求めるもの二つ
―第一章―
人は生まれながらにして悪。 逆に、人は生まれた時は善。
そんな哲学的なことを、書かれている本を無造作に放り投げると、とある人物の一日は始まる。
別段そう言う内容に興味があるわけではないのだけれど、ただ何もしないのも癪だ。
そんなわけの分からない理由で、その人物の一日は始まっていた。
その人物の特徴といえば、簡潔に言うと女性だということ。 腰辺りまで伸び、少しだけ紅が混ざった髪に適当な感じでくしを通して手入れは終わり。
後は、着替えて目的地に迎える格好になるだけだ。
これが、彼女………日下部 初夏(くさかべはつか)の朝の営みである。
(忘れ物は…まあいいかな。 学校に行ってからでも)
彼女のことを知っている人が見れば、一言でこう表すだろう『適当』と。
生活態度もいい加減そのもの。 しかし、部屋の中は散らからない。 何故かと問われれば、何も無いと簡潔で簡単な答えが即答の元に返ってくるだろう。
ただ、必要最低限のものと、必要最低限の意識だけ。 後はひたすら、他人には理解できないことを行っている。
通っている、学校…私立風芽丘学園でも、似たような物だ。 授業態度もいい加減。 暇さえあれば、朝読んでいた哲学が詰め込まれている本を読み漁っている。
そんなことをしていて、親に何か言われるのではないか? といえば、当然といわんばかりにそれすらも無い。
初夏に親はいない。 親は、初夏が11歳の時に他界した。 事故だった。
いるのは、優しく遠くから援助してくれる親戚だけだ。
子供のいない、なんとも図ったような環境で初夏は優遇された。 それはもう自分の娘のように、可愛がられ、怒られ生きてきた。
そして現在一人暮らしの真っ最中。 因みに今年で3年目になる。
要するに、彼女は今年でめでたく3年生となるわけだ。
しかし、3年間何かが変わったということは無い。 日々の流れに身を任せ、毎日を適当に適当に歩いてきた。
そしてそれは今からも行われようとしていた。
時間は現在8:30…。
初夏の住んでいるアパートからは普通に歩いて、徒歩15分。
因みに学校の登校時間は、8:40…。
2倍の早さで走れば、間に合わなくも無いが常時そのペースを保つことなど、よほど鍛えた人間でなければ不可能だろう。
「ふぅ…」
何に対してのため息なのかは彼女自身分かっていないが、とりあえず急ぐつもりは無いらしい。
のろのろといつものペースで、鞄を取り玄関に向かう。 多少の空腹を感じたが、朝食をとる気にはならない。
3年間続けてきたことだといえばそれまでかもしれないが、ぶっちゃけてみれば面倒くさいというだけ。
昼食の用意も持ちはしない。 同じく面倒くさいから。
何故こんなに面倒くさがるのか、それすらも本人は理解していなかった。
理解できてれば、恐らくここまで堕落した生活はおくっていなかっただろうが…。
(まあ…今となってはどうでもいいことなんだけど…ね)
兎にも角にも、初夏は学校への道を歩むために自宅を後にした。
学園生活最後の夏を終え、今はだんだんと涼しくなってきた秋という季節。
夏という言葉はすでに遠い過去においてきたかのような気候となっていた。
頬にとける風に少し眼を細めて髪を掻き揚げる。 そうすると、今まで見えなかったものが、視界が開けるかのような錯覚を覚えられる。
秋は嫌いではない。 少なくとも自分の名前の中にある、『夏』よりは大分、いや、かなり好きにはいる。
焦がすような太陽はどうにも好きになれない。 日焼けをするのがただ嫌だと言うだけなのかもしれないが、とりあえず嫌いだ。
「こら日下部。 授業中何を見てるんだ?」
「………風…って言ったら私はどんな目で見られるんでしょうね?」
特に世間体を気にすることも無い彼女にとって、それはどうでもいいことだった。
ただ、熱心に教えている教師をからかっているだけだ。
それを教師のほうも理解しているのか、ため息を一つついてから、少し諦めたような顔で初夏に話し始めた。
「あのなぁ日下部。 現実逃避したい気持ちは良く分かるが、それじゃあ、卒業できないぞ」
「まあ、そうでしょうね」
だが、あくまで初夏は軽く流す。 それを当たり前か、もしくはただの風のようにいなすだけ。
こんなことは彼女にとっても教師にとっても、そしてクラスメートたちにとっても日常茶飯事のことだった。
日下部初夏。
基本はどうだか分からないが、傍から見ても、そして今の自分から見てもただの面倒くさがりや。
何が足りないのかは分からない。 恐らく見えているであろう未来への恐怖か、はたまたただのやる気のなさか…。
今なお延々と続いている教師の説教を右の耳から左の耳の外へと流しながら、ぼんやりと彼女は考えるのだ。
自分に足りない何かを。
求めるものは何かと…。
だが、それはいまだ片鱗すら姿を現そうとしない。