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 復讐に身を焦がした数年間を、彼は忘れたことなどなかった。苦悶。業苦。炎で身を焼かれるような内なる熱に、何度この身をよじり、のたうちまわったことか。

 自分の苦しみ。自分だけの苦しみ。相手には伝わらないだろうこの気持ちは、伝わると、いや絶対に伝えて見せると信じるからこそのものだ。苦しみがやがて楽しみとなり、歓喜となり、いつか自分は笑うだろう。

 肉が欲しい。皮を喰いちぎり、血をすすり、肉を噛み切る。口に広がる赤い液体と脂の味。眼球をえぐり、口に中で転がす感触はきっと史上の快感だろう。切り落とした指はお酢で漬物にでもすればいい。爪を剥ぎ取り、穴を開けて鋼線で通すと、ネックレスの出来上がりだ。

 相手の叫びは希望となる。

 さぁ、行こう。全てを終わらせるために。

 

      ◇

 

 ほんの少しだけでいい。もう少しだけ眠れたら、ボクは幸せになれる。

 布団は温かい。春も麗らかなこの時期、朝方はやはり冷え込む。心地よい空間に身を任せながら、ボクは身じろぎした。腕を伸ばし、先程からうるさく鳴り響く目覚まし時計を電源ごと止める。

「もーちょっとだけ寝よっと」

「駄目!」

 独り言に返事が返ってきて、ボクは寝ぼけた頭に指令を送った。ゆっくりと目を開ける。

「なんだ、美緒か……」

 溜息混じりに呟いて、ボクは目の前の猫耳娘を寝ぼけ眼で見つめた。ベッドの前に立つボクより七つくらいは年下の少女は陣内美緒。ここ数年で随分と背の伸びた彼女は、ボクが住むこのさざなみ女子寮に来る前からの最古参の一人だった。頭から覗かせている猫耳も、ズボンの後ろから見えている尻尾も、実は本物だったりする。

 近年随分とその研究が進んだ変異性遺伝子障害病患者のボクよりも、さらに不可思議な生物なんじゃないかと思えてくるが、そのことについて深く考えるような人物は、少なくとも彼女の周りには存在していない。

「もう少し寝かせて」

 うつ伏せになって、ボクは布団を引っ張った。もう少しこのまどろみに身を任せていたい。

「リスティ、今日は仕事でしょ? 寝坊するかもしれないから起こしてくれって、昨日言ってたじゃん!」

「過ぎたことをごちゃごちゃ言うもんじゃないぞ、美緒」

「いいから起きた! 後で文句言われるのやだからね!」

「言わないよ。親友だろ?」

「ったく、もう知らないよ?」

 ぶつぶつと文句を言いながら、美緒は部屋を出て行った。まったく、もう少し静かに出来ないかな。こっちは気持ちよく寝てるってのに。

 彼女がいつからか随分と面倒見がよくなったのは、間違いなくここの管理人や保護者代理のせいだろう。ボクが某漫画家に似てきた、なんて嘆いている割には、自分たちだってちゃっかり美緒に影響を与えているあたり、彼らもあまり変わらない。美緒の場合、いい方向かもしれないという説はこの際無視だ。

 …………。

 ま、いいや。寝よ寝よ。

 

      …

 

「だぁぁぁぁぁぁ!」

 寝癖もそのままに、ボクは階段を駆け下りた。リビングにたどり着き、せんべいを頬張りながらテレビ鑑賞でくつろいでいる美緒を見つける。

「遅刻だ。美緒、昨日言ったのに何で起こしてくれなかったんだよ!」

「起こしたよ。起きなかったのはリスティ」

「だからって!」

「文句言わないって、言ったのもリスティ」

「そんな冷たいこというなよ。親友だろ?」

 何故か、美緒の視線が一層冷たくなったような気がしたけど、それは無視しておく。

「ま、まぁ。過ぎたことはいいか。今更慌てても遅刻は遅刻だし」

「慌てるべきだとあたしは思う」

「いいさ。出かける前に電話するから」

「ハァ。リスティらしいね……っと、そう言えば仕事って、何時から?」

「九時」

「って、もう十一時じゃん! ちょっとやばくない?」

 言われて見ると、もう二時間は遅刻していることになるのか。悪いことしたかな。

「ま、五十歩百歩って言うし。もうここまできたら、同じだって」

「リスティ……」

「そんな細かいことに目くじら立てるなよ。ま、ボクなりに急いで行くさ」

 美緒が呆れたようにため息をついていたが、遅れてしまった事実はどうしようもない。ボクは彼女に悟られない程度に急ぎつつ、マイペースに朝食にと菓子パンを頬張りながら準備に取り掛かった。

 けど、やっぱり電話くらいはしておかないといけないか。さすがにこれだけ遅れると向こうも心配するだろうから。

 

 ──と、思ったのはボクの杞憂だったらしい。

「先日の傷害事件、被疑者が自供してね。悪いけど、出所前にそっちの方にいって凶器の捜索に当たってくれないかな」

 電話するなり謝ったボクに、海鳴市警、喜多修司警部はそう言った。とりあえず電話越しの説教は免れたらしい。怒った口調でもないので、ボクは気を取り直して話をあわせた。

「了解。で? 凶器の隠し場所って?」

「国守山」

「……うち?」

「そう……リスティが住むさざなみ寮のある国守山。オーナーの槙原さんには了承はすでに取ってあるから」

「って、いつの間に……」

「もちろん、リスティが寝坊している間に」

 なんだ、愛もボクが仕事あるって知ってたなら、起こしてくれてもいいのに。

「責任転嫁はよくないぞ? リスティ」

「うっ!」

 見透かしたように突っ込まれて、ボクは思わず呻いた。

「ハハハ。ま、槙原さんも忙しいから。ちゃんと自分で起きないとな」

「親みたいだよ? 喜多さん」

「俺はこれでも一児の親だ」

「家族サービスは?」

「ううぅ。できてない……って、俺のことはいいんだ。ともかく、凶器は白い布にくるまれているそうだ。血で赤く染まった部分もあるらしいから、見つかればすぐにわかるだろう。ま、それじゃあがんばってくれ。国守山って、結構広いからな」

「え? 人員は?」

「君一人だ」

「……何故に?」

「ほら、ちょっと前に起こったカップル殺傷事件。その捜査で今手が離せなくてね。そっちに回せる人手がない。ってなわけで、遅刻のペナルティと思ってがんばってくれ」

 一方的にそう言い切って、彼は電話を切った。

 …………。

 前言撤回。結構……いや、かなり怒ってるみたいだね、あれは。

 仕方ない……か、ハアァ……。

 誰に文句を言うわけにもいかないので、ボクは溜息混じりに寮を出た。

 

      ◇

 

 変異性遺伝子障害病。三十年ほど前、多発的かつ突発的に生じたこの病気はその全てが先天性のもので、現在に至っても根源治療は不可能という厄介な代物だった。

 脳内器官の発達と、細胞内の珪素の存在。詳しいことはボクも医者じゃないので知らないけど、その中でも特に高機能性と云われる存在は、背中にリアーフィンと呼ばれる羽を具現化し、念動や精神感応などの特殊能力を持っている。

 ボクことリスティ・槙原もその一人だ。それだけに、まぁ色々と常識外の人生を歩んできた。医療センターと偽った組織に育てられ、一時は道を間違えそうにもなったけど、人生どこでなにが起こるかわからないとはよく言ったもので……。

 海鳴市、桜台のさざなみ女子寮のオーナー、槙原愛の養女になったのが八年前。そのさざなみには現在、ボクと愛、美緒の他に、数人の住人がいる。

 まず管理人、槙原耕介。この男に関しては、でかい。でかくて、やっぱりでかい。

 次に我那覇舞。美緒と同い年で私立聖祥女子の二年生。特徴は……ないな、考えてみたら。お嬢様学校に通うには不似合いなくらいの元気少女だ。

 で、木暮奈緒。美大に通う少女で、手先が器用。足の指でリリアンを編むくらいだから、その才能は随分高いんじゃないかとボクは思っている。

 そして神咲那美。ボクがここにやってきた頃の元寮生・神咲薫の妹で、姉同様、霊能力者で退魔士。普段から巫女服を着ることが多く、ドジでおっちょこちょい。童顔で胸も小さいから、その筋の男供にはたまらないだろうなぁ、うん。

 …………。

 話がそれた。

 で、最後にこの寮最年長、仁村真雪。メガネをかけたインテリ女。最近、映画化やアニメ化した作品を数多く産出している人気漫画家。面倒くさがり屋でカナヅチ、暖冷房完備でない場所でないと暮らしていけない近代人で、三度の飯と同じくらいゴシップネタが好き。プラス、酒好き宴会好き人の胸を揉むのが好き、エトセトラ……。

 いいや、もうやめよう。

 すれていたボクを温かく迎えてくれたさざなみ寮。いつの世代になっても、ここに来る連中はいい奴ばかりだ。背中に羽の生えた超能力者であるボクに、普通に接するというのはある意味度胸がいるだろう。偏見と差別の目で見られても仕方に部分が多々あるというのに、ボクをボクとして扱ってくれる彼らは一緒にいるだけで心地よい。ここにいると、めぐり合わせというものをたまに本気で信じたくなる。

 ここに来て、色々あった。色々なことを経験した。

 真雪に似てきたと言われたり。

 真雪にそっくりだと言われたり。

 真雪と姉妹みたいだと言われたり。

 ……全く、失礼な。ボクも真雪も、これに関してはもう不本意以外の何者でもない。ボクはボクらしく、生きているだけなのに。

 さて……っと。文句を言っても仕方ない。今しないといけないことを思い出して、ボクは凶器探しを続行することにした。

 あれこれ十分近くも探してはいるのだけれど、目的の物はまだ見つかっていない。探査能力を使ってこの近辺だということはわかっているんだけれど、どうも先ほどから空振りばかり。

 と──

「…………?」

 人の気配を感じて、ボクはそちらの方を向いた。見知った青年の姿を捉えて、ボクは素直に驚いた。違和感を覚えて、呼び止めてみる。

「……あれ? 恭也……こんなところで何を?」

 現れた青年は、ボクらさざなみ寮生が揃って行き付けにしている喫茶店「翠屋」の長男クンだった。そこそこの高身長、鍛えられた肉体。顔はお世辞抜きで恰好いい部類に入るだろう。性格は少し無愛想だし鈍感ではあるが、面倒見のいい優しい奴である。

 まぁ、ようするに美青年という奴だ。御神流とかいう古流剣術をやっているおかげか、まだ二十歳前だというのに、その風体はどこか達人のような古びた感じを醸し出している。

 自分が女性に人気があることを頑ななまでに信じていない、鈍感を通り越して哀れな奴でもある。うちの那美や妹のフィリスなんかも、まぁ確実に惚れてるだろうな。

 ボクの声でこちらに気付いたらしい、恭也も笑みを浮かべて近づいてきた。

「……リスティさん。リスティさんこそ、どうして?」

「あー、私はお仕事……」

 と、それだけ応えてボクは気付いた。ここであったのも何かの縁。

「恭也。今、ヒマ? ヒマなら、お茶でもおごるから、ちょっと手伝ってくんない?」

「……はい。いいですよ。何か探し物ですか?」

 よし、人員確保成功。

「……うん。こう、これっくらいの布包みで、少し地面に埋まってるかもしれないんだ。色は白だけど、汚れて茶色か、もしくは赤くなってるかも」

「わかりました」

「よし、じゃあ頼むよ」

「……はい」

 二手に分かれて、僕たちは目的の物を探し始めた。

「落し物ですか?」

「……落し物、というか、隠し物、というか……あ、そうそう。見つけたら私に教えて。触らないでね」

「……はい」

 ま、恭也は物分りがいいから、見つけて中身見られても大丈夫だろ。こちらの注意を意味もなく破るような奴でもない。

 …………。

「ないな、もうかれこれ十五分は探してるのに」

「意外と短い気も……」

「何か言った?」

「いえ。なにも……」

 とりあえず、気にしないことにして……って……お? あれは……。

「……あっ!」

「ありました?」

「……エロ本見ぃっけ。欲しい? 『女子高生……濡れた放課後』」

「いえ」

 即答か……うん……どうやら本音らしいね。つまらない。

「じゃ、捨てよう」

 見知らぬ他の女の裸なんて興味ないので、ボクはそのまま雑誌を放り投げた。と、不意に疑問がわいて、ボクは彼に聞いてみることにした。正直、このいい男ランキングだとボクの人生で間違いなく五本の指に入る恭也に、いまだ彼女がいないのは不思議でしかない。

「恭也は……年上がいいんだっけ?」

 考えてみれば、彼の周りには年下の女性が圧倒的に多い。最年長の性……っていうわけでもないだろうけど、どこか悟ったような彼なら、年上好みだというのも頷ける。

「……どうだったでしょうか」

 なんじゃそら。うーん……わからん。心を感応で読むのはちょっと気が引けるし。どうしたものかな。

「包みの中身って鉄ですか?」

「あー、金物だよ」

 いけない、いけない。忘れてた。仕事中だったね、ボクは。

「……これですか?」

「ん? どれどれ……」

 恭也から包みを受け取って、ボクは慎重にそれを開いた。大きさ、白い布、ところどころ赤茶けた色は、土の汚れとは別物だった。身長に包みを開けて見る。出てきたのは、どこにでも市販されている普通の包丁だった。ただし、その刀身に赤黒くこびりついているのは、間違いなく血だろう。

「……これ! でかした、偉いぞ、恭也!」

「……これって、血……ですか?」

「Yes。先月起こった傷害事件の凶器。探してくれって頼まれてさ」

「…………」

「いや、助かった。探し物は得意なんだけどさ、おかげでラクできたよ。約束どおりお茶おごるから、もうちょっと付き合って……」

 小さく微笑みながらうなずいて、恭也はボクの後を付いてきた。無愛想という言葉が、ボクの頭によぎる。だが、この笑顔。これが恭也なりの気の遣い方だと最近知ったのだけれど、普段無口で気の効いたことを言わないだけに、彼が笑うとはっきり言って恰好いい。硬派を絵に描いたような美青年なのだ。

 こりゃ、那美や高町家の女性陣(彼の家は居候が多いのだ。しかも何故か女ばっかり)その他プラスアルファが惚れるのも無理はない。

 局地的フェロモン出しすぎだって。

 

      …

 

「というわけで、フィリス。恭也にお茶を一杯」

 突如として出現したボクと恭也に、彼女──ボクの妹ことフィリス・矢沢は一瞬硬直したようだった。

 海鳴大学病院。この海鳴市で最も大きく、そして最先端の医療技術が集まっているこの病院は、院長の矢沢医師の活躍などもあって全国的に名が知れ渡っている名病院(で、いいのか?)である。

 そこで医者として働くフィリスは、その矢沢医師の義理の娘で、ボクの妹だった。お互いに苗字が違うのは、ボクが高機能性遺伝子障害病患者──HGSだということに起因している。ボクを引き取った医療センターと偽っていた組織は、ボクの能力の高さを利用するため多くのクローンを作った。

 通称LCシリーズ。

 フィリスもその一環で生まれた一人で、だから顔はボクと瓜二つ。紆余曲折を経て保護された彼女は(後もう一人いるんだけど)、当時からHGSの研究で名の通っていた矢沢医師に引き取られ、彼の跡を継ぐべく医者としてここにいる。

 多岐にわたる医療分野をその身に備えられたのは、クローンゆえの高い知能指数だからだろうし、実質腕はいいのだけれど、育った環境が違うせいか、どうもボクとは全く逆の女になってしまった。

 姉妹で、っていうかクローンだからもう一人の自分かな? ともかくここまで似ていないというのもある意味凄いと、ボクら姉妹を知っている人は言う。

 ま、同じってのも怖いけどね。

 そのフィリス。長い銀髪、金色の目。身長はボクより少し低い。僕と違ってお姫様ルックの似合う雰囲気の少女で、私服時の彼女が医者だということを見破れるのは相当の強者だろうと思えるほど幼く見える。

 診療時間外ということもあってか、フィリスは一服していたようだった。ボクの顔を確認するや否やすぐに気を取り直し、恭也に少し笑顔を送ってから眉間にしわを寄せる。

「あのねリスティ、うちは喫茶店じゃないんですけど……?」

「固いこと言うな。犯罪捜査に協力してくれた一少年に、感謝の心をみせろ。一市民として」

 それだけで、フィリスは察しが着いたようだった。ボクが警察の民間協力なんて仕事をしていることは、当然彼女も知っている。

「……その前に一少年を犯罪捜査に使わないで……しかも私の患者を……」

 口を尖らせてそう言うフィリスに、ボクは笑って返した。あまりゆっくりしてもいられないので、早速お目当て(・・・・)の場所に向かう必要があった。凶器を見つけただけでは、犯人を検挙できないからだ。

「あー、僕はちょっと上でこれの検査を頼んでくるので……後は頼んだ」

「リスティ、火がついてなくても病院内でタバコは……」

「ここ以外ではちゃんとしまってるっつーの!」

 ったく、口うるさいのは誰に似たんだか。ま、ボクのいない間に恭也と少しでも接近できたら、彼女にしては上出来だろう。引き取られるまでの情操教育がなってなかったせいか、フィリスは恋愛ごとに関してはまだまだ甘い。

 ま、後で思う存分からかってやるのはもちろんとして。その前に、やるべきことをちゃっちゃとやらないとね。

 行き交う知り合いの看護婦に軽く挨拶をしながら、ボクは警察の鑑識資材のそろった上階へ足を向けた。

 

      ◇

 

 銀髪の少女。金の瞳。

 いいね。清楚だ、可憐だ。思わずその肢体にむしゃぶりつきたくなる。かの絶叫はどれほどの美しさを持っているのか。

 華奢な身体。胸は小振りのようだが、彼女の顔の幼さからするとそれすらも神の悪戯のように思える。乳首を引きちぎり、血で滴る乳房を揉みしだく。彼女の血はさぞ極上のワインだろう。一口飲むごとにその味を深め、脳に刺激し、さらなる酔いを誘う。彼女の肉を喰べながら、彼女の血を飲む。なんて贅沢なんだ。

 楽しみだ。

 ああぁっ!

 早く。

 早く。

 早く!

 早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く!

 

 彼女を殺したい。

 


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