8
「お疲れ様」
そう言って出された紅茶を、ボクは目だけで礼を言いながら口につけた。
「しっかし、大変だったな。まあでもお手柄を上げたみたいで、よかったじゃないか」
「前から思っていたけど、リスティって探偵でもやった方がいいんじゃない?」
「あ、それは僕もそう思った。リスティさんって美人だからお客たくさん来ますよ、きっと」
後ろの方で好き勝手言ってる真雪や美緒、舞を無視して、ボクは長身の管理人に向き直った。
「おいしいよ、耕介」
「リスティのお気に入りだものな」
カウンターの向こうから、夕食の片付けをしながら耕介は言った。その七年前から変わらない笑顔を見るとホッとする。ここが自分の居場所なのだと実感するから。
「でも本当にご苦労様、リスティ。自慢の娘を持って、私も幸せ」
ボクの隣に来てそう言ったのは愛だった。
ボクの義理の母親は相変わらずふんわりとしている。実際にはそんな関係に見えるほど歳は離れていないし、何より愛って歳取るほど美人になっていくようで、わが家族ながら少し怖い。このふんわりとした天然系美女が、こと動物医療関連になると途端に人が変わったようにてきぱきと仕事をこなすから不思議だ。
そんなことを考えてると、耕介がボクのところにやってきた。
「で、どうした?」
「なにが?」
耕介が何を聞きたいのか本当にわからなかったので、ボクは逆に聞き返した。
「今回の事件で、何か思うところがあったんだろ?」
「え?」
素直に驚いた。前から、耕介や愛は寮生の隠し事を見抜くのが上手いとは思っていたけれど。こうまであっさりと看破されるということは、やはりどこか分かるような素振りでもしていたのだろうか。
こっちは隠しているつもりなのに、まるでボクらHGSみたく心が読めるみたいに敏感に察知する。
「わかるわよ、リスティのことだもの」
そう言ったのは愛だった。彼女にも、どうやらばれていたらしい。
なるほど、と思う。どうやらボクはこの二人の親にはどうあがいても勝てないらしい。
「ちょっとね。人って、そんなに簡単に誰かを殺す気になれるのかなってさ……」
「……難しい質問ね」
「事件があって、それを解決して。で、さすがに今回生で殺しの現場を見ちゃったこともあってね」
「心の問題だな」
そう言ったのは耕介だった。
「昔俺も不良やっていたからわかるけれど、人って他人のことなんて本当にどうでもよくなることがある。でもそれはやっぱり自分の中の凶暴性といった心の問題だから、本当なら理性で押さえ込むこともできるんだよ。当時の俺にはその選択肢はなかったけどね。今回の事件は、脅迫に耐えかねた女性がその圧力に限界がきて犯行に及んだんだけど、それにしたって選択肢がそれしかなかったわけじゃない。悪い言い方をすれば、自分の弱さに酔って逃げたんだね。彼女たちは」
ボクと愛は黙ってそれを聞いていた。
「本当に強い心を持っている人間なんて世界に何人いるかな。大抵の人は自分の心の弱さとちゃんと向かい合って生きている。けれどそれを中にはできない人もいる。そう言った人たちが犯罪を犯す。それが大なり小なりの程度差はあってもね」
「…………」
「リスティは、もしかしたらこの事件を止めることができたかも知れないって。そう思ってるんじゃないかな」
今度こそ、ボクは本当に驚いた。目を見開いて彼を見つめる。
「もしもっと早く彼女たちの心を読んでいたら、今回の殺人は防げたかもしれない。そう思ったんだろう?」
「ふう……」
言われて、ボクは深くため息をついた。
完全に図星だった。本当に敵わないと、そう思う。
けれどそれと同時に嬉しくもあった。この人たちは、例え何があってもボクのことを見ていてくれるような気がする。
「当たり。さすがだね、耕介」
観念して、ボクは言った。すると耕介は照れたように笑って、「娘のことだからな」と愛と同じようなことを言った。
「ボクには人とは違う能力がある。それを生かすために警察の民間協力を買って出た。それなのに、結局事件を解決することはできても、それを防ぐことはできない。これじゃあ何もできてないのと同じだ。HGSである必要性がない」
「リスティ……」
「でも、それはリスティのせいじゃないだろう?」
「うん。それはわかってるんだけどね……」
「あのな、リスティ。例えその時は彼女たちの犯行を防げたとして、その後、彼女たちがどうするのかなんてわからないだろう?もしかしたら、リスティが見てないところでまたそうしようとするかも知れない。そんなところまで、面倒見れる?」
「いや、それは……。でも一度でも考え直すチャンスがあるじゃないか」
「その度に君の能力をばらすのかい?」
「それは……」
「リスティは確かに人の心が読めるよ。でもそれがいけないことだと知って、コントロールできるようになったじゃないか。でもそれは他でもない、リスティが決めたことだろう?」
「うん」
「そして犯罪を犯してまでその女性の脅迫から逃れようと決めたのは彼女たち自身だ。その代わりに、彼女たちは殺人という罪を背負うことになった。一生ね」
「…………」
「でもそれを償うチャンスをあげたのはリスティだろう?それは人助けだと思うよ」
「けれど……」
「一人の人間にできることなんて本当に些細なことなんだよ。だから人は他人を必要とする。皆がお互いに寄り添って生きている。もちろん、一人でも立てる強さも必要だけど」
そう言って、耕介はその大きな手でボクの頭を撫でた。
「リスティはリスティであって、それはHGSだからとか、そういうのは関係ない。少なくとも、このさざなみにいる皆はそう思ってると思うけど」
「そうよ、リスティ」
そう言って、愛もボクの頭を撫でる。
二つの大きさの違う手のひらに撫でられながら、ボクは二人にやっと聞こえるぐらいの小声で、「ありがとう」と言った。
◇
「で、真雪さんは何やってるんですか?」
「しっ。静かにしてろ、舞。見てのとおりホームドラマ撮ってんの」
そう言う真雪の視線を追うと、確かにキッチンのカウンターには槙原ファミリーがいた。
三十にもなってこの人はいったい何をしてるんだ。
ここに薫がいないことを心底よかったと思いながら、舞は一応聞いてみた。
「そんなの撮って、どうするんです?」
「これ、あとでぼうずに見せるんだ」
悪趣味だなあとは思ったが、舞はそのまま退散することにした。リスティにばれて、後で巻き添えを食らうのはごめんだ。
そっと後退りする。美緒と視線だけで合図を交わして、二人はリビングを出た。自分の部屋に非難しようと階段を上がりかけた瞬間、バリバリバリバリという効果音が寮内に響き渡る。
続いて、真雪の悲鳴。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」
「真雪。そういう無粋な真似はボクにはしないほうがいいって前に言わなかった?」
「新品のカメラだったのに。てめぇ、弁償しろ」
「断る」
「即答かい!」
「真雪ならカメラを捨てるだけの反応速度は持ってるはずだけど?なんだ、結局わが身かわいさにカメラを犠牲にしただけじゃないか」
図星を疲れたらしい真雪の勢いが、一瞬揺らいだ。
「それにしたって、能力使うのは反則だ」
「ああ、その件だけど。さっきの耕介と愛の励ましで、能力を使える相手には惜しみなく使うことにしたんだ」
「ちょっと待て。さっきの会話のどこを取ったらそういう見解ができるんだ?」
「言葉をどう捉えるかって、人の感性よね」
と、場違いな意見を言ったのは、リスティの後ろでのほほんと傍観していた愛だった。
「愛!お前どっちの味方だ?」
「え、えーと……耕介さん?」
さすがにその質問の返答に困って、愛は耕介に助けを求めた。一方、耕介はというと、ため息交じりにパンパンと手を打って、
「はいはい。二人とも喧嘩するのはいいけど、ここで散らかした分は後で二人に片付けてもらうからね。あと外でやるのは却下。せっかく植えた花壇の花が駄目になる」
リスティと、いまだ剣道有段者の薫よりも強い真雪の戦闘を思い描いて、耕介はそう言い切った。
「…………」
「…………」
「なんなら今日の夕食は二人ともなしに……」
「真雪!」
その耕介の言葉を遮って、リスティが声を上げた。
「なんだ?」
「このへんでボクは大人になろうと思う」
「そうだな。私も次回作の構想でも練ろうかなって思ったところだ」
そう言って、二人は実にあっさりと各々の部屋に引き下がって行った。
その光景を、結局部屋に行かずに見ていた舞はぽそりと、感想を漏らした。
「この寮で最強って、実は耕介さんだね」
「うーん。あたしらって、耕介がいないと標準レベルの生活すらできないからね」
美緒もそれに同意する。
「でもあの場にいて平気な顔してる愛さんって一体……」
「慣れじゃない?」
そう言った美緒は、しかし自分の今出した答えがいかに恐ろしいかに気付いて、振り払うかのように首を横に振った。
「考えるの、やめよ。舞」
「そだね」
一方その頃。
「えーと。もう入ってもいいのかな?」
「くーーん」
腕の中の子狐が疑問を投げかけるように鳴いた。
「え?もう大丈夫かって?うーん。どうだろう……」
さざなみの玄関の前で、帰るタイミングを失った那美と久遠が困ったように立ち尽くしていた。
「さて、そろそろ夕食の準備をしますか」
そう言って、耕介はエプロンを付け直してキッチンに戻った。
愛が、その後ろ姿を見送る。
賑やかな食卓が、さざなみ寮に広がるのはその約一時間後のこと……。
墜落車 完