◇

 

 一週間後、彼は森の中にいた。私有地であるらしいここは設楽のものであるらしく、開発など無縁の空気が漂う森林である。舗装どころか人の道さえない。獣道を歩いてようやくたどり着いた草原の中央に、十年やそこらではない、百年以上もの歳月を経た大木がそびえ立っていた。その多い茂った新緑の傘に守られるようにして、墓石が一つ、傍にたたずんでいる。

 墓標には何もなかった。見繕った適当な石を、素人が削ったような簡易の墓である。

 だがそれが、誰の墓なのかは考えなくとも見て取れた。

「まさか本当に死んでたなんてな」

 呟いて、苦笑する。聞き知っていたことだが、こうして死んだ証を目の当たりにするとその事実は重みが違った。

 悲しみはなかった。むしろ士郎の口を突いて出たのは愚痴のほうである。

「まったく、死んでから人様に迷惑をかけるなよ」

 彼女何を考えていたのか、士郎には知る由もなかった。何を考えて恭也を生んだのか。何を考えて設楽を遺したのか。

 人間の正しい生き方が感情に沿ったものだというなら、彼のそれこそまさしく人間のそれだった。愛憎。そして破滅。たとえ士郎にとってどれだけ迷惑千万な女でも、設楽にとっては間違いなく生きる指針だったに違いない。だから彼は彼女を憎み、同時に愛していた。

 彼は彼女の(つるぎ)

 主に捨てられた道具。

 迷子となった武器。

(いや、違うな)

 彼女は一度自分のものになったものを捨てたりはしないだろう。わがままで傍若無人で他人のことなど省みない女だったが、自分の所有物を無作為に捨てるようなことはしない。それは良心というよりはむしろもったいないという感情故だろうが、それでも夏織が設楽を捨てたという表現は正しくないように思えた。

(なら何故?)

 考えられる可能性は一つ。彼女は、設楽を解放したかったのかもしれない。

 死宝剣に縛られることから。

 失敗作である自分に縛られることから。

(まさかな……)

 だがすぐに思いなおす。あの女がそこまで深く考えていただろうか。

(…………)

 結論は出なかった。

 と──

「士郎さん」

 声がして、士郎はそちらを向いた。設楽がいた。初めて見る普段着で、彼は何を不思議がっているのか、随分と訝しげな表情で聞いてきた。

「何してるんですか?」

「何って……一応、墓参りだが」

 そういって、手に持っていた花束を掲げる。そのとき初めて、花を捧げるよりも前に愚痴が出ていたことに気づいて、士郎は内心で苦笑した。

 だが、設楽はそれさえ疑問に思ったようだった。

「いえ、それはわかりますけど」

「ん?」

「それ、夏織の墓じゃないですよ」

「へ?」

 漏れ出た嗚咽は随分とマヌケなものだった。が、どうにか理性を失うことなく目の前の墓石を指差す。

「なら、この墓は誰のだ?」

「ああ、それはモン太くんの墓です。夏織が買っていたペットですよ」

「……猿?」

 設楽は首を横に振った。

「いえ、シーモンキーです」

「……ミジンコ?」

 思わずジト目でにらみつけると、設楽は「仕方ないじゃないですか、事実なんだから」となにやら文句を言ってきた。

「紛らわしいところに墓なんて立てるなよ。まさかミジンコの墓がこんなに立派なんて思わないだろ」

 今までの感傷すべてが無駄になった思いで士郎ははき捨てた。

「……まぁそれは認めますけど」

「それで、結局、夏織の墓はどこなんだ?」

「ああ、それなら……」

 そうして設楽が指差した方を見やる。そこには──

 

 一本の大木がそびえ立っていた。

 

       ◇

 

 …………

「……まったく! 勝手に、死ぬとか、生きるとか、殺すとか殺さないとか、あの人たちってそういうことしか考えてないんですか?」

「…………」

「なんかもう大人の身勝手さに怒ってるんです。俺は」

「……まぁわからなくもないが……」

「なんでもっと平和的解決が出来ないんだろう。理論的会話が出来るからこそ大人だと思いますが、どうですか?」

「……どうですかといわれても……確かにその通りかもしれない……と思う」

「そうあって欲しいです。父さんが子供っぽいことはわかってましたが、今回のことは何か変です。御神は大切な何かを守るためにある、何かを無意味に奪うことをしては駄目なんだって、そう言った本人がそれを忘れてるなんて、絶対変です」

「……そ、そうなのか?」

「そうなんです。いえ、解かってます。父さんは元から変でした。でもそれは枠にはまらないという意味での変で……って、聞いてますか? 無月さん」

「あ、ああ。聞いている。君が検査薬の副作用で気分がハイになっていることも承知している。だからこそ君らしくない発言は聞き流そうと思うのだが」

「いえ。今日は言わせて貰います。聞いてください!」

「…………」

「ですから……」

 

      ◇

 

 その古木を見上げながら、士郎は思った。

(随分でかくなったな)

 これなら問題ない。文句の一つや二つをぶつけても、この木はびくともしないだろう。吐き出すものはいくらでもある。

 そして士郎は、いままでたまりにたまった彼女への文句と、それとは何の関係もない鬱憤やストレスまで吐き出した後。

 最後に一言。

 

「ま、恭也を生んでくれたことだけは感謝するよ」

 

 そう言うと、傍で呆れるように見ていた設楽の顔がふっと緩み、それに応えるかのように風が空間を撫でた。心地よい木々のざわめきに揺られ、士郎はそのまま草原に身を沈める。ふわりとした天然自然の草のベッドに身を委ねて、彼はゆっくりと目を閉じた。

 

      ◇

 

 歌が聞こえた。

 それは一度だけ、彼女が口ずさんでいた歌だった。少しだけ大きくなったお腹をさすりながら、彼女は鼻歌を歌っていた。

「名前は……そうだね、女の子なら京香、男なら……鏡矢、恭也、恭介、京介……うん。恭也かな」

 見てはいけない。少年だった設楽はそう思った。あれは彼女の儀式だ。彼女がこの世に生み出すことの出来る唯一の存在へ、その息吹を吹きかけるための。

 それほどまでに、彼女は自分の内にある新しい命を大事にしていた。それはつまり、愛しているということなのだろう。

 壊すことしか出来ない彼女が、唯一生み出せるもの。女であるからこその新たな生命の誕生。

 だが彼女は死ぬ。

(そう、僕が殺す)

 憎いから。その生き方を全て自分に押し付けた彼女が誰よりも憎いから。

 だからいずれ、彼女は僕が殺す。

 でも何故だろう。今確かに、彼の心にあったのはうらやましいという羨望の気持ちだった。

 彼は彼女の道具。彼女の剣。たとえ彼女が死んだ後も、死宝剣をこの世から断絶するために人殺しを続ける能力者。

 それでいいと思ったのは確かなのに、こんなにも彼女が憎くなる。こんなにも彼女の中にいる新しい命に嫉妬を感じる。

 そして気づく。

 

 ああ、なんだ。

 要するに僕は、彼女に愛して欲しかったんだ。

 

 剣でも道具でもなく、一個の人間として、彼女と共にいたかった。

 でもそれは決して叶わない。他者の存在を奪うことでしか生きられない自分たちが、普通に生きることなど、どうしたって叶わない。望むのはただ自らの破滅。そしてすでに彼女は確実に死への階段を登り始めた。

 

 だからせめて、『彼女の死』だけは僕が貰う。

 彼女は蘇芳の定めた死には渡さない。

 彼女を受け入れなかった不破士郎にもだ。

 それくらいは望んでもいいでしょう? そうでなければ、僕には何もないのだから。死宝剣を断絶するためにのみ生きている──死ぬために生きている(・・・・・・・・・・)僕は、貴女と違いこの世に遺せるものなど何もない。

 そう、自分は壊すことしか出来ないと夏織は言っていたけど、それは違う。僕こそその通りの存在だ。壊す。殺す。支配する。それだけの存在。

 だけどもし──

 もし、貴女が遺した『証のための命』を守れたなら、貴女はほめてくれますか?

 

「…………」

 草原に寝転がった不破士郎を見ながら、設楽は過去の記憶を思い返していた。

 一度として褒めるということをしなかった夏織に対して自分が望んだのは、苦笑が漏れるほどあまりにもちっぽけなものだった。

 だけど。

(これでいいですよね。死者は何も言わない。もし生きていても、貴女は僕を褒めないだろうけど)

 それでも確かな安らぎが心を満たすのを感じながら、設楽もまた士郎に見習って寝そべった。風が心地よい。草花の匂いが鼻をくすぐり、緑の香りにゆっくりとまぶたが落ちていく。

 寝るわけではないが、設楽はそのまま目を閉じた。

 まぶたにふさがれた視界は、しかしかすかに、光が灯っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一年後。

 彼は死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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