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ボクはその時、不毛ながらも山の麓を一人で歩いていた。
天気は雨曇り。もうすぐ梅雨が明け、本格的に夏に突入しようという日だった。
なので、気温は嫌になるくらい蒸し暑い。基本的にインドア派のボクは、普段使っていない筋肉を酷使したせいでもうへとへとだった。
ボクの名はリスティ・槙原。フィンランド出身のアメリカ育ち。今は日本に帰化して、海鳴市のさざなみ寮という女子寮に住んでいる。
変異性遺伝子障害病というやっかいな先天性の病気をもって生まれてきたボクが、そこのオーナーである槙原愛の養女になって早七年。短大を無事卒業したボクは、そこで学んだ犯罪心理学とボク自身の特殊能力をいかして、大学に入学した頃からやっていた警察の民間協力にも力をいれ、寮に帰れば猫や那美(うちの寮の住人の一人)をからかって遊んだりと、ボクなりに充実した日々を過ごしている。
今日ここにいるのも、警察から協力を頼まれて隣の県まで足を運んだからだ。
先週、隣の県で犯行を犯した犯人の逃げた先がボクの住む海鳴市だった。もともとそういう探し物が得意なボクは、犯人逮捕の協力を要請された次の日にはそいつを確保。めでたく犯人は隣の県まで強制送還されたのだけど、そいつの犯行についてと逮捕時の状況を報告するため、結局ボクまで呼び出されることになった。
で、それもなんとか終わって、その帰り道。
何故かボクはこんな山道にいる。
何故かと言っても、その理由なんてとうの昔に知っていた。そもそも、なんでこのボクがこんなド田舎の山道を歩かなきゃならないのかと言えば、すべては一時間前。
…
ボスンッ!
という音は、ボクが乗っている車の、細かく言えばボンネットが上げたものだった。
「ありゃ?」
顔に似つかわしくないお茶目な声を上げたのは、この車を運転している四十半ばの男だった。
彼の名は喜多修司。職業は警察官で階級は警部。たたき上げで警部に昇進した割りには人がよく、気前もいいこの中年をボクは嫌いじゃなかった。けど、それも時と場合による。チラッと彼を横目で見ると、しまったという風に顔をしかめていた。
ボクも彼に習って車のボンネットに視線をむける。
そこはすでに、モクモクと立ち上る白煙で前が見えないほどだった。成る程、どうやらこの車はオーバーヒートしたらしい。
「警部」
取り敢えず、彼をその役職で呼んでみる。ビクッと肩を震わせて、彼は方向指示器を出し、車を道路の脇に寄せた。
ボスン!ボスン!という、ある意味車らしい音を立てて、彼自慢の愛車は止まる。
「な、何かな?リスティ……」
「この前ボクは確か、そろそろ車を買いかえるべきだと忠告しなかったかな?」
「ああ、うん。聞いたような気がするよ」
「さらに今日、出かける前にもこの車で行くのはやめようとも言ったよね?」
「ああ、うん。聞いたような気がするよ」
まったく同じ言葉で返答する彼に向かって、ボクは無言で笑顔を返した。
「…………」
「…………」
「…………」
「すまん!」
言って、彼は両手をパァンと音を立てて謝った。
「ふう……。まあいいよ。予測できたのに乗ったボクにも非はあるからね。それよりどうする?」
「……うーん。どうしよう?」
「喜多さんはJAFに入ってないの?」
「入ってない」
「……ここ、どこ?」
「山道」
「携帯は?」
「ああ。それならさっき充電が切れた」
「…………」
「…………」
「…………」
「あああっ、だから悪かった。悪かったから電撃はやめてくれ!」
ボクの手の周囲に光が収束しだしたのを見て、彼は慌ててまくし立てた。
「と、取り敢えず、修理道具ならトランクに入っているから、なんとかやってみよう。リスティは、そうだな。麓まで言って、人を呼んできてくれないか?」
「……ここからだとかなりの距離になるね」
「うっ。まあ、それなりにはあるだろうけど」
「……ふう。了解したよ。なんとかやってみよう」
ため息交じりに了承して車を降りようとするボクを、喜多さんはふいに呼び止めた。
「ああ、ちょっと待ったリスティ」
「何?」
「テレポートや飛行はだめだからな」
「見つからないようにするさ」
「……それでも駄目だ。このあたりは天体観測やキャンプといった享楽の場所がたくさんあるんだ。人に見られる可能性が高い」
「……ならそこに人を呼びに行こう」
「あーうん。でもそこに行くにはいっぺん麓に下りて別の道から入らないと……」
「…………」
「い、いや。な、何も決して使うなと言ってるんじゃないぞ。と言うか、そういうわけだから、その光る手を下ろしてくれないかな?」
「……ふう」
と、ボクは今日何度目かもわからないため息をついた。不承不承、呟く。
「わかった、能力は使わない。だから喜多さんはできるだけ早く車を修理して、ボクを迎えに来てくれ。OK?」
「ああ。わかったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
彼が言い終わらないうちに、ボクは軽めの電気を溜めておいた左手をぽんっと彼の肩に置いた。案の定、彼の語尾はもう言葉になっていない。
「それじゃあ、修理の方はよろしく」
そう言って、少しばかり焦げている彼を残してボクはその場を後にした。