エピローグ

 

 

 

 

 

求めているもの。

求めていたもの。

生きてきたうえでどれだけ見つけて捨ててきたことだろうか。 今となってはその面影すらも見えはしない。

でも、その中でも確かに見えているものがある。 

求めているもの。

手を伸ばせば恐らく届く距離にあるそれを、彼女はずっと大切にしてきている。 それも全て自らのため。 それ以外はないのだ。

自らのために、それを守り、自らのために、それのために動く。

何故そんな風にしか動けないのかと問われれば、『それが私の求めるものだから』 と即答するだろう。

時々ふとそんなことを考えるが、結局他人が理解できるようなことではないのだ。 こういうことの結論は本人以外は所詮詭弁だ、で終わってしまうものなのだ。

しかし…と無駄な思考が再び現れてしまう。 が、それはいささか今の現状では仕方のないことではないのだろうかと、自分で逃げ道を作ってしまう。

作りたくもなるだろう。 自分ですらやっていることが本当に求めたものなのか分かっていないのだから。

「はぁ〜………」

那美が所謂悪霊と呼ばれる部類のものに身体をのっとられた事件から、早2ヶ月。 骨折も裂傷も綺麗さっぱりなくなった。 

これは、単に那美の能力のおかげだ。

『ヒーリング』 と呼ばれる、簡単に言えば癒しの能力で、生物の『生きようとする力』 というものを、少しだけ表に押し上げて、回復力を向上させるという、霊力を持った者の極めて希な能力。

それを毎日のように、決められた時間だけでもかけ続ければ否が応でも治るというもの。 いくら初夏が非常識人でも、身体の中身の中身まで非常識で固まってはいない。

とまあ、そこまでは別に悪くはなかった。 悪くなかったのだが…。

「はぁ〜…………」

一体何度目か分からないほどのため息をつきながら、初夏は目の前に並べられている、イチゴを四分割に器用に斬り捌いていっていた。

初夏の居る場所は、所謂厨房。 どこの厨房かと言えば、海鳴の街ではかなり有名な翠屋といわれる喫茶店の中。

何を間違ったのか、初夏は翠屋でアルバイトをすることとなっていた。

「あら。 まぁ〜たため息なんてついちゃって〜。 イチゴ切り、飽きちゃったのかな?」

「………そう言うわけではないけど…」

言いつつも、無意識なのか意識的なのか再びその口からはため息がでてきた。 翠屋の店長を目の前にしていい度胸だとは思うが、とめられないものは仕方が無いと、無理やり自分の中で決定して、イチゴを一つまた一つと四分割にしていく。

その初夏の仕事ぶりを、翠屋店長こと高町桃子今度はちゃらけた雰囲気の眼ではなく、真剣な眼をして黙ってしまった。 あからさまな態度を取っているから、手際を見てクビにするかどうかの天秤にかけている…のかは分からないが、初夏はさらにため息をつきたくなった。

「やっぱり、右腕だけでイチゴを綺麗に四等分に切り分けるなんて器用よね〜」

「はぁ…」

「でも…やっぱり見てて痛々しいなぁ…」

「……別に…不自由はしてないから…」

あの事件で斬られたとき、神経もばっさり斬られいた。 初夏の左腕はまったく動く気配を見せなかった。 フィリスに、リハビリをしっかりすれば、治る希望はあるといわれだが、きっぱりとすっぱりと初夏は断った。

それ以来、フィリスにはあっていない。

食いかかってくるフィリスに、『痛くしないのなら考えてあげる』と、いつもの妖艶な笑みを浮かべて診察室から出て行ったきり病院にすら向かっていないのだから、滅多なことで会うことは無いと思うが、それきりこの左腕をぶらさげたまま過ごしてきている。

物事の本質とも言うべき点を感じることに長けている初夏ならではなのか、右腕だけで過ごしていく方法をすでに理解しているために、不自由というほど不自由は感じて生活はしていなかった。

現に、こうして普通は両手で行わなければ難しい刃物でモノを切る行為を難なくこなしている。

「刃物の扱いなら家の息子以上かしらね?」

「扱いなら…高町恭也の方が優れているわ。 私は切り方が分かっているだけなの」

「??? …何か違うの?」

「……………モノには…どんなものでも、脆い点が存在するわ。 人だろうと地球だろうとイチゴだろうと…ね。 その点を見極めて衝撃を通せば、何の抵抗もなく、壊せるのだけれど…。 今回は真ん中から四分割しなければいけない。 だから刃物を使って、細かい作業を可能にして、さらに真ん中に最も近い点をその刃物で貫いてやれば、後は刃物を滑らせるだけで切れるのだけれど………」

一応実演も踏まえて説明をしたのだが…桃子の顔を見てもわかるとおり、理解している顔ではない。 どの辺りから理解不能なのか…恐らく始めからだろうから、説明し甲斐のないことこの上ない。

「あは、あはははは…」

乾いた笑い声が厨房に響くが、まあこれも仕方のないことだろう。 それが分かっている人間には何のことはない。 本当に呼吸をするのと同じくらい自然にその行為を実行できるのだから。 分かっていない…わかることの出来ない人間にそれを分かれというのが酷というものだ。

「まあ…そろそろ仕事をしないと2番目の立場の人と、ヘルプから裁かれるわよ…」

説明中も手を止めることなく、ひたすらイチゴを切り続けていたために、初夏の厨房でのノルマは終わっていた。 

切ったイチゴを入れ物に丁寧に並べて、作業を終えた初夏は、そのまま桃子の方向を見ることなく厨房を後にするべく、店のほうへと向かっていく。 その途中に、この忙しいのに何をしているんだ〜といっているかの表情の2番目の立場の松尾と、同じくこの忙しいのに一人だけ何をしている、と無表情で呆れるという器用なことをしているヘルパーの横を抜けて店のほうへと赴いた。

「あ〜んごめんなさい〜〜〜」

悲痛…とはとても聞こえないが、怒られているであろう店長の姿を想像しながら、初夏は呼ばれた場所へと向かっていく。

バイトを始めて既に2週間。

「ご注文をどうぞ」

いつも通りの表情で、いつも通りの声で、営業スマイルの一つも見せず、仕事をしていく。

楽しいとは決して思わない。 何故ならやりたいことではなかったから。

真剣に取り組もうとは思わない。 何故なら求めているものではないから。

しかし、ふと思う。

時々。

例えばイチゴを切っているとき。

こうして客を相手にしているとき。

別にこれでもいいのではないかと。

不意に頭の中を横切るときがある。

自分自身が求めているものを理解していないのが原因か、それでもいいと妥協しそうになる。 

しかしこれは妥協というのだろうか?

自分自身が関わっている時間を無益として妥協と決め付けていいのだろうか?

(………………まぁいいわ…)

後ろを見ればどれだけ自分が時を無駄に過ごしてきてしまったのかと悲観する。 だが前を見れば時間は無駄に長く用意されている。 急いで答えを探すことが馬鹿らしくなるほど、長い長い時間が見える。

「…以上でよろしいですか? 少々お待ちください…」

 

 

 

 

何回同じ行動を、同じ言葉を発したか分からなくなったころ、翠屋は閉店の時間となっていた。 最後の客が出て行ってから、食器を洗う音を遠くに聞きながら、テーブルを拭きまわっていた。

「はぁ〜今日もいっぱいお客さん、来てたね♪」

「そうね…」

「お客さんたくさん来ると、忙しいけどやりがいがあると思わない?」

「そうね…」

「ね、ね、高町君もそう思うでしょ?」

「そうだな…もっとも、忙しいときにしか俺は呼ばれないわけなんだがな」

あははと笑う女性の声が、フロアに響くほど、そこは静かで人がいなくなっていた。 客が押し寄せるように入っていた、営業時間と閉店作業のギャップはそれなりに、初夏は嫌いではなかった。

静かな時間が来るまでは、それなりの喧騒があるものだ。 それが次第に小さくなって静寂に変わる瞬間、何故か安らぎを感じている。

それが、年寄り臭いのかもしれないと知っているが、嫌いではなかった。

今日はいつもより早めに終わっていた。 いつもなら、外は日の光を完全に鎮めて、静かな月の光で照らしている時間帯なのだが、今日はまだ、紅い日が西の空から光を放っている。

「よ〜し、お店の床拭きおしま〜い」

「おつかれ。 日下部さんも、後は俺がやっておくから、上がっていいよ」

「バイト代が、減るから遠慮しておくわ。 高町恭也こそさっさと上がりなさい。 今日は何かやるんでしょう?」

「いや…しかし………」

「口答えをする暇があるならさっさと上がりなさい。 そこにいられてもテーブル拭きの邪魔なだけよ」

恭也の方向をまったく見ることなく、初夏はひたすらテーブルを拭き続ける。 別に綺麗にしてやろうとか、お世話になったとか、客のためにとかの殊勝な考えは一切ない。 

これを一言で表すならただの癖だ。 なんとなくなんとなくで、しっかりと拭いてしまう。 本人にも気が付かないうちにやっているので、気が付けばテーブルは綺麗になっているという仕組みだ。

しかし今日はそれだけではない。 だからこそ急ごうと、力を入れながらテーブルを拭いてしまう。 急ぐのに力を入れる。 力を入れるとしっかり丁寧に拭いてしまう。 悪循環この上ないが、もはや仕方のないことだろう。

「高町君の負けだね。 それじゃあ、後は任せちゃうよ」

「ええ…」

そうして、フロアには初夏一人となった。 一人になると本当に不思議だと思う。 静寂が騒音と変わる。 静かなら静かなほど、耳の奥でうるさく暴れまわる。 けれどそれこそが静寂と思えるから本当に不思議だと思う。

一人黙々とテーブルを拭いていく行為にはまったく抵抗は感じられない。 むしろそれこそ好きでやっているものの動きの如く生き生きとしているのかのようにさえ見えた。

「ふぅ…」

ようやく満足したのか、テーブルに近づいていた顔を上げて、全体を見回して、力を抜いた。

「お疲れ様って、相変わらず丁寧に拭いちゃうわね〜」

「……これくらい当然でしょ? じゃあ、私も上がるから」

「はい。 あ、そうだそうだ。 初夏ちゃん」

「……何?」

「これから家で簡易パーティーをやるんだけど………」

「はぁ…」

ため息とも返事とも取れない声を漏らした。

ただ単純に呆れたのだ。 以前も何かこれに似たようなことでパーティーをやったところだというのに、この家は再びやるといっている。 正直信じられない。

「来る来ない初夏ちゃんの自由だけど、帰り道、八束神社の近くを通るんでしょ? だから…」

「……………ふぅ…一応、了解したといっておくわ」

再び、少しだけ理解できた。

なんとなく思っていた、無駄ではないのでは? という考えは恐らくこれだったのだろう。

ここの人間は今まで見てきた人間なんか比べ物にならないほど『できる』 のだ。

初夏が那美と仲がいいとは言わないかもしれないが、少なくとも心を許していると分かっているのだ。 だから桃子は初夏にあのように頼んだ。 そうすれば初夏は来ることになるから。

那美と一緒に…。

(まったく…やれやれ…だわ……)

自分の表情が少しだけ緩んでいることに気が付かずに初夏は歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

絵に描いたような…という表現がぴったり当てはまるほどの神社への階段を一歩一歩と確実に上っていく。 見上げるとまだ少しだけ階段は続いているが、一緒に見えた、紅い空がそんなことを一瞬で消し去ってくれた。

自然は偉大だ。 人間がどれだけ必死に抵抗したところで勝てることはない。 あるがままを受け入れることを定めているかのごとく、しかしまったく強制をしようとしない。 だからこそ美しいのかもしれないと思う。

あるがまま…そうして生きている人間はどれだけいるだろう。 少なくともそう生きている人間はまぶしいほど輝いているだろう。 逆に自分自身を偽って生きている人間は黒く醜い。 

そう言う人間をたくさん見てきた。 媚を売る人間、権力に逆らうことが出来ずにひたすら我慢する人間。 自分の欲望に忠実に従って動いている者の方がまだ、純粋なだけ美しく見える。

だが、美しい人間にもそうでない人間にも、同じように求めるものがある。

価値が大きいものも小さいものも、それでも求めるものがある。

人それぞれでその求めるものの価値が違うけれど。 手に入れるために足掻きもがき、切磋琢磨して進んでいく。

それには時間が必要で。

でも時間は無情で待ってくれない。

だけど、少し考えてみるといい。

例えば、こうして空を見上げているとき。

例えば、自分のために歩いているとき。

例えば…イチゴを切っているとき…。

それは本当に無情な時間に飲み込まれているのだろうか…。

「くぅ〜ん…」

「…………おいで…一緒に那美を呼びに行くわよ…」

「くぅん」

一匹の狐を胸元に抱えて、初夏は歩き出す。

恐らくは神社の境内で仕事をしているだろう人物を呼びに。

「あら…」

「くぅ…」

西から照らされる暖かな光に誘われてか、一人の少女は眠っていた。 とても安らかに、とても気持ちよさそうに、眠っていた。

例えば、こうして誰かを呼びにきたとき。

こうやって寝顔を見ることによって、少しだけ優しい気持ちになれること。

これは無駄な時間といえるのだろうか?

後ろを振り返ってみれば、そこには無駄に過ごしてしまったと悲観する自分が見える。

 

だが、前を…少しだけ前を見てみれば時間は無駄に多く用意されている。

 

急いで答えを探すことが馬鹿らしくなるほど長い時間が用意されている。

 

「まったく…私がせっかく呼びに来たというのに……久遠…どうしてやろうかしら?」

 

「くぅん…」

 

「そうね…頬でもつまんでしまうかしらね」

 

「くぅん♪」

 

 

だから、私は守っていこうと思う。

 

この安らかな笑顔を。

 

 

 

私の求めるものを見つけるための居場所を。

 

 

 

「起きなさい、那美」

 

 

 

 

 

 

第一章

 

 

 

 

 

1−5へ

TOPへ