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こいつ、化け物だ! みんな気をつけろー!!
化け物…私の子供に近づかないで!
化け物
化け物!!
ほんの些細な出来事だった。
他意はもちろん無いし、悪意など指と指をくっつけたときの隙間ほど無かったはずだ。 ただ、みんなに知ってもらいたいということだけだったのに。
その代わりに、物事は上手くいかないものだと実感すらさせられてしまった。
同時に人と違うということは罪だということも理解させられた。
でも、今だからこそ彼女は思う。
そんなことが罪なはずはない。 罪なんてものは生まれたときから背負ってくるものじゃない。
誰も生きることを。 生まれてくることを拒むことが出来ないのだから、罪など生まれた子供にあってたまるか。
でも、人と違うということは、少なからず世間を生き抜くためには余計なステータスだ。
だから、人と違う部分は秘密にした。 さらには、違う部分をほとんど使わないと決めた。
初夏の季節になったときに疼いてしまうとき以外は絶対に使わないと決めた。
それが精一杯の抵抗だった。
他に何をやれというのだろう。
聡明で賢明な彼女はこう答えを導き出した。
『面倒くさい』
恐らくそれからだろう。
身体の全てが、全てを怠惰にし始めたのは。
迷っているのかと自分自身に問いかけてみれば、答えはすでに出ているという。
彼女は未来を求めていない。
彼女は夢を見ない。
自分を世界一不幸者と罵りはしないが、否定もしない。
罵ったところで、否定したところで自分自身が変わるわけではないから。
だからこそ、彼女に求めるものは何も無い。
何も無かった。
何も無かった…。
「………っ!!」
どこからか感じている、じくじくと感じる痛みに日下部初夏は顔を歪ませながら目を開けた。
(まぶ…しい…!)
目を開けると今度は目の痛みに、瞼を閉じる。
なるほど、得てして寝覚めはすがすがしいものではないと今更ながら、苛立つ頭で納得した。
納得して、彼女の思考は別のものに移行した。 そんなことはどうでも良かったのだろう。まだ光になれない目を細めることで、光を調節しながら、周りに視線を送る。
とりあえず、分かるのは自分がベッドに横になっているということ。
視線をめぐらせると、気になったことは部屋が白いということだ。 自分の部屋も殺風景なものだが、ここまで白くは無かったはず。
再びめぐらせ始めると、小さなテレビが目に入った。 自分の家ではこんなに小さなテレビは扱っていないはずなのだが。
(私は一体どうしたわけ…?)
いまだ、朦朧とする頭を無理やり起こしながら今までの記憶を探ってみる。
(屋上で…那美と行って………それで………)
そこまで記憶を引きずり出して初夏は思考を停止させた。
いや、停止せざるを得なかった。
(あの後…どうした…? くっ…!)
記憶の片隅に霧をかけられて、上手く映像を見ることが出来ない。
どうにかしてその先を見ようとするが、何故か鮮明になろうとする気配はない。
まるで見られることを拒むかのように、その霧は晴れようとはしなかった。
「…あら…。 目が覚めましたね」
「!?」
初夏の右側に位置する一つしかない扉が突然音を上げて開いた。 当たり前の如く、人らしき人物もおまけで。
「一応寝ている間に、脳波取らせていただきましたけど、異常は無かったですよ。 後でもう一度取りますから…」
「…………あなた…誰?」
明らかに敵意の視線で入ってきた人物を睨む。
白衣に身を包み、朗らかな表情で向けてくる視線に悪意のそれはないのだが、どうにも信用しようとは思わなかった。
(何…? この感覚………妙…? 違う。 変なのよ…)
「ああ、説明の順番が逆になっちゃいましたね」
初夏の疑惑の視線を気にすることもなく、「すみません」 と一言謝り、咳払いをして口を開いた。
「わたしは、フィリス・矢沢。 一応医者ということになってます」
終始笑顔で行われた自己紹介に初夏は、ピクリと反応した。
「医者…」
医者が目の前にいるということはここは病院ということで間違いないはず。
では、何故自分はここにいるのだろう?
病気になった記憶はもとより、怪我をして病院に運ばれることは無いはずだ。
「はい。 医者です。 報告を聞いたときはびっくりしましたよ。 誰も見ていないようなので予想でしたけど、屋上辺りから落ちたって…」
「……………なるほど…」
やけにあっさり過ぎたが、合点がいく。
『落ちた』
その言葉で、霧がかかっていた部分はものの見事に映し出された。
簡潔に言うと屋上から落ちるシーンだが、『どのように』『何故落ちたか』。
それらを全て思い出した。
思い出して余り気分のいいものではないが、思い出さずにいられず、思い出さないわけにもいかないものだから始末が悪い。
「どうかしたんですか?」
「………いや…用事を思い出したから…退院する…」
そう言って寝たままの状態から上半身だけを起こそうとして…。
「っ!!!」
失敗した。
終始感じていたちりちりするような痛みが、起き上がろうと動作を起こしたときに、身体を突き抜けるような激痛へと変わり行動を阻止したのだ。
「まだ、無理をしたらいけません。 あなたは簡単に言えば重症患者なんですよ?」
「重症かどうかは私が決める」
痛みを無理やり抑えながら、もう一度試みる。
だが、今度はフィリスによって強引にベッドへと倒された。
一応初夏は怪我人なのだが、そんなこと関係ないと言わんばかりの勢いでベッドに叩きつけるようにして寝かせた。
「駄目です! 許可しません!! どれくらい重症かといいますと、右肩の脱臼、右腕の骨折、肋骨が3本も骨折してるんですから!」
「………私の症状はどうでもいいから…それよりも痛いんだからあんまり力まないで…」
初夏から送られる恨みがましくも呆れた視線に、年齢よりも幼いであろう表情を赤に染めて俯いた。
(ちっ……これは思ったよりも重い怪我みたいね……恐らく実行は今日…。 場所なんかも特定できる…どうしても出ないといけない)
異変は少し前から起こっていたのは分かっている。
そして、行動は起こされた。
ならば、もはや相手は止まりはしないだろう。 だからこそ止めなくてはいけないのだ。 事が大きく提示される前に。
ゆえにこちらが足踏みしている訳には行かないのだが…。
(なるほど…なら絶対に止めないといけないわね………)
「と、兎に角! 抜け出そうとしたってダメですからね!? 力ずくでも止めますから!」
「………………………………類は友を呼ぶ…あながち間違いでもないみたいね」
「え…?」
「…別に……それより、扉の外にいる人は誰なの?」
フィリス疑問に満ちた顔から扉に視線を移して凝視する。
誰かいるような気配はない。 (初夏自身気配を感じる技能はない) が、彼女の何かがそこにいると訴えている。
「誰か…いるんですか…?」
「扉を開けてみれば早いでしょう…?」
初夏の言い方に少々気おされながら、フィリスは扉に手をかけた。
そして別段気にすることなく、普通に普通にスライド式のドアを少し力を入れて開け放った。
「……………?」
視界に入っているフィリスの行動を言うなれば、彼女は首を傾けた。 それはもう、まるっきり疑問を浮かべていると分かるほどの傾け具合だ。
「あの…誰もいないですよ…」
明らかな不審の目を初夏に向けながら、フィリスは扉を閉める。
「…後ろに回られたことくらい気がついてもいいと思うけど…」
「…ぇ?」
言われて初めて後ろに注意を向けようと首を回す。 その瞬間…。
むに
流石に擬音語までは聞こえないが、聞こえてもおかしいくらいの勢いでフィリスの頬はへこんだ。
へこまされたと言うほうが、適切といえばそうかもしれないが、今はそんなことはどうでもいい。
「やあフィリス。 相変わらずおかしな顔をしているね♪」
フィリスの顔に、自らの指をめり込ませていたのは、フィリスとまったくと言っていいほど同じ顔の人物だった。
違うといえば、身長、髪の長さ、目つきの鋭さ、それから…。
(…………大きいわね…)
口にも出さず、表情にも出さずに、フィリスと見比べた。
恐らく姉妹か何かなのだろう。 ここまで一緒の人間が赤の他人なら、それはそれでいかんとも…。
「り、リスティ!! 勝手に病室に入ってこないで!」
「どうどう。 ボクだって何か用事がなけりゃ、重症患者の病室に来たりしないよ」
そう言って、リスティと呼ばれた女性は、胸ポケットから箱を取り出して一本だけ白い棒を取り出した。
所謂タバコだ。 タバコなのだが、ここは病院で病室。 禁煙なのは非常識人の初夏だって知っている。
「リ〜スティ…病院では禁煙っていつもいってるでしょ〜!」
「分かってるよ。 出しただけ、雰囲気だけだって」
言っていることは無茶苦茶だが、確かに火気の元は出していない。 取り出したタバコも手に挟んでいるだけだ。
「ふぅ……どうでもいいけど……姉妹漫才はここ以外にしてくれない? うるさくて敵わないわ…」
ここが病院ということと、初夏が怪我をしていることを抜いても、この騒動と呼べる出来事は彼女にとって不快以外何者でもなかった。
そもそも、初夏は騒がしいのは大嫌いだ。 静かに物思いにふけることも出来ない空間は好むべきものではない。
それでなくても、今は問題が目の前に提示されて静寂を欲しているのに、だ。
「ゴメンゴメン。 別に漫才を聞きに来たわけじゃないのさ。 ただ聞きたいことが一つあるだけだんだよ」
「…………………何…?」
「君は回りくどいのは嫌いそうだから単刀直入に聞くよ。 ……君を落としたのは誰?」
言葉が時を止める。 比喩なのだろうが、実際感じる人間は多くいるだろう。
今まさに、病室の時間をリスティはとめた。
その端麗な顔からは想像できない言葉だったためか、それとも出てきた言葉だけの所為か。
「言い忘れたけど、ボクは警察なんだ、だからって訳なんだけどね。 流石に自殺未遂、もしくは殺人未遂が発生すれば動かざるをえないんだ。 それで考えたんだけど、君に聞くのがもっとも合理的かつ、効率的と考えたんだけど…」
「警察が…動いた………そう…」
それだけ言うと、初夏は顎に手を当てて俯いた。
海外ではこの行為を拒絶の意味としてとるのだが、初夏のこれは、ただの考え事をするときの癖なのだ。
ある意味拒絶といえばそうなのだが、本当に集中している証拠でもある。
「別に言いたくないならそれでいいけど…捜査が難航するだけだからね。 それに君だって落とされた相手を野放しにしたくないだろう?」
「り、リスティ。 その言い方は…」
「………なるほど…時間はないと思ってたけど…ますます時間はないわけね……」
二人の言葉をまるで届かせていないかのように、呟いた。
そして顔を上げ、リスティをその鋭い瞳で射抜くように捕らえた。
「警察なんかに渡さない。 確かに野放しには出来ないけど、警察になんて任せるわけには行かない。 本人の知らないことで捕まえさせるわけにもいかない。 だから私がけりをつける。 否定も抗議も反論も受け付けない。 おとなしくしてなさい」
「こらこら…民間人をそんな危険な相手を任せるわけには行かないよ。 それに君は重傷なんだ。 おとなしくしてるのは……」
「あなただって病気持ちでしょう。 HGS患者Pケースの患者さん…?」
初夏の一言で、二人の眼が限界まで広げられた。 それほどまでに今の言葉が信じられないものだったのだろう。
「HGS患者Pケース…別名、高機能性遺伝子障害。 生まれついて、特殊な遺伝子情報が刻まれていて、いろいろな障害を引き起こす病気。 Pケースは世界でもっとも発見されている例で、中には自身を変身させることのできるパターンもあるといわれている…どう?」
「…驚いたな…どうして分かったんだい?」
驚いているだろう、そして同時にうろたえているであろう。 なのにリスティはそれを見せずに「やれやれ…」 と降参したかのように、手をを上げてため息をついた。
「全世界を探したとして、まったく同じ人間はいないわ。 遺伝子なんてものが同じ人間は中にはいるでしょうけど、性格や癖まで同じ人間はいない。 要するに、違いが分からない人間もいれば、分かる人間もいるということよ」
「ずいぶん回りくどい説明だね…。 まあ、でも言いたいことは分かったよ…。 けど、ボクたちがHGS患者ってことが分かってるなら、隠し事が出来ないこともわかるだろう?」
「なら、どうして譲れないかも分かるでしょう? 悪いとは思わないから…今はあなたたちの相手をしている時間も惜しいのよ」
口元を妖艶に歪ませながらも、瞳はより一層鋭く吊り上げられた。
一方のリスティも初夏の目から視線を逸らさずに、挑発されたように睨み返す。
「あ…あの……二人とも…ね? …こ、ここは病院なんだし…」
二人の真ん中でうろたえるフィリスが滑稽を通り越してかわいそうにすら見えるほど、場は重苦しい。
武芸の達人がもっている気迫のそれとはまた違う。 言うなれば、人特有の圧力。
「………………ふぅ…分かったよ…」
「………………」
「ここでダメだといっても、君はどんな手段を使ってでも抜け出すだろうからね。 ここはフィリスの顔を立てるとするよ」
もはや何度目か分からないため息と共に、リスティの口から降参の言葉が現れた。
「それでいいのよ…。 そうそう、私、保護観察処分は嫌だから、あなたがどうにかしておいてね」
「言い訳の一つや二つ考えておけってことかな?」
リスティの質問に、頷くこともせず。 ただただ初夏は 『にやり』 と、口元を歪ませた。
「フィリス…お前もとんでもない患者を受け持ったね」
「あうう……」
もはやはぐうの音もだないらしい。
しかし、再び始まった姉妹漫才を初夏は見ていなかった。
心ここにあらず。
一人静かに、自分の手のひらを見つめていた。
(那美………)
誰に言うわけでもなく、声に出すわけでもなく、しかし小さな声が彼女の中で本当に小さく響いた。