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プロローグ
香港国際警防部隊。 特殊警防隊とも呼称される。法的に保護されたエージェント部隊というほうが正確だろうか。完全実力主義の彼らは、隊員の過去の経歴、主義、主張、思想、宗教など一切問わない組織で、そしてまたそういった者たちが集まるからこそ成しえる活動も、非合法ギリギリのものだった。 その香港本部ビル十三階、隊長室、陣内啓吾のもとに入った一本の電話が、全ての始まりだった
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言葉は、ただ文字を羅列しただけの音声ではない。話すという行為は、話し手に事実の認識と、自覚を要求する。 「全滅?」 という声高の叫びは、明らかに自分のものだった。そしてだからこそ、陣内啓吾はその事実を認識せざるを得なかった。自分が今聞いて、発音したことこそが、たとえ理解できていなくとも事実なのだ。 「調査隊が……?」 「そうだ」 帰ってきたのは、あまりにも端的な声だった。抑揚なく、ただ事実を伝えるだけのニュースキャスターよりもなお冷薄な声が響く。受話器から聞こえる音に死の匂いを感じて、啓吾は思わず身震いした。 「『中国科学技術研究所』所属の科学者八名と、その協力、ならびに護衛として調査任務に当たっていた我ら香港警防隊所属の六名。つまり調査隊全十四名だ。現在調査を急がせているが、全滅と見てまず間違いない」 「…………」 受話器を持つ手の震えを見て、その時初めて、啓吾は自分が恐怖を感じていることを知った。後頭部を、何か鈍重なもので殴られたかのような衝撃が走り抜けた。身体全体を支配していく痛覚の中で、特にのどの痛みが激しく意識を揺さぶる。次第に強さを増す痛みに声が枯れ、口の中に鉄の味が広がっていく。 こちらの様子を伺うことなく、電話先の声の主は続けた。 「警防隊でもトップクラスの防御力を誇る十鬼、そして入隊して間もないにもかかわらず、戦闘的な実力で言えば君と同レベルの御神美沙斗。彼女らを始めする調査に参加したメンバーは紛れもなく優秀な連中だ。しかし、一昨日から連絡が途絶えた。リアルタイムは勿論、定時連絡さえ入ってこない。偵察衛星による映像で、調査目的地付近での大規模な爆発を観察しなければ、私もまだ信じずにいただろうがね」 「爆発?」 啓吾はわが耳を疑った。 調査内容と、その目的については彼も知っていた。目的地は、高機能性遺伝子障害病患者(HGS)を兵器として開発していた研究機関が所有していた研究所である。非人道的なその活動内容に、警防隊が八年以上前にその主犯格を逮捕し、事件はすでに一応の解決を迎えていた。 だが彼らが保有していた研究所については、未だ不明な部分が多く残っていた。数多く点在する研究所の所在は、研究所員でも把握し切れておらず、そのため施設の調査は、中国政府の協力のもと今もなお行われている。 十鬼や美沙斗が参加した調査も、そのうちの一つだった。危険性を孕むのはもとより、何より施設の建設地が未開地であることが多いため、調査隊メンバーは必然的に技術研究所と警防隊の混成チームとなる。参加した警防隊員は、技術研の科学者の警護と協力を兼ねて、調査に同行するのが通例となっていた。 だがしかし── 「爆発とはどういうことだ?」 それでも、研究所ごと爆発するようなことなど前例がないだけに、啓吾は信じられない思いだった。 「言ったとおりだ。調査目的地である研究施設を中心として半径数百メートルに及ぶ爆発を観測した。原因は調査中だが、衛星軌道上からでは生存者の確認はできていない。しかし、施設が壊滅したことだけは映像で判別できる。その結果から言えば、生存者がいる確率は極めて零だ」 「そんな……」 「ショックなのはわかるがね、樺一号。今回のこととて、可能性として考慮されていない事故ではない。事故死した連中には──十鬼や御神、ウィエルやロンメルたちには気の毒だが、我らがすることは早急な原因解明だ。事故か、故意か。まずそれを判別せねばならん。当然、お前にもすべきことはある。同じ隊長なのだから、言わんでも分かるだろう」 彼の言うことは正しかった。真実で、真理だった。何よりもまず先にすべきことは原因の解明。それらが事故であったならそこで終わるが、もし故意であったなら、早急に対策を立てなければならない。 こちらの活動内容がどこからか漏れた──すなわちスパイがいる可能性と、八年前の事件で壊滅した研究機関の残党が存在する可能性。どちらもないとは言い切れない、もしくはどちらもありえるだけに、捜査は慎重に、だが迅速に行う必要があった。 悲しむのは後でも出来る。電話の向こうで、相手は言外にそう言っていた。 だがそれがどれだけ正しくとも、感情が受け入れられないことがある。啓吾にとって、今がそうだった。 警防隊の部隊長として名を連ねる十鬼や、入隊前からの“縁”のようなものがある美沙斗は、同じ日本人ということもあって、啓吾にとってもよき友人である。 十鬼は既婚者だし、美沙斗には家族がいる。他の多くの隊員も、技術研究所の科学者も同じだろう。だが彼らの家族に対して、警防隊は何も出来ないのが実情だった。公的機関であるとはいえ、そのほとんどが自立運営を果たしている組織である。部隊を構成する隊員も特殊な生い立ちを持つ者たちが多いせいか、組織の情報機密は世界でもトップレベルといってよかった。だがそれが災いして、死者の家族に対しても、死因の伝達はもとより、事によっては遺体さえ渡せないときがある。 そしてそうなった時、決まって啓吾は自分が、そして警防隊がとてつもなく卑しい存在であるかのような気分になるのだ。 今度の場合は爆発である。遺体が残っていない可能性のほうが高い。そしてその原因についても、発表できないことは容易に想像がついた。できたとしても、それはおそらく偽情報に違いない。 「今から二時間後、一三○○時に緊急会議が行われる。執行部各員は、現在急を要する仕事を有する者以外、全ての作業を切り上げて中央会議室に集合とのことだ。連絡事項は以上だ。遅れるなよ、啓吾」 無常なまでにあっさりと電話が切れる。これが直接の会話でなくてよかったと、啓吾は心の底から思った。目の前で報告など受けていたら、きっと八つ当たりしていただろう。 無念を感じずに入られなかった。どれだけ戦闘面で強くなろうとも、仲間の誰かが自分の力の及ばないところで死んでいく。どうしようもないことであるだけに、やるせなさが募っていく。 電話回線の切断音が無常に耳に響く中、啓吾は小さく黙祷することしか出来なかった。
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