3

 

 黒と白。それが交互に。縞々に。ストライプ状態となって、世界を彩っていた。足をつけているはずの大地も。周りに建ち並ぶ建物も。何もかもが白と黒の縞模様。

 なぜこのような色彩になっているのか。デザイナーは何を考えていたのか。

 耕介はしっくりとこない頭を軽くひねった。

「ここはもしかしてシマウマ町?」

 言ってみてから、耕介は馬鹿にしたように否定した。自嘲気味に笑う。少なくとも、そうすることが出来るくらいの余裕はあった。

 つまりは、これが夢であると認識できるくらいの自由意識が、耕介にあるということである。

(なんでまたこんな夢を……)

 不可解ではあったが、不快ではなかった。見慣れてみると、白黒の世界(といってもモノクロとは雰囲気がずいぶん違うが)も悪くない。

 と──

『槙原さん』

 後ろから声をかけられて、耕介はゆっくりと振り返った。後ろも後ろで、相変らず縞模様が続く世界。そんな中で、耕介の後ろに立っていたのは一人の少女だった。

 返事をする前に観察する。

 セミロングの黒髪。落ち着いた雰囲気は、大人というよりは引っ込み思案なような感が強かった。飾り気も何もない。地味なトレーナーに長目のロングスカート。何世代か前の服装でたたずむ彼女に、耕介は既視感にも似た感情を拭い去れないでいた。

「君は……?」

『覚えていらっしゃいませんか?』

 緩やかに、少女が微笑んだ。その笑みを見て、はっとする。

「あ……もしかして。以前の夢に出てきたのって、君なのか?」

『はい』

「……そうか。んで、これも夢だよな」

『そうですね。夢です』

 あっさりとうなずくのを見て、耕介は怪訝な顔を彼女に向けた。

「何でこんな夢を俺は見ているんだ?」

『私が望んだから』

「君が? どうして?」

『私が貴方に会いたかったから』

 少女の声は続く。

『覚えてませんか? 以前、不良に絡まれていたところを、助けてもらいました。海鳴駅の裏口のほうで』

 耕介は思索した。思い出そうとして、目をつぶる。一日前。二日前。三日。四日。一週間…………

 そしておもむろに脳裏に浮かんだのは、三ヶ月も前のことだった。

「ああ、確かに。不良から女の子を助けたっけ。君だったんだ、あれは」

『はい。あの時はお礼も言わずに逃げてしまって、すいませんでした』

「いや。間に合ってよかったよ」

 脳裏に浮かんだのは、数人の不良と一人の少女。誰も来ないような裏路地で、下着姿にされながら怯えている少女の姿を、耕介は思い出していた。

『そうですね。もうすこしで、私はあの連中に強姦されるはずでしたから』

 あっさりと言ってのける彼女に、耕介は少し違和感をおぼえた。そういう事実を、女性が言ってのけることに抵抗がないとは思えない。未遂だったからだろうかと考えて、耕介は否定した。彼女から受ける雰囲気は、そういうものとは違っている。

「ずいぶん、あっさりとしているんだね」

『ええ。だって、彼らのおかげで私は貴方に会えたのだから。感謝こそすれ、恨む必要なんてないですし』

(感謝? 恨む?)

 少女の言葉に、耕介は今度こそ不純なものを感じ取った。何かが違うという信号が、頭をよぎる。それが何かを考える間もなく、少女が続けた。

『これは夢ですよ。だから深く考えないで。夢で、けれど私たちにとっての現実なの。ねぇ、槙原さん。現実って酷いですよね。だから人は夢を見る。押し迫る現実に耐え切れないから。せめて夢の中で、人は救いを求めている』

「何を……言っているんだ?」

『神様は不公平だねっていう話です。だってそうでしょ? 幸せになっている陰で、誰かが不幸になっているのだから』

「それは……」

 言いよどむ。少女の言うことが真実であることは、耕介も無意識に理解していたからだ。

『世界は無慈悲なの。公平じゃない。そして私は弱者だった。弱者で、だから不幸だった。だけど一つだけ、いいこともあったの。それが今。私は夢を見たわ。貴方と過ごす夢。この三ヶ月間ずっと。会いたかった。そしてやっと会えた。この世界で。夢の世界で。貴方と会えた』

 目を凝らす。少女は微動だにしていなかったが、目を凝らすと、どうも二人の距離は縮まっているようだった。そのことに気づいて、耕介は軽く身じろぎした。

 ここは夢。夢の世界。だが考えてみれば。

 誰の夢?

 思い立った瞬間、結論が出る。目の前の少女の夢。自分がいるのは他人の世界なのだということに、耕介は深い戦慄を覚えた。

 耕介が事実に気づいたと同時に、彼女の様子が一変した。相変らずおとなしげな表情のまま、不可思議に響く声の中に、少しばかりの怒張が入る。

『もう逃がさない。だって私は貴方が好きだから』

「君は誰だ?」

 焦りを覚えて、耕介は彼女をにらみつけた。

『何もかも忘れて、ここで過ごしましょう』

「答えろ。君は誰だ!」

 少女の反応がぴたりと止まった。自嘲気味に笑う。

『私の名前なんて、もういいの。朝倉弥生だった人間はもういない。私は貴方が好き。そして貴方も私を好きになる』

「目覚める方法は?」

 駄目元で聞いてみる。

『そんなものはないわ。だって、ここは私の夢だから。それに、目を覚ましてどこに行くの?』

「…………え?」

 問われて、耕介は躊躇した。漠然とした何か。脳裏に浮かぶ光景が、次々と現れては消える。思い出そうとするが、それもできなかった。闇色に染まる意識に耐えながら、彼女を見やる。

「俺に何をした?」

『忘れて。いえ、違うわ。忘れなさい。貴方はここで私と暮らすの。この夢の世界で』

 瞬間、白と黒の世界が色を持って現出した。

 見知った街並み。覚えている。ここは……

「長崎?」

 生まれ育ったかの地の名。見知っているのも当然だろう。ここは実家のある商店街の一角。もう少し南に向かって歩けば、両親が経営している洋食屋があるはずだ。

「な……んで?」

 それだけを搾り出して、耕介は硬直していた。

 長崎県長崎市。そしてその千間坂通り。しかしして、耕介と目の前の少女以外、誰もいない静かな街並み。静寂が支配した世界。

「何で誰もいないんだ?」

『私の世界だから。私と貴方だけの世界だから。でも貴方が望むなら、ここはまた人であふれかえる。私がそうして上げる。だから何かも忘れて。私のことだけを愛して』

 崩れた音がした。世界か、自分か。それとも彼女か。深い暗闇に沈む耕介には、もはやそれがなんであるかなど判断できようはずもなかった。

 

      ◇

 

 神様は不公平だと思う。

 だってそうじゃないか。

 私は不幸で、彼女は幸せなのだから。

 

      ◇

 

『私が死んでいるって言ったら、先輩は信じますか?』

 彼女の家。彼女の部屋。

 質素な空間だった。机とベッド。特徴といえば、入った瞬間目にとまった妙に大き目の段ボール箱だけで、その他部屋には何もなかった。

 異質といえば、異質な空気が部屋に流れていた。思わず窓を開けたくなるような、どこか生臭さも感じる。そんな中、朝倉弥生に勧められるままに、薫は彼女のベッドに腰掛けていた。

 そして茶を入れて帰ってきた彼女が唐突に切り出した言葉が、冒頭のくだりである。

 薫は一瞬頭が真っ白になった。まさか、いきなり自分で認めてくるとは思っていなかったのである。だけれども、彼女が死んだということが事実なのだということは会った瞬間にわかったことでもあったので、どうにか正気を取り戻して彼女に向き直った。

「信じる。けど、朝倉。君は……」

『はい。幽霊です』

 きっぱりと返されて、薫はどうしようか一瞬躊躇した。だが結局しなくてはならないことははっきりとしている。彼女が幽霊ならば、成仏させてやるのが退魔士たる薫の務めだった。

「朝倉。君が何故幽霊になって、どうしてうちの元に電話してきたのかはわからん。けど迷ってしまっているなら、うちがなんとかする。だから朝倉。安らかに眠りにつかんね」

『すごいですね』

 幽霊が言う。

『……神咲先輩が、そういう道のスペシャリストなのは知っています。死んだとき、私は「ああ、私は死んだんだな……」って思って。不思議と嬉しくなりながら、車の下でぐちゃぐちゃにつぶれた身体を見下ろしていました。そしたら、そのあたりに漂っていた浮遊霊から聞いたんです。相談するなら、神咲って言う人がいるよって。驚きましたけど、嬉しかったです』

「朝倉?」

 薫は何か言いたげに口を開いたが、結局何も出てこなかった。それを感じ取ったのか、弥生が先を続けた。

『だから神咲先輩を呼んだんです。相談というよりはお願いですけど』

「お願い?」

『簡単です。私を見逃してください。これから私が何をしようと、私のことを見て見ぬ振りしてください』

「…………」

 薫は何も答えられなかった。彼女は浮遊霊ではない。れっきとした幽霊だ。魂を強い意志の力で具現化させ、死に切れなかったその目的を果たそうとしている。そして大概、そういった目的は復讐や祟りといった負の方向へ向くのだということは、薫は経験上、嫌というほど理解していた。

 逆に言えば、彼女ら幽霊の目的がそうした「退魔士が見逃せないようなもの」でない可能性は皆無に近いのである。だとしても、ここまで自由に動き、現実に干渉してくるにはいささか不可解ではあるのだが。

「何を考えてるんじゃ? 朝倉。幽霊なのに自我を持ち、意思を持ち、現実空間に干渉できるほどの自由な力を持って、一体何をしようというんじゃ」

『私は、私が愛した人と一緒になりたいだけです』

「……え?」

『神咲先輩は好きな人がいますか?』

 いきなり問われて、薫は赤面した。思い描いたのは、薫が住む寮の管理人の顔。優しく穏やかで、それでいて大きくて広い、他人を包み込むような温かな心を持った長身の男性。

 そのことを見透かしたように、くすりと弥生が笑った。

『その人に抱かれました? 抱かれたいと思いました?』

「そ、そげなこと……」

 ありえない、といいかけて、だが言えずに口ごもる。

『おかしなことじゃないですよ。好きな人に抱かれたいのは女であれば誰でも思います。その人を思って自慰だってします。性欲は女にだってあるんです』

 幽霊に説教されているみたいな気分になって、薫はばつが悪くなって顔を背けた。

『だから私もその人と一緒になりたい。私が望むのはそれだけです』

 その言葉を聞いて、薫は一瞬で現実に戻った。

「朝倉。その人をどうするつもりじゃ。死んだ人間が生きた人間に干渉することは出来ん。そうするには、そうするにはその相手も…………」

 言いかけて、言いよどむ。だが意を決して、薫は言葉をつむいだ。

「まさか、殺すつもりか?」

『違います』

 あっさりと首を横に振る弥生に、一時の安堵を感じる。

『あの人に、私の世界に来てもらったんです。私が作った世界。私と彼だけの世界。夢のような、だけど本当に夢の中の世界。あの人は夢の中で私と生き続ける』

「夢?」

『夢を見続けるから、あの人は死んだわけじゃないです。死にはしません。外部から栄養さえ取り入れていれば、彼はずっと眠り続けたまま、夢の中で私と暮らしていけます』

「それは死んでいるのと同じことじゃ」

『さっきも言いましたけど違いますよ。そしてだからこそ、見逃して欲しいんです。神咲先輩なら、それが出来るから』

「うちがそげなこと、見逃すと思うのか?」

『でも、彼を殺したくなんてないでしょう?』

「…………」

 無言でにらみつける。だが弥生は、あっさりとそれを受け流していた。傍らにおいてある『十六夜』を意識して、だが瞬時に思いとどまる。

 なんだろう。聞き逃してはいけない気がした。目の前の幽霊が言ったこと。その内容。

──私の世界に来てもらった

──彼はずっと眠り続けたまま

──神咲先輩なら、それが出来るから

──彼を殺したくなんてないでしょう?

 パズルが組み合わさっていく。そして出来上がった図面に、薫は驚愕した。唇が震える。『十六夜』の入った鞘袋を手にしようとしていた左手が、無意識のうちに痙攣を起こしていた。痛み。痺れ。頭を金槌で打たれたような衝撃に、薫は思わずうめき声を上げた。

「ま、まさか……」

『槙原さんは優しかった。私に優しくしてくれた。あの人だけが私に優しくしてくれた。だからきっと、あの人は許してくれます』

 衝撃を受けた。耕介が眠り続けていた原因を理解して、だけど暗転する意識をどうにか現実にとどまらせる。反射的に、薫は叫び返していた。

「そげなこと、あるはずがなか!」

『どうして言い切れます? 先輩だって、私と同じなのに』

「え?」

同じで、けれど先輩は私とは違う。貴女は幸せだ。理解してくれる人がいる。帰る場所もある。家族も、友人もいる。けれど私にはそれがない。貴女は私のことを非難できますか?』

「だとしても、朝倉が耕介さんを道ずれにするのを見逃す理由にはならん! うちだけじゃない。他のみんなだって、あの人が好きなんじゃ。朝倉の勝手で、耕介さんを死なせるわけには行かない!」

『だから死にはしません。神咲先輩が手配すれば、彼は生き続けます。眠りながら。決して目覚めることのないまま』

「死んでないのと生きているは同義語じゃない!」

『邪魔をしないでください。お願いです。だってあの人はもう、私のものだから』

「くっ!」

 反射的に、薫は指一本で鞘袋の口を閉めてある紐を解き、そして瞬時に『十六夜』を抜き出した。濃い口を切り、右手を柄に添える。

「耕介さんを解放するんじゃ。でなければ──」

 殺気を込めて、睨み付ける。かつてそうしてきたように。これからもそうするように。薫は毅然と彼女を見据えて叫んだ。

「斬る!」

 床に正座したまま、幽霊が小さく笑った。

 

【2】へ     【4】へ

Top