「というわけで、わたしに料理を教えてください!!!」
「………………………………………帰りなさい…」
玄関前で土下座をして頼みこむ女の子を彼女…日下部初夏は少しの間の後に言葉で蹴り飛ばした。
求めるもの二つ外伝
美由希の料理修行
「ここでこれを…できた!」
死刑宣告というものがどういうものか、ということは実際にそうなってからでないと本当の意味で理解することは不可能だろう。 だが、時として感じたことのない経験を、さも経験したかのように感じることができるのは恐らく人間にとって利点であって欠点であるに違いない。
ふと、頭の中に浮かんだことはそんなことだった。 そして目の前に並べられていく、摩訶不思議な物体。
現実逃避しなかっただけ、彼、高町恭也は自分を褒め称えた。
「念のために聞くが、これは一体なんだ?」
「何言ってるの恭ちゃん? どこからどうみてもカレーだよ」
カレーと…彼女…高町美由希は少しも臆することなくカレーと言い放った。
言われてもう一度恭也は目の前の物体に目を向けた。 一般的に知られているカレーの色は『黄色』 だろう。 だが、目の前にあるものの色は『黒い』 だ。
(これは…まぁ焦げてしまったからだろうな…しかし…だがしかし…)
料理の基本は見た目の美しさと、腹の虫を挑発する美味しそうな匂いの二つ。 どちらか一方がおかしいのであるだけでも人はその料理を食べる気にはならなくなってしまう。 悲しいことだがこれが現実で、料理というものの本質でもある。
しかし、それでも見た目が悪いからといって、匂いが酷いからといって味そのものが悪いと繋がることは確定していない。 だからほんの少しの好奇心があれば、その料理に箸をつけることも可能になる。
が、両方…見た目も匂いも悪い場合はどうしたらいいのか。 というか、それを料理と呼んでいいものなのか疑わしくなる。
(どうやったらこんなものが出来上がるんだ………)
どんな距離から、どんな角度から見てもそれがカレーだとはとても見えない。 必死に言い聞かせればカレーとも言えなくはないが、兄として、人生の先輩として、美由希の師匠として、なにより人としてこれをカレーと認めてはいけないと本能が訴えていた。
(待て…落ち着け俺…。 カレーの作り方を思い出せ…)
カレーの作り方。 材料を鍋に放り込んでルーを溶かして…簡単に考えればそれだけで、焦がさないように気をつけながら沸騰させる。 それだけだ。 それだけのはずだ。
詳しい人間から言わせればもっと細かく説明してくれるだろうが、彼は身体能力は卓越していても、それだけの普通の人間だ。 料理の鉄人ではないのだ。 でも、それでも目の前にあるような黒いものは作れれそうにない。
「ささ、食べて食べて♪」
「………美由希…お前はこれを味見をしたか?」
「え? そんなの当たり前だよ」
「味はどうだった…?」
「う〜ん…ちょっと辛かったかな〜」
美由希のコメントを聞いて再び視線を手元に戻す。 味見はした。 その上で辛かった。 確かに美由希はそういった。 美由希は料理の腕は絶望的と周りから言われているが、その周りの料理の腕が素晴らしいために舌は肥えている。 イコール味覚は大丈夫という方程式が成り立つ。
ならば、この辛かったというコメントを信じても、大丈夫なのでは? と思う反面、身体は全力でそれを拒否している。
(え、ええい! ままよ!!)
ついに覚悟を決めて、カレーと言われている摩訶不思議なモノを口の中へ押し込んだ。 が、そこで恭也の動きは止まった。
「どうかな?」
「…………………美由希…一体何を入れた?」
「へ?」
「お前のことだ。 隠し味とかなんとか言って何かを入れたんだろう? さあ、何を入れたか正直に言え。 今ならメニューがいつもの3割り増しなだけで済む。 だから安心して言え」
「そ、そこまで言われて言える人はいな………」
言いかけて美由希はごくりとつばを飲み込んだ。 あからさまな殺気と言うものを感じての行為だろう、恭也から見ても正しい行動を取ったと思える。
だが、それとこれとは話は別というものだ。 にじみ出る殺気を抑えることなく、恭也は美由希を見据えた。
美由希も理不尽な殺気を叩きつけられていることを抗議しようとしているのだが、恐い気配に負けてついに口を開いた。
「さ………」
「ん?」
「辛くなりすぎちゃったから…砂糖を…………」
なるほど、それなら理解できる。 カレーのにおいの中にあった妙なにおいは、辛い匂いと甘い匂いとをミックスした臭いだった。 砂糖をある程度熱を加え続けると、液化して甘い匂いを放出する。 が、当然与え続ければ焦げる…。
「…………………美由希……」
「は、はい…」
「もう一度だけチャンスを与えようと思っている俺は甘いか?」
「ほえ?」
「もう一度だけお前に料理…カレーを作るチャンスを与えてやろうと思っている俺は甘いのかと聞いているんだが…」
恭也が次の言葉を口にする前に、美由希はぶんぶんと勢いよく首を左右に振った。
「き、恭ちゃんは優しいよ! とっても優しすぎて涙がいっつもでちゃうくらい優しいから!!」
もはや口にする言葉は切実そのもの。 その場を逃れるための嘘だったとしても、哀れに思えて見逃したくなる。
だがそれとこれとは話は別ものだ。 ここで見逃すことは、確かにたやすく、それによって得られる一時の安全は保障されるだろう。
しかし。 だがしかし、一時の安全とは所詮一時にしか過ぎない。 美由希がこの先、またこのような凶行に目覚めないとも限らないのだ。
だから恭也はほんの少し、マンボウの子供が大人になるほどの確率の希望を胸に、美由希に情けをかけた。
「よかろう…。 期限は1週間。 1週間後の今日と同じ時間に、カレーライスを食べさせてもらおう」
「は、はい!」
その言葉を聞いて美由希の顔は面白いように歓喜に満ち溢れていった。 どれくらい作りたかったのかが分かるほどだ。
「ただし!」
しかし恭也は甘くはない。 美由希の喜びを一瞬で両断するかの勢いで、続きの言葉を打ちつけた。
「失敗は許されん。 もし失敗した場合、調理場に立つことを禁じる、料理についての口を出すことを禁じる、鍛錬メニューが少しだけ厳しくなる。 以上のことがついてくる。 もはや撤回は出来ん。 お前の努力と意欲次第だ…。」
少々厳しいことを言ってしまったかもしれないが、これでいいのだ。 これ以上の犠牲を出さないためにも、この先の身の安全を守るためにも、恭也は今この場で心を鬼にして全てを言い放った。
「わ…分かりました…。 けどさ、恭ちゃん。 調理場に立つことと口を出さないことって言うのは分かるけど…最後の一つがわから…」
「やはり俺は甘いか美由希?」
「滅相もございません!」
再び勢いよく首を振って否定しながら、後ずさりしながら美由希は否定した。 どうやら口は災いの元と気がついたようだ。
「これで当面の安全は確保されたな…」
「うぅ…まだ始まったばかりなのにこの敗北感はなんだろう…」
恭也の独白も、美由希が感じた理不尽な仕打ちの前にかきけされ、一人打ちひしがれていた。
「……というわけなんですけど…」
「……………」
ぐうの音も出ない、あいた口がふさがらない、とはこういうときに使うのだろう。 言葉の真の意味を悟ると同時に、初夏はため息をついた。
どんな頭の持ち主ならば、辛かったからといって砂糖を入れるだろう。
「?」
どんな構造の脳みそなら、それを料理と呼び、人に食えと言えるのだろう。
「??」
どんな…。
「あの…日下部さん…?」
疑問を頭の中に流しつつ終始美由希を凝視していたが、むずがゆくなったのだろう、たまらず声を上げてきた。
「そう…まぁそれは分かったとする。 で、どうして私なの?」
例えば、初夏でなくても良かったはずだ。 記憶が正しければ、美由希の周りはとても料理が上手い人種で溢れているはずである。 それをわざわざ初夏のところに来るなど選択肢の誤り以外に考えられない。
「あ…それは……」
「それは?」
「日下部さんなら…私に容赦をしないで教えてくれるだろうと思って………」
「………………………」
あきれて物も言えない。
ぐうの音も出ない。
いろいろな言葉が初夏の頭の中を面白いように飛び交っていく。
そして飛び交うだけ飛び交い、行き着いた言葉があった。
「寝言は寝て言うから寝言って言うのよ。 おとなしく諦めなさい高町美由希」
「えええええええええ!?」
美由希の悲痛な叫びをまったくもって無視して玄関のドアを閉める…直前に美由希がすかさず隙間に足を挟んできた。 セールスマン顔負けのスキルである。
「ええい、退きなさい。 私じゃなくても他に教えてくれる存在はいるでしょう」
「例えば誰なんですかーーー!」
「那美とか那美とか那美とかにでも頼みなさい。 私にそんなゲテモノを食べさせようとしないで」
「那美さんじゃはっきりダメって言ってくれないじゃないですか! それにそんなゲテモノを那美さんに食べさせていいんですか!」
「それはダメだけど、だからと言って私に食べさせていいと言うものでもない」
「見捨てないでくださいよーーーー!」
「人には無理なものはどれだけやっても無理なのよ」
「何でもしますから! 何でも言うこと聞きますからーーーーー」
ぴくっ
っと、明らかにあからさまに初夏の耳が動いた。 同時に美由希は後悔した。 とんでもないことを口走ってしまったと。
「何でも…聞くと?」
「ううう…はい…」
その言葉を聞くと、初夏は面白いくらいに口元を歪ませて…
「じゃあ帰りなさい」
再び一刀両断した。
「ああああああああ、待ってくださいぃぃいい」
それから、約30分間戦い続けた結果、折れたのは初夏の方だった。