかった。もとより、老人はそんなことなどお構いなしに話しかけてくる。 「剣の使用法は二種類しかない。すなわち、斬るか、突くか。この二つに限られる。剣は武器であり、道具だ。もう少し詳しく言うならば、剣とは『圧力を一点に集中することによって物質を断絶する道具』である」 老人の声は、そのしわだらけの容態に比例せずはっきりとしたものだった。 「剣は道具だ。武器だ。何が先に来るかは、使用者によって変わる。使う者が使えば、ただの楊枝とて殺人の武器になるのと同じようにな」 その考えに士郎は同調した。何も言わずに同意を示すためにうなずいてみせる。だが実際には首は動かなかった。その時初めて、自分があの『火凪夏織』と戦って重傷を負ったのだということを思い出した。彼女はどうなったのだろう。自分は? そもそもここはどこで、貴方は誰だ? そう聞くことさえ出来ない。口はどうにか空気が通ることが出来るくらいに開くことは出来たが、声は出せなかった。 「繰り返すが剣は道具であり、武器だ。これ単体では何も生まない、ただの無機物でしかない」 老人の声には淀みはなかった。 「主は強い。故に問う。主にとって、剣とは何だ? 剣を手に何を成す。剣で何を斬る。何を守り、殺し、その先に何を求める……」 そうして一息に、最後の言葉をつむぐ。 「主にとって剣とは何か。決して忘れてはならぬ。それを知らぬかぎり、それが分からぬ限り、主は弱いのだ」 矛盾している。だが不思議と、彼はその言葉に納得していた。 「主は弱い。故にこれを主に預けよう。我が創りし小太刀『八景』じゃ。我の創造の中では最低の愚作だが、あの『失敗作』よりは遥かにましじゃ……」 「…………」 「主に拒否権はない。どうしても嫌だと思うなら、そうじゃの……命を助けてやった駄賃とでも思えばいい」 その時、あまりにも突然に、彼はまた眠気を催した。目を瞬く動作は無意識であるが故に、勝手に幾度か視界を遮って、そうして次第に重苦しく閉じていく。 火凪蘇芳と名乗った老人は、だがこちらの様子など微塵も気にした風でなく話し続けている。 「あの失敗作にしては面白い男を見つけたの。フン、だがこれでようやく得られるわけじゃ。我の後継者が」 後継者…… その単語を最後に、士郎は意識を再び失った。だから次に聞こえた言葉は、ただ聞こえたような気になっただけに違いない。
「さて、あの失敗作が回復するまでに『黒の刃』を完成させるか。まさかこんなに早く死宝の後継と我の後継。欲した二つが手に入る時がこようとは。失敗作でもたまには役に立つ。生かしておいて正解じゃったな」
◇
彼女は失敗作と呼ばれた。 だが同時に火凪蘇芳の『作品』のなかで、最強と謳われたのもまた彼女だった。 だからか──いや、もしかするとそれは彼女個人の性格のせいかもしれなかったが、何にせよ、彼女の言動に驚かせられるのは少年の短い人生経験の中でも決して珍しいことではなかった。 「そろそろ人、殺してみるか?」 「…………」 こんな時どう応えていいものか。応じるべきか、拒むべきか。否、選択肢などはじめからないのだと少年は思っていた。彼女は確かに問いかけていたが、こちらの意見など聞いたためしはない。結局は彼女の思惑通りになることを、少年は幼いながらにわかっていた。わかっていたから、何も応えなかった。 「……返事できないのか、しないのか? それともわたしに強要してほしいか? そうだな。そのほうが楽だな。強制とはそういうことだから。一切の責任の放棄。殺した責任、その重圧から逃げることが出来る」 「…………」 「わたしは『お前』に生きる方法を与えた。黒の刃。わかっているはずだ。死宝剣は『人を殺すこと』で生きていける。逆に言えば、人を殺せない死宝剣は死ぬだけだ」 今度はうなずいた。分かっている。理解もしている。納得はしていなかったが。 「確認するまでもないが、わたしたちには枷がある。生命体が生存のために食物を摂取するように、死宝剣は人を殺すという行為でもって命を永らえる。『他の生命を奪う』──それこそがまさしく私たちにとっての食事だ。拒めば死ぬ。飢えた生物のように。陸に打ち上げられた魚のように。火凪蘇芳が──忌まわしきあの父が、死宝剣を生み出すために造り上げた悪魔のシステム。それが『殺人縛鎖』だ」 死宝剣。火凪蘇芳が造り出した能力者たちの総称。だが現在は最後の一人を残すのみとなっている。他は皆、姿を変えて世界に散らばった。『剣』という今度こそ慈悲のない武器となって。理由は簡単だ。誰一人として『生』を望まなかった。ただそれだけである。 故に死んだ。人を殺すことを拒んで、彼らは死んだ。 (人を殺さなければ生きていけない。そうしなければ自分が死ぬ) 殺すという行為でもって命を長らえることが出来る。なればこそ、その行為は他者に委ねてはならない。他の存在に依存してはならない。彼女が暗に言っているのはそういうことだ。 それが殺人縛鎖──チェインズ・モルドと呼ばれるシステム。 それを鑑みれば、死宝剣とは火凪蘇芳が作り出した能力者のことである一方で、人を殺さねば生きていけぬ人種のことでもあった。 「お前はお前の意志で、殺人を行いなさい。何故人を殺すのかを考えなさい。生きるため? それも確かだね。でもそれだけなら本能で生きる獣と同じ。お前は死宝剣。だけれども意志のある、知性と理性をもつ獣」 ゆっくりと、彼女が近寄ってくる。訓練中に彼女がこういう歩き方をするときは、決まってもう終わりという意味だった。 「わたしたちの身に嵌められたシステムがどういうものなのか、わたしにもそれはわからない。殺人という行為がいつカウントされてるのか、またリセットされるのかもわからない。どれだけの数を、どれだけの期間で殺さなければならないのか、それさえも……だけど黒の刃。お前はまだ能力者じゃないから、『殺人縛鎖』は発動していない。今だからこその選択。生きるために他者を殺すことが必須になる前に、お前自身の意志で選びなさい」 身長差のある身体を密着させてくる。その両手で少年の頬を包み、額が軽く触れる距離で、彼女は最後にささやくように呟いた。吐息のように漏れ出た声を、少年は聞き逃さなかった。 目の前で、つややかな唇が動く。 「それとも、全てを否定し、全てを拒んで死ぬか?」
その一ヵ月後。彼は生きることを選んだ。
◇
血が滴る指先のさらに下に横たわる男の死体を見つめながら、少年は停止していた呼吸をゆっくりと再開させた。 「……」 指先についた血を見る。そこからさらに視線をはずして、彼は男を見た。すでに事切れている。もう動くことは無い。二度と。 終わりは随分とあっけなけないものなのだと、少年はかすかに落胆した。こんなものかという相手への落胆と、指先を汚してしまった自分に対する落胆。何か見失った気がして、彼はもう一度死体を見た。そうしてすぐに、ああ、そういうことか、と自分が喪失したものを見つけた。それは落としても音がしないもので、だからきっと誰も気づかない小さなものだった。 そう──
たった今、僕は、人間でなくなったのだ。
なればこそ狂うべきなのだろうか。そうして、誰もが目を逸らすほどに、闇色に染まるべきだろうか。もう少し、何かを感じるべきだろうか。恐怖すべきだろうか。人の道にあらざる行為をしたことへ、少しは怯えるべきだろうか。 だがどちらにしろ、これから少年は…… (ここから僕は……) ゆっくりと、あるいは急速に、闇の中の赤い道を進み続ける。止まることは許されない。もう後戻りは出来ない。ここから始まる。死宝剣としての闘いが。 だからこそ、少年はその始まりがあまりにもあっけないことに落胆を覚えていた。人を殺したことへの抵抗は無かった。後悔も無い。あるわけもなかった。決意した故の行為だ。 死宝剣をこの世から消去することを。 そのための『剣』となることを。 そのためには、誰が死のうと、誰を殺そうと、自分は迷うわけにはいかない。止まるわけにもいかない。 この世に在るべきではない、最後の死宝剣として。そうして彼は、全ての死宝剣を葬った後、自ら消滅する。考える必要は無い。感慨に耽る必要もない。ようやく始められる。ようやく旅立てるのだ。 死の旅路へ。 彼女はずっと前にいる。 さぁ殺そう。 死ぬために。そのために今は生きるために、他者を殺そう。
僕は彼女の剣なのだから。
◇
それは少年が、九歳を迎えてすぐの頃だった。 「子供が出来た?」 あまりにも単純で、あまりにもわかりやすい言葉。その事実。それが指し示す意味。およそその言葉を耳にした誰もが、一度は聞き返してしまう言葉。 「…………」 だがその事実を受け入れることは、少年にとってさほど苦にならなかった。普段から事実を事実として認識し、かつ許容する訓練をしているからだろうか。感情を消し去り、理性だけで判断する。 「どういうこと?」 「妊娠したってこと」 「それはさっき聞いた」 「…………ふむ」 「だから、どうしてそうなった」 「わたしがそうするつもりだったから」 「…………どういうつもり?」 辛抱強く、少年は聞き返した。彼女が妊娠したのは理解できた。『した』のだ。つまり過去形であるのだから、その事実を無かったことには出来ない。だが理由は知っておきたかった。 彼女が子供を生む。だがそれは…… 「証がほしかった。ずっと昔から。ようやくそれが見つかった」 「証?」 「わたしが生きた証。生まれた証。わたしの──死宝剣になり損ね、失敗作と呼ばれたわたしの存在証明」 失敗作──その言葉を発する時だけ、彼女の表情がかすかに歪んだ。 目の前にいる彼女──火凪夏織は、彼女自身が言ったとおり死宝剣の失敗作だった。彼女は特殊能力を具象化できていない。能力者ない彼女は、それ故に死宝剣ではない。彼女は能力者にはなれず、だが死宝剣だけを蝕むはずの『殺人縛鎖』に蝕まれている。だからこそ、彼女は失敗作と呼ばれる。 そうした一方で、彼女は、だがその身に秘めた戦闘における才能は歴代の死宝剣を含めても最高最強を誇っていた。それが、蘇芳が彼女を生かした理由であることを少年は知っていた。 「…………」 「何か言いたそうな目だね」 じっと、少年は彼女の目を見た。数分か。もしくは数十分か。分からなくなるほど長い時間、二人はそうしていた。言葉を発せず、じっと互いの目を見続けた。 先に折れたのは少年だった。 「もしかして、止まる気なの?」 「…………」 彼女は答えなかった。それを肯定と受け取って、少年は少しだけ語気を上げた。 「それがどういうことか、わかってないわけじゃないよね?」 「……そうだな」 小さく、今度は彼女が目を伏せた。 「死を選んでまで、子供を生むことが何で夏織が生きた証になるの?」 「…………わたしは壊すことしか知らないから」 スッと、目を細める。それは少年が一度も見たことも無いような表情だった。だがたったそれだけで、彼は言うべき言葉を失った。言いかけた言葉を見失った。 「壊すことしか出来ない。お前のように、死宝剣として何かを成す力も、その役目も無い。わたしが出来ることは、蘇芳から継いだ殺人技術でもって、他者の命を奪うことだけ。だからずっと考えて……考えに考え抜いて、結論として、子供が欲しいと思った。わたしが生むことの出来る唯一の存在。わたしだけが生むことが出来る、わたしの子供」 「…………」 「…………」 再び、沈黙が二人を支配した。話さねばならぬこと。語らなければならないこと。問い正さねばならないこと。色々あるのに、言葉が出てこなかった。 少年は呻いた。その彼を助けるように、夏織は笑った。それはもしかすると、彼が見る初めての、心の底からの笑顔かもしれなかった。 「だから、手伝って欲しい」 「手伝う?」 そして今度こそ──それは完膚なきまでに少年を驚かせるに至った。夏織が何を言っているのかわからなかった。何を言いたいのか。何をしたいのか。どうしてそこで、自分が関わってくるのか。その全てが理解できなかった。 「何を言って……」 「子供を生むことがどういうことか、きちんとわかっているって言っただろう?」 笑顔で、自分の、まだ膨れていないおなかをさすりながら、夏織は続けた。 「子を生す。それは当然、わたしの遺伝子が子供に遺伝するということでもある。わたしの……わたしたちの『殺人縛鎖』もまた、例外なくお腹の子供を蝕むだろうね」 分かっていたことではあったが、少年は息を呑んだ。 「能力を発現できなかった失敗作であるわたしの反作用で、この子がより強い能力者になる可能性だってありうる。そうなれば『殺人縛鎖』の発動は免れない。だからこそ『エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールド』が必要となる」 エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールド。 設楽が有する、死宝剣の能力を完全に操作するための能力。そしてその副作用は…… 「私にとっては嬉しい誤算だった。精神から他者を侵食し、生命体を肉体に及ぶまで完全支配する……となればもうわかるよな? この子を支配して、『殺人縛鎖』と、高い可能性で秘めているだろう死宝剣としての『能力の芽』を摘んで欲しい」 「…………」 黙する。それだけが、彼が今出来る反応だった。 彼女の言いたいことは分かった。 究極的には、生まれてくる子供を死宝剣でなくすのだ。 火凪蘇芳が死宝剣に埋め込んだ枷──『殺人縛鎖』は、裏切り防止と能力強化を主目的として存在している。人を殺すことを強要するそれを外すことが出来るのは蘇芳のみであり、死宝剣が蘇芳の課した役目に対して反目した時、または人を殺すことを拒んだ時、自動的に死へのカウントダウンを開始する。加えて彼の意思によっていつでもその命を左右されるが故に、戦闘力で圧倒的に劣っているはずの蘇芳に逆らう事を考えた死宝剣はいない。だがそれも当然表面上の話である。 自分を含め、あの男に作られた全てが彼を憎んだはずだ。それでも蘇芳は生き延びた。刺し違えてでも蘇芳を殺そうとした死宝剣とていたはずだが、あの男は命をつなぎ、そうして最後の剣──自分のことだ──を創るに至っている。 そうした中でも夏織は例外的な存在だった。 そう、彼女は本当の意味で例外だった。失敗作といわれながらも蘇芳から戦闘技術の手ほどきを受けたこと。反目する意思を表明しながらも生かされていたこと。蘇芳への憎悪を隠すことなく、蘇芳の存在を抹消すべく動いていた彼女が殺されずにいたことは不思議でしかなかったが、蘇芳は彼女へ最高の暗殺技術を叩き込み、さらにその全ては少年へ伝授された。 だが── 最後の死宝剣として、少年が『エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールド』を発現させた折、これからようやく夏織とその剣によって復讐が始まるというそのときに、火凪蘇芳は二人の前から姿を消した。老化による瀕死の身体で、彼はどこへともなく失踪した。これにはさすがに彼女もどうすれば良いか迷ったようだったが、結局、捜索は諦めた。あの身体ではあと幾ばくの余命も残っていないだろうと考えたからである。 だから今、直接的に彼らの生命を脅かす存在はいない。ただ彼の残した忌まわしきシステムだけが、これから二人が生きるうえでの課題だった。蘇芳に命を握られているといっても過言ではない状態が続いた過去。だが、彼はもういない。 (だから……) だから彼女が──夏織がようやく自分のために『生きること』を選んだとしても、それはおかしなことではなかった。何を選択しても責めることが出来るはずもない。彼女の立場は、その気持ちは、それに最も近い少年自身が一番よく分かっている。彼女はようやく自由になったのだ。それをどうして奪える? どうして初めて自由意志で生きることを選んだ人間から、その自由を奪えるというのだ。できるわけがない。 (…………だけど) 言っておかなければならない。エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールドにも限界はある。およそ生命体に関しては最悪の能力──精神支配というものがどれだけ悪辣で悪質なものかはこの能力を見れば一目瞭然であるが、それでもこの力では、チェインズ・モルドを排除することは出来ない。理由は分からないが、もしそれが出来るなら、とうの昔に夏織や自分の身体を蝕むそれを排除出来たはずなのだ。 「…………」 小さく、少年は呻いた。声を出すことに初めて恐怖を覚えながら、彼女の顔にまっすぐ向き直って、告げる。 「……それは……できない。夏織。できないんだ。エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールドにも限界はある。殺人縛鎖を取り除けるなら、ずっと前に僕たち自身でそうしている。ひょっとしたら、あのシステムが寄生しているのは肉体でも、精神でもないのかもしれない。どこに潜んでいるかも分からないほど巧妙に隠されてるんだ。今まで僕自身に何度となく試してきた。でも駄目だった」 「…………」 夏織は何もいわずにじっと少年の顔を見ていた。彼もまた、彼女の目をじっと見つめた。彼女の瞳の中に確かに映る自分の姿を確認しながら、彼は続けた。 「だけど能力の削除は出来るかもしれない。だからその子を……能力者でなくすことは出来る……と思う。それにしたって『かも』だ。ただでさえ精神なんていうのは構造が不安定で、自意識を持たない生まれたばかりの子供の精神構造なんてカオスも同然なんだよ。ただ支配するだけならともかく、混沌とした黒い海の中から、異能力を発現させるだろうたった一個の実行ファイルを見つけて、取り除くのは不可能に近い。肉体の能力制御機構だって複雑だ。それを削除している間に、精神支配を受けたその子供のほうが壊れるかもしれない……」 「…………」 「だから、言わせて貰う。夏織が自由意志で、生きることをやめてまでその子を産むというのなら……僕は僕の自由意志で、貴女の頼みは断る。僕は止まる気はない。死宝剣を断絶するまで絶対に。だから僕は人殺しを続ける。夏織の子供を救うことは、僕の『生きる』範疇に入らない。だけどここで……」 少年は一度、言葉を切った。夏織は先ほどから何も言わずに、じっとこちらの言うことを聞いている。こんなことは初めてだった。彼女がこんな態度をとるのも。彼女がそんな風に笑うことも。何もかもが。 心中でふっと少年は苦笑した。居心地が悪かった。その理由は分かっている。それは彼女のせいではない。自分が、なにより自分自身が語っていることが、滑稽でしかなかったからだ。 それでも、彼は話すことをやめるわけにはいかなかった。 「だけどここで、その処置をしておかないと、僕はいずれこの子を殺さなくてはならない。死宝剣となりうる可能性のある夏織の子を……」 「…………」 「正直、それはしたくない。正確に言うなら、死宝剣となる前に処置できるかもしれないのに、それを見過ごして楽な方を選ぶことは、僕のやり方じゃない。だから……そのお腹の子供の能力は取り除いてみよう。成功する可能性は低いけどね。殺人縛鎖の方は、残念ながら無理だ」 「その方向性を変えることもか?」 「……え?」 随分と久しぶりに聞いた気がした彼女の声は、また何を言っているかすぐには理解出来ないものだった。 「方向を変える。本来殺人縛鎖は死宝剣の裏切りを防ぐためと、能力強化ためのシステムだ。能力を発動できたものに作用する枷。作用するのは能力者として──死宝剣として目覚めてからだけど、失敗作であるわたしにもシステムは働いている。いえ、だからこそわたしは失敗なのだろうけど……」 そう言って、自嘲的に笑う。 「だからというわけではないけど、たとえ能力を削除しようと、この子に殺人縛鎖が作用してしまう可能性はある。それもわたしの予測ではかなり高い確率で。だからシステムそのものを取り除けないのなら、それが作用する方向を変える」 「…………」 どこへ……とは聞けなかった。聞かなくても分かった。殺人縛鎖が行う裏切り者への断罪処置。引き起こされる身体の崩壊を、命の消失を、全て自身へ向けさせるつもりなのだ。 「…………」 止まる。 夏織は最初からそのつもりだった? 彼女は死を選ぼうとしている。自分が生きたことを証明するために。殺人による仮初の『生』ではなく、死ぬことで得られる自由な『生』を。 少年は自問した。結局答えが出ずに、呻くようにその答えを求める。 「ひとつ、聞いても良い?」 「何?」 「それを……一体いつ決めたの? 少なくとも子供が出来てから、じゃないよね」 「……士郎と戦ってから……だろうね」 だとしたらもう随分前だ。少年は愕然とした。夏織がそういう考えに至った原因、いや、きっかけが士郎──不破士郎だ。御神流の男。会った事はないが、話には聞いていた。蘇芳が、何を思ったか死宝剣の一振り『八景』を渡した男。夏織が時折仕事を共にする男。時には味方で、時には敵対して…… だけどどちらでも、彼と会った後の彼女は楽しそうだった。 少年は一度彼女から視線を逸らした。向かった先は彼女の腹部。八ヶ月後には見るも見事に膨れるだろう子供がいるだろうお腹へ目を向ける。まだ見た目にも分からぬ様子ではあったが、彼の目には確かにその内で蠢く命の鼓動を感じた。 「…………」 今にも壊れそうなほど脆弱な命を見つめて、彼の意思は自然と口をついて出ていた。そのときには、すでに心は決まっていた。 「…………二つ、条件がある」 「条件?」 「一つは、僕の暗殺技術の訓練が完了するまで死ぬことは許さない。それまでは、これまでどおり『生きて』もらう」 「それは大丈夫だ。もとよりお前が完成するまで、死ぬつもりはない」 「……二つ目は……」 そして再び彼女に向き直る。それを告げることを、少年は迷わなかった。 「貴方は僕に殺されろ。他の死に方は決して許さない。それが条件だ」
◇
景色が闇へと変わる。だが変わらず語り部は彼だった。少年だったときの声から、少し低くなっただけの、だけど士郎からすればやはり少年の声。黒の刃。皇設楽と名乗る暗殺者は、姿の見えない先から語りかけてくる。 「そうして、彼女は男の子を産みました。幸か不幸か、エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールドによって男の子の能力機構は取り外され、いずれ発動するだろう殺人縛鎖の方向も夏織のほうへ向けることが出来ました」 唐突に、何の脈絡もなく、彼はそこにいた。黒革の戦闘服を着た少年が、先ほど見ていた光景より数年は歳を経た、もはや歴戦の強者たる風格を漂わせて。 「夏織が危惧したとおり、能力者でないはずの子供は──それも生後数ヶ月というとんでもない速さで『殺人縛鎖』の毒に犯され、その力の方向は思惑通り全て夏織へと向かいました。子供の身に降りかかるはずだったそれは彼女を襲い、身体を崩壊させ、それによる死が訪れる前に彼女は僕が殺しました」 「…………」 何かを話そうとして、士郎は口を開いた。だが声が出ない。というよりは、確かに話しているのだが、それは音になっていなかった。自分の耳にさえ音は響いてこない。それがあらかじめ分かっていたかのように、設楽が小さく笑った。 「安心してくれて良いですよ。恭也君は死宝剣ではありません。今後、能力が覚醒する可能性もないでしょう。だけど夏織が死んだ後、恭也君の身にいまだ作用しているはずの殺人縛鎖は一体誰へ向かってると思います?」 「…………」 士郎は答えなかった。自分で考えた出した結論に寒気を感じながら、設楽を見る。彼は笑っていた。 「そう……僕ですよ」 底冷えするような声で、彼は告白した。。 「貴方はもう分かりかけてるんじゃないですか? 恭也君の殺人縛鎖──『チェインズ・モルド』という、人を殺すことを強制するシステムは今、僕の体を蝕んでいる。でもこれには大きな問題があった。どれだけ人を殺しても、命を奪おうと、僕自身の身体に限界が近づいてるんです。他人のシステムを肩代わりすることは決して足し算じゃなかった。相乗的な負荷がかかるんですよ」 時折、かすかに微笑を交えながら、彼は語った。 「僕は限界です。後、長く生きられて二年〜三年と言ったところでしょうか。だけど僕はまだ死ぬわけにはいかない。止まるわけにはいかない。死宝剣全てを断絶するまで。だから恭也君を殺すか。僕が貴方の手で止まるか。どちらかしかない。だけど……ねぇ、忘れないでください。僕を止めることは──僕が死ぬということは、僕や夏織のように、恭也君の身に『殺人縛鎖』が再び発動するということ。解かるでしょう? この戦いは、その勝敗に関係なく、はじめから『彼』を助ける選択肢はないんですよ」 「っ!」 「悩む時間はあげません。だから士郎さん。苦しんでください。夏織が唯一信頼した貴方だから。ただ一人心を許した貴方だから。この結末は貴方の手に委ねようと思ったんです。それこそが……それだけが僕が夏織に出来る唯一の復讐なのだから」 瞬間── 目の前が発光した。空白の時間は一瞬で、まぶしさに意識を追いやられたのも一瞬だった。その一瞬後には、足の裏に大地の感触を感じて、士郎はゆっくりと目を開けた。 何をしていたのか。まるで夢から覚めたように視界がまぶしかった。現状を確かめようと目を凝らしながら見やると、ほんの数歩先に彼がいた。 こちらを殺気だけで見つめる真正暗殺者、皇設楽がいた。 そうして彼は、全てを語り終えたようなすがすがしい顔で言ったのだ。
「さ、始めましょうか。僕の復讐劇を……僕が望んだ、最高の殺し合いを……」
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