―3―
超能力という言葉をから人はどんなものを想像するだろう。
大抵の人間は、物を動かしたり、スプーンを曲げたりと、まあ念動という言葉を使うはずだ。
超能力とは、何かを超えた能力なのだ。 一概に念動だけなどということはない。
超えた能力というのだから当然といえば当然だが、人間は簡単に考えすぎだ。
物事を一方向からしか見ようとしないし、理解しようとしない。
だから、『常識』などという言葉にとらわれて、『大衆』に飲み込まれていく。
(………朝から何をこんな欝なこと考えてるんだろ…)
ベッドに預けていた身体を起こして、髪をかきむしる。
ろくに手入れをしていない髪だが、何故か簡単に手ぐしが通っていった。
いつもより大分早めに目が覚めてしまった。 時計を見て、二度寝しようとしたが、どうにもこうにも上手く寝付けずに、こうしてだらだら過ごしている。
(超能力………か…)
何が超能力なものか。 ただ少しだけ人より使える何かが違うだけだ。
他は何も違わないただの人間だというのに…。
そう考えれば、那美はどうなのだろうか?
いや、それは考えるほどのことではないはずだ。 理由は簡単なことで、自分などと関係を持つなどということはそう言うことなのだ。
(霊能力…祓い師………因果な仕事ね…)
所詮は分かりえないことなのだろうか?
他人の痛み、苦労…そんなものを分かったところでなんになる。
結局は自分でどうこうするしかないのだから。
(………………………やめよ…)
とりあえず、本気で鬱になってきたので、考えることを停止した。
おもむろに時計に目をうつすと、まだまだ登校するまでには幾分か早い。
久しぶりに朝食でもと、初夏は使う機会の少ない台所を訪れて、作業にかかった。
◆
(さあ…私に心を明け渡して…そして私のために身体を渡して…)
暗き闇の中からその声は少女へ向かって投げかけられていた。
(だめ…だめ…く…ぅ…ぁ…ぁ…)
少女は抗っていた。 まるで思考を丸ごと変えられるような、甘く、苦しい声に必死に抵抗していた。
だが、それはいつまでももつことはないだろう。
それは、少女自身が一番判っていることでもあった。
暗闇から迫り来る声は、徐々に存在を大きくしていき、迫っていることを表している。
いつまでも、もつものではない。
(ま…さか……初めから……)
初めのころはこんなことになるとは思っていなかった。 だから簡単な対処すらしなかった自分のミスだ。
この存在が外に自分を押しのけて、出て行ってしまった場合どんなことが分からない。
よって外に出すことなど無理な相談なのが…。
もはやそれは叶うことはないだろう。
(も…だめ…だれかぁ…………)
「…き……神咲!!」
「…………ぇ…?」
不意に自分であろうものに声をかけられて、神咲那美は顔を上げた。
どうやら、本人すら気が付かないうちに、頭を落としていてしまったらしい。
顔を上げると、視界が一気に広がった。
今までの世界が狭いといわんばかりに、彼女に移った視野は広がっていた。
再び視線をおろして、今度は自分の手を見てみる。 きちんと5本指が片手ずつついている。
おもむろに、握っては閉ざす。 なるほど、スムーズに動く。 どうやら異常は見られなかったようで顔を上げた。
顔を上げると、今度は怒りをあらわにしている眼鏡を賭けた教師が目に入った。
「神咲。 前に来なさい」
声を抑えて言うその姿は、怒りをあらわにしている表情の割りに抑えている。 なかなかに大人な人物が教師となったようだ。
口元を少し歪ませながら、那美は席を立ち上がった。 立ち上がるときに手元にあったシャープペンシルをこっそりと手に隠れるように持って。
「まったく…神咲、お前はもう受験生なんだぞ? それでなくてもお前は時々授業を抜けなければいけないときがあるのだから、もう少し緊張感を持ちながら授業を受けなさい。 このままだとお前は進学できなくなるぞ?」
「………………」
「聞いているのか?」
「ああ…そう言うことですか…なるほど、たった今理解しました。 申し訳ございません」
素直…というのはどうも引っかかる部分がある謝り方だが、教師はそれを感じているのか、那美がこのような受け答えをしたことに戸惑っているのか、言葉を失っていた。
目を大きく開いて、驚きさえも表している。
「ですがね…先生……私にだってやりたいことはあるんですよ? そう…例えば…」
手の中で、くるりとシャープペンシルの向きを変える。
手を伸ばせば、恐らくは簡単に人の身体を貫けるだろう。
その知識を彼女は知っている。 知っているからといって行動に移せることはないが、那美の身体にはその踏み込みの一歩が染み付いている。
腕をほんの少しだけ後ろに引いて、腰を回す。
そのまま一直線に腕を突き出し…。
「!?」
「先生…神咲は気分が優れないようです。 保健室に連れて行ってきます」
突き出す直前に、那美の腕はつかまれていた。
「は…つか…さん……」
「く、日下部…」
「いいですね、先生?」
「ん…? あ、ああ。 そういうことなら仕方が無いな…連れて行ってくれ…」
何かに威圧されているかのように教師はただ頷くだけになっていた。
その日の朝から気が付いてはいた。
那美の雰囲気が明らかに違っている。調子が悪いというような事ではない。
初夏には確かに感じていた。 感じているのだが、その何かを確信は出来ていないのだ。
「………那美…」
「初夏さん」
「ん?」
「屋上…ちょっと行きませんか?」
「…………………………分かった…」
今刺激するようなことを、那美に言うのは少し抵抗を感じる。
暴走しそうになっている犯罪者に合わせるような気分を初夏は味わっていた。
いつもなら数分もかからないで、着くはずの屋上だが、考え事をしている所為かなかなかたどり着く気配はない。
一応、階段を上り、上り、あと少しというところまで歩いているのだが。
「……………」
「…………」
お互い無言のまま歩いていく。
自然なようで不自然な二人。
重苦しいような、そうでないような雰囲気が辺りには漂っている。
しかし、お互いにそれを崩そうという試みを行おうとはしない。
(どこからおかしかった…?)
疑問を浮かべる。 だが、脳に記憶の探りをいれても、後にも先にもあの時しか考えられる場所は見当たらない。
初夏が遅刻をして、那美に食堂に連行されて、高町美由希と知り合ったあの日。
すでに3日経ってしまっている今日、ようやくその兆候が出てきてしまったようだ。
(ちっ…もっと早くに気が付いているべきだった…)
しかし、一体何が那美をこんな風にしてしまったのだろうか。
その原因が分からない。
分からない以上対処のしようがないし、迂闊に行動を起こせば、それこそ危険極まりない。
今は相手に合わせるしか方法がないことに、初夏は心の中で再び舌打ちをした。
瞬間頭に硬質な感触が浸透し、耳には、ごん! という音が響いた。
「っ……!!?」
俯き気味に歩いていた初夏には見えなかった、扉という遮蔽物。 それが彼女の頭に攻撃を仕掛けたのだ。
思わず、顔をしかめて扉を睨み返す。
当然といわんばかりに、扉は喋るはずもひるむはずもなく、そこに佇んでいる。
無性に腹が立って扉をぶち破るほどの勢いで殴り飛ばそうと拳を握ったが、後ろから聞こえた音に行動を停止させた。
「くすくすくす…何をしてるんですか、初夏さん? そんなことしても扉は答えたりしませんよ」
不自然なくらいに笑顔を浮かべている那美に、恥ずかしさから顔を赤くして睨み返したが、効果は無かった。
「別に…ちょっとボーっとしただけよ! 屋上に用があるんでしょ。 早くいくわよ!!」
赤くなった顔を前に向けて、那美から見えないようにして、屋上への扉を勢い良く開け放って、屋上へ躍り出た。
秋らしい冷たいような、爽やかなようなそうでないような風が長い髪を踊らせ、火照った顔を冷やしていく。
空を見上げれば、寒くなっていく季節に沿って青く澄んで見える空。
この中にどんな異変があるのかと疑問を投げかけたくなるが、異変はすぐ近くの人物に起こっている。
「それで…どんな用で屋上に…………???」
先ほどまでの思考を振り払って、後ろにいるであろう那美に問いただそうと後ろを向いた。 が、すでにその姿は消えていた。
不思議に思って、いたはずの場所を見回してみるが、そこに那美の姿はどこにも見当たらない。
まさか自分のおかしいと思い見ていた那美はそういった方向のモノだったのかと考えたが、冷静になればそんなはずはない。
「初夏さ〜ん。 こっちですよ」
不意に後ろのほうから声がしたので振り返った。
声の主は当然那美だったが、その場所に初夏は戦慄した。
「………なんでそんなところにいるのよ…!」
心の中の動揺をなるべく表に出さないように勤め、那美を見据える。
那美のいる場所は、恐らく初夏でなくても驚くだろう。
何と言っても、3メートルはあるであろう高さのフェンスを越えた反対側にいたのだ。
「気持ちいいですよ。 やっぱりフェンスの向こう側は開放感が違いますね」
「危ないから…早くこっちに戻りなさい…」
必死に本当に真剣に、動揺を隠しながら那美に訴える。 だが、その場から動かずにただその場で言っていては余り意味はない。
こういう場合は、会話をしながら相手を刺激しないように、少しずつ近づきながら説得するという方法がもっとも良いはずなのだが、初夏はただその場で言い放つだけだった。
「初夏さんもこっちに来ませんか?」
その上、説得すべき相手は、人の話などまったく聞いているようには見えない。 どうやら生半可な説得は効果はゼロらしい。
しかし、そう悟ったのに初夏は動こうとはしない。 まるで足が縫い付けられているかのように入り口から動かない。
「なんで行かないといけないのよ…」
「だって気持ちいいんですよ。 檻の中から開放されたって感じがして」
「私はそんなことは感じたことが無いから不要よ」
「来ないと落ちますよ…」
一瞬空気が乾いたような感覚が、初夏を襲った。
(今何と言った? 落ちる…?)
聞き間違いと思って、ぐらついた思考と視線を那美に向ける。
「……………」
表情は笑っている。 だが、有無を言わさない雰囲気を放っている。
冗談にしては、あっさりと言い過ぎているし、何より言った本人に迷いは見られない。
ほんの数秒頭の中を整理する時間として使って、初夏はため息をついた。
どうやら、本気でいっているらしいと理解した。
「どうします? 早くしないと本当にひゅ〜〜〜〜って落ちちゃいま……」
「分かった…行くから、そこでおとなしく待ってなさい…」
もう何度目か分からないほど心の中での舌打ちをして、初夏はようやく錘のついたような感覚のする足を一歩踏み出した。
一歩一歩、ゆっくりした足取りで、確実にフェンスへと近づいていく。
フェンスの向こう側へ行く道などない。 よってフェンスを登らなければならないのは世界の常識だ。
そんな常識など、初夏には関係ない…。 関係ないのだが、それ以外はない。
諦めを表す表情で、一歩、また一歩と歩いていくたびに、初夏の顔は青ざめていき、青筋の数が増えていく。
初夏は、高いところが苦手だ。 どれくらい嫌いかといわれれば、とりあえず高いところに行くことすら拒否するほど嫌いなのだ。
所謂、高所恐怖症。
手すりがあるない関わらず、フェンスの有無も関わらず、兎に角高いところが苦手という病気だ。
精神的なものだから、治すことは困難だろう。
それゆえ、初夏の足取りは地面に落ちたナマケモノのように遅い。
それでも何とかしてフェンスの前まで来ることは出来た。
顔からは血の気が引いていた。 服の中が嫌な汗で気持ちが悪いくらいべとべとしている。
一度、そこでフェンスを見上げて、深呼吸をした。
息を吐き出してから、フェンスをもう一度見上げる。 高かった。 果てしなく高く感じた。
確かに高いといえば高いのだが、それでも異様に高く見える。
精神状態でそうなっているといえばそれまでなのだが、初夏にとってみれば、ものすごい威圧を感じざるを得ない。
「下を見なければ、そんなに恐いものじゃないですよ」
「わ、わかってるわよ…!」
分かっていても実行できる自信はミジンコほどにもない。
だが、目の前に突きつけられている、那美の命を救うという大義名分を抱えている以上行動を起こさないわけには行かないのだ。
もう何度目になるか分からない決意を今度こそ身体に宿して、初夏はフェンスを上り始めた。
(何でこんなことしなくちゃいけないのよ…!!)
心の中で毒づいてみるも、案外上るのはそれほど抵抗は無かった。
上だけを見なければいけないためか、兎に角時間はかからなかった。
一番上に来て、初夏はもう一度と大きく深呼吸をする。 これでもかというほど大きく息を吸い込んで、盛大に吐き出す。
それで、幾分かは落ち着いたのだが、ここで初夏は大きな過ちを犯した。
ぐらりと、視線の先が歪み、自分が不安定な場所にいるということが関係ないといわんばかりに歪んだ。
力が抜けて離れそうになる指を何とか繋げて、その場に留まることに成功する。
ここで指が離れようものなら、たまったものではないだろう。
想像と映像を消すために、ぶんぶんと頭を振って意識を取り戻す。
(く…上を見ながらでも…降りていけばそのうち足はつくはず…)
恐怖に身体が硬直して上手く動こうとしない。
それでも何とか腕と足を動かしながら、那美の横まで来ることが出来た。
着いたら着いたで、また冷や汗が噴出した。
もういい加減に心を休ませたいと切に願うもそれが叶うことは今のところ在りそうにない。
目の前にいる、意味不明のことを言い出しやらかした友が戻ろうといわない限り状況は変わらないだろう。
「それで…どうしてこんなことさせたの…?」
「ふふふ…そうですね…その前に一つ質問していいですか?」
「…………ええ…」
「初夏さんは高町恭也のこと、どう思ってるんですか?」
「…………は?」
余りに唐突のことに、初夏は唖然とした。
よもやそんなことを聞くために、自分をこんな30センチあるかないかの足場の場所に呼びつけたのだろうか。
もしそうなのだとしたら、様子がおかしいことを抜きにして張り倒すと心に誓った。
とりあえず、その前には質問にだけは答えてやろうと思い、思考を元に戻す。
(どう思ってる…ねぇ………やっぱり一目置いている存在としてしかいいようはないわよね…)
「…前にも言ったとおり、一目置いた存在よ」
「それって、やっぱり気になるってことですか?」
「……………まあ…そうかもね…」
気になる気にならないかと聞かれれば、気にならならいといえば嘘になる。
だが、それ以外に言いようが無いし、でもそれでも気になりすぎることはない。
「日下部さん…」
「ん…? な…っ!!!!!!!!」
呼ばれたので、振り向いた。
目に映った顔は、とても妖艶な笑顔を浮かべて、初夏を見据えて遠ざかっていった。
「高町恭也に近づくものはね………み〜んな消してあげるから。 安心して、日下部さん…」
瞬間、妙な感触と同時に、自分の身体が地についていないかの様なものを感じた。
いや、感じたなどと生易しいものではない。
足が着いてない。 それどころか、落ちている。 落ちているのだ。
絡みつく風に何とか捕まろうとするものの、実体の無いものに手をかけられるはずもなくただ落ちていく。
死ぬ…。
たった二文字の単語が頭の中に流れたと思うと、螺旋を描くようにしき詰まったり、埋め尽くしたりしている。
死ぬ…?
今度は疑問で浮かんだ。
だがそれだけだった。
着実に近づいてくる地面はどんどん大きくなっていってこのままなら、助かるのではないかと思えるが、そんなに甘い世界ではないことを初夏は理解している。
心臓は限りなく、果てしなく早く鼓動を刻んでいるというのに、頭は何故か冷静に、現実を受け止めようとしていた。
死ぬ…。
(嫌だ…)
無理だ…。
(ふざけないで…!)
抗えはしない。
(抗ってやる!!!!)
心と頭の葛藤を無理やり押さえつける。
瞬間目の前の世界が集束したような錯覚を覚えた。
瞳孔が極限まで小さくなり、少しだけ赤かった髪が一気に紅に染まった。
同時に、初夏の身体も淡く紅を灯す。
そして爆ぜた。
初夏のほんの少し前の空間が文字通り、火を暴れさせ、爆ぜたのだ。
一瞬の爆裂のはずなのにかなりの勢いで初夏は吹き飛んで、校舎に身体を叩きつける。
「ぐっ…!」
予想以上の衝撃に顔を歪ませるが、そのまま気を抜きはしない。
校舎に身体を近づけさせただけで、状況はそれほど変わってはいないのだ。
(窓に…!)
瞬間的に見えた、時間的にコンマ数秒の時間に見えたモノにおもむろに手を伸ばす。
落下する速度が急激に逆方向への抵抗へと変わった。
窓のサッシに咄嗟に手が伸びたのだ。
「ぐぅううあああああああああ!!!」
ごきり、と鈍い音が広い空間に木魂した。
落ちる身体を腕一本で支える行為はとてもじゃないが、初夏の細腕では無理というもの。
身体の反射でやったこととはいえ、想像以上の激痛が身体を駆け抜ける。
痛みのために、視界がふっと白くなる。
時間にしてほんの一瞬。
初夏の身体を支えている右腕がサッシから離れるのに必要な時間は、その一瞬で事足りた。
そして、後は落ちるだけだった。
したたかに身体を地面に打ち付けて、身体を痛みにもだえさせる。
「ぐ…あ…ぁ…ぅ……」
意識は白から黒へと変わるまでに時間は要らなかった。