―2―
「日下部さ〜ん」
やたらと和みそうな、間の抜けた声が日下部初夏のいる教室内に響いた。
初夏はその声に、気だるそうに首を向ける。
そこにいたのは、なじみのある顔。 3年になってから、気が付くと親しいといえる仲となっていた。
神咲那美…。
「那美…どうかしたの?」
向けた首を元に戻して、初夏は声を返す。
「どうかしたのじゃないですよ。 またあんな風に先生に反抗して…」
また始まった…。
そのように思ったのか、明らかに初夏の顔がその瞬間歪んだ。
「あれじゃあ、先生にあまりいい眼で見られないですよ?」
「別に媚を売っているわけじゃないからいいじゃない」
初夏は生まれてこの方、人に媚など売ったことは無い。 むしろ、常に傍から見れば反抗的な態度で接し続けている。
本人にとっては、ただあしらっているだけなのだが、世間はそのように捉えるものは少ない。 その良い例とて目の前にいる神咲那美もその一人だ。
ただ、那美も初夏と同じように、しかしどこかずれた感じで変わり者だった。
このクラスで初めての授業で、初夏は緒戦から腫れ物と断定された。 授業態度が、今日のものと変わらなかったのだ。 いや、言い方さえ上手くやれば、今日のものよりも酷かっただろう。
初めのうちは教師の言葉にも耳を向けていた。 だが時間が経てば経つほど、その態度は明らかとなって行き、ついには完全に初夏は無視を決め込んだ。
本当のところは、ただ授業に飽きて窓の外でも眺めていようと考えての行動なのだが、まあ、世間でその行動が一般的に誤ったものと捉えれるのは事実。 腫れ物となるのにまったく時間が要らなかったのだ。
腫れ物と決め付けられてからは、回りの判断、態度は簡単なもので、やはりそのような扱いを受けていた。
別段初夏本人はまったく気にしなかったのだが、那美だけは違った。
「日下部さん。 さっきの態度、あまりよくないですよ?」
と、やたらと笑顔を向けられながら注意を受けたということを、初夏はいまだ鮮明に覚えている。
その笑顔の意味が、理解不能で、しかし気分が悪くなることは無いその雰囲気に初夏は声を返した。
「…………小さな親切大きなお世話よ」
短くはっきりと言い放ったことは、やはり鮮明に記憶していた。
しかし、それでひるむ変わり者ではなく、現在も続いている。 すでに6ヶ月にもなる。
(よくもまあ、ここまで飽きずに続けられること…)
もはや、諦めを通り越して、尊敬の域にまで達している、那美の評価。 これからも変わっていくことはないだろう。
(あれ…?)
そのとき、不意に何かにぶつかった。
物理的な何かではなく、頭の中にある漠然とした何かに思考が当たったのだ。
「ですから、もう少しだけでも態度をやわらかく………」
「那美…」
「はい?」
突然名を呼ばれて那美は説教をいったん中止する。 何があるのかと初夏に質問をしようとしたが、思いのほか真剣な顔をしていたのでそれは飲み込んでおいた。
「どこか調子が悪いの? 疲れてるのか、体調が悪いのかは分からないけど、顔色が良くないわよ」
「え? そ、そうですか…? そんなことは無いと思いますけど…」
「自分の顔は見れないからそう言えるのであって、傍から見れば悪い部類に入るわね。 また、仕事だったの?」
「あぁあぁぅぅ…」
初夏の言葉の後に、那美から妙な生き物が生まれたような声がはみ出してきた。 どうやら図星らしい。
那美の仕事…。 所謂御祓いというのが一番近いではないだろうか。
退魔道・神咲一灯流。
古くから、普通の人には見えない現象を影やら表やらで調伏してきたり、鎮めたりしてきた由緒正しい祓いの家系。
元は、姉が行っていたものを、今ではこちらに来ている那美が引き継いだと言っていた。
そしてその仕事を那美は昨日行っていたのだという。
やはり、常人には理解できないところが多いのだろう。 退魔の仕事を行った次の日の那美は明らかに疲れていた。
だが、今日は少しいつもと違う。 いや、正確には一緒なのかもしれないが、何かが違うと初夏の何かが訴えていた。
「そ、それはそうと、今日のお昼食堂でするんですよね?」
「…ええ…寝坊したからね」
その訴えを、聞こうかとする寸前飲み込まされた。
表情には出さず、しぶしぶ答える。 いまだ頭の中に靄はかかっているが、本人が大丈夫といっているのだ。 無理やり抑えた。
「なら、ご一緒していいですか? わたしも、今日は食堂なんです」
「別に…私に許可を取らなくたって、いいでしょ? 誰の物でもないんだし…」
普通の人間なら、初夏のこんな態度には、憤りを表してもおかしくは無いだろう。
だが、それを当たり前のように、那美は笑顔を崩さずに話し続ける。
那美にとって、もはや初夏の態度など当たり前のことなのだ。
「ならOKですね。 それじゃあ行きますよ♪」
言うが早いか、行くが早いか、初夏の腕を引っ張って那美は食堂への道を歩き出した。
初夏も初夏で、やれやれという表情を浮かべながら、引っ張られながらついていった。
昼時の食堂といえば、もちろん混雑してて当たり前。
一般的にそんな思考は誰でもあるはずだ。 だからこそ、誰よりも早く、我先に、と波のように生徒たちはこの時間に押し寄せてくる。
正直、苦手…。
初夏の初見での感想はそれだった。
初めて見たわけではない。 ここに来ることは何度でもあった。
だが、何度来てもここは好きになれそうには無かった。
人ごみの中は動きづらいし、そう言う男の前を通れば臭いし、何より喧騒がうざったい…。
それ以外にも、理由を言えといわれれば限りなく際限なく出続けるだろう。
「どうしたんですか?」
「……………別に……私、Sランチね…」
「あ、は〜い……ってなんでわたしが初夏さんの分まで!?」
「…………ち」
それとなく言ったつもりだったが、気がつかれてしまったようだ。
以前これと同じ方法を取ったら成功を収めたが、どうやら同じ手は通用しないらしい。
友人の成長に少し驚きつつ、初夏はとりあえず食券を買いに足を運んだ。
まあ、当然といえばそれまでなのだが、初夏に人ごみなど関係ない。
目敏いというのか、人の隙間と次に動く人間の行動を先読みして、どんどんどんどん食券までの距離を縮めていく。
対して、那美はと言えば。
「あうう〜…初夏さ〜ん…。 ああ! す、すみません!!」
歩くたびに人にぶつかり謝る、ということをひたすら繰り返していた。
何をどうやればあそこまで器用に人にぶつかれるのか、心底疑問になる。
まあ、疑問になったとしてどうこうする初夏ではない。 当然の如く半分無視を決め込み、自分の分の食券を買うことに成功した。
と、そこでもう一度後ろに注意を向けてみる。
「初夏さ〜ん…初夏さ〜〜〜ん…」
「…………」
流石に額に汗を流してしまった。
あまりにもものすごい表情で、自分の名を呼ばれていたことにもだが、何よりその状況にも汗を流させられた。
(器用なものね…本当に…)
心からそう思っただろう。 何故人に潰されそうになるスペースにわざわざ突き進み、身を滅ぼそうとしているか理解できない。
あいつは阿呆でいいのか? 阿呆か? 阿呆だ…。
今更認識したわけではないが、無性に虚しくなりつつもそう言う結論に達しさせてしまった。
(このままじゃ、時間内には終われそうに無いわね…)
それに、このままこうしていれば、席もなくなる可能性もある。
席は全校生徒座れるほど数はあるのだが、いかんせん人というのは群れを成すのに人を拒む傾向が見られる。
知らない人が近くに来ると、避けるということ。
つまり、知らない人が座っている場所の近くに座りたくないということだ。
初夏も例外ではない。
いや、人嫌いな傾向は誰よりも強く見られるだろう。
(まあ…しかたないか…)
誰が見ても分かるくらいの、大きなため息をついて初夏はもう一度販売機に目を向けた。
そして、おもむろに押したのは自分とは別のAランチ。
Sランチは軽い軽食のようなものだが、Aランチはちょっとした和風の感じを漂わせる料理だ。
本当に那美がこれを食べたいかどうかなど初夏には知ったことではない。
とりあえず、場所と食事にありつきたいだけだ。 それ以外に考えはないといっても過言はないだろう。
買った食券を胸のポケットに放り込み、那美のほうへ歩いていく。
そのまま何をするかと思えば、いきなり首根っこを捕まえて歩き出した。
「初夏さ〜ん…なにするんですか〜…」
「猫は黙って連れて行かれるものよ」
そう言って、那美の顔にべしっと言う音が鳴るかと思うほどの勢いで、食券をたたきつけた。
「あいたぁ!?」
「代金請求は後ですることにしてるの、それから何が食べたいとかの文句も言わせないからそのつもりで」
言い終わると、初夏は那美の顔を覗き込んだ。
笑顔だった。
理由は分からない。 というよりも、分かるほうがどうにかしてると思う。
でも、嫌な気分にはならない。
どうしてだろうと心の中で反復してみる。 当然答えは出てこない。
いや、それは分かっている。 分かっているはずだ。
納得するなどということは求めていない。
ただ、どうしてか、この間抜けと思える顔を見ていたいという気分になる。
「?」
那美がいい加減にその顔に疑問を持つころに、ようやく初夏は顔を前に向けて歩き出した。
そうして、二人は食事にありついたわけだが…。
「…………………」
「あ、あう〜…」
楽しいはずである食事の時間は、そこにある黒い気配によって完全に重いものへと変えられていた。
周りにいる生徒たちは、できるだけ早くその場を離れようと、ひたすら食料を口の中に押し込んでいる。
後から来てしまった人は悲惨なものだ。 その黒い気配に耐えながら、食事を取らなければいけないのだから。
「あ、あの〜…初夏…さん?」
「……………」
那美が恐る恐る声をかけると、無言でそれに反応する。
ただし、視線は凶悪、気配は最凶。
まさに不機嫌をそのまま表したかのようだ。
「あのあの…えと…わ、わたし…どこかに…い、いきますね」
「あうううううう…」
その鬼のような状況から、いち早く退避しようと動き出した少女に、那美はものすごく恨めしいようなめを向けた。
『逃げないで。 逃げたらのろいます』
何故かそう言う風に声が届いた気がして、少女は浮き上がらせた腰を再び椅子へと落とした。
「あ、そうだ、美由希さん! 高町先輩はお元気ですか?」
「うえ!? え、あ、はい! 元気ですよ!!! それはもう、必要…い…じょ…に…」
声が癪に障ったのか、初夏は顔を上げて…といっても半分だけあげて睨んだ。
射抜く視線とはこういうことを言うのだろう。 そして、蛇の魔眼に射抜かれた蛙は身動きを封じられた。
「…美由希」
「はいぃぃ!!」
暗いくらいオーラを吐き出さんかのごとく低い声で、初夏は美由希に声をかけた。
「お前は誰なの?」
「へ?」
声を失った。 誰でも失うかといえばそう言うことも無い。
しかし、美由希は言葉を失った。 失わざるを得なくなったといえばそれまでなのだが…。
「早く答えなさい」
彼女の目の前にいる人物は、沈黙を許さなかった。
たった一つの逃げ道をもふさがれた美由希は、観念して自分を名乗ることにした。
「に、2年の高町美由希です、部活とかには所属してないです。 趣味は…」
「那美とはどんな関係?」
混乱しながらも言葉を紡いでいく美由希に初夏は再び質問をする。
その質問も、やはり要領を得なくて、美由希は再び沈黙せざるを得なくなった。
とりあえず、考えてみる。
(えと…わたしと那美さんの関係…!? ええと…関係というほどのものというかなんというか…あうう…えと…え〜と……あ……やっぱり…あれが一番だよね…)
意を決して、美由希は初夏の目を見た。
恐いので数秒もたたないういちに、視線を逸らした。
しかし、勇気を振り絞ってもう一度目を向けて…。
「那美さんは…わたしの一番大切な友達です」
言い切った、その目には少しの霞も泣く澄んでいた。
当然の如く。 いや、当然のことなのだろう。
初夏は視線を逸らそうとはしない。 美由希も逸らさない。
そして…。
「そう…」
短くそれだけ言うと、手元にあるパンを口にした。
一瞬で周りの重たい空気が薄れた。
「え、え?」
理解出来ていないものが2名ほどいるが、初夏は気にせず食事を口に運び続ける。
「ああ…どこかで見たことがあると思ったら、翠屋の店員ね」
「え? 先輩…うちのお客様?」
美由希の声に、先ほどまでの動揺も恐怖もない。
そもそも何故あのような状況になったのか。
原因は、那美にあるといえばその通りだった。
食堂で食べる=那美は美由希と食事をする。
これが彼女たちにとって暗黙の了解となっていた。
だが、そんなことは初夏は知らない。 知らないからこそ了承したのだ。
そして、現れたのは美由希。 何の疑問も持たずに、那美に話しかけ始めた。
別にそのことに対してはまったく怒れる気にはならない。 何が気に食わないかといえば、知らない人間が近づいてきたということだけだ。
人見知りというレベルを遥かに超えた、威嚇。
そうして、先ほどまでの状況に陥っていたということだ。
「ええと…あのですね、美由希さん。 初夏さんは、とっても翠屋のお菓子好きなんですよ」
「ええ…あそこのお菓子は他のものとレベルが一ランクも二ランクも違うわ。 お金をだして食べる価値は大いにあるわね」
美味しいものを素直に美味しいといえないものほど愚かな者はない。
それが初夏の口癖でもある。
以前、店前販売の時に偶然購入したシュークリームに感動を覚えた。
それからというもの、頻繁に翠屋に出入りするようになった。
那美を無理やり引っ張っていくこともあれば、一人でひたすら食べ続けることもある。
収入は仕送りしかないのだが、それでもあまる少ないお金をもって行き続けていた。
「なるほど…高町…ということは、あの高町恭也とは兄妹になるわけね…」
「……!」
「はい。 兄をご存知なんですか?」
「まあ…それなりにね…一目置いてあるのは確かな存在ではあるけど」
一目置く存在…。
自分で言っていてどうしたものかと思う。
表現としては間違っていないだろう。 確かにそう言う位置に彼…高町恭也はいる。
ただ、それだけで他になにがあるというのだろうか?
好意を寄せている。
(論外)
好敵手としてみている。
(一体何の?)
こちらとしても答えは出ないが、なんとなく一目置いている。
ただ、あの身のこなしというか、無駄のない動きというか、兎に角そういうものがやたらと印象強かった。
だからかもしれない。
「一目…ですか〜」
「ええ…まあ…そうね。 それに…」
そこで一端言葉を止めて、美由希を凝視する。
頭のてっぺんから、机で隠れている場所の前までを、余すことなく。
「あなたも、只者ではなさそうだし…」
「(ぎくっ!)」
図ったかのような擬音が耳に聞こえた。 それと同時に、美由希の身体が面白いように動いた。
どうやら只者ではないという言葉に近しい何かをもっているようだ。
「今度あなたの家を訪ねさせてもらうからそのつもりでいることね」
言い切って、最後のパンを紅茶で押し込んで初夏は席を立った。
食べ終わった食器類をスペースにもっていき、無造作に流す。
(そう…親友……か…)
果たしてどういうものなのか、初夏には良く分かっていなかった。
友人以上とでも言いたいのか。 悔しいがそのように感じてしまっている。
美由希に劣等感を感じるわけではないが、自分が那美との関係を問われたときに親友などという言葉で返す事ができるのだろうか?
(………………ちっ)
心の中で舌打ちをして、邪魔になった髪を掻き揚げてちらりと、那美たちのいる席に視線を送る。
(…ん?)
不意に、再び頭の中に違和感が浮かんだ。
苦笑いしながら話す親友の顔を見ずに、那美はどこか遠いところに視線を送っているように見えた。
が、それも一瞬で那美は慌てるようにいつもの感じで話し始めた。
気のせい…ととるには少しだけ大きな違和感。
しかし、考えても分からないことを頭の中に入れておくのは結構疲れる。
やはり気のせい、ということにして食堂を後にした。
(邪魔…邪魔なのよ……高町恭也との間に立つもはみんな邪魔…)
どこということもなく、深い深い闇の中。
暗いものしか見えず、黒いものしかないその空間で、その声は響いていた。
ただただ、黒く呪う声。
(邪魔なものはどうすればいい…? そう…そうよ…殺せばいいのよ…ええ…高町恭也…私あなたのためなら…人だって殺せるんだから…)
くすくすという、笑い声がいつまでもその暗い空簡に響き続けた。